2023年04月16日「金儲けと宗教」

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金儲けと宗教

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 16章16節~24節

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わたしたちは、祈りの場所に行く途中、占いの霊に取りつかれている女奴隷に出会った。この女は、占いをして主人たちに多くの利益を得させていた。彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
彼女がこんなことを幾日も繰り返すので、パウロはたまりかねて振り向き、その霊に言った。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」すると即座に、霊が彼女から出て行った。ところが、この女の主人たちは、金もうけの望みがなくなってしまったことを知り、パウロとシラスを捕らえ、役人に引き渡すために広場へ引き立てて行った。そして、二人を高官たちに引き渡してこう言った。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」群衆も一緒になって二人を責め立てたので、高官たちは二人の衣服をはぎ取り、「鞭で打て」と命じた。
そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 16章16節~24節

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<説教要約> 使徒言行録16章15-24節「 金もうけと宗教 」 
パウロ一行は、フィリピの町にとどまっていました。
リディアの申し出で、泊まるところが確保されていましたから、安心して伝道することができたのでしょう。
パウロたち一行は、安息日に川岸の祈りの場に行く途中で、一人の女性に出会いました。この女奴隷は、占い師で主人たちは彼女の占いで多くの利益を得ていました。金もうけの道具になっていたということです。
16:17 彼女は、パウロやわたしたちの後ろについて来てこう叫ぶのであった。「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」
彼女は、というより、彼女に取りついている悪霊が「この人たちは、いと高き神の僕で、皆さんに救いの道を宣べ伝えているのです。」と叫びました。それも、一度だけでなく、何日もパウロたちに付きまとって。。それでパウロはたまりかねて、霊に命じました。「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け。」と。「すると即座に、霊が彼女から出て行った。」とあります。

彼女に占いの力がなくなって、金もうけできないことを知った主人たちは、腹を立てて、パウロとシラスを役人に引き渡して言いました。「この者たちはユダヤ人で、わたしたちの町を混乱させております。 ローマ帝国の市民であるわたしたちが受け入れることも、実行することも許されない風習を宣伝しております。」
しかしこれは言いがかりです。町を混乱させるなど、オーバーな表現です。
しかし二人は、正式な裁判なしに捕らえられ、鞭打たれ、牢に入れられました。
二人は牢の一番奥、昼間でも光が届かないような薄暗いところに木の足かせまではめられて入れられたのです。聖霊に導かれてやってきた地でいきなりの投獄ですが、続きは次回になります。

ところで、今日の説教題は「金もうけと宗教」です。
今日の話で金もうけに利用された女奴隷は占い師で、宗教家ではありません。しかし占いは心の問題ですから、宗教に近ものがあります。そういう意味で、本日は宗教を悪用した金もうけについて、考えたいと思うのです。特に、信仰心を悪用して、物を売りつけたり、勧誘したりする、宗教にかこつけての金もうけがあることを、覚えたいと思います。

少し前に統一教会が大問題になっていましたが、統一教会による被害は過去のものではありません。今も被害を受けて苦しんでいる人や、洗脳されて抜け出すことができずにいる人がたくさんいます。信者にならなくても、高価なつぼや印鑑などを売りつけられ、だまされて購入した人も大勢います。被害者の多くは、本人や家族に、なにか不幸があったり、人生がうまくいかなかったり、という人です。そういう人をターゲットにして、高価な品物を売りつけ、あるいは信者に勧誘する、人の弱みに付け込んだ金もうけです。ですが、それで幸せが買えるなら、どんなにお金をつぎ込んでも損はないと思う人がいるのでしょう。あるいは、それくらい人生に悩み苦しんでいる人が多いということでもあります。ですが、それで幸福になるどころか、泥沼にはまってしまった人がたくさんいるのですから、言語道断です。

ですが、その種の勧誘や商売の方法は、なにも統一教会だけではありません。実は昔からあるのです。
例えば中世のローマカトリック教会は、贖宥状(免罪符とも言いますが)というお札を売って、金もうけをしました。贖宥状を買うと、犯した罪に対する罰が免除されると教えて。そのお金で、教会財政を賄ったり、大聖堂を建築したのです。しかし、この贖宥状が、ルターの宗教改革の引き金になったのです。

今、日本各地の寺院やお寺で売られているお札やお守りも、似たようなものです。交通安全、家内安全、商売繁盛、試験の合格、安産などなど、お守りやお札はいろいろあります。すべて、神の力を利用し、宗教を利用した金もうけです。

福音書には、エルサレム神殿で商売をしていた人々を前にして、イエス様が怒りを現されたという記事があります。
マタイ21:12-13
21:12 それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。
21:13 そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」

人の信仰心を悪用して金儲けするのは、神を金もうけの手段に使っているということになります。
それらはまことの信仰、まことの宗教ではない、と心得ましょう。

ところで、私たちの教会でも礼拝で献金をささげます。
教会員になると、毎月月定献金、維持献金をささげます。
ではこれは、どうなんでしょうか? 教会は献金で金もうけしている、ということでしょうか。
ここからは、キリスト教会の献金について考えます。

まず、献金の意味を確認しましょう。
意味としては、私たちはすべてのものを神から受けているので、その感謝を献金という形で神にお返しします。献金は感謝のしるし、礼拝行為です。
では、いくら献金をしたらいいのでしょうか。特に教会員になってからの月定献金(維持献金)は、それぞれが自分の収入や生活に合わせて、可能な額を献金するようにとお勧めしています。
旧約聖書では、収穫物の1/10を取り分けてささげるように、と教えられています。この規定が現在も流用されて、1/10献金といわれることがあります。
ただし、新約聖書では、1/10という規定ではなく、各自が決めて、喜んでささげるようにと教えられています。
Ⅱコリント 9:7 各自、不承不承ではなく、強制されてでもなく、こうしようと心に決めたとおりにしなさい。喜んで与える人を神は愛してくださるからです。
献金は金額ではなく、「それぞれ心に決めた通りに喜んで」ささげられる額が適切な額です。
また、人との比較は必要ありません。献金は人の目ではなく、神の前に、という意識が重要です。

そして、教会はささげられた献金をきちんと管理し、分配し、報告すること。
これも教会の重要な働きです。
多くの教会では、そのために教会役員が複数で献金の奉仕にかかわっており、又会計報告もきちんとされていると思います。こういう働きをなおざりにすることのないよう、気を配ることも大切です。

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