2022年11月27日「闇の中の光」

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闇の中の光

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
イザヤ書 9章1節~6節

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闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
あなたは深い喜びと/大きな楽しみをお与えになり/人々は御前に喜び祝った。刈り入れの時を祝うように/戦利品を分け合って楽しむように。
彼らの負う軛、肩を打つ杖、虐げる者の鞭を/あなたはミディアンの日のように/折ってくださった。
地を踏み鳴らした兵士の靴/血にまみれた軍服はことごとく/火に投げ込まれ、焼き尽くされた。
ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。
ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
イザヤ書 9章1節~6節

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<説教要約>イザヤ書9章1-6節「闇の中の光」
本日からアドベント、待降節、クリスマスを待つときです。
それで、今日から12月25日までの礼拝説教は、クリスマスに関係したお話にいたします。

初めにお読みしたイザヤ書9章に入る前に、もう一つのことをお話しておきます。
それは、私たち人間が最初に神に背を向けた出来事です。
神は人間をお造りになり、神とともにエデンの園に住むことをお許しになりました。
ここで人は、神との豊かな交わりが与えられ、平和に生きることができたのです。
しかし、人はサタンの声に惑わされ、心動かされて、神が唯一禁じておられたことを行いました。
皆様もよくご存じの、あの話です。
しかし、最初の人であるアダムとエバが神に背を向けたとき、神は人間を救う方法をお定めになりました。それが創世記3:15「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く」。女の子孫からサタンを倒すものを与えるという約束です。神は私たち人間が神から離れたそのときに、救い主の誕生と十字架による救いの道を備えられたのです。

それから長い長い時が経過しても、神は、この約束をお忘れになりませんでした。本当に長い時を忍耐し、神はそれぞれの時代の人々に語りかけ、預言者を通して預言を与え、クリスマスまでの道、メシアの誕生までの道を整えられたのです。それが、旧約聖書のあちこちに「メシア預言」として記されています。
今日の箇所、イザヤ書9章もその一つ。神が預言者イザヤを通してその時代の人々に、そして私たちに与えられたメシア誕生の預言です。

新共同訳聖書では、9章1節の直前に、ちょっと中途半端に数行の記述があります
先に/ゼブルンの地、ナフタリの地は辱めを受けたが/後には、海沿いの道、ヨルダン川のかなた/異邦人のガリラヤは、栄光を受ける。
「ゼブルンの地、ナフタリの地」とは、北王国のこと。北王国は、当時の大帝国、アッシリアによって滅ぼされたのです。そして、南ユダ王国にもアッシリアの手が迫っており、苦しめられている状況がありました。
そういう中で、神の言葉を受けてイザヤが預言しているのです。
八方ふさがりの苦難の中にあって逃れるすべがない。そういう状況の中で一体どのようにして、何により頼んで救われるのか。それが9章1節に記されています。
9:1 闇の中を歩む民は、大いなる光を見/死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。
光は、あたりが暗ければ暗いほど、人の目にははっきりと映ります。その光により頼むことで、大いなる喜びが与えられると、イザヤは預言しているのです。
そして、この苦しみの状況が、完全に回復されるのは、ひとりのみどりご、男の子の誕生による、とイザヤは続けます。
9:5 ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。
当時の人々に、この預言の本当の意味は隠されていました。しかし少なくとも、まことの光である神により頼め! 偶像ではなく、まことの神に目を向け、この方に信頼せよ! というメッセージは、選ばれた主の民には理解されたはずです。
新約の民、イエス・キリストの誕生を知っている私たちには、この預言の意味が明らかです。
ルカは、2章11節で「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」とはっきり記しています。
さらにイザヤは、その方がどのような方なのか、ということも預言しています。
5節の後半です。「権威が彼の肩にある。」
「権威」、聖書協会共同訳聖書では「主権」。この方は、父なる神と同じ力、地位、権威を持っておられる神です。しかし彼の権威は、この世の権力者たちのように、上から人を押さえつけ、支配する権威ではありません。私たちの苦難と闇、暗黒と苦悩、あらゆる重荷と罪を負って、私たちに代わって十字架にかかり神に裁かれるという、そういう権威、力をお持ちの方であります。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。
「その名」とありますが、そういう名前だ、そう呼ばれるんだ、ということではありません。神の名=神ご自身であり、これが神の御性質、力だ、ということです。
「驚くべき指導者」、新改訳聖書では「不思議な助言者」。「驚くべき」あるいは「不思議な」とは、神が人となるという驚き、不思議、奇跡であり、またこの方の誕生が、私たちの常識では考えられないような仕方で、「聖霊によって宿った」ということ。そして、この方は、私たちをまことの神へと導く唯一の道をご存じの「指導者」です。またこの方がまことの神であることが「力ある神」という言葉に含まれています。
「永遠の父」は、この方は父なる神と等しいく、永遠からの存在であること。「平和の君」は、この方の十字架を信じ受け入れる者たちに、神との平和と人との平和、その両方を与えることのできる方だ、ということです。
9:6 ダビデの王座とその王国に権威は増し/平和は絶えることがない。王国は正義と恵みの業によって/今もそしてとこしえに、立てられ支えられる。万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。
「ダビデの王座とその王国」とは、歴史上のダビデ王国のことではありません。ダビデの末から誕生したメシア・キリストによって、地上の王国とは違う霊的な王国、神の国が立てられる。
そこには「絶えることのない平和」があり「今もそしてとこしえに」永遠に存在する神の国です。
この神の国に入れられたものは、神とともに永遠に生きる命が与えられます。
さらにこの国に入ることができるのは、クリスマスに与えられたひとりのみどり子、御子・キリストの十字架を信じて、罪赦された者たちです。神はイエスの誕生よりもはるか以前に、イザヤの口を通してこのことを預言し、約束しておられたのです。
そして最後の言葉「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる。」に注目しましょう!!
カトリックの神父であるバルバロという人が翻訳した聖書では「万軍の主の燃える愛が」となっています。
「主の熱意」とは、「主の燃えるような愛」です。
新約聖書記者ヨハネは、この神の愛を
④ヨハネ3:16 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と表現しています。
神は、私たち人間をおつくりになった時、私たちを愛し、ともに生きる道を定めてくださいました。
私たち人間が神に背を向けたとき、原福音を与え、救いのご計画を開始されました。
このように、神が人を愛し、救おうとされたこと。これは一般的な話ではなく、私たち一人一人への救いの御業、ピンポイントでの神のお働きです。このような神の愛が私に迫っているのです。この愛を知る時、私たちはどうすればいいのでしょうか? 私たちにできることはあるのでしょうか? 
それぞれが静まって、では私はどう生きればいいのか? どのようにして、この方に仕えるべきか、従うべきなのか。クリスマスを前にして、一人一人が自分の歩みを振り返り、さらに今後のことを考えましょう。

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