4月19日(日)自宅での礼拝プログラムと奨励

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4月19日(日)自宅での礼拝プログラムと奨励

教会員のために、4月19日(日)の自宅での礼拝プログラムと奨励(聖書の短いお話)を掲載します。プログラムは1つの参考にしてください。奨励(聖書の短いお話)は、当日の朝に掲載する予定です。

主の2020年4月19日(日) 自宅での礼拝プログラム

賛美歌  
聖書朗読 『フィリピの信徒への手紙』1章1~11節(新約 361ページ)
奨励 「恵みと平和があるように」 (下記の奨励原稿をお読みください。)
祈祷会 (一人で、あるいは家族でお祈りしてください) 
主の祈り


奨励原稿(「礼拝説教」の「夕方の礼拝」で音声を聞くこともできます。)

 自宅での礼拝では、『フィリピの信徒への手紙』からお奨めをいたします。今日は、第1章1節と2節より、「恵みと平和があるように」という題でお奨めをいたします。
 1節に、「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ」と記されています。ここには、この手紙の差出人と受取人が記されています。最初に差出人について見ていきましょう。この手紙の差出人は、「キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテ」です。元の言葉を見ますと「僕」が複数形で記されています。「キリスト・イエスの僕たちであるパウロとテモテから」と記されているのです。『旧約聖書』を読みますと、モーセが「主の僕」と呼ばれています(民数12:7「わたしの僕モーセ」参照)。「キリスト・イエスの僕たち」とは、キリスト・イエスから信頼され、権威を与えられた者たちであるのです。
 この手紙の差出人はパウロとテモテの二人ですが、この手紙を読み進めていくと、執筆者はパウロ一人であることが分かります。なぜ、パウロは、テモテの名前を共同の執筆者として記したのでしょうか。それは、パウロだけではなくテモテも、フィリピで、イエス・キリストの福音を宣べ伝えたからです。パウロとテモテは親子ほど年齢が離れていましたが、キリスト・イエスの僕たちとして、フィリピで福音を宣べ伝えたのです(使徒16章参照)。
 次に、手紙の受取人について見ていきましょう。この手紙の受取人は、「フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち」です。パウロはユダヤ人であり、フィリピの教会の多くは異邦人(ユダヤ人ではない民族)であったと考えられます。神の民であるユダヤ人にとって、まことの神を知らない異邦人は汚れた民でありました。しかし、その異邦人であるフィリピの人たちを、パウロは「聖なる者たち」と呼ぶのです。「聖なる者たち」とは「聖なる神の民」という意味です。彼らは、今や、イエス・キリストに結ばれて聖なる者、神の民とされているのです。同じことが私たちにおいても言えます。私たちは民族としてはユダヤ人ではありません。ですから、旧約の区分から言えば、異邦人であり、汚れた者たちです。けれども、イエス・キリストを信じて、イエス・キリストと聖霊によって結ばれて、聖なる者、神の民とされているのです。
 1節の中に「キリスト・イエス」という言葉が二度記されています。「キリスト・イエス」とは、「キリスト(メシア、油注がれた者)であるイエス」という意味です。そして、「キリスト・イエス」がこの手紙の差出人(キリスト・イエスの僕たちであるパウロとテモテ)と受取人(キリスト・イエスに結ばれている聖なる者たち)を結びつけている絆であるのです。同じことが、私たちにおいても言えます。私たちを結びつけているのは、「キリスト・イエス」であるのです。私たちは、キリスト・イエスにあって、神の家族の一員とされ、主にある兄弟姉妹とされているのです。
 続けてパウロは、「ならびに監督たちと奉仕者たちへ」と記します。ここで「監督たち」と訳されている言葉(エピスコーポイス)は「長老たち」とも訳せます。また、「奉仕者たち」と訳されている言葉(ディアコノイス)は「執事たち」とも訳せます。なぜ、パウロは長老たちと執事たちのことを記したのでしょうか。それはこの手紙の目的の一つが贈り物に対する感謝を述べることであったからだと思います(4:10~20参照)贈り物を送ることを取り決めた長老たちとその実務にあたった執事たちのことを、パウロは心に留めているのです。
 2節は挨拶の言葉です。「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」。このパウロの挨拶は祈りであり、キリスト教信仰がどのようなものであるかをよく表しています。パウロは、「神から」とは記さずに、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストから」と記しました。先程も申しましたように、キリスト・イエスに結ばれて聖なる者とされている私たちは、神さまを「わたしたちの父である神」と呼ぶことができる神の家族の一員とされているのです。本来、罪に汚れた私たち、神さまとの契約とは関係のない私たちは、神さまの御前に立つことのできない者たちです。しかし、そのような私たちが主イエス・キリストのゆえに、神さまを「わたしたちの父である神」と呼ぶことができるのです。私たちは、主イエス・キリストにあって、神さまを「わたしたちの父である神」と親しく呼ぶことができるのです。
 パウロは、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」と祈ります。「恵み」は異邦人の間で交わされていた挨拶に由来します。「平和」はユダヤ人の間で交わされていた挨拶に由来します。パウロは、ユダヤ人と異邦人からなるキリストの教会に、まことにふさわしい挨拶を送るのです。
 「恵み」とは何でしょうか?いろいろ考えることができますが、その最たるものは、イエス・キリストにあってすべての罪が赦されている恵みです。「平和」とは何でしょうか?いろいろと考えることができますが、その最たるものは、イエス・キリストの恵み(罪の赦し)に基づく神さまとの平和です。私たちの贖いとして十字架の死を死んでくださり、私たちの初穂として三日目に復活してくださったイエス・キリストにあって、私たちは「恵みと平和」をいただくことができるのです。「恵みと平和」を、自分と主にある兄弟姉妹のために祈り求めることができるのです。
 今日、わたしも羽生栄光教会の兄弟姉妹のために恵みと平和を祈り求めたいと思います。「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように」。

毎週日曜は礼拝の日

羽生栄光教会では毎週日曜日、神様への感謝と祈りをささげる礼拝を開いています。この礼拝はキリスト教に興味のある方でしたら、どなたでも自由に参加できます。お仕事などで日曜日の都合がつかない方は、毎週水曜日に行われる聖書と祈りの会がおすすめです。

日曜朝の礼拝
午前10時30分~12時00分
必要な持ち物は特にありません。聖書や讃美歌などは教会でお貸します。
日曜夕方の礼拝
15時30分から16時30分
こちらも必要なものは特にありません。お仕事などで日曜午前の出席が難しい方は、こちらの礼拝がおすすめです。

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