銀の杯 2014年1月12日(日曜 夕方の礼拝)

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銀の杯

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 44章1節~17節

聖句のアイコン聖書の言葉

44:1 ヨセフは執事に命じた。「あの人たちの袋を、運べるかぎり多くの食糧でいっぱいにし、めいめいの銀をそれぞれの袋の口のところへ入れておけ。
44:2 それから、わたしの杯、あの銀の杯を、いちばん年下の者の袋の口に、穀物の代金の銀と一緒に入れておきなさい。」執事はヨセフが命じたとおりにした。
44:3 次の朝、辺りが明るくなったころ、一行は見送りを受け、ろばと共に出発した。
44:4 ところが、町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは執事に命じた。「すぐに、あの人たちを追いかけ、追いついたら彼らに言いなさい。『どうして、お前たちは悪をもって善に報いるのだ。
44:5 あの銀の杯は、わたしの主人が飲むときや占いのときに、お使いになるものではないか。よくもこんな悪いことができたものだ。』」
44:6 執事は彼らに追いつくと、そのとおりに言った。
44:7 すると、彼らは言った。「御主人様、どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。僕どもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。
44:8 袋の口で見つけた銀でさえ、わたしどもはカナンの地から持ち帰って、御主人様にお返ししたではありませんか。そのわたしどもがどうして、あなたの御主君のお屋敷から銀や金を盗んだりするでしょうか。
44:9 僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかのわたしどもも皆、御主人様の奴隷になります。」
44:10 すると、執事は言った。「今度もお前たちが言うとおりならよいが。だれであっても、杯が見つかれば、その者はわたしの奴隷にならねばならない。ほかの者には罪は無い。」
44:11 彼らは急いで自分の袋を地面に降ろし、めいめいで袋を開けた。
44:12 執事が年上の者から念入りに調べ始め、いちばん最後に年下の者になったとき、ベニヤミンの袋の中から杯が見つかった。
44:13 彼らは衣を引き裂き、めいめい自分のろばに荷を積むと、町へ引き返した。
44:14 ユダと兄弟たちがヨセフの屋敷に入って行くと、ヨセフはまだそこにいた。一同は彼の前で地にひれ伏した。
44:15 「お前たちのしたこの仕業は何事か。わたしのような者は占い当てることを知らないのか」とヨセフが言うと、
44:16 ユダが答えた。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります。」
44:17 ヨセフは言った。「そんなことは全く考えていない。ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい。」創世記 44章1節~17節

原稿のアイコンメッセージ

 前回学びました43章には、兄弟たちが再びエジプトへ下っていったことが記されておりました。兄弟たちはエジプトの宰相がヨセフであることを知りませんでしたが、兄弟たちはヨセフと共に酒宴を楽しんだのでありました。今夕の御言葉はその続きであります。

 ヨセフは執事に命じてこう言いました。「あの人たちの袋を、運べるかぎり多くの食糧でいっぱいにし、めいめいの銀をそれぞれの袋の口のところへ入れておけ。それから、わたしの杯、あの銀の杯を、いちばん年下の者の袋の口に、穀物の代金の銀と一緒に入れておきなさい」。執事はヨセフが命じたとおりにしました。次の朝早く、辺りが明るくなったころ、一行は見送りを受けて、ろばと共に出発しました。このとき、兄弟たちは安心して出発したと思います。彼らは父ヤコブのために食糧を買い、シメオンとベニヤミンと一緒に帰ることができたからです。ところが、町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは執事にこう命じました。「すぐに、あの人たちを追いかけ、追いついたら彼らに言いなさい。『どうして、お前たちは悪をもって善に報いるのだ。あの銀の杯は、わたしの主人が飲むときや占いのときに、お使いになるものではないか。よくもこんな悪いことができたものだ』」。執事は、彼らに追いつくと、そのとおりに言いました。すると、兄弟たちはこう言いました。「御主人様、どうしてそのようなことをおっしゃるのですか。僕どもがそんなことをするなどとは、とんでもないことです。袋の口で見つけた銀でさえ、わたしどもはカナンの地から持ち帰って、御主人様にお返ししたではありませんか。そのわたしどもがどうして、あなたの御主君のお屋敷から銀や金を盗んだりするでしょうか。僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかのわたしどもも皆、御主人様の奴隷になります」。このようなやり取りを、私たちはかつて読んだことがあります。それは31章に記されていたラバンとヤコブのやりとりであります。31章30節から32節までをお読みします。

