ステファノの逮捕 2007年1月14日(日曜 朝の礼拝)

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ステファノの逮捕

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 6章8節~15節

聖句のアイコン聖書の言葉

6:8 さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。
6:9 ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。
6:10 しかし、彼が知恵と“霊”とによって語るので、歯が立たなかった。
6:11 そこで、彼らは人々を唆して、「わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた」と言わせた。
6:12 また、民衆、長老たち、律法学者たちを扇動して、ステファノを襲って捕らえ、最高法院に引いて行った。
6:13 そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせた。「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。
6:14 わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」
6:15 最高法院の席に着いていた者は皆、ステファノに注目したが、その顔はさながら天使の顔のように見えた。

使徒言行録 6章8節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 前回は、ギリシャ語を話すユダヤ人から、ヘブライ語を話すユダヤ人に対して日々の分配のことで苦情が出たこと。そして、それを解決するために、7人の奉仕者が立てられたことを学びました。今朝の御言葉には、その7人の筆頭とも言えますステファノが捕らえられたことが記されております。ステファノは、なぜ捕らえられたのか、このことを念頭に置きながら、今朝の御言葉に聴いて参りたいと願います。

 8節から10節をお読みします。

 さて、ステファノは恵みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。ところが、キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々などのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論した。しかし、彼が知恵と霊とによって語るので、歯が立たなかった。

 これまで、「不思議な業としるし」を行うことは、使徒たちに限られておりましたけども、ここでは、ステファノも不思議な業としるしを民衆の間で行っていたと記されています。これには、大きく2つの解釈があります。1つは、ステファノが不思議な業を行えたのは、使徒たちが、祈って手をおいたからだとする解釈であります。そして、もう一つは、使徒たちが手をおいたからではなくて、それ以前にステファノは、不思議な業としるしを行うことができたのだとする解釈であります。5節に、選ばれた7人のリストが記されていますが、ステファノだけ、わざわざ「信仰と聖霊に満ちている人ステファノ」と記されているように、ステファノは、もともと不思議な業としるしを行うことのできた、それほど聖霊に満ちていたのだとする解釈です。私としては、どちから一方の解釈をとるのではなく、もともと信仰と聖霊に満ちている人が、一同から教会役員候補者として選ばれ、使徒たちの祈りと按手によって、いよいよ恵みと力に満ちるようになったのではないかと思います。ステファノをはじめとする7人は、もともとは食卓の奉仕のために立てられた者たちでありました。現在の教会に当てはめて言えば、執事職の起源をここに見い出すことができるわけであります。そのステファノが不思議な業としるしを民衆の間で行っていたというのですから、これはおそらく、様々な病や汚れた霊に悩まされた人々を癒す、癒しの業ではなかったかと思います(使徒5:16)。使徒たちが祈りと御言葉の奉仕に専念するために、食卓の奉仕をはじめとする執事的な働きは、この7人に委ねられることになりました。それに伴いまして、天におられる主イエス・キリストは、この7人に、その職務を十分果たせるよう、聖霊の賜物をお与えになられたのではないかと思います。そのことが使徒たちの按手によって、表されたのではないかと思うわけです。

