2023年04月30日「救われるためには」

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救われるためには

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 16章25節~40節

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真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。
突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。
目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。
パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」
二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。
まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。
この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。
朝になると、高官たちは下役たちを差し向けて、「あの者どもを釈放せよ」と言わせた。それで、看守はパウロにこの言葉を伝えた。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、言ってよこしました。さあ、牢から出て、安心して行きなさい。」
ところが、パウロは下役たちに言った。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」下役たちは、この言葉を高官たちに報告した。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。
牢を出た二人は、リディアの家に行って兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出発した。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 16章25節~40節

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<説教要約>使徒言行録16章25-41節「 救われるためには 」 

パウロとシラスは、占いの霊に取りつかれていた女奴隷から霊を追い出したことで、女奴隷の主人たちの反感を買い、役人に引き渡されました。彼らの訴えは、「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。 ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」というものでしたが、これは言いがかりです。
パウロとシラスは、正式な裁判もなしに捕らえられ鞭打たれ、牢に入れられました。
鞭で何度も打たれ、体中傷だらけになった二人を、看守は、いちばん奥の牢に入れて、さらに木の足枷をはめて、身動きとれない状態にしたのです。

牢の中でパウロとシラスはどうしていたのかというと、
25節「真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。」とあります。
25節をもう少し正確に訳すと、「祈りながら神に賛美し続けていた」そして「囚人たちはこれを聞き続けていた」となります。周囲の囚人たちに聞こえるほどの声で、神に祈り、神を賛美し続けていました。賛美と祈り、つまり神礼拝です。二人は神を礼拝し続けていてたのです。
パウロとシラスは、全能の神、全てを支配しておられる神の力を信じ、神を信頼して祈りと賛美を続けていました。
すると、突然、大地震がおこりました。通常地震というのは、予期しない時に突然起こるものです。ですが、ここでの「突然」は、パウロたちの祈りと賛美に続いて、すぐに、というタイミングでした。
そして、牢の戸が開いて、囚人たちの鎖が外れたのです。
パウロとシラスの祈りと賛美に続いて起こった大地震。牢の扉が全部開いてしまった事。これは、そこにいた人々にとって、偶然の出来事とは思えなかったはず。まことの神が、パウロとシラスの祈りに答えられたのだと、そう感じたはずです。

牢の戸が開き、囚人たちの鎖が外れたのを知った看守は、囚人たちが脱走してしまったと思い込んで、その場で自殺しようとしました。当時のローマの法律では、囚人を逃がした場合、逃がしてしまった者が自分の命で償わなければならないと定められていたからです。しかし、誰一人逃げ出していませんでした。
パウロは大声で「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」と叫びました。
看守は明かりを持って牢に飛び込んできて、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏して言いました。
30節「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」

看守は、パウロたちが、フィリピの町で、キリストの福音を語っていたことを知っていたはずです。また、牢の中での二人の祈りと賛美の声を聞いていたのかもしれません。しかしその時には、パウロたちの話に興味を持っていませんでした。イエス・キリストの死と復活、そして罪の赦しには関心がなかったのです。
ですが、この一連の出来事を通して、彼らが語っている「まことの神」の存在とその力を知ることになりました。
また、自分自身の死に直面した時、パウロとシラスが信じている神が、信じるに値する神だということを感じ取ったのです。そして自分も、パウロたちが信じている神を知りたいと思ったのです。
それで、二人を牢の外へ連れ出して言いました。
30節「救われるためにはどうすべきでしょうか。」二人は答えました。
31節、「主イエスを信じなさい。」短い言葉です。短い言葉ですけれど、とても重要な一言です。
「イエスという方を、あなたの神、救い主として信頼しなさい、信じなさい」ということですから。
そしてここでは、「今すぐに」そうしなさい!という意味を含んだ命令形で語られています。
あなたが救われるために、「まず、あなたが、今すぐに、主イエスを信じなさい」と。
さらに続けて語られた言葉は「そうすれば、あなたも家族も救われます。」でした。
これは、だれか家族の一人がイエスを信じたら、自動的に家族全員が救われる、ということではありません。
順序として、まず「あなたが」、イエスを信じるなら、神の救いに入れられます。
次に、あなたの家族も、あなたと同じように、イエスを信じるならば、救いに入れられます。という教えです。
32節「そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。」とあります。この後、パウロたちは看守だけでなく、彼の家族や彼の家の人たち全部に主の言葉を語った。のです。
イエスを信じる信仰、キリスト教信仰は、主の言葉、聖書の言葉を通して聖霊が働くことで生まれます。
これは、昔も今も全く同じです。
こうして、看守の一家は家族ともども神を信じるものとなりました。
34節「この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。」とあります。この家族はクリスチャンホームになって、喜んだだけではありません。二人の伝道者を家に案内して、傷の手当てをしまし、食事を出しました。このようにして看守一家は家族全員が救いに入れられ、クリスチャンホームとなり、福音宣教の働きに仕える家族になったのです。おそらくこの一家もフィリピ教会に加えられたことでしょう。これが、ヨーロッパ最初の伝道地、フィリピでの二つ目の成果です。

今日の箇所から、二つのことを覚えたいと思います。
一つは、二人が牢の中で神を賛美し祈った、ということ。
昼間でも暗い牢の一番奥。それも真夜中ですから、互いの顔も見ることができないような暗がりの中、二人は神を見上げて賛美し、祈り続けていたのです。自分の置かれている困難な状況、体の痛み、先のみえない不安だけに目を向けているとき、人は神の存在を忘れています。神が共におられることを忘れているとき、私たちの心は落ち込んでいくだけで、希望は生まれません。
しかし、まことの神、全能の神、何でもお出来になる神に心を向けて、神を礼拝することで、今ここに、確かに神のご臨在があり、神の助けがあることを覚えることができるのです。そうして神への信頼が回復し、そこから希望が見えてくるのです。ですが、そのためには普段から準備しておくべきことがあります。それは、どのような状況でも神を礼拝できるように、賛美の歌と、神の言葉を心に、頭に蓄えておくこという準備です。いつでもどこでも、自分の命があれば、すぐに口から、心から、湧き出る賛美、聖書の言葉を心に蓄えておきましょう。

もう一つのことは、家族への伝道です。
今朝の箇所はかなり特殊な状況でしたが、私たちの家族伝道は、こんな風にスピーディーに進むことは少ないですよね。
けれど、ここで大切なことは、看守を通して家族全員が、み言葉の説き明かしを聞く機会を得たということです。
つまり、あなたがイエスを信じたなら、あなたが用いられ、家族もイエスを知る機会が与えられて、信仰に導かれるチャンスになるのです。ですから、私たちも家族の救いのために、あきらめずに祈り続けること。家族がみ言葉に触れる機会を作る努力をし続けていただきたい、そのように思います。

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