 「父の家が恋しくて去るのなら、去ってもよい。しかし、なぜわたしの守り神を盗んだのか。」ヤコブはラバンに答えた。「わたしは、あなたが娘たちをわたしから奪い取るのではないかと思って恐れただけです。もし、あなたの守り神がだれかのところで見つかれば、その者を生かしてはおきません。我々一同の前で、わたしのところにあなたのものがあるかどうか調べて、取り戻してください。」ヤコブは、ラケルがそれを盗んでいたことを知らなかったのである。

 ここではラバンは守り神が盗まれたと言っていますが、今夕の御言葉で盗まれたとされる「銀の杯」も占いに使う神聖なものでありました。このような神聖なものを盗むことは死刑に値する大きな罪であったのです。ヤコブは、ラケルがそれを盗んだことを知りませんでしたから、「もし、あなたの守り神がだれかのところで見つかれば、その者を生かしておきません」と答えたのです。そして、ヤコブの息子たちである兄弟たちも、今夕の御言葉で、自分たちは盗んでいないわけですから、「僕どもの中のだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかのわたしどもも皆、御主人の奴隷になります」と言ったのです。ここで、彼らは、杯を盗んだ者だけを死罪に定めるだけではなく、他の者も連帯責任として奴隷になると言うのです。彼らは、かつて自分たちが袋の中で見つけた銀でさえも、カナンの地から持ち帰って返したという過去の事実に訴えて、自分たちが盗人ではないと言い。そのことの保証として、もし、誰からでも杯が見つかれば、その者は死罪に、他の者も皆、奴隷になってもよいと誓うのです。すると、執事はこう言いました。「今度もお前たちが言うとおりならよいが。だれであっても、杯が見つかれば、その者はわたしの奴隷にならねばならない。他の者には罪は無い。」この執事はなかなかの役者であります。なぜなら、この執事がヨセフに言われたとおり、銀の杯をいちばん年下の者の袋の口に入れたからです。兄弟たちは「僕どもの中からだれからでも杯が見つかれば、その者は死罪に、ほかのわたしどもも皆、御主人様の奴隷になります」と言いましたが、執事はそれを緩めて、「だれであっても、杯が見つかれば、その者はわたしの奴隷にならねばならない。他の者には罪は無い」と言いました。これも、ヨセフが言うようにと命じたことであったのでしょう。つまり、ヨセフの目的は、自分と同じ母親から生まれたベニヤミンを自分の側に置くことであったのです。

 彼らは急いで自分の袋を地面に降ろし、めいめいで袋を開けました。執事が年下の者から念入りに調べ始め、いちばん最後に年下の者になったとき、ベニヤミンの袋の中から杯が見つかりました。執事は、いちばん年下の者の袋に杯が入っているのを知っているにもかかわらず、年長の者から始め、最後に年下のベニヤミンの袋を調べたのです。そして、ベニヤミンの袋の中から、銀の杯が見つかったのです。このことで兄たちは衣を引き裂きました。衣を引き裂くとは、強い感情を表わす一つのジェスチャーであります。37章に、父ヤコブがヨセフの血に染まった晴れ着を見て、衣を引き裂いたことが記されておりましたが、その父ヤコブのように、兄弟たちは、ベニヤミンの袋から杯が見つかったとき、衣を引き裂いたのです。兄弟たちは、めいめい自分のろばに荷を積むと、町へ引き返しました。ユダと兄弟たちがヨセフの屋敷に入って行くと、ヨセフはまだそこにいました。一同は彼の前でひれ伏しましたが、これは以前とは違います。以前は食糧を買うために敬意を表してひれ伏したのですが、今度は、裁かれる者としての恐れを持ってひれ伏すのです。ヨセフはこう言いました。「お前たちのしたこの仕業は何事か。わたしのような者は占い当てることを知らないのか」。このヨセフの言葉から、ヨセフが占いをしていたと考える必要はありません。ヨセフはエジプト人になりきっているだけであり、このように言うことによって、兄弟たちが杯を持っていることを神の力によって見抜いたことをほのめかしているのです。このヨセフの言葉を受けて、ユダは、兄弟たちを代表してこう答えました。「御主君に何と申し開きできましょう。今更どう言えば、わたしどもの身の証しを立てることができましょう。神が僕どもの罪を暴かれたのです。この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります」。ベニヤミンの袋の中から杯が見つかった以上、弁解の余地はないわけですが、ここでユダは、「神が僕どもの罪を暴かれたのです」と言っております。これは、直前のヨセフの言葉、「わたしのような者は占い当てることを知らないのか」という言葉に対応する言葉として読むことができます。そうすると、この罪は、彼らが銀の杯を盗んだという罪であると理解することができます。しかし、それだけではないと思います。と言いますのも、最初にエジプトに下ったとき、牢獄に監禁された兄たちは互いにこう言っていたからです。「ああ、我々は弟のことで罰を受けているのだ。弟が我々に助けを求めたとき、あれほどの苦しみを見ながら、耳を貸そうともしなかった。それで、この苦しみが我々にふりかかった」。この彼らの言葉とのつながりで、「神が僕どもの罪を暴かれたのです」という言葉を読むとき、その「罪」とは弟ヨセフの苦しみを見ながら耳を貸そうともせず、エジプトに奴隷として売ってしまった罪であることが分かるのです。兄たちは食糧を買い、シメオンとベニヤミンと共に父の家に出発したとき、おそらく、この罪のことを忘れていたと思います。彼らは、自分たちが回し者と疑われ、監禁され、処刑されてしまうかも知れない危機的状況において、かつて自分たちが犯した罪のことを思い起こしました。しかし、エジプトで賓客としてもてなされ、すべてがうまくいっていると思われたときには、兄たちは自分たちが犯した罪を忘れていたのです。しかし、ベニヤミンの袋の中から杯が見つかったとき、彼らは、かつての執事の言葉を思い起こしのではないでしょうか?かつて執事は、戻されていた銀のことで動揺する兄たちにこう言いました。「きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう」。この言葉のとおり、神さまはベニヤミンの袋の中に銀の杯を入れることにより、兄たちの罪、ヨセフをエジプトに奴隷として売った罪を暴かれたのです。

