2022年11月13日「永遠の命を得るように」

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永遠の命を得るように

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 13章44節~52節

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次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、/あなたが、地の果てにまでも/救いをもたらすために。』」
異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。
ところが、ユダヤ人は、神をあがめる貴婦人たちや町のおもだった人々を扇動して、パウロとバルナバを迫害させ、その地方から二人を追い出した。それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。
他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。

日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 13章44節~52節

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<説教要約>使徒言行録13:44-52 「永遠の命を得るように」

私たちは、使徒言行録13章を学んでいます。今日で6回目、13章の最後です。
特に13節からは、ピシディア州のアンティオキアという異邦人の町の、ユダヤ教会堂でなされた、パウロの説教が記されています。

前の週に、パウロの説教を聞いた人々が、一週間の間に自分の周囲の人々にパウロの説教のことを話したのでしょう。
あの話を、是非あなたも聞くべきだ! 来週一緒に聞きに行こう。このチャンスを逃したら、こんどはいつ聞くことができるかわからないよ! などなど熱心に誘ったに違いありません。
その結果、次の安息日には「ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。」とあります。
もっとも、ルカは少しオーバーな表現をすることがあります。本当に町中の人が集まっていたら、会堂に入りきれないはずです。しかし、多くの人が集まり、会堂にあふれるほどになったのです。異邦人の町のユダヤ教会堂に、キリスト教の説教を聞くために。

しかし45節には、「ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。」とあります。
異邦人の町のユダヤ教会堂は、その町に住むユダヤ人の安息日礼拝のためだけでなく、異邦人へのユダヤ教の伝道もなされています。しかし、いまだかつて、これほど多くの異邦人がこの会堂に集ったことはなかった。ですから、ユダヤ人たちはこの状況をねたみました。そして説教しているパウロを、やじったり、妨害したりしたのです。それでも、パウロはその状況を恐れず、「主の言葉」を大胆に語りました。
さらに、話を妨害するユダヤ人に対しては「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。」といいました。

実は、ここでパウロは大切なことを語っているのです。
パウロの説教を妨害し、拒むという行為は、人の話を妨害する以上のこと。語られているのは、神の言葉、主の言葉、救いの言葉なのです。そして、その神の言葉をののしり、妨害し、拒むとは。
それは、「自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている」「永遠の命から遠ざけている」ということなのです。
神の言葉が語られるとは、永遠の命に至る道が語られ、示されている。命のことばを聞くチャンスが与えられている。それなのに、あえてそれを拒むということは、自分自身、自らの手で、永遠の命にあずかるチャンスを手放している、放棄しているということ。永遠の命は、「神の言葉」「主の言葉」を通して与えられるからです。しかし、残念ながらこのとき、ユダヤ人の多くは与えられたチャンスを自ら放棄してしまったのです。

そしてこの後、パウロとシラスは、自分たちは異邦人伝道へと向かうと宣言します。
13:47 主はわたしたちにこう命じておられるからです。『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、/あなたが、地の果てにまでも/救いをもたらすために。』」イザヤ書の引用です。
パウロは復活のイエスから、異邦人伝道のために召された伝道者でした。ですから彼はこのイザヤ書の言葉を、自分への言葉として読んだのです。神が、わたしを「異邦人の光と定めた」。だからわたしは「地の果てまでも、救いの言葉を宣べ伝えなければならない」という、神からの召しを強く意識した発言、と言えるでしょう。

一方で、パウロの言葉を聞いた異邦人たちは、「これを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。」とあります。異邦人たちは、喜んだのです。
ユダヤ教からの迫害を恐れず、異邦人である自分たちのために、主の言葉、キリストの福音を語ってくれる、パウロの大胆な決心と発言を、喜びました。主の言葉を聞くことを喜んだのです。そして、その喜びは「主の言葉への讃美」となりました。
パウロが語った説教が、神の言葉・主の言葉が、聖霊の働きによって、異邦人たちの心に届いたのです。
聖霊は、神の言葉を通して、わたしたち、一人一人の心に働く神の力です。
私たちが福音を聞いて、説教を聞いて、心動かされるとき、神の言葉が心に届くとき、聖霊なる神がそこで、確かに、働いているのです。
この後、聖霊によって心に届けられた主の言葉、福音を、異邦人たちはそれぞれの生活の場で、語りました。証ししたのです。ですから、「こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。」
ユダヤ教の会堂で2週にわたって語られたパウロの説教が、聖霊の働きによって、多くの人の心を動かし、生きて働き、異邦人たちに信仰を与え、かれらを動かして「主の言葉はその地方全体に広まった」のです。
しかし、ことはそれで終わりませんでした。この状況をねたんだユダヤ人たちが、この町の裕福な人々、地位や権力をもった人々を抱き込んで、パウロとバルナバを迫害し、町から追い出したのです。
13:51「 それで、二人は彼らに対して足の塵を払い落とし、イコニオンに行った。」「足の塵を払い落とす」とは、絶交、絶縁を現すパフォーマンスです。わたしたちは、あなたたちに対して、すべきことはしました。だから、あとはどうなろうとあなた方の責任です!という最後通告です。

13:52 他方、弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。
「弟子たち」とは、パウロとバルナバのことではありません。「喜びと聖霊にみたされた」のは、この町の弟子たち、パウロの説教を聞いてキリストを信じ弟子になろうと決心した人々も含まれているでしょう。この人々と共に、聖霊のご臨在、聖霊の働きがありました。
「主の言葉」とともに働く「聖霊の力」によって、弟子たちは喜びで満たされたのです。彼らはそうして
パウロとバルナバが町から追われても、町に留まり、神の恵みの下に生き続けたのです。

今日の箇所では「主の言葉」が3回、「神の言葉」が1回使われています。
つまり、「永遠の命を得るためには」
「主の言葉」「神の言葉」が語られ、それを聞くことが必要です。
「語られた神の言葉を拒むこと」は、永遠の命に値しないものとなること。 
「神の言葉を聞いて喜ぶこと、賛美すること」が永遠の命に至る道であること。
パウロは説教の中で、これらのことをはっきりと教えています。

神の言葉、主の言葉を聞いて、そこに留まること。
別の言い方をするならば、神の言葉、主の言葉を聞き続けること。これが「永遠の命を得る」唯一の道なのです。

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