2020年06月21日「聖霊の力」

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聖霊の力

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 2章1節~13節

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五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 2章1節~13節

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説教要約>
使徒言行録2章1-13節 (新約 P214)
説教 「聖霊の力」   

2章1節。
2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、 とあります。
ユダヤ教には三つの大きな祭りがあります。過越祭と五旬祭、そして秋の仮庵祭です。この三大祭りには、ユダヤ教徒はエルサレム神殿に巡礼にやってくるのです。
今は五旬祭ですから、エルサレムは巡礼の人々でにぎわっていました。
そういう中で、イエスの弟子たちは集まっていたのです。集まっていたメンバーは使徒言行録1章15節に記されている「120人ほどの人々」でしょう。彼らは心を合わせて祈り、またキリストの証言者としての使徒を一人選んで12使徒として体制を整え、約束の聖霊を待っていました。
すると、彼らが今まで経験したことがない、驚くべきことが起こったのです。
まず、「激しい風が吹いて来るような音」が聞こえました。2節を注意して読みますと、「激しい風が吹いてきた」のではなく、「激しい風が吹いてくるような音が聞こえた」のです。音に続いて、「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」とあり、それは目で見ることができたようです。その有様をあえてことばで表現するなら、「炎のような舌」というのが似つかわしい。それが分かれて一人一人の上にとどまったのです。
弟子たちは、聖霊が降ったのをなんとなく感じた、というのではありません。耳で聞き、目で見て実感したのです。また、これは天から音が聞こえ、天から炎のような舌が現れたのですから、天から降ったということです。さらに、注目すべきことは、舌の様なものが分かれ分かれて、弟子たち全員の上にとどまった、という点です。
その結果どうなったかというと、
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
聖霊の力は、ここでは弟子たちに、他の国々のことばを語らせるという形で現れたのです。

時は、ユダヤ教の三大祭りの一つである五旬祭でしたから、エルサレムにはたくさんの巡礼者がいました。その人たちが、大きな物音と、いろんな国の言葉で語り出した弟子たちの声をきいて、驚いて集まってきたのです。
9節以下には集まってきた人々の国のリストがあります。知っている国の名前だけでなく、知らない名前ものもありますね。今から2000年前の世界ですから、今はもう存在しない歴史上の国もあります。
パルティア、メディア、エラムは、ペルシャ帝国、今のイランのあたりにあった国です。
メソポタミアは、「川と川に挟まれた地」という意味で、世界4大文明の発祥地の一つ、チグリス川とユーフラテス川にはさまれた地のこと。ユダヤは、分かりますよね。
さらに、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリアは、小アジア、今のトルコ周辺の地名。
エジプト、キレネに接するリビア地方は、北アフリカ。クレタは地中海にあるクレタ島。アラビアは今のサウジアラビア
言葉で説明しただけではわかりにくいのですが、地図で見ると、ここに示されている国々は、エルサレムを中心に、ちょうど放射線状に位置しています。
つまり、当時知られていた世界の各地から、ユダヤ人とユダヤ教改宗者たちが集まっていて、そこで、聖霊の降臨と、聖霊の力によって弟子たちが、各国のことばでキリスト教について語り始めた、ということです。
この後、ペトロがまとまった説教をしますが、そこにいた人たちも、ペトロの説教を聞いたのです。
ここでのペトロの説教は、キリスト教の最初の説教です。来週から、説教の内容について見ていきますが、ペトロの説教が終わったあとの人々の反応だけ、今見ておきたいと思います。2章41節です。
2:41 ペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった。
つまり、この日一日で、3000人がキリスト教を信じたのです。その中には、エルサレムのユダヤ人だけでなく、巡礼のため周辺諸国からやってきた人々も含まれていました。

しかし、すべての人がすぐに信じて洗礼を受けたわけではありません。
2:12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
2:13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。
「いったい、これはどういうことなのか」とは、「これがどんな意味か知りたい!」と、すぐには信じられないけれども、もっと知りたいと思った人がいました。これはキリスト教を信じるために、まず必要な反応です。最初はよく分からないし、信じられない。けれども、何か惹かれるものがあって、「これがどんな意味か知りたい!」という人。これは今でいうなら、求道者にあたります。
こういう思いを持つのは、すでに聖霊がその人の心に働きかけているのです。ですから、忍耐強く、聖書を学び続けましょう。
しかし、ちょっと聞いただけで、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいました。ですが、普通に考えても、酒に酔って外国語を話せるようになるはずがありません。
彼らはこの出来事を鼻から受け入れるつもりがない。心を閉ざしているのです。本当に残念なことです。

