命の恩人ヨセフ 2014年4月06日(日曜 夕方の礼拝)

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命の恩人ヨセフ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 47章13節~27節

聖句のアイコン聖書の言葉

47:13 飢饉が極めて激しく、世界中に食糧がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ。
47:14 ヨセフは、エジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀をすべて集め、それをファラオの宮廷に納めた。
47:15 エジプトの国にもカナン地方にも、銀が尽き果てると、エジプト人は皆、ヨセフのところにやって来て、「食べる物をください。あなたさまは、わたしどもを見殺しになさるおつもりですか。銀はなくなってしまいました」と言った。
47:16 ヨセフは答えた。「家畜を連れて来なさい。もし銀がなくなったのなら、家畜と引き換えに与えよう。」
47:17 人々が家畜をヨセフのところに連れて来ると、ヨセフは、馬や、羊や牛の群れや、ろばと引き換えに食糧を与えた。ヨセフはこうして、その年、すべての家畜と引き換えに人々に食糧を分け与えた。
47:18 その年も終わり、次の年になると、人々はまたヨセフのところに来て、言った。「御主君には、何もかも隠さずに申し上げます。銀はすっかりなくなり、家畜の群れも御主君のものとなって、御覧のように残っているのは、わたしどもの体と農地だけです。
47:19 どうしてあなたさまの前で、わたしどもと農地が滅んでしまってよいでしょうか。食糧と引き換えに、わたしどもと土地を買い上げてください。わたしどもは農地とともに、ファラオの奴隷になります。種をお与えください。そうすれば、わたしどもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう。」
47:20 ヨセフは、エジプト中のすべての農地をファラオのために買い上げた。飢饉が激しくなったので、エジプト人は皆自分の畑を売ったからである。土地はこうして、ファラオのものとなった。
47:21 また民については、エジプト領の端から端まで、ヨセフが彼らを奴隷にした。
47:22 ただし、祭司の農地だけは買い上げなかった。祭司にはファラオからの給与があって、ファラオが与える給与で生活していたので、農地を売らなかったからである。
47:23 ヨセフは民に言った。「よいか、お前たちは今日、農地とともにファラオに買い取られたのだ。さあ、ここに種があるから、畑に蒔きなさい。
47:24 収穫の時には、五分の一をファラオに納め、五分の四はお前たちのものとするがよい。それを畑に蒔く種にしたり、お前たちや家族の者の食糧とし、子供たちの食糧としなさい。」
47:25 彼らは言った。「あなたさまはわたしどもの命の恩人です。御主君の御好意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます。」
47:26 ヨセフはこのように、収穫の五分の一をファラオに納めることを、エジプトの農業の定めとした。それは今日まで続いている。ただし、祭司の農地だけはファラオのものにならなかった。
47:27 イスラエルは、エジプトの国、ゴシェンの地域に住み、そこに土地を得て、子を産み、大いに数を増した。創世記 47章13節~27節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記47章13節から27節より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 13節に、「飢饉が極めて激しく、世界中に食糧がなくなった。エジプトの国でも、カナン地方でも、人々は飢饉のために苦しみあえいだ」とありますが、これは内容としては、41章の続きであります。41章56節、57節にこう記されておりました。「飢饉は世界各地に及んだ。ヨセフはすべての穀倉を開いてエジプト人に穀物を売ったが、エジプトの国の飢饉は激しくなっていた。また、世界各地の人々も、穀物を買いにエジプトのヨセフのもとにやって来るようになった。世界各地の飢饉も激しくなったからである」。この文脈の中で、42章以下はヨセフの兄たちが再びエジプトに下ることを記していたわけです。創世記の記者は、ヨセフと兄たちの和解、さらにはヨセフと父ヤコブとの再会を記した後で、ヨセフがエジプト全国を治める者として、どのように飢饉を乗り切ったかを記すのです。