 兄たちは、「この上は、わたしどもも、杯が見つかった者と共に、御主君の奴隷になります」と言うのですが、ヨセフはこう言いました。「そんなことは全く考えていない。ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい」。ヨセフの目的、それは先程も申しましたように、同じ母親から生まれたベニヤミンを自分の側に置くことであります。しかし、それだけではありません。ここでヨセフは兄たちを試しているのです。かつて、ヨセフは、兄たちに、「末の弟を連れて来ることによって、おまえたちが正直な人間かどうかを試す」と言いました。そして、兄たちは、末の弟を連れて来ることによって、自分たちが回し者ではないことを証明したわけです。けれども、ヨセフは最初から彼らが回し者でないことを知っていました。ヨセフは、彼らが十二人の兄弟で、末に弟がいることは知っていたのです。ヨセフが本当に兄たちを試すのは、かつてと同じ状況を作り出すことによってであるのです。末の弟であるベニヤミンを奴隷として、自分たちは穀物と銀をもって帰って行く。これは、兄たちがヨセフを奴隷として売ったときと同じです。ヨセフは、「ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい」と言いました。ここで「安心」と訳されている言葉は、「平和」とか「平安」と訳されるシャロームであります。弟のベニヤミンを奴隷として残し、あなたたちは安心して、父のもとへ帰りなさいとヨセフは言ったのです。そして、かつての兄たちは、ヨセフを奴隷として売った後、アリバイ工作をして、安心して父のもとへ帰って行ったわけです。今度はどうであろうか?そのことをヨセフは知りたいのです。

 なぜ、ヨセフはこのような回りくどいことをするのでしょうか?それは、ヨセフの中に、兄たちを赦したいという気持ちがあったからだと思います。ヨセフは、カナンから食糧を買いに来た兄たちを見たとき、驚いたと思います。また、彼らから同じ母から生まれたベニヤミンについて聞く中で、ベニヤミンに会いたいという思いを強くしたと思います。しかし、自分が兄たちにどのような態度を取ればよいのかを決めかねていたのではないでしょうか?そのようなとき、ヨセフは、兄弟たちが自分に対して犯した罪の告白を聞くわけですね。これを聞いて、ヨセフは彼らから遠ざかり泣いたと記されております。私は、このあたりからヨセフの気持ちが、兄たちを赦したいという気持ちに変わっていったのではないかと思うのです。ヨセフは、エジプトの宰相であり、権力者です。ヨセフが兄たちに復讐をしようと思えば、いくらでもできます。かつての自分と同じように、エジプトの奴隷にすることもできたのです。しかし、あえて、ヨセフは、杯を弟であるベニヤミンの袋に入れ、兄たちを自由の身にして帰らせようとするのです。そのようにして、かつて自分をエジプトに奴隷として売った兄たちがどのように振る舞うかを試すのであります。

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