からの墓 2011年3月20日(日曜 朝の礼拝)

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からの墓

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ヨハネによる福音書 20章1節~20節

聖句のアイコン聖書の言葉

20:1 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
20:2 そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」
20:3 そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。
20:4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。
20:5 身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。
20:6 続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
20:7 イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。
20:8 それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。
20:9 イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。
20:10 それから、この弟子たちは家に帰って行った。ヨハネによる福音書 20章1節~20節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝からヨハネによる福音書の第20章に入ります。今朝は1節から10節より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った」。週の初めの日、これは日曜日のことであります。イエス様が十字架から取り降ろされ、墓に葬られたのは準備の日、金曜日でありました。イエス様が葬られてから三日目の週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアはイエス様のお体が納められている墓へ行ったのです。マグダラのマリアは、イエス様の十字架のそばに立っていた四人の婦人の一人であります(19:25参照)。ヨハネによる福音書はマグダラのマリアが一人でイエス様の墓に行ったように記しておりますけれども、他の福音書を見ますと何人かの婦人たちで墓を訪れたことが記されています。2節で、マリアが「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」と言っているように、このときも何人かの婦人たちで墓を訪れたようです。けれども、ヨハネによる福音書はマグダラのマリアに焦点をしぼってこのところを記しているわけです。マグダラのマリア、この婦人はルカによる福音書第8章の記述によれば、イエス様から七つの悪霊を追い出していただいた女であり、自分の持ち物を出し合ってイエス様一行に奉仕していた婦人の一人でありました。ヨハネによる福音書だけを読みますと、マグダラのマリアがなぜイエス様の墓に行ったのか分かりませんが、他の福音書を見ますと、イエス様のお体に香料を塗るために墓へ行ったと記されています。前回学びましたように、ヨハネによる福音書はイエス様のお体がアリマタヤ出身のヨセフとニコデモの二人によって丁重に葬られたことを伝えております。彼らはイエス様のお体をユダヤ人の埋葬の習慣に従い香料を添えて亜麻布で包み、近くの園の新しい墓に納めたのです。ですからヨハネによる福音書によれば、香料を塗る必要はないわけですが、マグダラのマリアが墓に行ったのは少しでもイエス様のお側にいたいという思いからであったと思います。しかし、マリアが目にしたのは、墓から石が取りのけてある光景でありました。当時のお墓は岩壁に穴を開けた洞窟式のものでありまして、その入り口には大きな円盤形の石で蓋をしておりました。しかし、イエス様のお墓からその石が取りのけてあった。それを見て、マグダラのマリアは、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行きました。この聖書の書き方ですと、どうも二人は別々のところにいたようであります。マグダラのマリアは二人にこう告げます。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません」。このマグダラのマリアの言葉は墓から石が取りのけてあるのを見たことに基づく推測であると言えます。マグダラのマリアは、墓の中に入って、イエス様のお体がないのを確認したわけではないのです。彼女は墓から石が取りのけてあるのを見て、だれかが墓を開けてイエス様の遺体を取り去ったに違いないと思い込んで、二人の弟子のもとへ走って行き、このように告げたのであります。このとき、マグダラのマリアはとても動揺していたと思いますね。愛するイエス様が十字架につけられて死んでしまわれた。マグダラのマリアは十字架のもとでそのイエス様のお姿を見ていたわけです。そして、おそらくアリマタヤ出身のヨセフとニコデモの二人によってイエス様のお体が墓に葬られたところも見ていたと思います。マグダラのマリアの気持ちからすれば、イエス様のお墓から離れたくなかったと思います。しかし特別な安息日にそこにいることは許されなかったのでしょう。それでマグダラのマリアは安息日の次の日、週の初めの日の朝早く、まだ暗いうちに、イエス様のお体が納められている墓へ行ったのです。しかし、その墓から石が取りのけてある。お墓の蓋が開いているのを見たときのマリアの動揺は大きかった。その動揺の大きさは墓から走ったことからも伺えます。お墓から走ってどこかへ行くことなどそうそうあるものではありません。けれども、マグダラのマリアは墓から走ってシモン・ペトロのところへ、またイエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ行き、「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、私たちには分かりません」と告げたのです。