この出来事はどんな意味があるのでしょうか? これ以前には、キリストの証人としての12使徒を中心に、キリストを信じたイエスの弟子は120人ほどでした。
しかし、五旬祭の時に、彼らに聖霊が降り、聖霊の力を得てキリスト教を証言し始めると、エルサレムの人々や周辺地域からの巡礼者たち3000人もの人が洗礼を受け、これがエルサレム教会となったのです。
一方で巡礼者たちは、この後それぞれ自分の国、自分の家に帰りましたが、彼らはそこで信じたことを伝えたはずです。
こうして、エルサレムに教会が誕生し、さらにキリスト教が、世界へと広がり始めたのです。
これは、使徒言行録1章8節のイエスの言葉
1:8「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」
が実現し始めた、ということでもあります。

では、彼らが受けた聖霊の力とは何だったのでしょうか?
今まで聞いたことも、話したこともない外国のことばを突然話せるようになる、それが聖霊の力なのでしょうか? 今もそんなことが起きるのなら、ぜひ私たちも!! と思いますよね。
でも、これはキリスト教が始まる最初期の話。特別な状況下で起こった出来事で、今でもこのようなことが起こるということではありません。
ですが、この時も今も、共通した聖霊の力、聖霊の働き方があります。
特に注目すべきことは、聖霊は、神のことばと共に力を発揮するということです。
今日の話で言うなら、聖霊が3000人もの心を動かし、彼らが信じたということです。
聖霊は今も同じように、神のことば、聖書の言葉と共に働きます。これが、聖霊の最も大きな、そして期待すべき力です。
今私が皆様に語っている聖書の話、説教は、今から2000年前のエルサレムの話。話の内容は、ある人にとっては、馬鹿げた絵空事のように思えるかもしれません。
けれど、「これがどんな意味か知りたい!」という思いをもって、引き続き聖書のメッセージを聞こうという思いになる人がいます。これはどういうことでしょうか。
聖霊の力は、神の言葉、聖書の言葉を聞く人の心を開き、素直にし、キリストを信じる思いを与え、洗礼へと導くのです。そのことが今日の箇所ではっきり示されています。
しかし、聖霊の力、働きはそれだけにとどまりません。
聖霊は、教信者になった人々に大きな助けを与えます。説教で語られる聖書言葉、あるいは自分で聖書を読むときに、理解の助けを与えてくれます。あるいは、み言葉を通して励まされたり、時には悔い改めを迫られたりもします。それは、み言葉と共に聖霊が働いているからです。
信仰者としての歩みを支えてくれるのも、聖霊の働きです。私たちが偶然そうなったなどと思ってしまうようなことでも、後で考えると、あの時聖霊の助けがあったんだと分かることがあります。
そういうわけですから、聖霊が豊かに与えられるように、聖霊が豊かに宿るようにと祈るのです。

ところで、先ほど出てきたカパドキアという地名、ご存知ではありませんか? 
カパドキアは1985年に世界遺産に登録され、トルコ屈指の観光スポットです。
実は、紀元前2世紀にはすでに、この地にユダヤ人の集落があったと言われています。ですから、この地に住むユダヤ教徒たちが、エルサレム巡礼に来ることは当然考えられます。
そこで、何人かが聖霊降臨に遭遇し、ペトロの説教を通してキリスト教信仰をもち、彼らがカパドキアにキリスト教を伝え、この地でキリスト教が広まったとしても不思議ではありません。
この時に説教をしたペトロが書いた手紙が新約聖書に入っていますが、その中にカパドキアの地名が出てくるんですね。
ペトロの手紙一1章1節です。
「イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。」
この手紙の宛先に、カパドキアがあるのです。この手紙は、記された名前の地方の教会で回覧して、キリスト者としての生き方を教えるための手紙です。ですから、ペンテコステに居合わせ、ペトロの説教を聞いて信じた者たちが、故郷にキリスト教信仰を伝え、そこに教会が誕生していったと考えられるわけです。
このようにしてカパドキアにはキリスト教信仰が根付き、多くの教会が生まれました。最盛期には400以上もの教会があったそうです。4〜11世紀にかけて地下に多くの岩窟教会が作られ、そこでキリスト教信仰が守られてきました。
現在世界遺産の一部として、30以上の教会が保存・公開されているそうです。

話を戻しますが、聖霊降臨は、キリスト教のスタート。同時に教会の時代の始まりでもあります。
神の教会は、聖霊が与えられて誕生し、世界に広まっていきます。その様子が使徒言行録に記されているのです。その働きに、キリスト者、クリスチャンが用いられます。彼らの働きを助けるために、さらに聖霊が与えられます。
今、同じ聖霊が私たちにも注がれています。キリストを信じ、洗礼を受ける時、私たち一人一人に聖霊が注がれます。また、その後もずっと、私たちキリスト者は、聖霊に助けられて、一人一人がキリストの証言者として信仰の歩みを続けていくのです。

洗礼を受ける時の誓約、その4番目が聖霊の恵みへの信頼です。
4.あなたは今、聖霊の恵みに謙虚に信頼し、キリストの僕としてふさわしく生きることを決心し約束しますか。
キリスト者の信仰の歩みは、自分の力だけで守り通すことは難しいのです。そこに、聖霊の恵み、聖霊の助けがあることを覚え、信頼しましょう。

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