2022年12月25日「キリストはおいでになり」

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聖句のアイコン聖書の言葉

だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。
また、そのころは、キリストとかかわりなく、イスラエルの民に属さず、約束を含む契約と関係なく、この世の中で希望を持たず、神を知らずに生きていました。しかしあなたがたは、以前は遠く離れていたが、今や、キリスト・イエスにおいて、キリストの血によって近い者となったのです。実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、
規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。従って、あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族であり、使徒や預言者という土台の上に建てられています。そのかなめ石はキリスト・イエス御自身であり、キリストにおいて、この建物全体は組み合わされて成長し、主における聖なる神殿となります。
キリストにおいて、あなたがたも共に建てられ、霊の働きによって神の住まいとなるのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
エフェソの信徒への手紙 2章11節~22節

原稿のアイコンメッセージ

<要約>エフェソ2章11-22節 「 キリストはおいでになり 」  
クリスマス、おめでとうございます。
2022年のクリスマス、このようにして、平穏に、静かに、クリスマスの礼拝を共にささげられる恵みを感謝します。
みなさまよくご存知の通り、クリスマスはイエス・キリストの誕生日。神のご計画によって、神の御子、イエス・キリストが、人として、地上にお生まれになったことをお祝いする日です。
では、イエス・キリストが、人として地上にお生まれになったのは、何故でしょうか。
イエス・キリストの誕生は、人の罪を赦し、人々をもう一度神との平和の関係、親しい関係に戻すため。
イエス・キリストを十字架にかけて、わたしたちの罪の贖いをさせて、わたしたちの罪を赦すためです。
しかしなぜ、神はこのようにして、つまり、御子を人として地上に生まれさせ、さらには御子を十字架にかけるという方法で、人を救おうとなさったのでしょうか?
聖書は、そこに神の愛がある、と教えています。

神の御子が人として地上にお生まれになったことは、神がわたしたちを愛しておられることの証明です。そのことは、新約聖書のいろんなところに記されています。一緒に確認しましょう。

ヨハネ3:16-17
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
Ⅰヨハネ4:9-10
4:9神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
ローマ5:6-8
5:6 実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。
5:7 正しい人のために死ぬ者はほとんどいません。善い人のために命を惜しまない者ならいるかもしれません。
5:8 しかし、わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました。

神がわたしたちを愛して、わたしたちを罪から救うために、御子を遣わされたのです。
御子の誕生は、神の愛が示されたしるしです。
神は、わたしたち一人一人を、そしてここにおられる全ての方々を、愛しておられるのです。
その愛を受け取るために、私たちができること。それは、神の愛を信じることです。

また、聖書には、愛されていることを知らない人は、愛することができないとも記されています。
一ヨハ 4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。
一ヨハ 4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。

今日の箇所、エフェソの信徒への手紙2章17節に
2:17 キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。と書かれています。
この神の愛を知り、神に愛されていることを知っている者たち、わたしたちは、神の家族として、一つであり、また互いに愛し合うことのできる者です。

もう一度、クリスマスの出来事、神の愛を確認しましょう。
神の御子の誕生は、神がわたしたちを愛しておられることの証明です。
マタイ1:21 「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
御子の誕生は、信じる者たち、神の民を罪から救うため。罪の赦しを与えるためでした。
マタイ1:23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
神は、遠くから愛する者たちを見守るだけでなく、御自身の御子を地上に遣わしてくださいました。
神がわたしたちのそばにいてくださるので、わたしたちは、神に愛されて生きることができるのです。
クリスマスは、神のご臨在、神の愛の証しである、御子イエス・キリストが地上の来てくださったことをお祝いし、感謝するときです。

ですが、神の愛は、人を通して伝えられていくものでもあります。
神の愛を知っている私たちが、神に愛されている者として、神と隣人を愛し生きることを通して、隣人に神の愛を伝えることができるのです。
それぞれに、新しい年、神の愛を証しする歩みを具体的に考え祈りながら、神と人に仕えていくものとなりたいものです。

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