 シモン・ペトロが登場するのは、大祭司の屋敷の中庭でイエス様を三度否定した場面以来であります。ペトロは12人の筆頭でありましたから、マグダラのマリアはまずペトロに告げたのでしょう。また「イエスの愛していたもう一人の弟子」が登場するのは、イエス様が十字架に上げられた場面以来であります。イエス様はこの愛する弟子に御自分の母を託されたのでありました。男弟子の中で、もう一人の弟子だけがイエス様の十字架のもとに立っていたのです。このもう一人の弟子は、この福音書を執筆した使徒ヨハネであると伝統的には考えられていますが、マグダラのマリアはもう一人の弟子のところにも伝えに行きました。そして、二人は一緒に走って墓へ向かったのです。マグダラのマリアが墓から走って来たように、今度はペトロともう一人の弟子が墓へと走って行くのです。このところのヨハネによる福音書の記述は大変詳しく記してありますね。もう一人の弟子の方が早く走ったので先に墓に着いたとか、しかし墓の中には入らなかったとか、事細かに記しております。これはこのところを目撃証言として記されているからなのです。旧約聖書の掟の中に、真実は二人または三人の証言によって立証されなければならないという掟があります(申命記19:15参照)。イエス様も第8章17節で「あなたたちの律法には、二人が行う証は真実であると書いてある」と言われていますが、ペトロともう一人の弟子は、イエス様のお墓が空っぽであったことの証人として描かれているのです。当時は女性には裁判で証言する資格がありませんでした。女性の証言は有効と認められなかった。そのような社会において、イエス様のお墓が空っぽであったことの証人はシモン・ペトロとイエスが愛しておられたもう一人の弟子であるとヨハネによる福音書は記しているのです。

 もう一人の弟子がペトロより早く走ったことについて、多くの人がもう一人の弟子の方がペトロよりも若かったためであろうと推測しています。また、もう一人の弟子が先に着きながら墓に入らなかったことについても、年長者のペトロに気をつかったのであろうと推測しています。理由はよく分かりませんが、ともかく、最初に墓に入ったのは、ペトロでありました。ペトロはイエス様のお体が横たえられていた場所に、亜麻布が置いてあるのを見ました。また、イエス様の頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあるのを見ました。このあたりの記述も詳しく記されていますが、これは目撃証言として記されているからです。8節に「それから、先に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた」とありますけれども、「信じた」と言われているのはもう一人の弟子だけであります。しかし、何を信じたかは書いてありません。もう一人の弟子は何を信じたのか?またそもそも空っぽのお墓と残された亜麻布は何を意味しているのでしょうか?

 マグダラのマリアは、墓から石が取りのけてあるのを見て、誰かがイエス様のお体を取り去ってしまったと考えました。これは順当な考え方だと思います。しかし、ペトロともう一人の弟子が墓に入ってみると、イエス様のお体を包んだ亜麻布が置いてあった。またイエス様の頭を包んでいた覆いは、亜麻布の所にはおいてなく、離れた所に丸めてあったのです。この7節を新改訳聖書は「イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布と一緒にはなく、離れた所に巻かれたままになっていた」と訳しています。私たちが「亜麻布が置いてあるのを見た」という聖書の言葉を読むとき、どういう光景を思い浮かべるでしょうか。おそらくイエス様のお体に巻き付けられた亜麻布がほどかれて、まとめられているような光景ではないでしょうか。けれども、ここでヨハネが描いているのはそういう光景ではありません。ここでヨハネが描いているのはイエス様のお体だけが消えてしまって巻かれた亜麻布がそのまま平らになって置かれているそのような光景なのです。頭を包んでいた覆い、これは死人の口が開かないように顎を押さえるものであります。新共同訳聖書は「丸めてあった」と訳していますが、これは新改訳聖書が訳しておりますように「巻かれたままであった」ということです。イエス様の顔の周りをぐるぐると巻いていた覆いが、そのままの状態で置かれていた。そうしますと「離れた所」とは、ちょうど胴体と頭の間、首の長さだけ離れていたということになるわけです。これは異常な光景でありますね。ただ墓が空っぽであるならば、これはマグダラのマリアが考えましたように、誰かが取り去ってしまったと考えられます。また、亜麻布が置いてあっても、それがイエス様のお体から剥ぎ取られたものであったならば、考えにくいですが、誰かがわざわざイエス様のお体を裸にして、取り去ったとも考えることができます。けれども、包まれていたイエス様のお体だけが消えてしまったように亜麻布だけが残されていた。またイエス様の顔に巻かれていた覆いが巻かれた状態で置かれていた状況では、だれかがイエス様のお体を運び去ったと考えられないわけです。このことはイエス・キリストが死から三日目に復活されたことを間接的に証しているのです。イエス様の復活は超自然的なことでありまして論証することはできません。ですから、それは信仰の対象となるわけであります。しかし、歴史的な事実として、イエス・キリストの墓は空っぽになっていたのです。しかも、そこにはイエス様のお体を包んだ亜麻布と顔覆いがそのままの状態で、まるで中身だけが消えてしまったかのように置かれていたのです。これがヨハネによる福音書が証言するところの歴史的な事実であります。しかし、それはすぐにイエス様が復活されたという信仰へと結びつくものではありませんでした。ここで「信じた」と言われているのは、もう一人の弟子だけであるからです。ペトロも「見た」のでありましたけれども、ペトロは「信じた」とは記されていないのです。しかし、もう一人の弟子は見て信じたのです。何を信じたか。イエス様が復活されたことを信じたのです。しかし、そう聞きますと、9節の御言葉と矛盾するのではないかと考える方がおられるかも知れません。福音書記者ヨハネは9節でこう述べています。「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」。ここで「見て、信じたもう一人の弟子」も、「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、まだ理解していなかった」と記されています。これはもう一人の弟子がイエス様の復活を信じたけれども、そのイエス様の復活を聖書の言葉と結びつけて理解するには至っていなかったということです。そもそも復活それ自体が私たち人間の経験を越えるものでありますね。イエス様はただ蘇生されたのではないことは、イエス様のお体を包んだまま亜麻布がそのままの状態で置いてあったことから分かります。第11章にイエス様がラザロをよみがえらせたお話が記されていました。そこでイエス様が「ラザロよ、出て来なさい」と大声で叫ばれると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま、顔は覆いで包まれたまま出て来たと記されています。ですから、もう一人の弟子はイエス様が蘇生された、息を吹き返したことを信じたのではないのです。人間の知識で計り知れない状態でイエス様が復活されたことをもう一人の弟子は信じたのであります。使徒パウロは、そのことをコリントの信徒への手紙一第15章で次のように教えています。コリントの信徒への手紙一の第15章35節から44節の途中までをお読みします。

 しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。

 死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。

 ここでパウロが言葉を尽くして教えていることを、もう一人の弟子が理解していたわけではありません。けれども、もう一人の弟子は、空っぽのお墓と残された亜麻布を見て、イエス様が復活されたことを信じたのです。それを聖書の言葉と結びつけることはできませんでしたけれども、もう一人の弟子はイエス様が復活されたことを信じたのです。では、なぜペトロは信じることができず、もう一人の弟子は信じることができたのでしょうか?その理由はここまでの二人の歩みを思い起こすならば明らかだと思いますね。ペトロは、大祭司の屋敷の中庭においてイエス様との関係を三度否定しました。ペトロとイエス様との関係は断ち切られたままなのです。けれども、もう一人の弟子はイエス様の十字架のもとに立ち続けた。もう一人の弟子はイエス様の愛に留まり続けた。イエス様ともう一人の弟子の愛の交わりは断ち切られていない。だから、もう一人の弟子は見て、信じたのであります。たとえ、聖書の言葉と結びつけることができなくとも、そのイエス様の復活の深い意味を悟ることができなくとも、もう一人の弟子はイエス様が復活されたことを信じたのです。しかし、それだけでは不十分なのです。そのことを九節の「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである」という言葉は示しているのです。イエス様が復活されたことは、聖書の言葉と結び合わされて、はじめて正しく信じたことになるのです。イエス様の復活を聖書の言葉と結びつけて正しく信じないならば、私たちに力は湧いてきません。私たちは希望を抱くことができないのです。ですから、弟子たちは家に帰ってしまったわけなのです。

 私たちがイエス・キリストの復活を信じると言うとき、それは私たちの罪のために死んだイエス・キリストが私たちを義とするために復活されたことを信じるということであります。イエス・キリストが私たちの初穂として復活されたことを信じるということであります。聖書に預言された神様の救いは、イエス・キリストの十字架と復活においてことごとく成就したことを信じる。そこに私たちの希望があるし、私たちを生かす力があるのです。そして、それは復活されたイエス・キリスト御自身に出会って初めて与えられるものなのです。ですから、ヨハネによる福音書は続けて、マグダラのマリアにイエス様が現れたこと、弟子たちにイエス様が現れたことを記すのです。イエス・キリストの復活を十分な意味で信じるには、すなわち聖書と結びつけて信じるには、復活されたイエス・キリストに出会うという信仰の体験が必要なのです。そして、復活のイエス・キリストとお会いする場こそ、週の初めの日の朝に行われている、この主の日の礼拝であるのです。私たちは今様々な不安の中で生活しております。しかし、そのようなときこそ、私たちは復活のイエス・キリストの愛に留まり続けるべきなのです。私たちが復活のイエス・キリストの愛に留まるときに、私たちはものごとを正しく理解することができるのです。すなわち、イエス・キリストにおいて表された神様の御心は世を滅ぼすことではなく、世を救うことであると正しく理解することができるのです。それゆえ、私たちは神様の助けを祈り求めることができるし、祈りの求めるべきであるのです。

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