 さて、この7人は、食卓の奉仕のために立てられたはずでありましたけども、ここでは、ステファノが議論をしたことが記されております。また続く7章には、ステファノの一大説教が記されています。このことから、ステファノは、ただ食卓の奉仕をしていただけではなくて、福音を宣べ伝える者であったことが分かるわけであります。前回、教会には、2つの奉仕、2つのディアコニアーがあると申し上げました。それは、御言葉の奉仕と、食卓の奉仕の2つであります。それでは、この2つの奉仕は、全く性質の異なるものなのかと言えば、そうではありません。御言葉の奉仕は霊の奉仕であり、食卓の奉仕は肉の奉仕であると、はっきりと区別ができるのかと言えば、そうではないのです。このことは、教会における執事の働きを考えていただければ、すぐにお分かりいただけます。例えば、私たちの教会には慶弔規定というものがあります(『月報』2005年9月号4頁に掲載)。そこには、愛する者を亡くされた兄弟姉妹や、また結婚や出産をされた兄弟姉妹に、教会からいくらいくらお渡しするということが記されています。そして、その実行は執事会に委ねられているわけであります。そのとき、ただお金をお渡しするだけではなくて、ふさわしい御言葉や、お祈りの言葉を添えて、お渡しするのだと思います。カードや手紙に、何らかの思いを書き記してお渡しするということがあるのだと思います。ただ、規定にいくらとあるから、お渡しします。これだけでは、本当の慰め、お祝いにはならないわけでありますね。また、訪問のことを考えれば、よりはっきりとするかも知れません。訪問をするとき、そこで、お見舞いをお持ちするわけでありますけども、それだけではなくて、主にある慰めと希望が語られ、祈りがなされることが、どうしても必要なわけであります。また、献金の管理といった働きにおいても、そのお金が神様に献げられたものであり、それが神様のご用のために用いられるという信仰を抜きにしては決して務まるものではないわけであります。このように、執事の働きは、御言葉の奉仕と対立するものではなく、御言葉によって支えられ、御言葉と共になされていく、霊的な、信仰的な営みなのであります。私たちの教派の憲法であります政治規準の第58条に、執事の任務が記されていますが、その第1項に、「貧困・病気・孤独・失意の中にある者を、御言葉とふさわしい助けをもって励ますこと。」とあります。また、第7項には「伝道すること。」と記されています。執事にも、御言葉を語ること、伝道することが求められているのです。何も執事ばかりではなくて、全ての信徒に御言葉を語ること、伝道することが求められているのです。そのことを、私たちは、ステファノを通して改めて覚えることができると思うのであります。

 9節に、ステファノが議論した者たちがどのような者たちであったのかが記されています。それは「キレネとアレクサンドリアの出身者で、いわゆる『解放された奴隷の会堂』に属する人々、またキリキア州とアジア州出身の人々」でありました。これらは、どれも「ギリシャ語を話すユダヤ人」であります。前回も申し上げましたように、「ギリシャ語を話すユダヤ人」とは、ギリシャ語を日常語とする、外地で生まれた、ディアスポラ(離散)のユダヤ人のことであります。その人たちが、エルサレムへと帰って来ていたわけです。この「ギリシャ語を話すユダヤ人」は、もとの言葉を見ますと、「ヘレニストーン」と記されています。英語の聖書をみますと「ヘレニスト」の複数形で記されています。ですから、ギリシャ語を話すユダヤ人とは、ヘレニストのユダヤ人と呼ばれるわけであります。ステファノと議論した者たちは、このヘレニストのユダヤ人でありました。そして、おそらく、ステファノもヘレニストのユダヤ人であったと考えられているのです。もともと、7人は、ギリシャ語を話すユダヤ人のやもめが日々の配給で軽んじられているという問題を解決するために立てられた者たちでありました。また、この7人の名前は、どれもギリシャ的な名前であると言われています。ですから、この7人は、おそらくすべて、あるいはその大半がギリシャ語を話すユダヤ人、ヘレニストのユダヤ人ではなかったかと考えられているわけです。ヘレニストのユダヤ人、これは日常語としてギリシャ語を話すユダヤ人であり、外地で育ったものでありますから、神殿に対しては自由な考えを持つ者もおりました。おそらく、ステファノは、そのような者であったと思います。しかし、他方、わざわざ、外地からパレスチナ地、エルサレムに戻ってきた者であったわけですから、これは逆に、神殿に対して熱心な者たちもいたわけであります。ヘレニストのユダヤ人には、一方には、神殿に対して比較的ゆるやかな考えを持っている者もいれば、他方には、神殿に対して厳格な、保守的な者たちもいたのであります。そして、ここでステファノに議論をしかけた者たちは、これはおそらく、神殿に執着します保守的なユダヤ人であると考えられるのです。ここで、「解放された奴隷の会堂に属する人々」とありますが、エルサレムにも会堂、シナゴーグが沢山あったようであります。そして、その会堂は様々な人々からなっておりました。会堂、シナゴーグでは、礼拝も行われましたけども、分かりやすくいうと公民館のようなところであります。ですから、コミュニティーの中心であったわけであります。解放された奴隷は解放された奴隷だけで会堂を中心とする集まりを持っていましたし、キリキア州出身の人は、キリキア州の出身の人でというように、同郷の人々で会堂を中心とする交わりを持っていたのです。そのある者たちが立ち上がり、ステファノと議論したわけです。ですから、これはおそらく、ステファノが、同じギリシャ語を話す、ヘレニストのユダヤ人の会堂に行って、福音を宣べ伝えていたと考えられるわけです。そこで、ナザレのイエスこそが、聖書が預言してきたメシアであると告げ知らせていたのであります。それに反対する人々が立ち上がって、ステファノと議論をいた。しかし、彼が知恵と霊とによって語るので、全く歯が立たなかったわけであります。主イエスは、「どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授ける。」と仰せになりましたが、その言葉は、ステファノにおいても真実となったのでありました(ルカ21:15)。

