2022年08月14日「愛することから」

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あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。
しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。
あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 5章43節~48節

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<説教要約>平和を考える礼拝 
マタイ5章43-48節 「愛することから」 

毎年8月15日に近い日曜日、主の日の礼拝では平和を考える礼拝を献げています。
とりわけ、今年2月に突然、ロシアのウクライナへの軍事攻撃が起こり、それが今も続いています。
ですが「突然」と言ってもわたしたちが知らなかっただけで、このためにロシアは国内外で着々と準備していたのでしょう。
私自身は、第二次世界大戦で大きな悲惨を経験した人類が、再び侵略戦争を起こすなどあり得ないと思っていました。第2次世界大戦で大きな痛手を被った世界が、その反省に立って、曲がりなりにも平和を維持するために努力をしてきたはずなのに。
しかし、「歴史は繰り返す」という言葉がありますし、実際その通りになりつつあります。ではなぜ、そのような争いが繰り返されるのでしょうか。

先週まで、わたしたちは十戒を学んできました。
十戒の構造は、「神への愛」と「隣人への愛」だと、何度もお話ししました。
前半1~4戒は「神への愛」。神を愛するとは、「唯一真の神のみを礼拝し、この方にのみより頼んで生きること」。
後半、5~10戒は「隣人への愛」。神を愛し、神に従って生きる時、同時に求められるのが隣人を自分のように愛すること。
先週は、イエスがそのように教えておられることを確認しました。
ですが、わたしたちがそのように生きるためには、大切な前提があります。
それは、神がわたしたちを愛しておられるという事実です。わたしたちが、「神に愛されていることを知っている」ということが重要なのです。

では、神は私たちをどのように愛しておられるのでしょうか。
私たちはそれを、どのように知ることができるのでしょうか。
二か所ほど、聖書を引用します。
①ヨハネ3:16
3:16 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。
神の愛は、キリストの十字架の贖いを通して、最も明らかに示されています。罪びとの救いのために、父は御子を十字架へと渡されました。
御子は、父のみ旨に従って、自ら進んで、十字架の贖いの御業を果たされました。
それが、十字架を通して示される神の愛です。

さらに別の箇所ではこのように記されています。
②Ⅰヨハネ4:7-12
4:7愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。
4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。
4:9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。
4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。
4:11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。

皆さんは、自分の意志で教会に行き、教会の礼拝に出席し、聖書を学び、キリストの救いを信じることにした、と思っているかもしれません。
しかし、皆様の歩みをそのように導かれたのは、神です。
私が神を見出し、信じ、愛するより先に、神が私に目を止め、私を愛してくださったって、身元へと引き寄せてくださったのです。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」とある通りです。
その神が、私たちにこのように語られるのです。
「私がまずあなたを愛したのだから、今度はあなたが、あなたの隣人を愛しなさい!」と。

今日の説教の聖書箇所、マタイ福音書5章44節の後半でイエスは「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」と教えます。
十戒の後半「隣人への愛」の「隣人」とは、このイエスの言葉から考えると「わたしの敵」までを含むのです。
神は、人を分け隔てなさらず「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」。このように、みんなに恵みをお与えになるのです。だから、私たちもこの神の愛に倣うようにと教えます。神の愛を知っており、神の子とされた者は、父である神のように、相手の態度によって自分の態度を変えない「完全」な愛を持つ者となるように、と教えています。
そして、これこそが、「平和をつくりだす」ヒントなのです。

愛の人と言われてたマザーテレサは、私たちにいろんな言葉を残してくれましたが、その一つにこんな言葉があります。
『世界を負かすのに爆弾や銃を用いさせないで下さい。愛と共感を用いさせて下さい。
平和は微笑みから始まります。
あなたが微笑みたくない人にも1日5回微笑みましょう。
神の光をともして、世の中で、またすべての人々の心の中で、あらゆる憎しみや権力愛を消しましょう。』
テレサは、平和は「愛と共感」から始まる、ほほえみから始まる、といいます。
これは隣人を愛することで、平和をつくり出すという方向性です。
ですが、隣人を愛するということだけで、平和が実現するのだろうか? と思う方もいらっしゃるかもしれません。 
でも、ご存知でしょうか? マザーテレサの葬儀で起こったことを。

マザーテレサは1997年9月5日に天に召され、葬儀が13日に行われました。
インド政府は、外国人であり、一般人、女性、しかもキリスト教の修道女であるマザーテレサの葬儀を国葬として行いました。これは前代未聞、前例のないことだそうです。
さらに、この葬儀に、世界各国の大臣クラスの参列者が大勢あり、日本からも土井たか子が総理大臣特使として参列しました。
けれど、私がそれ以上に驚いたこと。それは、イスラム教、仏教、ヒンズー教、キリスト教など、さまざまな宗教家たちがその場に参列して、それぞれの言葉で祈りをささげたという事実です。
一人の修道女を通して示されたキリストの愛が、それぞれの国の利害や宗教までも超えて、人々の心を一つにし、平和のときとなったのです。
時間にすればほんのわずかな時だったでしょう。しかし、隣人を愛することで平和をつくり出すことができることを、わたしたちは彼女から教えられたのです。

「隣人を自分のように愛しなさい」
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」
平和をつくり出すために、私たちに与えられている神の教えです。
神に選ばれ愛されている私たち、神の愛を知っている私たちだけが、本当の意味で隣人を愛することができるし、神の平和を生きることができる、平和をつくり出すことができるということ。
また、そのことを神は私たちに求めておられる、ということを、しっかり心に刻みましょう。

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