主人の喜びに入れ 2020年7月05日(日曜 朝の礼拝)

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主人の喜びに入れ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
マタイによる福音書 25章14節~30節

聖句のアイコン聖書の言葉

25:14 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。
25:15 それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、
25:16 五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。
25:17 同じように、二タラントン預かった者も、ほかに二タラントンをもうけた。
25:18 しかし、一タラントン預かった者は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておいた。
25:19 さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰って来て、彼らと清算を始めた。
25:20 まず、五タラントン預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』
25:21 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
25:22 次に、二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』
25:23 主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
25:24 ところで、一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、
25:25 恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠して/おきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』
25:26 主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。
25:27 それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。
25:28 さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。
25:29 だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。
25:30 この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」マタイによる福音書 25章14節~30節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、4月に、天に召されたS兄弟のことを覚えて、説教をしたいと思います。4月7日(火)に、安倍首相によって緊急事態宣言が発令されたことを受けて、小会は、4月12日(日)から5月31日(日)まで、教会員は自宅で礼拝をささげることをお願いしました。そのため、S兄弟が天に召されたことを、教会として受けとめる機会がありませんでした。それで、今朝は、S兄弟に与えられた神さまの恵みを覚えまして、説教をしたいと思います。

 S兄弟の略歴については、『週報』に記しておきました。この略歴は、葬儀のプログラムに記したものです。S兄弟は、1950年9月にお生まれになりました。およそ20歳のとき、イエス・キリストを信じて、大宮教会の仲島牧師より洗礼を受けられました。そして、およそ30歳のとき、仲島牧師の司式により、Mさんと結婚されました。およそ35歳で、大宮教会の執事に任職されました。5年間、大宮教会で執事として主と教会に仕え、およそ40歳で、大宮教会から羽生栄光教会に転入されました。およそ48歳のとき、羽生栄光教会の執事に就職されました。2020年1月に、健康上の理由で、休職されるまで、執事として、主と教会に仕えてくださいました。そして、2020年4月、およそ70歳で、ご自宅で家族に見守られながら、天に召されました。S兄弟は、長く難病を患っておられ、晩年には癌を患っておられました。しかし、いつも明るく振る舞っておられました。そのご様子から、私たちは深い感銘を受け、また、大きな励ましを受けていたと思います。S兄弟が天に召される三日前の夜に、私の携帯に、息子さんから電話がありました。S兄弟が、いつ天に召されてもおかしくない状況なので、葬儀について相談したいとのことでした。私は、すぐに、ご自宅を訪問させていただきました。S兄弟の寝ている介護ベッドの周りには、親族の皆さんが集まっていました。私が声を掛けますと、S兄弟は目を開いて、私が来たことを認識してくださいました。そして、私は、その週に礼拝でお話しした『ルカによる福音書』の第23章の御言葉をお読みしました。イエスさまを信じた犯罪人の一人に、イエスさまが「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた、あのお話です。そして、一言、祈りをささげました。S兄弟は、「ありがとうございます」と何度か言われました。それが、S兄弟と一緒にささげた地上での最後の礼拝でした。そのような時を持てたことを、私は主に感謝していますし、教会員の皆さんにも、ぜひ知ってもらいたいと思いました。葬儀は、諸般の事情を考慮して、教会ではなく、加須市にある斎場で行いました。教会で葬儀を行うことができなかったことも残念に思っています。しかし、当時は、主の日の礼拝をささげることも難しいときでしたので、やむを得ないことでした。教会員の皆さんの中にも、葬儀に参列することができなかったことを残念に思っている人がいらっしゃるのではないかと思います。

 さて、今朝は、『マタイによる福音書』の第25章に記されている「タラントンのたとえ」を読みました。このたとえ話は、主イエスさまが再び来られる日を、弟子である私たちがどのような姿勢で待ち望むべきかを教えるたとえであります。第24章の45節と46節で、イエスさまは、こう言われました。「主人がその家の使用人たちの上に立てて、時間どおり彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである」。ここでイエスさまは、「忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか」と問うています。主イエス・キリストが再び来られるのを待つ弟子たちには、「忠実で賢い」ことが求められているのです。そして、イエスさまは、「賢さ」について「十人のおとめのたとえ」で教えられ、「忠実」について「タラントンのたとえ」で教えておられるのです。主イエスさまが、私たちに求めておられる忠実さとは、どのような忠実さであるのか。そのことを「タラントンのたとえ」から御一緒に学びたいと思います。

 14節に、こう記されています。「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンをあずけて旅に出かけた」。ここでの旅に出かけたある人、自分の財産を僕たちにあずけた主人は、イエスさま御自身のことです。イエスさまは、弟子である私たちに、それぞれの力に応じて、タラントンを預けてくださっているのです。「タラントン」は、当時の通貨の単位で、6000日分の賃金に相当します。仮に、一日の賃金を一万円とすると6000千万円となります。主人は、僕の力に応じて、五タラントン、二タラントン、一タラントンと預けますが、一タラントンでも、決して少ない金額ではないのです。この「タラントン」という言葉からタレント、才能という言葉が生まれましたが、ここでは、聖霊による賜物と理解したらよいと思います。使徒パウロが言っているように、キリストの体の部分である私たちには、それぞれに聖霊の賜物が与えられているのです(ローマ12章参照)。私たちにも、イエスさまから、それぞれの力に応じて、聖霊の賜物が与えられているのです。

 16節以下に、タラントンを預かった僕たちの振る舞いが記されています。五タラントンを預かった僕は、早速、出て行って、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけました。二タラントンを預かった僕も、それで商売をして、ほかに二タラントンをもうけました。しかし、一タラントンを預かった僕は、出て行って穴を掘り、主人の金を隠しておきました。一タラントンをあずかった僕は、今で言えば、主人の金を金庫にしまっておいたのです。