 ついでのことのようでありますが、ここで、ステファノと議論した者たちの中にキリキア州の者が含まれています。これは、後にパウロと呼ばれるサウロの出身地タルソスを含む州であります。8章の1節に、「サウロは、ステファノの殺害に賛成していた。」とありますが、そのサウロが、まだ名前は上げられていませんけども、もうここにいたのではないかと考えられているのです。後に大伝道者となったサウロも、このときは、ステファノと議論しても歯が立たなかった。そのようにも想像することができるわけであります。

 ステファノに反対する者たちは、議論しても歯が立ちませんので、民衆、長老、律法学者たちを扇動して、ステファノを捕らえ、最高法院に引いて行きました。11節に「そこで、彼らは人々を唆して、『わたしたちは、あの男がモーセと神を冒涜する言葉を吐くのを聞いた』と言わせた。」とあるように、この人々の証言が、民衆や長老たち、律法学者にも広まりまして、そして彼らをあおり立てて、ステファノを捕らえ、最高法院へと引いて行ったのであります。そして、偽証人を立てて、次のように訴えさせたのです。

 「この男は、この聖なる場所と律法をけなして、一向にやめようとしません。わたしたちは、彼がこう言っているのを聞いています。『あのナザレの人イエスは、この場所を破壊し、モーセが我々に伝えた慣習を変えるだろう。』」

 ここに、ステファノとそれに反対する者たちの論点が明らかになっております。11節の「モーセと神を冒涜する言葉」が、14節では、「聖なる場所と律法をけなす」という言葉で言い換えられております。つまり、ステファノの教え、神はイエスをメシアとなされたという教えは、聖なる場所と律法をけなすことになると彼らは考えたのであります。このことは、旧約時代から新約時代に移行する、微妙な時期の問題であったと言えます。例えば、これまで、イスラエルの宗教において、神と民との間を取りもって来たのは、モーセ律法と神殿祭儀でありました。当時の人々は、ファリサイ派に見られるように、この律法を守ることによって、人は神から義としていただける、救っていただけると考えていたのであります。しかし、使徒たちの教えるところによれば、人々の救いは、何よりも、イエス・キリストを信じる信仰にかかっているというわけであります。また、使徒たちは、イエス・キリストを主、メシアと信じるならば、罪を赦していただけると教えておりました。それでは、神殿でささげる動物犠牲は、一体どうなってしまうのでしょうか。使徒たちの教えを突き詰めると、神殿祭儀はもう不要になってしまうわけであります。ですから、イエスがメシアとなられたことは、これまでのイスラエルの宗教のあり方を、根本から変える一大事であったわけです。そのことに、ステファノは気づきはじめていた。そして、彼はそのことを使徒たちよりも大胆に語っていたのではないかと思うのです。使徒たちは、依然として神殿で祈りの時を過ごしておりました。ヘブライ語を話すユダヤ人である使徒たちは、神殿を重んじ続けていたのです。しかし、ステファノは、そうではなかったわけですね。ヘレニストであったステファノは、使徒たちよりも、急進的であり、ラディカルであったのです。そして、この律法と神殿祭儀を巡る議論というものは、イエス様がメシアとして君臨された以上、これは避けることのできない、いつかははっきりさせなくてはならない、そういう議論であったわけであります。

