エジプトに売られたヨセフ 2013年9月22日(日曜 夕方の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

エジプトに売られたヨセフ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 37章12節~36節

聖句のアイコン聖書の言葉

37:12 兄たちが出かけて行き、シケムで父の羊の群れを飼っていたとき、
37:13 イスラエルはヨセフに言った。「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが。」「はい、分かりました」とヨセフが答えると、
37:14 更にこう言った。「では、早速出かけて、兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか。」父はヨセフをヘブロンの谷から送り出した。ヨセフがシケムに着き、
37:15 野原をさまよっていると、一人の人に出会った。その人はヨセフに尋ねた。「何を探しているのかね。」
37:16 「兄たちを探しているのです。どこで羊の群れを飼っているか教えてください。」ヨセフがこう言うと、
37:17 その人は答えた。「もうここをたってしまった。ドタンへ行こう、と言っていたのを聞いたが。」ヨセフは兄たちの後を追って行き、ドタンで一行を見つけた。
37:18 兄たちは、はるか遠くの方にヨセフの姿を認めると、まだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、
37:19 相談した。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。
37:20 さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう。」
37:21 ルベンはこれを聞いて、ヨセフを彼らの手から助け出そうとして、言った。「命まで取るのはよそう。」
37:22 ルベンは続けて言った。「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない。」ルベンは、ヨセフを彼らの手から助け出して、父のもとへ帰したかったのである。
37:23 ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが着ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、
37:24 彼を捕らえて、穴に投げ込んだ。その穴は空で水はなかった。
37:25 彼らはそれから、腰を下ろして食事を始めたが、ふと目を上げると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えた。らくだに樹脂、乳香、没薬を積んで、エジプトに下って行こうとしているところであった。
37:26 ユダは兄弟たちに言った。「弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。
37:27 それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。」兄弟たちは、これを聞き入れた。
37:28 ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引き上げ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった。
37:29 ルベンが穴のところに戻ってみると、意外にも穴の中にヨセフはいなかった。ルベンは自分の衣を引き裂き、
37:30 兄弟たちのところへ帰り、「あの子がいない。わたしは、このわたしは、どうしたらいいのか」と言った。
37:31 兄弟たちはヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸した。
37:32 彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、「これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください」と言わせた。
37:33 父は、それを調べて言った。「あの子の着物だ。野獣に食われたのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ。」
37:34 ヤコブは自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日もその子のために嘆き悲しんだ。
37:35 息子や娘たちが皆やって来て、慰めようとしたが、ヤコブは慰められることを拒んだ。「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう。」父はこう言って、ヨセフのために泣いた。
37:36 一方、メダンの人たちがエジプトへ売ったヨセフは、ファラオの宮廷の役人で、侍従長であったポティファルのものとなった。
創世記 37章12節~36節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記第37章12節から36節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 前回、私たちは、ヤコブがヨセフをほかのどの息子たちよりもかわいがったこと、また、ヨセフの見た夢の話しによって、兄弟たちがいよいよヨセフを憎み、妬むようになったことを学びました。そのヨセフに、イスラエルは、「兄さんたちはシケムで羊を飼っているはずだ。お前を彼らのところへやりたいのだが」と言うのです。シケムは、ヤコブがいるヘブロンから北に約75キロメートルのところにあります。イスラエルは、そのような遠い所へとヨセフを遣わすのです。どうして、大切なヨセフをそのような遠い所へと遣わしたのでしょうか?その理由を知る手掛かりが、14節のイスラエルの言葉にあります。「はい、分かりました」と答えるヨセフに、イスラエルはこう言いました。「では、早速出かけて、兄さんたちが元気でやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてくれないか」。この言葉から推測しますと、ヨセフは父に代わって、兄たちの働きを監視する者であったようです。2節に、「ヨセフは兄たちのことを父に告げ口した」とありましたけれども、裾の長い晴れ着を着たヨセフは、父の羊の群れを飼う兄たちを監視する者であったのです。それゆえ、この時も、イスラエルは、自分の代わりとして、ヨセフを兄たちのもとへ遣わすのです。イスラエルは、「兄さんたちが元気にやっているか、羊の群れも無事か見届けて、様子を知らせてほしい」と言っていますが、ここで「元気にやっているか」また「無事か」と訳されているヘブライ語はシャロームという言葉であります。しかし、4節にありましたように、「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」のです。すなわち、兄たちとヨセフの間にはシャロームがなかったのです。イスラエルは、兄たちと羊のシャロームを知らせてくれとヨセフに言うのですが、ヨセフと兄たちの間にシャロームはないのです。そのことを、どうもイスラエルは気づいていないようであります。イスラエルは、自分がどの息子よりもヨセフをかわいがり、裾の長い晴れ着を作ってやったことにより、ヨセフと兄たちとの関係が険悪な雰囲気になっていることに気づいていないのです。それゆえ、イスラエルはヨセフをヘブロンの谷から兄たちのいるシケムの地へと送り出すのです。ヨセフがシケムに着き、野原をさまよっていると、一人の人に出会います。その人が言うには、兄たちはここをたって、ドタンへ行ったと言うのです。ドタンは、シケムから北に約25キロメートル離れたところであります。父イスラエルの住むヘブロンからは約100キロメートルも離れていることになります。そのような父イスラエルの手が届かないところで、事件は起こるのです。

