2022年10月02日「伝える人がいなければ」

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伝える人がいなければ

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
使徒言行録 13章1節~3節

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アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。
彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
使徒言行録 13章1節~3節

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<説教要約>使徒言行録13:1-3「伝える人がいなければ」        
今日の箇所13章1~3節は、バルナバとサウロが伝道旅行へ派遣される直前の様子が記されています。

1節では、アンティオキア教会の主だったメンバーが紹介されています。
「バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど」
とあり、筆頭のバルナバと最後のサウロは、知っている名前です。しかし、この二人の名前に挟まれて紹介されている3人、「ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン」については、はじめての名前です。
まずバルナバから見ていきましょう。バルナバは、エルサレム教会初期からの信者です。
①使徒4:34-37
信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた。
この記事が、使徒言行録でバルナ場について記している最初の記事です。
そして、このバルナバは早くから回心したサウロを見出し、サウロを使徒たちに紹介した人物です。
②使徒9:26-28
サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。
この後、アンティオキアに異邦人キリスト者たちの群れができていることを伝え聞いたエルサレム教会は、バルナバを正式にアンティオキアに派遣したのですが、その個所も確認しましょう。
③使徒11:22-25
このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。 バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。 バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。
バルナバについてまとめると、
彼は、エルサレム教会からアンティオキア教会へ、正式に派遣された教師でした。
バルナバは早くからサウロを見出し、アンティオキア教会の働きにスカウトした人物でした。
バルナバとサウロは丸一年間、アンティオキア教会に腰を落ち着けて、伝道に励み、多くの人を教えました。
こうして、アンティオキア教会は大いに成長し、この群れの中で預言者や教師が育ったのです。

ニゲルと呼ばれるシメオン
預言者あるいは教師の一人に「ニゲルと呼ばれるシメオン」という名が紹介されています。「ニゲル」は、ラテン語で「黒い」という意味。つまり彼は黒人、アフリカ系の人であったと思われますが、「シメオン」という名前なので、ユダヤ人でもあります。
教会は最初期から、様々な人を受け入れていました。
川越教会の礼拝にも、毎週クレセルさんが出席していますが、これは決して珍しい話ではないのです。
教会は始まりの時から、いろんな国の、いろんな人々を受け入れていたのです。

キレネ人のルキオという名も紹介されています。
ステファノの迫害後に散らされた人々の中に、キレネ出身者がいた。
エルサレム教会の異邦人キリスト者たちが、迫害のためエルサレムから逃れて、アンティオキアにきて、ギリシャ語を話す人々、つまり異邦人に福音を告げ知らせたのですが、その中にキレネ出身者がいたのです。その中にルキオがいたのかもしれません。
彼もまた、アンティオキア教会の預言者、あるいは教師として働いました。

領主ヘロデと一緒に育ったマナエン
領主ヘロデは、ヘロデ大王の子どもでヘロデアンティパスのこと。 彼は、イエスの公生涯の頃、ガリラヤを治めていた領主でした。この、ヘロデアンティパスと一緒に育ったのがマナエンです。
「一緒に育った」とは、乳兄弟のようにして、宮廷で育ったということ。当然ながら、マナエンはそこで高等教育を受けた人物と考えられます。

このように、当時のアンティオキア教会には、様々なプロフィールを持った、複数の預言者や教師がいたのです。
しかし、その中でも中心的な指導者は、バルナバとサウロだったと思われます。
このように、アンティオキア教会は、複数のみ言葉の働き人がいたので、大きく成長していたと思われます。
そして、2節。

13:2 彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」
その日、アンティオキア教会で、礼拝がささげられていました。
「主を礼拝し、断食していると」とあります。もちろん、礼拝中に食事をするわけはありませんが、わざわざ「断食していると」とありますのは、礼拝への集中、特に祈りに集中している状況と思われます。
このように、神礼拝、祈りに集中していた時に、「聖霊が告げた。」のです。
具体的な状況が記されていませんので、想像するしかありませんが、とにかくその場にいる人たちに理解できる形で、聖霊が告げたのです。
聖霊の声が聞こえたとは想像しにくいので、聖霊が誰かに語らせた、ということだと思われます。
しかし、とにかくその場にいた人々は、「バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」という、神の意志、御心を理解したのです。
そして、3節。13:3 そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
一同は、バルナバとサウロを送り出すことが本当に神の意志かどうかを確認するため、さらに祈りに集中しました。彼らは、さらに祈ったのです。祈ることを通して、「バルナバとサウロを新たな仕事、神が定めておられる働きへと送り出すことが、確かに主の御心であると確信したのです。それで、一同の意志として、教会の業、働きとして、二人に手を置き、派遣式を行ったのです。これが「パウロの第一回伝道旅行」の始まりです。

聖霊は、アンティオキア教会の最有力の教師二人の派遣を求めました。
自分たちの教会のことを最優先にすべきだ、という意見はなかったのでしょうか?
派遣はどっちか一人だけにしておこう、という意見の人だっていたかもしれません。
二人の中心的な指導者を派遣することで、アンティオキア教会は痛手をうける可能性だってあります。

ですが、教会は、祈りを通して、それが神の意志、神のご計画であることを確信すると、ためらわず二人を派遣することを決め、実際そのようにしました。
神は、今まで、教会に必要な働き人をお与えになってきましたし、これからもそうなるはず、という信仰の一致が形成されたのでしょう。
またそのことが、新たな人材の育成、教会の成長につながるはず、という信仰的な希望を共有できたのでしょう。
そして、神は、この彼らの選択を必ず祝福してくださるはずです。

ここで覚えたいことは、教会の一致が形成されるまでに、熱心な祈りがささげられたということです。
もちろん個人の祈りは大切です。しかし、教会の一致には、みんなで祈る祈りが大切だということ、それが教えられています。

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