 現代、私たちは、キリスト教とユダヤ教とはっきりと区別をつけておりますけども、当時は、そのようなはっきりとした区別はまだありませんでした。11章26節に「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」と記されています。弟子たちが、キリストの名と結びつけて呼ばれるようになったのは、しばらくしてからであります。そして、これはアンティオキアとありますように、異国の地においてのことであります。それでは、ユダヤ人からは何と呼ばれていたのか。24章には、パウロが総督フェリクスの前でユダヤ人から訴えられる場面が記されておりますが、そこで、パウロは「『ナザレ人の分派』の首謀者」と呼ばれています。つまり、キリスト教という明確な区別はまだなされておらず、イスラエルの宗教の、ナザレ派ぐらいにしか、信者たちの集まりは考えられていなかったわけであります。研究者の中には、イエス様や使徒たちの時代の宗教は、これはもうすでにユダヤ教であったと主張する人がおります。その起源を、バビロン捕囚から期間したエズラに帰する人もいれば、神の啓示が止んでいた中間時代に帰する人もおります。しかし、私の考えを申し上げるならば、この時代、現代の私たちがユダヤ教と呼んでいるものはまだ成立していなかったと思います。それでは、ユダヤ教はいつ成立したと考えるのかと言えば、それはキリスト教との決別が決定的となった1世紀後半ではないかと思うのです。ユダヤの会堂では、いつも18の祈りをささげていたということでありますが、1世紀の後半になると、その12番目の祈りが次のようなものになったと言われております。こういう祈りであります。「背教者たちに希望がないように。力の王国(ローマ政府)が、我々の時代に速やかに拒絶されるようにして下さい。またナザレ人たちと異端者が、一瞬にして滅ぶように。彼らが生命の書から消されて、義しい人々と共に書き入れられないように。」

 このような祈りが会堂でなされることによって、イエスを信じる者たちとはっきりと決別し、いわば、キリスト教の成長と共に、まるで双子のように現代のユダヤ教が成長していったと考えられるわけであります。

 ですから、その決別が決定的とならないうちは、イスラエルの宗教という大きな枠組みの中に、さまざまな派が存立していたと考えられるのです。それこそ、イスラエルの宗教という大きな枠組みの中に、サドカイ派があり、ファリサイ派があり、さらには、エッセネ派、熱心党などさまざな派があったわけです。そして、その中にナザレ派が出てきたと考えられていたのです。サドカイ派とファリサイ派、この二つを比べてみても、これは大きな違いであります。サドカイ派は、神殿祭儀を司る祭司階級であり、モーセ五書しか正典としての権威を認めていませんでした。また、復活も天使も霊も信じていなかったのです。これに対して、ファリサイ派は、モーセ五書はもちろん、預言者や諸書も正典としての権威を認めておりました。それどころか、先祖の言い伝えである口伝律法まで、正典と同じように重んじていたのであります。また、サドカイ派と違って、復活も天使も霊も信じていたのであります。このように大きく異なる二つの派は、互いを異端呼ばわりせずに、排斥し合うことはしませんでした。この二つの派が、いろいろな違いはあっても、互いを認め合うことができたのは、それはある共通点があったからであります。それは、律法、モーセ五書と呼ばれるトーラーを重んじるということであります。トーラーを重んじるということは、神殿祭儀を重んじることでもあるわけですね。レビ記には、動物犠牲を献げる規則が事細かく記されております。旧約聖書のはじめの五つの書物、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、このモーセ5書と呼ばれるトーラー、このトーラーを重んじることがイスラエルの宗教のゆずれない主張、土台であります。ですから、このトーラーを重んじること以外は、わりかし自由だったんですね。復活を信じようが信じまいが、天使を信じようが信じまいが、そういうことはそれほど問題にならない、このトーラーを信じるならば。また、メシアが現れた、この人がメシアだと主張することもそれほど問題にはならない、このトーラーを信じるならばです。

