預言者を立てる約束 2021年1月24日(日曜 朝の礼拝)

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預言者を立てる約束

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
申命記 18章9節~22節

聖句のアイコン聖書の言葉

18:9 あなたが、あなたの神、主の与えられる土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。
18:10 あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、
18:11 呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。
18:12 これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。
18:13 あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。
18:14 あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。
18:15 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。
18:16 このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。
18:17 主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。
18:18 わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。
18:19 彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。
18:20 ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」
18:21 あなたは心の中で、「どうして我々は、その言葉が主の語られた言葉ではないということを知りうるだろうか」と言うであろう。
18:22 その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。申命記 18章9節~22節

原稿のアイコンメッセージ

序.『申命記』とは

 今朝は、『申命記』の第18章9節から22節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。最初に、『申命記』について簡単にお話しいたします。『申命記』は、イスラエルの民がカナンの地に入るに先立って、語られたモーセの遺言とも言える説教であります。モーセは、イスラエルの民がカナンの土地で行う掟と法を、主から授けられました。その掟と法を、これからカナンの土地に入る新しい世代に、もう一度語るのです。申命記は、カナンの土地に入るイスラエルの新しい世代に語られたモーセの説教である。このことを念頭において、今朝の御言葉を読み進めていきましょう。

1.占いをしてはならない

 第18章9節から14節までを読みます。

 あなたが、あなたの神、主の与えられた土地に入ったならば、その国々のいとうべき習慣を見習ってはならない。あなたの間に、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。これらのことを行う者をすべて、主はいとわれる。これらのいとうべき行いのゆえに、あなたの神、主は彼らをあなたの前から追い払われるであろう。あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。あなたが追い払おうとしているこれらの国々の民は、卜者や占い師に尋ねるが、あなたの神、主はあなたがそうすることをお許しにならない。

 イスラエルの民がこれから入って行くカナンの土地は、イスラエルの神、主が与えられた土地であります。ですから、そこでは、神さまの御心を行うことが求められます。神の民であるイスラエルは、神さまの土地に入って、神さまの掟を守ることが求められるのです。神さまは、「カナンの土地に住んでいる国々のいとうべき習慣を見習ってはならない」と言われます。「いとう」とは、「きらって避ける。いやがる」という意味です。神さまがいとわれる習慣、また、神の民であるイスラエルがいとうべき習慣が、10節と11節に記されています。「自分の息子、娘に火の中を通らせる者」とは、偽りの神モレクに、自分の子供を焼き尽くす献げ物としてささげることです。主は、いわゆる人身御供(ひとみごくう)をいとわれるのです。また、占い師、卜者、易者、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てるものを、主はいとわれます。カナンの人々は、占い師や呪術師に伺いを立てることによって、将来起こることを知ろうとしたのです。また、神々の考えていることを知ろうとしたのです。しかし、これらは主がいとわれることであり、イスラエルの民に許されていないことであるのです。このことは、イエス・キリストにあって、神のイスラエルとされている私たちにも当てはまります。私たちは、主がいとわれることをしてはならない。占い師や呪術師に伺いを立ててはならないのです。朝のニュース番組などで、星占いが放送されていますが、そのような星占いなども避けるべきであるのです。では、イスラエルの民は、また、私たちは、どのようにして、神さまの御意志を知ることができるのでしょうか。

2.預言者を立てる約束

 15節から19節までをお読みします。

 あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。このことは、すべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。

 カナンの人々が行っていた占いや呪術は、人間の側から神々の考えを知ろうとする営みでありました。しかし、神さまは、イスラエルの民の中から、モーセのような預言者を立てることによって、御心を示されるのです。「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる」。これが後に、メシア、救い主を与える約束として、理解されるようになりました。いわゆるメシア預言として解釈され、待ち望まれたのです。そのことを、教えてくれているのが、『ヨハネによる福音書』であります。第1章に、洗礼者ヨハネのことが記されています。人々は、洗礼者ヨハネにこう尋ねました。「あなたは、あの預言者なのですか」(ヨハネ1:21)。この問いの背景には、今朝の御言葉、「主はイスラエルの民の中からモーセのような預言者を立てられる」という約束があるのです。人々は、洗礼者ヨハネに、「あなたが、モーセのような預言者なのですか」と問い、洗礼者ヨハネは、「わたしはそうではない」と答えたのであります。また、『ヨハネによる福音書』の第6章に、イエスさまが五千人に食べ物を与えるお話しが記されています。食べて満腹した人々は、イエスさまについて、「まさにこの人こそ、世に来られる預言者である」と言いました(ヨハネ6:14)。人々は、イエスさまがなされた五千人養いの奇跡を、モーセが荒れ野でイスラエルの民にマナを食べさせたことと結びつけて解釈したのです。そして、この人々の言葉は、当たっております。なぜなら、イエスさま御自身が第5章46節で、御自分を信じないユダヤ人たちにこう言われたからです。「あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしを信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである」。イエスさまが、「モーセは、わたしについて書いている」と言われるとき、そこには、今朝の御言葉も含まれています。イエスさまは、「主がイスラエルの民の中から起こされるモーセのような預言者は、わたしである」と言われたのです。このことをはっきりと語っているのが、『使徒言行録』の第3章に記されている、神殿でのペトロの説教であります。新約の218ページです。第3章21節から23節までを読みます。

