身を明かすヨセフ 2014年3月02日(日曜 夕方の礼拝)

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身を明かすヨセフ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 45章1節~15節

聖句のアイコン聖書の言葉

45:1 ヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫んだ。だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かした。
45:2 ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった。
45:3 ヨセフは、兄弟たちに言った。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。」兄弟たちはヨセフの前で驚きのあまり、答えることができなかった。
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか、もっと近寄ってください。」兄弟たちがそばへ近づくと、ヨセフはまた言った。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。
45:5 しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。
45:6 この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。
45:7 神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。
45:8 わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです。
45:9 急いで父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわずに、わたしのところへおいでください。
45:10 そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます。
45:11 そこでのお世話は、わたしがお引き受けいたします。まだ五年間は飢饉が続くのですから、父上も家族も、そのほかすべてのものも、困ることのないようになさらなければいけません。』
45:12 さあ、お兄さんたちも、弟のベニヤミンも、自分の目で見てください。ほかならぬわたしがあなたたちに言っているのです。
45:13 エジプトでわたしが受けているすべての栄誉と、あなたたちが見たすべてのことを父上に話してください。そして、急いで父上をここへ連れて来てください。」
45:14 ヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンもヨセフの首を抱いて泣いた。
45:15 ヨセフは兄弟たち皆に口づけし、彼らを抱いて泣いた。その後、兄弟たちはヨセフと語り合った。創世記 45章1節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は、創世記45章1節から15節より御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 ユダの嘆願を聞いたヨセフは、そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくなり、「みんな、ここから出て行ってくれ」と叫びました。そして、だれもそばにいなくなってから、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かしたのです。ヨセフは、そばで仕えている者に席をはずさせることによって、エジプトの総理大臣としてではなく、弟のヨセフとして兄弟たちと再会したのです。ヨセフが兄弟たちに自分の身を明かしたことは、3節から15節までに詳しく記されています。また、2節に、「ヨセフは、声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、ファラオの宮廷にも伝わった」とありますが、このことについては、16節以下に詳しく記されています。今夕は、3節から15節に記されているヨセフが兄弟たちに身を明かしたことをご一緒に見ていきたいと思います。

 そばで仕えているものが誰もいなくなった後で、ヨセフは、兄弟たちにこういいました。「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか」。ヨセフはこれまで、エジプトの総理大臣として、兄弟たちと接しておりましたが、ここで自分が弟のヨセフであることを明かします。これまで、ヨセフは通訳をとおして、エジプトの言葉で語っておりましたが、このときは、直接、ヘブライ語で、兄弟たちに語りかけたのです。また、新共同訳聖書は訳出していませんが、元の言葉を見ると、「お父さん」の前に「わたしの」という言葉が記されています。ヨセフは、これまで、「あなたがたの父」について兄弟たちに尋ねてきましたが、ここでは、「わたしのお父さんはまだ生きておられますか」と問うているのです。このことは、ヨセフが、ユダの語った父についての言葉に、特に、心揺さぶられたことを教えております。ユダは、父ヤコブの言葉として、こう言っておりました。27節から29節までをお読みします。

 「すると、あなたさまの僕である父は、『お前たちも知っているように、わたしの妻は二人の息子を産んだ。ところが、そのうちの一人はわたしのところから出て行ったきりだ。きっとかみ裂かれてしまったと思うが、それ以来、会っていない。それなのに、お前たちはこの子までも、わたしから取り上げようとする。もしも、何か不幸なことがこの子の身に起こりでもしたら、お前たちはこの白髪の父を、苦しめて陰府に下らせることになるのだ』と申しました。」

 ここで、ヨセフは、父ヤコブの自分への思いを初めて耳にするわけです。ヨセフは、父ヤコブが自分に会いたがっていることを知るわけであります。それで、ヨセフは、身を明かした後で、改めて、「わたしのお父さんはまだ生きておられますか」と尋ねたのです。兄弟たちは、ヨセフの前で驚きのあまり、答えることができませんでした。エジプトの主君である人が、弟のヨセフであるとはとても信じられなかったのです。それで、ヨセフは兄弟たちに、「どうか、もっと近寄ってください」と言うのです。おそらく、兄たちは、エジプトの総理大臣がヨセフであることを知って、恐れを抱いたのではないかと思います。兄たちは、ヨセフが自分たちに復讐をするのではないかと恐れたのです。その恐れを取り除くために、ヨセフは、「もっと、近寄ってください」と言い、さらには、こう言うのです。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」。ヨセフは、兄たちが自分にしたことをはっきりと語ります。しかし、それは彼らを罪に定め、罰するためではありません。そうではなくて、その罪を赦すためであるのです。かつて、兄たちは、弟のヨセフを奴隷として売ったことで、悔やんだり、責め合ったりしたことがありました。それは、兄たちが初めてエジプトを訪れたとき、回し者として牢獄に監禁されたときであります。42章21節、22節にこう記されています。

 (兄たちは)互いに言った。「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった。」すると、ルベンが答えた。「あのときわたしは、『あの子に悪いことをするな』と言ったではないか。お前たちは耳を貸そうともしなかった。だから、あの子の血の報いを受けるのだ。」