 このことは、キリスト教会に置き換えて考えてみると分かりやすいかも知れません。キリスト教には、古代教会が告白してきた公同信条と呼ばれる者があります。使徒信条、ニカイア信条、アタナシウス信条、カルケドン信条の4つがキリスト教の公同信条と呼ばれるものであります。そこでは、父と子と聖霊なる三位一体の神と、まことの神でありまことの人である二性一人格のイエス・キリストが告白されております。この公同信条を告白している限り、その教会は、聖なる公同の教会と呼ばれるわけであります。ローマ・カトリック教会であっても、ペンテコステ派であっても、色々な教派がありますが、この四つの公同信条に反していない限り、聖なる公同の教会と呼べるのであります。しかし、この公同信条に反するときに、それはもうキリスト教とは呼べなくなるわけですね。異端と呼ばれるわけであります。そして、それは呪われるべき者となるわけです。パウロがガラテヤの教会を惑わせていた偽教師たちに、アナセマ、呪われるがよいと言い放った通りであります。例えば、エホバの証人は、イエス・キリストを信じると申しますけども、しかし、イエス・キリストを最初に造られた被造物だと教えております。これは異端、呪われるべき教えであります。

 その正統的信仰か、異端かをふるい分けるもの、それが当時のイスラエルの宗教においては、モーセ律法、トーラーであったわけです。トーラーの権威を認めるならば、これはイスラエルの宗教として留まることができます。しかし、トーラーの権威を否定するならば、それは認めることができないわけでありますね。それゆえ、これまで初代教会に好意的であった民衆、使徒たちの御業を見て喜んでいたその民衆が、まるで暴徒のように、ステファノに襲いかかったわけであります。しかし、ここで問題なのは、ステファノは、本当に神殿をけなしたのであろうか。律法をけなしたのであろうかということであります。この使徒言行録を記しましたルカは、「偽証人を立てて」とう言葉によって、そうではないということを暗示しております。そして、ステファノ自身も、7章に記されている一大説教を通して決してそうではないことを弁明しているのであります。

 前もって結論を申し上げますと、律法も神殿祭儀もイエス・キリストに導くためのものであり、それらイエス・キリストにおいて実現したというのが、キリスト教会の主張であります。イエス・キリストは、私たちに代わって全ての律法を守り、私たちを律法の呪いから救い出してくださいました。また、イエス様は、御自分を十字架の上でいけにえとして献げることによって、罪の赦し、永遠の贖いを成し遂げてくださいました。それゆえ、後のキリスト教会は、動物犠牲をささげる必要がなくなったことを教えております。ヘブライ人への手紙を読めば、そのことが記されております。また、律法の象徴とも言えます割礼を受ける必要がなくなったことを教えております。ガラテヤの信徒への手紙を読めば、そのことが記されております。しかし、そのことが律法と神殿をけなすことになるのか。律法をけなしているのは、本当にステファノなのか、それともイエスをメシアと認めないユダヤ人であるのか、このことをステファノは、アブラハムから始まる旧約の歴史をひもときながら、命をかけて私たちに教えようとしているのであります。そのステファノの説教に、私たちも襟を正して、聴いて参りたいと願うのであります。

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