 ヨセフが最初にしたことは、41章56節にありますように、穀倉を開いて穀物を売るということでありました。ヨセフは、エジプトの国とカナン地方の人々が穀物の代金として支払った銀をすべて集め、ファラオの宮廷に納めました。このように、ヨセフはファラオに大きな利益をもたらすわけです。エジプトの国にもカナン地方にも、銀が尽き果てると、エジプト人は皆、ヨセフのところにやって来て、こう言いました。「食べる物をください。あなたさまは、わたしどもを見殺しになさるおつもりですか。銀はなくなってしまいました」。これに対して、ヨセフはこう答えました。「家畜を連れて来なさい。もし銀がなくなったのなら、家畜と引き換えに与えよう」。人々が家畜をヨセフのところに連れて来ると、ヨセフは、馬や、羊や牛の群れやろばと引き換えに食糧を与えました。ヨセフはこうして、その年、すべての家畜と引き換えに人々に食糧を分け与えたのです。その年も終わり、次の年になると、人々はまたヨセフのところに来て、言いました。「御主君には、何もかも隠さずに申し上げます。銀はすっかりなくなり、家畜の群れも御主君のものとなって、御覧のように残っているのは、わたしどもの体と農地だけです。どうしてあなたさまの前で、わたしどもと農地が滅んでしまってよいでしょうか。食糧と引き換えに、わたしどもと土地を買い上げてください。わたしどもは農地とともに、ファラオの奴隷になります。種をお与えください。そうすれば、わたしどもは死なずに生きることができ、農地も荒れ果てないでしょう」。ここでは、人々が自ら、土地を買い上げ、ファラオの奴隷にしてくださいと願い出ております。それが、人々に考えられる、自分たちが死なずに生きることのできる、また農地も荒れ果てない唯一の道であったのです。ヨセフはこの人々の言葉を受け入れ、エジプト中のすべての農地をファラオのために買い上げました。飢饉が激しくなったので、エジプト人は皆自分の畑を売ったからです。土地はこうしてファラオのものとなりました。また、民については、エジプト領の端から端まで、ヨセフが彼らを奴隷にしました。ただし、祭司の農地だけは買い上げませんでした。なぜなら、祭司にはファラオからの給与があって、ファラオが与える給与で生活していたので、農地を売らなかったからです。

 ヨセフは民にこう言いました。「よいか、お前たちは今日、農地とともにファラオに買い取られたのだ。さあ、ここに種があるから、畑に蒔きなさい。収穫の時には、五分の一をファラオに納め、五分の四はお前たちのものとするがよい。それを畑に蒔く種にしたり、お前たちや家族の者の食糧とし、子供たちの食糧としなさい」。このヨセフの言葉を読みますと、もうそろそろ飢饉は終わりを迎えるようでありますね。ヨセフは七年の大豊作が続いた後に、七年の大飢饉が来ることをファラオの夢を解き明かすことによって知っておりましたが、その七年の大飢饉もそろそろ終わりであったようです。それゆえ、ヨセフは、種を畑に蒔くようにと言うのです。そして、収穫の時に、五分の一をファラオに納め、五分の四を自分たちのものとするがよいと言うのであります。これは、いわば年貢、小作料であります。収穫の五分の一、20パーセントという割合は、当時としては低い割合であったようです。

 このヨセフの言葉を受けて、民はこう言いました。「あなたさまはわたしどもの命の恩人です。御主君の御厚意によって、わたしどもはファラオの奴隷にさせていただきます」。私たちは、奴隷制が廃止された社会に生きておりますから、奴隷にされることは悪いこと、悲しむべきことと考えがちであります。しかし、民は、ここでファラオの奴隷にされたことを感謝しているのです。なぜなら、ファラオの奴隷にしていただく他は、彼らに生きる道がなかったからです。そもそも、ファラオの奴隷になることは、彼らが自ら願い出たことでありました。もし、ヨセフが、あなたたちをファラオの奴隷にしないと言ったならば、彼らは飢え死にするしかなかったのです。ですから、彼らはまさしくヨセフの御厚意によって、ヨセフから恵みをいただいて、ファラオの奴隷にさせていただいたのです。このようにして、ヨセフは、エジプト中の銀と家畜、土地と民をすべてファラオのものとしたのであります。そして、同時に、多くの人の命の恩人となったのです。

