2022年03月20日「婦人よあなたの子です」

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婦人よあなたの子です

日付
説教
木村恭子 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 19章25節~27節

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イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ヨハネによる福音書 19章25節~27節

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<説教要約>ヨハネによる福音書19章25-27節 「婦人よ、あなたの子です。」
今朝は、十字架上での主イエスの三つ目の言葉を扱います。

19:25 イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。
ヨハネ福音書は4人の女性がイエスの十字架のそばに立っていたと記しています。加えて、その場にヨハネ福音書の著者であるヨハネ自身もいたと。
実際、イエスの十字架のとき、周囲に多くの人がいて、だれがどこにいたのかお互い分らない状況だったことでしょう。ですが今日の箇所は、福音書記者自身がその場にいて、十字架上のイエスのお言葉を受けたというのですから、これは確かなことと考えることができます。

4人のうち3人が「マリア」なので、すこしややこしいですね。
まず、一人はイエスの母マリア。そして母マリアの姉妹は、ゼベダイの子ら、つまり12弟子のうちのヤコブとヨハネの母です。そしてクロパの妻マリア。彼女は、12弟子の中のヤコブとヨセフの母。
そして、以前イエスに7つの悪霊を追い出していただいたマグダラのマリア。いずれもイエスと関係が深い女性たちです。
この4人は、ガリラヤからイエス一行と共に行動していたと思われます。彼女たちはイエスと弟子たち一行の身の回りのお世話をしながら、しかし男の弟子たちと同じように、イエスから直接、神の国の福音を聞き続け、弟子としての訓練を受けてきた者たちです。
しかし、十字架上のイエスにたいしていったい何ができるでしょうか。できるのはただ見守ることだけです。それでも彼女たちは、その場から離れることができなかったし、離れなかったのです。
どれほどつらかったことでしょう。どれほど心が痛んだことでしょう。特に、母マリアの心を思うと辛くなります。しかし、目を離さず、見守り続け、その苦しみを共有したのです。

次の26節を見ると、その場にもうひとり弟子がいたと記されています。
19:26 イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。
「愛する弟子」は、ヨハネ福音書の著者であるヨハネだと考えられています。ヨハネも4人の婦人の弟子たちと一緒に、十字架のイエスのそばにいたのです。
イエスは母マリアとヨハネとを見て、母に、「婦人よ、あなたの子です」と言いました。

19:27 それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
ヨハネはこのイエスの言葉を自分への遺言と受け止めたのかもしれません。彼はイエスの言葉どおり、「そのときから」マリアを自分の家族、母と受け止め、引き取って面倒を見たのです。

今日の話はこれだけです。しかし、ここから、いろんな思いが心に広がってきます。
特に、十字架の傍らで、イエスの苦しむ姿を見つめていた母マリア。彼女の心の痛みを想像すると、私たちでも胸が苦しくなります。

ルカ福音書にこんな記事があります。
イエスが生まれたばかりのころ。ヨセフとマリアは、律法の規定に従ってイエスを献げるためエルサレム神殿にイエスを連れて行ったのです。そのときに出会ったシメオンという人が言葉を語りかけたのです。
④ルカ2:34-35 
2:34 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
2:35 ――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
この言葉の通り、母マリアの心は剣で刺し貫かれるようだったに違いありません。
イエスは、そんなマリアを思いやり、言葉をかけました。そして自分が去った後の彼女の身を案じて、愛弟子であるヨハネにマリアを託したのです。

十字架上のイエスは、全世界のすべての人の罪を背負って、その身代わりとして、苦しんでおられるのです。それでもイエスは、苦しみの中で、イエスの母としてこれまでの生涯を神に忠実に歩んできた一人の女性、マリアを配慮なさったのです。イエスの使命の大きさを考えれば、マリアという一人の女性が犠牲になったとしてもそれほど大ごとではない、と考える人もいるでしょう。
しかし、イエスはそうはお考えになりません。
神に忠実に生きたマリアを愛し、保護し、この先の生活まで配慮なさった。イエスとはそういうお方であること、私たちの信じている神は、そのようなお方であることを感謝します。
そして同じ配慮が、執成しが、愛が、私たちにも与えられていることを覚えたいのです。

しかし、この十字架上でのイエスの言葉は、肉親の家族への配慮、愛、という以上に重要な意味があります。
それは、肉親の家族以上の結びつきである「神の国、神の家族」ということです。
イエスが、信頼している弟子に母を託しましたが、これは、信仰者ヨハネに託したということ。
あるいは、「わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」と教えられたことを実現された、ということ。
別の言い方をするならば、主イエス・キリストの十字架の死と復活は、それを信じる者を一つにするということです。
具体的には、主イエス・キリストが死に、主イエス・キリストがよみがえり、主イエス・キリストが教会の頭となってくださったが故に、それを信じる一人一人は主イエス・キリストに結ばれて共に神の家族なのです。主イエス・キリストに結ばれた神の家族です。
この神の家族としての交わりを教会の中心に据えて、大切に歩みたいと願います。

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