 さて、かなり日が経ってから、主人が帰って来て、僕たちと精算を始めます。主イエス・キリストが再び来られる日に、私たちは、与えられている賜物を、どのように用いたかを問われることになるのです。

 まず、五タラントンを預かった者が進み出て、ほかの五タラントンを差し出してこう言いました。「御主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンをもうけました」。すると、主人はこう言いました。「忠実なよい僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。この主人の言葉は、主人が僕に、タラントンを与えたのは、それを元手にして商売をするためであったことを前提にしています。五タラントンをあずかった僕は、そのことをよく理解して、五タラントンを元手に商売をして、さらに五タラントンをもうけたのです。彼は、主人の御心に忠実に従ったのです。五タラントンは、三万日分の賃金(三億円)ですから、莫大な金額です。しかし、完成された天の国、新しい天と新しい地で、私たちが与えられるものに比べれば、小さなものであるのです。ここで注意したいことは、私たちが今、与えられている賜物をどのように用いるかが、完成された天の国での生活に影響を及ぼすということです。私たちが、神さまの御心に従って、賜物を用いるとき、私たちは、「忠実な良い僕」として、完成された神の国において、多くのものの管理をまかされるのです。それは、主人と一緒に働く、喜びであるのです。労働は、はじめの人アダムの堕落によって苦しみの伴うものとなりましたが、本来は祝福であるのですね。その祝福、喜びが回復された世界、それが完成された神の国であり、新しい天と新しい地であるのです。「主人と一緒に喜んでくれ」という言葉は、直訳すると「あなたの主人の喜びの中に入りなさい」となります。完成された天の国に入ることは、私たちの主人、イエス・キリストの喜びの中に入ることであるのです。

 次に、二タラントンを預かった者が進み出ました。主人は、他に二タラントンをもうけた僕にも、「忠実な良い僕だ。あなたの主人の喜びの中に入りなさい」と言われました。

 最後に、一タラントンを預かった僕も進み出てこう言いました。「御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です」。すると、主人はこう答えました。「怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来たとき、利息付きで返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」。三人の僕の中で、3番目の、一タラントンをあずかった僕に対する主人の言葉が一番長く記されています。そのことは、「タラントンのたとえ」の眼目(最も重要な点)が3番目の僕にあることを示しています。イエスさまは、「タラントンのたとえ」で、私たちが、一タラントンをあずかった僕のようにならないように、警告しておられるのです。

 どうして、一タラントンをあずかった僕は、それを元手にして商売しなかったのでしょうか。彼は、主人の御心が、一タラントンを元でにして商売して、タラントンを増やすことにあると知っていながら、地の中に隠していたのです。それは、なぜか。それは、この僕が主人のことを誤解していたからです。3番目の僕は、「主人が蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集める厳しい方だと知っていた」と言っています。しかし、本当にそうなのでしょうか。主人は、むしろ、気前の良い、恵み深いお方であるのです。しかし、3番目の僕は、その恵み深い主人を、がめつい厳しい方と勘違いしたのです。その勘違いから、恐ろしくなり、主人からあずかったタラントンを用いることなく、土の中に隠したのです。ここから教えられることは、私たちが主イエス・キリストをどのような御方として知っているかが、極めて大切であるということです。私たちは、主イエス・キリストをどのような御方であると知っているでしょうか。蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方として知っているのでしょうか。もし、そうなら、私たちも、恐ろしくなって、何もできないかも知れません。しかし、私たちは、主イエス・キリストをそのような方として知ってはいません。なぜなら、私たちは、主イエス・キリストを十字架と復活を通して知っているからです。私たちは、主イエス・キリストが御自分の命を捨てられたほどに、私たちを愛してくださる、恵み深いお方であることを知っているのです。主イエス・キリストは、愛と恵みに富んでおられる御方であることを知っている私たちは、自分に与えられているタラントンを、主の御心に従って、忠実に用いるべきであるのです。4月に天に召されたS兄弟は、まさに、そのような僕であったと思います。S兄弟は、執事として、多くの時間と労力を教会のために用いてくださいました。S兄弟は、難病のために、指の手術を何度も受けられましたが、その手を用いて、教会の庭の手入れをいつもしてくださいました。それは、S兄弟が、主イエス・キリストが愛と恵みに富んでおられることを知っていたからです。S兄弟は、彼の主人であるイエス・キリストの喜びの中に今おられます。天上の教会の一員として、神さまと主イエス・キリストを礼拝しておられるのです。S兄弟だけではありません。天に召された兄弟姉妹たちは、主の喜びの中で、主を礼拝し、主にお仕えしているのです。『ヘブライ人への手紙』の第12章1節に、こう記されています。「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか」。ここでのおびただしい証人たちは、旧約の聖徒たちですが、その中に、天に召された羽生栄光教会の兄弟姉妹を加えることができます。なぜなら、現在の教会の営みは、天に召された兄弟姉妹を抜きにしては考えることができないからです。私たちは天に召された人を拝むことはしません。しかし、天に召された人たちに与えられた神さまの恵みを覚えて、神さまに感謝することまでしないとしたら問題ではないかと思います。私たちは、S兄弟に与えられた神さまの恵み、そして、先に天に召された兄弟姉妹に与えられた恵みを思い起こしつつ、神さまと教会に仕えていきたいと願います。それぞれに与えられているタラントンを用いて、愛と恵みに富んでおられる主イエス・キリストに仕えていきたいと願います。

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