 前回、私たちは、ヤコブがファラオを祝福したお話を読みましたが、ヤコブの祝福は、その息子ヨセフを通して、ファラオに豊かに与えられるのです。また、ヨセフは、かつて兄たちに、「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生きながらえさせて、大いなる救いに至らせるためです」と語りましたが、ヨセフは、多くの人をファラオの奴隷とすることにより、多くの人の命を生きながらえさせるのです。ヨセフは、自分について、「神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださった」と語りましたが、その手腕は優れたものでありました。ヨセフは、ファラオの宮廷に莫大な利益をもたらし、さらには、エジプト人を治める者として、民を死なせることなく生きながらえさせたのです。

 26節に、「ヨセフはこのように、収穫の五分の一をファラオに納めることを、エジプトの農業の定めとした。それは今日まで続いている。ただし、祭司の農地だけはファラオのものにならなかった」とあります。実は、これまでも、ファラオが収穫の五分の一を納めさせることはあったのです。ヨセフは、ファラオの夢を解き明かした際に、41章33節以下で、こう言っておりました。「このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。そうすれば、その食糧がエジプトの国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう」。このように、民は、豊作の七年の間、収穫の五分の一をファラオに納めていたのです。ヨセフが銀と引き換えに、また家畜と引き換えに民に与えた食糧は、もともとは民から徴収した食糧であったのです。それゆえ、ファラオにしてみれば、ただで、多くの銀と家畜、さらには土地と民を自分のものとすることができたわけであります。また、民にとっても、豊作の時に収穫の五分の一を納めておりましたから、奴隷になったからといって、納める負担が増えたわけではないのです。では、奴隷になる前と奴隷になった後では何が変わったのかと言えば、それは、収穫の五分の一をファラオに納めることが、エジプトの農業の定めとなったということであります。そして、その定めは、この創世記が編集された時にも行われていたのです。

 私たちは、今夕の御言葉からヨセフが聡明で知恵のある人物であったことを教えられます。ヨセフは今夕の御言葉で、違法なことは何一つしていません。ヨセフは合法的に、ファラオに莫大な利益をもたらし、なおかつ、エジプトの多くの人の命を生きながらえさせたのです。このようにして、エジプトにおけるヨセフの支配は、盤石なものとなるのです。そして、エジプトにおけるヨセフの支配が盤石になってこそ、そのヨセフに養われているイスラエルは、エジプトの国、ゴシェンの地域で子を産み、大いに数を増すことができたのです。

 今夕の御言葉に、「祭司の農地だけはファラオのものにならなかった」とあります。祭司は、ファラオからの給与があって、農地を売る必要がなかったからです。ですから、祭司はファラオの奴隷とならなかったわけです。ここで思い起こすべきは、ヨセフが祭司の娘と結婚していたということです。ですから、当然、ヨセフもファラオの奴隷になりませんでした。そして、そのヨセフに養われていたヤコブの一族もファラオの奴隷にはならなかったわけです。後に、イスラエルはエジプト人の奴隷となりますが、しかし、ヨセフが生きている間は、自由な者として子を産み、大いに数を増すことができたのです。かつて、神様は、ベエル・シェバで、ヤコブにこう言われました。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。わたしはあなたをそこで大いなる国民にする」。この神様の約束は、ヨセフの盤石な支配のもとで実現してゆくのです。私たちも同じでありますね。私たちも命の恩人である主イエスの御支配のもとにあるときだけ、神の民としての祝福を受けることができるのです。

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