2023年02月05日「恵みによる救い」

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恵みによる救い

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 15章6節~11節

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そこで、使徒たちと長老たちは、この問題について協議するために集まった。
議論を重ねた後、ペトロが立って彼らに言った。「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。
人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。
また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。
それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。
わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 15章6節~11節

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<説教要約>使徒言行録15章6-11節「 恵みによる救い 」 
先週から使徒言行録15章。教会の中で「キリストの救いに割礼は必要か」という問題が大論争となり、初代教会がこの問題に対処する様子を見ています。

アンティオキア教会は問題解決のため、パウロとバルナバをエルサレムへ派遣しました。エルサレム教会は、使徒と長老を集めた正式な教会の会議を開きました。
7節に「議論を重ねた後」とあります。ここ口語訳聖書は「激しい争論があった後」、新改訳聖書は「激しい論争があって後」となっています。ここでも激しい意見の対立になったのです。
そこで、使徒の中でも指導的な立場にあるペトロが語りだしました。
ペトロは、今までの議論を聞きながら、イエスの昇天後に起こった出来事を通して、神が今まで教えてこられたことを思い返していました。そして語り始めました。
15:7b「兄弟たち、ご存じのとおり、ずっと以前に、神はあなたがたの間でわたしをお選びになりました。それは、異邦人が、わたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようになるためです。」
これは、具体的には、神がペトロをコルネリウスのところに遣わされた、あの出来事(使徒言行録10章)に記されていることです。既に扱ったところですが、思い出してみましょう。
コルネリウスはイタリア隊の百人隊長で、当然ながら異邦人です。しかし彼は、唯一まことの神を信じていました。10章2節には「 信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。」と紹介されています。神は、この人のところへ、ペトロを遣わしたのです。
しかし、その前にペトロに不思議な夢を見せて、心の準備をさせました。それは、天から大きな布がおりてきて、その中にいろんな動物が入っていて、神はペトロに「それを屠って食べるように」と命じたという出来事です。ペトロは、「清くないもの、汚れたものは食べられない」と拒否しましたが、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」と天からの言葉が聞こえたのです。ペトロはこんな幻を3回も見せられ、そして目が覚めると、異邦人コルネリウスからの使者が到着しました。それでペトロは、迷うことなく彼らのところに向かい、彼らに福音を語りました。すると信じがたいことが起こったのです。ここは聖書から確認しましょう。
①使徒言行録10:44-48
10:44 ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、御言葉を聞いている一同の上に聖霊が降った。
10:45 割礼を受けている信者で、ペトロと一緒に来た人は皆、聖霊の賜物が異邦人の上にも注がれるのを見て、大いに驚いた。
10:46 異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを、聞いたからである。そこでペトロは、
10:47 「わたしたちと同様に聖霊を受けたこの人たちが、水で洗礼を受けるのを、いったいだれが妨げることができますか」と言った。
10:48a そして、イエス・キリストの名によって洗礼を受けるようにと、その人たちに命じた。

ペトロはこの時の話を会議の場で詳しく語ったのです。15章8-9節。
15:8 人の心をお見通しになる神は、わたしたちに与えてくださったように異邦人にも聖霊を与えて、彼らをも受け入れられたことを証明なさったのです。
15:9 また、彼らの心を信仰によって清め、わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。
ペトロは、聖霊が与えられることは、神に受け入れられたということだ、と説明しています。ですから大事なのは、割礼ではなく、聖霊の働き、聖霊が与えられるということです。
では、聖霊が与えられたことはどこでわかるのでしょうか? ここでは、「異邦人が異言を話し、また神を賛美しているのを聞いた」とありますように、異邦人たちが神を礼拝しはじめたことで、聖霊の働きがわかったのです。つまり、心に主を信じる信仰が与えられたのです。
イエスを主、私の救い主、と信じる心に変えられることこそが、聖霊の働きです。
聖霊が与えられることと、イエス・キリストを信じる信仰が与えられることとは、ひとつのことです。
そしてペトロは語ります。「わたしたちと彼らとの間に何の差別をもなさいませんでした。」
割礼を受けたユダヤ人と、無割礼の異邦人の間に、何の差別もないのであれば、割礼は必要ないということになります。
ペトロは自分の経験を人々に語って、これが神の意思であり、神の救いのご計画であると教えたのです。神が「異邦人にも聖霊を与え」たことは、「割礼なしに彼らを救おうという神の意思の現れ」だといいたいのです。

ペトロの話は続きます。10節「それなのに、なぜ今あなたがたは、先祖もわたしたちも負いきれなかった軛を、あの弟子たちの首に懸けて、神を試みようとするのですか。」
「先祖も私たちも負いきれなかったくびき」とは、「律法を守ることで与えられる救い」のことであり、その象徴が割礼です。神は、イエス・キリストを通して救いに至る道を開かれたのに、負い切れない厳しい道を課すことは、神を試すことだ、と主張したのです。
11節がペトロの主張の結論です。
15:11 わたしたちは、主イエスの恵みによって救われると信じているのですが、これは、彼ら異邦人も同じことです。」そして今日の中心聖句です。

「主イエスの恵みによって救われる」。これは、理解できないような難しいことではありません。
皆様方も経験した、あるいは経験していることです。
皆様方は、それぞれに、洗礼を受けよう、信仰告白しよう、と決断をして、洗礼を受け、救いに入れられました。すべては自分の意志であり決断です。では、どうして決断できたのでしょうか。
もっと言うならば、どのようにして、キリストの福音を聞き、教会に導かれたのでしょうか。
それぞれに状況は違っても、共通しているのは、神の恵みが先にあり、聖霊の働きがあったということです。
イエス・キリストを知り、信じること。信じて教会に加えられ、礼拝生活を続けること。そのすべてに神の恵みが働いている、聖霊の働きが先にあるのです。
私たちの救いは、すべてにおいて、神が主導です。それが「主イエスの恵みによって救われる」ということです。これは、信仰の初めの時だけではありません。
今私たちの信仰が守られているのも、神の恵みの御業、聖霊の働きがあるからです。
私たちが神の前に完全な歩み、清い歩みをしているから、ではありません。ともすれば自分を優先させる生活のなかで、罪との闘いがあり、悔い改めの続く日々です。
しかしそういう私たちに、神は聖霊を与え、恵みを注ぎ続けてくださっています。主イエスの恵みによらなければ、救いはありません。
私たちは洗礼の時、「キリストにのみ、より頼むこと」と「聖霊の恵みに謙虚に信頼すること」を誓約しています。この誓約の通りに、キリストと聖霊の恵みに信頼しつつ、しかし、それぞれの歩みにおいて神と人とに仕えることに、最善を尽くしましょう。

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