ファラオの夢を解くヨセフ 2013年10月20日(日曜 夕方の礼拝)

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ファラオの夢を解くヨセフ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 41章1節~36節

聖句のアイコン聖書の言葉

41:1 二年の後、ファラオは夢を見た。ナイル川のほとりに立っていると、
41:2 突然、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。
41:3 すると、その後から、今度は醜い、やせ細った七頭の雌牛が川から上がって来て、岸辺にいる雌牛のそばに立った。
41:4 そして、醜い、やせ細った雌牛が、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。ファラオは、そこで目が覚めた。
41:5 ファラオがまた眠ると、再び夢を見た。今度は、太って、よく実った七つの穂が、一本の茎から出てきた。
41:6 すると、その後から、実が入っていない、東風で干からびた七つの穂が生えてきて、
41:7 実の入っていない穂が、太って、実の入った七つの穂をのみ込んでしまった。ファラオは、そこで目が覚めた。それは夢であった。
41:8 朝になって、ファラオはひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話した。しかし、ファラオに解き明かすことができる者はいなかった。
41:9 そのとき、例の給仕役の長がファラオに申し出た。「わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。
41:10 かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄にわたしと料理役の長を入れられたとき、
41:11 同じ夜に、わたしたちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。
41:12 そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話をしたところ、わたしたちの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。
41:13 そしてまさしく、解き明かしたとおりになって、わたしは元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました。」
41:14 そこで、ファラオはヨセフを呼びにやった。ヨセフは直ちに牢屋から連れ出され、散髪をし着物を着替えてから、ファラオの前に出た。
41:15 ファラオはヨセフに言った。「わたしは夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが。」
41:16 ヨセフはファラオに答えた。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです。」
41:17 ファラオはヨセフに話した。「夢の中で、わたしがナイル川の岸に立っていると、
41:18 突然、よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。
41:19 すると、その後から、今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。あれほどひどいのは、エジプトでは見たことがない。
41:20 そして、そのやせた、醜い雌牛が、初めのよく肥えた七頭の雌牛を食い尽くしてしまった。
41:21 ところが、確かに腹の中に入れたのに、腹の中に入れたことがまるで分からないほど、最初と同じように醜いままなのだ。わたしは、そこで目が覚めた。
41:22 それからまた、夢の中でわたしは見たのだが、今度は、とてもよく実の入った七つの穂が一本の茎から出てきた。
41:23 すると、その後から、やせ細り、実が入っておらず、東風で干からびた七つの穂が生えてきた。
41:24 そして、実の入っていないその穂が、よく実った七つの穂をのみ込んでしまった。わたしは魔術師たちに話したが、その意味を告げうる者は一人もいなかった。」
41:25 ヨセフはファラオに言った。「ファラオの夢は、どちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。
41:26 七頭のよく育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。
41:27 その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。
41:28 これは、先程ファラオに申し上げましたように、神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。
41:29 今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。
41:30 しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。
41:31 この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。
41:32 ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです。
41:33 このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、
41:34 また、国中に監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴収なさいますように。
41:35 このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。
41:36 そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう。」創世記 41章1節~36節

原稿のアイコンメッセージ

 前回私たちは、監獄において、ヨセフが給仕役と料理役の夢を解き明かしたお話を学びました。ヨセフは給仕役の夢を解き明かした際に、「ついては、あなたがたそのような幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください」と願いました。しかし、給仕役の長は、給仕の職に復帰すると、ヨセフのことを思い出さず忘れてしまったのです。

 それから二年の後、エジプトの王ファラオは夢を見ました。ナイル川のほとりに立っていると、突然、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛が川から上がって来て、葦辺で草を食べ始めた。すると、その後から、今度は醜い、やせ細った七頭の雌牛が川から上がって来て、岸辺にいる雌牛のそばに立った。そして、醜い、やせ細った雌牛が、つややかな、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。ファラオはそこで目を覚ましました。

 ファラオがまた眠ると、再び夢を見ました。今度は、太ってよく実った七つの穂が、一本の茎から出てきた。すると、その後から、実が入っていない、東風で干からびた七つの穂が生えてきて、実の入っていない穂が、太って、実の入った七つの穂をのみ込んでしまった。ファラオはそこで目を覚ましました。

 朝になって、ファラオはこの夢のためにひどく心が騒ぎ、エジプト中の魔術師と賢者をすべて呼び集めさせ、自分の見た夢を彼らに話しました。しかし、ファラオに解き明かすことができる者は誰もいなかったのです。夢を解き明かすことを専門とする魔術師や賢者でも、ファラオの夢を解き明かすことはできなかったのであります。そのとき、例の給仕役の長が、ファラオにこう申し出るのです。「わたしは、今日になって自分の過ちを思い出しました。かつてファラオが僕どもについて憤られて、侍従長の家にある牢獄にわたしと料理役の長を入れられたとき、同じ夜に、わたしたちはそれぞれ夢を見たのですが、そのどちらにも意味が隠されていました。そこには、侍従長に仕えていたヘブライ人の若者がおりまして、彼に話したところ、わたしの夢を解き明かし、それぞれ、その夢に応じて解き明かしたのです。そしてまさしく、解き明かしたとおりになって、わたしは元の職務に復帰することを許され、彼は木にかけられました」。給仕役の長は、ファラオの夢を誰も解き明かせないという状況において、ヨセフのことを思い出したのでありました。そして、それは神さまがヨセフのために定めておられた最も良い時であったのです。