 このイエスは、神が聖なる預言者たちの口を通して昔から語られた、万物が新しくなるその時まで、必ず天にとどまることになっています。モーセは言いました。「あなたがたの神である主は、あなたがたの同胞の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。彼が語りかけることは、何でも聞き従え。この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる。」

 ここで、ペトロは、イエスこそ、モーセのような預言者であると断言しています。ですから、すべてのイスラエルの人々は、イエスさまの言葉に聞き従うべきであるのです。ペトロは、「イエスさまに耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる」と言うのです。これは、今朝の御言葉に記されているよりも厳しいですね。今朝の御言葉では、「聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追求する」と記されていました。しかし、ペトロは、「この預言者に耳を傾けない者は皆、民の中から滅ぼし絶やされる」と言うのです(レビ23:29参照)。このようにペトロが言うのは、イエスさまがモーセ以上の御方、主その方であるからです。ですから、イエスさまの言葉に耳を傾けるかどうかが、イスラエルの民であるかどうかを決定するのです。

 ところで、モーセのような預言者とは、どのような預言者を言うのでしょうか。そのことが、『民数記』の第12章に記されています。旧約の233ページです。第12章2節から8節までを読みます。

 彼ら(アロンとミリアム)は更に言った。「主はモーセを通してのみ語られるというのか。我々を通しても語られるのではないか。」主はこれを聞かれた。モーセという人はこの地上のだれにもまさって謙遜であった。主は直ちにモーセとアロンとミリアムに言われた。「あなたたちは三人とも、臨在の幕屋の前に出よ。」彼ら三人はそこに出た。主は雲の柱のうちにあって降り、幕屋の入り口に立ち、「アロン、ミリアム」と呼ばれた。二人が進み出ると、主はこう言われた。「聞け、わたしの言葉を。あなたたちの間に預言者がいれば/主なるわたしは幻によって自らを示し/夢によって彼に語る。わたしの僕モーセはそうではない。彼はわたしの家の者すべてに信頼されている。口から口へ、わたしは彼と語り合う。あらわに、謎によらずに。主の姿を彼は仰ぎ見る。あなたたちは何故、畏れもせず、わたしの僕モーセを非難するのか。」

 この主の御言葉から教えられることは、モーセは、主との親しい交わりの中で、御言葉を与えられていたということです。口から口へと主と語り合い、主の姿を仰ぎ見る、そのような親しい交わりの中で、モーセは御言葉を受けたのです。それゆえ、主はモーセを、「わたしの僕モーセ」と呼ぶのです。このように、モーセは、主なる神さまとの親しい交わりの中で、御言葉を受けたのですが、イエスさまは、さらに親しい交わりの中で、御言葉を受けたのであります。なぜなら、イエスさまの内に、父なる神さまがおられるからです。イエスさまは、御自分の内におられる父なる神さまの言葉を語っておられるからです。『ヨハネによる福音書』の第14章で、弟子のフィリポが、「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます」と言うと、イエスさまはこう言われました。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのだ。なぜ、『わたしたちに御父をお示しください』と言うのか。わたしが父の内におり、父がわたしの内におられることを、信じないのか。わたしがあなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではない。わたしの内におられる父が、その業を行っておられるのである」(ヨハネ14:9、10)。イエスさまは、「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられる」という、神さまとの親しい交わりに生きておられます(聖霊による相互内在)。それゆえ、イエスさまが弟子たちに言う言葉は、自分から話しているのではなく、神の言葉そのものであるのです。それゆえ、イエスさまは、モーセにまさった預言者であり、神その方であるのです(ヘブライ1~3章を参照)。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の310ページです。

3.主が遣わされた真の預言者

 20節から22節までを読みます。

 ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」あなたは心の中で、「どうして我々は、その言葉が主の語られた言葉ではないということを知りうるだろうか」と言うであろう。その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない。

 ここには、主が遣わされた預言者か、そうでないかを識別する方法が記されています。主の御名によって語る人がすべて主が遣わされた預言者であるとは限りません。主から遣わされていないのに、主の御名によって語る偽預言者もいるわけです。それを、どのように判断すればよいのか。モーセは、「その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない」と言うのです。エレミヤの時代、イスラエルがバビロンに勝利することを預言する預言者たちが沢山おりました。それに対して、エレミヤは、イスラエルがバビロンによって滅ぼされることを預言したのです。そして、歴史的な事実として、イスラエルは、バビロンに滅ぼされました。そのようにして、エレミヤが主から遣わされたまことの預言者であることが証明されたのです。では、イエスさまについてはどうでしょうか。イエスさまは、弟子たちに、御自分の死と復活について三度、予告されました。そして、歴史的な事実として(二人または三人の一致した証言)、イエスさまは、十字架の死から三日目に復活されたのです。そして、復活されたイエスさまは、天に昇り、弟子たちに、聖霊を遣わしてくださったのです。その聖霊を与えられたペトロが、あの神殿の説教において、イエスさまこそ、モーセにまさる預言者であると大胆に語ったのです。そして、私たちも、イエスさまから聖霊を与えられている者たちとして、「イエスさまこそ、モーセにまさる預言者、神その方である。それゆえ、すべての人がこの方に聞き従うべきである」と大胆に語ることができるのです。

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