 このように、兄たちは、自分たちがヨセフにしたことで、悔やんだり、責め合ったりしたのですが、そのようなことをする必要はないとヨセフは言うのです。なぜなら、命を救うために、神さまがヨセフを兄たちより先にエジプトへ遣わしたからです。ここにあるのは、すべてのことを神さまが導いておられるという摂理の御業の信仰です。ウェストミンスター小教理問答は、摂理の御業について次のように告白しています。「摂理の御業とは、神が、最もきよく、賢く、力強く、すべての被造物とそのあらゆる動きを保ち、治めておられることです」。ヨセフは、兄たちが自分をエジプトへ売ったことに、神さまの摂理の御業を見てとっているのです。

 続けてヨセフはこう語ります。6節から。「この二年の間、世界中に飢饉が襲っていますが、まだこれから五年間は、耕すこともなく、収穫もないでしょう。神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神が、わたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジプト全国を治める者としてくださったのです」。41章にヨセフが、ファラオの夢を解き明かしたお話が記されておりました。そのファラオの夢の解き明かしによれば、七年間の大豊作のあとに、七年間の大飢饉があるということでありました。今は、大飢饉の二年目であり、あと五年間は、大飢饉は続くのです。しかし、エジプトに食糧があるのは、大飢饉に先立つ大豊作のときに、食糧を蓄えておいたからでありました。そのようにして、神さまは多くの人々の命を、またヤコブの一族の命を救おうと計画されたのです。それゆえ、ヨセフは、「神がわたしをあなたたちより先に遣わしたのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです」と語るのです。もし、ヨセフが先に、エジプトに遣わされていなかったらどうなっていたでしょうか?ヨセフがエジプトに遣わされていなかったら、エジプトに大量の食糧が備蓄されることもなく、多くの人々が餓死したはずです。また、ヤコブの一族も飢え死にしたはずであります。そうしますと、アブラハムに与えられた神さまの約束も実現しないことになってしまうわけです。神さまはヤコブの祖父であるアブラハムにこう言われておりました。「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る」(12:2,3)。もし、ヤコブの一族が飢え死にしてしまうようなことがあれば、その子孫であるイエス・キリストもお生まれにならなかったことになります。しかし、神さまは、ヨセフをエジプトに遣わすことによって、ヤコブの一族を生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるようにされたのです。

 ここでヨセフは、自分をエジプトへ遣わしたのは、兄たちではなく神さまであると何度も繰り返して語っております(5、7、8節)。先程、私は、ここに、神さまがすべてのことを保ち、導いておられるという摂理の御業への信仰があると申しましたが、この摂理の御業への信仰のゆえに、ヨセフは兄たちが自分にしたことを赦すことができたのです。また、ヨセフは、兄たちが自分にしたことを、悔やんだり、責め合ったりする必要がないことの理由として、兄たちの背後に働いて、力強く歴史を導いておられる神さまの御業を語るのです。すべてのことを最善へと導いてくださる神さまにあって、ヨセフは兄たちを赦すことができたのです。

 さらにヨセフは兄弟たちにこう語ります。9節から。「急いで、父上のもとへ帰って、伝えてください。『息子のヨセフがこう言っています。神が、わたしを全エジプトの主としてくださいました。ためらわず、わたしのところへおいでください。そして、ゴシェンの地域に住んでください。そうすればあなたも、息子も孫も、羊や牛の群れも、そのほかすべてのものも、わたしの近くで暮らすことができます。そこでのお世話は、わたしがお引受けいたします。まだ五年間は飢饉が続くのですから、父上も家族も、そのほかすべてのものも、困ることのないようになさらねばいけません。』」ここでヨセフは、兄たちを父ヤコブのもとへ遣わすにあたって、語るべき言葉を授けています。ここでも、神さまがヨセフをエジプトの主としてくださったことが第一に語られます。そして、ヨセフは、父ヤコブとその一族がエジプトに移り住むようにと言うのです。ヨセフは、なお五年間は飢饉が続くことを語り、そこでのお世話はわたしが引き受けると申し出るのです。このように父ヤコブへの伝言を述べた後で、まだ信じられない兄たちに、また弟のベニヤミンに、自分をよく見るように、これを語っているのは、他ならぬヨセフであり、そのヨセフはエジプトの総理大臣であることを確認させ、急いで父ヤコブを連れてくるようにと言うのです。

 ヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣きました。ベニヤミンもヨセフの首を抱いて泣きました。ベニヤミンは同じ母ラケルから生まれた兄弟であり、ヨセフを奴隷として売ったことに関与しておりませんから、二人の間には何のわだかまりもありません。ヨセフとベニヤミンは首を抱いて、互いに涙を流し、再会を喜んだのです。また、ヨセフは、兄弟たち皆に口づけし、彼らを抱いて泣きました。この涙は、ヨセフが兄たちを心から赦していることのしるしであります。そして、その後、兄弟たちはヨセフと語りあったのです。兄弟たちは、これまでもヨセフと通訳をとおして、エジプトの総理大臣として言葉を交わしてきましたが、ここでは、兄弟として互いに語り合ったのです。37章4節に、「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」とありましたけれども、ようやく、兄たちはヨセフと穏やかに、平和に、語ることができるようになったのです。このようにして、ヨセフは兄たちと和解することができたのであります。ヨセフと兄たちは、すべてのことを導いて最善をなしてくださる神さまにあって、語り合うことができる者たちとされたのです。

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