 そこで、ファラオはヨセフを呼びにやりました。ヨセフは直ちに牢屋から連れ出され、散髪をし着物を着替えてから、ファラオの前に出たのです。ファラオはヨセフにこう言いました。「わたしは夢を見たのだが、それを解き明かす者がいない。聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが」。するとヨセフはこう答えました。「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです」。ここでヨセフは、夢の解き明かしを引き受けますが、その栄誉は神さまに帰しております。そして、ここにヨセフが夢をどのようなものと考えていたかが良く表れています。すなわち、神さまは、ファラオに、夢によってこれから起こることを示されたのです。そして、ここにエジプト中の魔術師と賢者が、ファラオの夢を解き明かすことのできなかった理由があるのです。神さまの啓示とも言える夢は、神さまの霊によってのみ、解き明かすことができるのです。ファラオは、ヨセフの「神がファラオの幸いについて告げられるのです」という言葉に促されて、自分の見た夢について話し出します。「夢の中で、わたしがナイル川の岸に立っていると、突然、よく肥えて、つややかな七頭の雌牛が川から上がって来て、芦辺で草を食べ始めた。すると、その後から、今度は貧弱で、とても醜い、やせた七頭の雌牛が上がって来た。あれほどひどいのは、エジプトでは見たことがない。そして、そのやせた、醜い雌牛が初めのよく肥えた七頭の雌牛食い尽くしてしまった。ところが、確かに腹の中に入れたのに、腹の中に入れたことがまるで分からないほど、最初と同じように醜いままなのだ。わたしはそこで目が覚めた。それからまた、夢の中でわたしは見たのだが、今度は、とてもよく実の入った七つの穂が一本の茎から出てきた。すると、その後から、やせ細り、実が入っておらず、東風で干からびた七つの穂が生えてきた。そして、実の入っていないその穂が、よく実った七つの穂をのみ込んでしまった。わたしは魔術師たちに話したが、その意味を告げうる者は一人もいなかった」。このようなファラオの夢を聞きまして、ヨセフはこう言いました。「ファラオの夢はどちらも同じ意味でございます。神がこれからなさろうとしていることを、ファラオにお告げになったのです。七頭の良く育った雌牛は七年のことです。七つのよく実った穂も七年のことです。どちらの夢も同じ意味でございます。その後から上がって来た七頭のやせた、醜い雌牛も七年のことです。また、やせて、東風で干からびた七つの穂も同じで、これらは七年の飢饉のことです。これは先程ファラオに申し上げましたように、神がこれらからなさろうとしていることを、ファラオにお示しになったのです。今から七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。しかし、その後に七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられてしまうでしょう。飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。この国に豊作があったことは、その後に続く飢饉のために全く忘れられてしまうでしょう。飢饉はそれほどひどいのです。ファラオが夢を二度も重ねて見られたのは、神がこのことを既に決定しておられ、神が間もなく実行されようとしておられるからです」。この32節までが、ファラオの夢の解き明かしであります。ヨセフは、「神がファラオの幸いについて告げられるのです」と言いましたが、このヨセフの夢の解き明かしを聞いて、ここにファラオの幸いについて語られていると思うでしょうか?ヨセフがここで強調して告げているのは、国を滅ぼすようなひどい飢饉が続くということです。このことだけを考えるならば、この夢はファラオの幸いについて告げる夢とは言えません。しかし、この夢がファラオの幸いについて告げる夢となるのは、そのようなひどい飢饉に対して、対策を講じるからであるのです。ヨセフは、33節以下で、ファラオに次のように進言します。「このような次第ですから、ファラオは今すぐ、聡明で知恵のある人物をお見つけになって、エジプトの国を治めさせ、また、国中の監督官をお立てになり、豊作の七年の間、エジプトの国の産物の五分の一を徴集なさいますように。このようにして、これから訪れる豊年の間に食糧をできるかぎり集めさせ、町々の食糧となる穀物をファラオの管理の下に蓄え、保管させるのです。そうすれば、その食糧がエジプトの国を襲う七年の飢饉に対する国の備蓄となり、飢饉によって国が滅びることはないでしょう」。ここでヨセフは、単に夢を解き明かすだけではなくて、まるで王の側近のように、どうのようにすべきかを進言しております。七年の豊作に続いて七年の飢饉が来る。しかもそれは豊作を忘れさせ国を滅ぼすほどの飢饉である。このことを知ったとしても、何もしなければ、それは「神がファラオの幸いについて告げている」とは言えません。しかし、その飢饉を乗り越えるための対策を講じるならば、それは「神がファラオの幸いについて告げている」と言えるのです。そもそも、神さまがこれからなさろうとしていることを、夢によってファラオに示されたのは、豊作を忘れさせ国を滅ぼすほどの飢饉に備えさせるためであったのです。そのために、神さまはエジプトにヨセフを遣わし、最もふさわしい時に、ファラオの前に呼び出されたのです。

 現代は、啓示の書である聖書がありますから、神さまが夢によってお語りになるということはありません。神さまは、御言葉の教師を立て、聖書の御言葉を解き明かすことによって、御自分の民に語られるのです。前回学んだ第40章8節で、ヨセフは、「解き明かしは神がなさることではありませんか」と言いましたが、このことは、御言葉の説き明かしである説教においてそのまま当てはまるのです。

 聖書は、すべての人が神の御前に罪人であり、そのままでは滅びてしまうと語っています。しかし同時に、だれでもイエス・キリストを信じるならば、罪赦され、救われると教えているのです。この聖書の教えを聞いて、何の対策も講じないならば、それは「幸いを告げる知らせ」とはなりません。滅びを免れるために、イエス・キリストを信じるという決断をするときにのみ、それは「幸いを告げる知らせ」「福音」となるのです。そして、それは聖霊が与えてくださる信仰の決断なのであります。私たちが神の啓示であるイエス・キリストの福音を福音として聞き、イエス・キリストを信じることができたのは、神の霊が私たちの心にも働いてくださったからであるのです(一コリント2:6~16参照)。

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