 ヨセフはドタンで兄たちを見つけますが、兄たちもはるか遠くの方にヨセフの姿を認めました。そして、ヨセフがまだ近づいて来ないうちに、ヨセフを殺してしまおうとたくらみ、相談したのです。「おい、向こうから例の夢見るお方がやって来る。さあ、今だ。あれを殺して、穴の一つに投げ込もう。後は、野獣に食われたと言えばよい。あれの夢がどうなるか、見てやろう」。この言葉から、私たちはどれほど兄たちがヨセフのことを憎み、妬んでいたかを知ることができます。兄たちはヨセフを殺してしまいたいほどに、憎み、妬んでいたのです。ここで、兄たちが、ヨセフの名前を呼ばずに、「例の夢見るお方」とか「あれ」と言っていることに注意したいと思います。兄たちは、ヨセフの名前を口にするのもいやであったのです。ここで、兄たちが、ヨセフの夢について言及していることは、ヨセフの夢が兄たちにとって、一つの脅威であったことを示しています。ヨセフの夢は、兄たちの解釈によれば、「ヨセフが自分たちの王になり、自分たちを支配するようになる」という夢でありました。そして、それは笑ってすませられるような夢ではなく、現実味を帯びた夢であったのです。現に、父イスラエルは、ヨセフを他のどの息子よりもかわいがり、位の高い人が着る裾の長い晴れ着を作ってやっていたのです。そして、今、自分たちの仕事ぶりを監視するために、その裾の長い晴れ着を着て、この遠い地までやって来たのです。それゆえ、兄たちは、ヨセフを殺して、穴の一つに投げ込むことによって、ヨセフの夢を実現させないようにするのです。しかし、長男であるルベンはこれを聞いて、「命まで取るのはよそう」。「血を流してはならない。荒れ野のこの穴に投げ入れよう。手を下してはならない」と言いました。ルベンは、後で穴の中からヨセフを引き上げて、父のもとへ帰そうと思っていたのです。ヨセフがやって来ると、兄たちはヨセフが来ていた着物、裾の長い晴れ着をはぎ取り、彼を捕らえて穴に投げ込みました。水溜の穴には水はなく、そこは一人では出られないほど深い穴であったようです。こうして、ヨセフは、位の高い人が着る、支配者の象徴ともいえる裾の長い晴れ着をはぎ取られ、失墜するのです。兄たちは、それから腰を下ろして食事を始めましたが、ふと目をあげると、イシュマエル人の隊商がギレアドの方からやって来るのが見えました。彼らはラクダに樹脂や乳香や没薬を積んで、エジプトに下って行こうとしていたのです。ユダは兄弟たちこう言います。「弟を殺して、その血を覆っても何の得にもならない。それより、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから」。ユダもルベンと同じように、ヨセフの血を流すことには反対でありました。シケムに来ていたイスラエルの息子たちは、ヨセフとベニヤミンを除く、10人でありましたが、その中でも、指導力を発揮していたのは、年長であり、正妻のレアから生まれた、ルベン、シメオン、レビ、ユダであったと思われます(29:31~35参照)。そのうち、ルベンとユダは、ヨセフの血を流すことには反対であったのです。では、ヨセフを殺してしまおうと言ったのはだれかと言うと、おそらく、シメオンとレビではないかと思います。シメオンとレビには、第34章に描かれていたように、シケムの男たちをことごとく殺すという残酷な面がありました。おそらく、食事を取りながら、兄弟たちの中で、ヨセフをどうするかが話し合われたのだと思います。そして、このとき、ルベンはどこかへ言っていたようであります。そのルベンのいない席で、シメオンとレビがヨセフを殺してしまうことを強く主張したのではないかと思うのです。それで、ユダは、ヨセフを殺さずに、イシュマエル人に売ることを提案したのです。そして、それは兄弟たちにとって良い考えに思われたのです。彼らはヨセフを殺さずに、自分たちの前から消し去ることができるわけですから。問題は、だれがヨセフをイシュマエル人に売ったのかということであります。28節は、「ところが、その間にミディアン人の商人たちが通りかかって、ヨセフを穴から引きあげ、銀二十枚でイシュマエル人に売ったので、彼らはヨセフをエジプトに連れて行ってしまった」と記されています。この新共同訳聖書の翻訳によりますと、ヨセフを売ったのは、ミディアン人の商人たちということになります。しかし、口語訳聖書、新改訳聖書を見ますと、兄弟たちがヨセフを売ったように読むことができるのです。新改訳聖書で、26節から28節までを読んでみます。「すると、ユダが兄弟たちに言った。『弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。』兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。そのとき、ミデヤン人の商人が通りかかった。それで彼らはヨセフを穴から引き上げ、ヨセフを銀二十枚でイシュマエル人に売った」。このように元の言葉では「彼ら」と記されているのです。この「彼ら」を「ミディアン人」と取るか、「兄弟」と取るかによって、誰がヨセフを売ったのかの判断が分かれるのです。しかし、これは明らかに、「兄弟」と取るべきだと思います。なぜなら、士師記第8章22節以下によれば、イシュマエル人とミディアン人は同一の民を指すからです。士師記8章22節から24節までをお読みします。旧約の395ページです。

 イスラエルの人はギデオンに言った。「ミディアン人の手から我々を救ってくれたのはあなたですから、あなたはもとより、御子息、そのまた御子息が、我々を治めてください。」ギデオンは彼らに答えた。「わたしはあなたたちを治めない。息子もあなたたちを治めない。主があなたたちを治められる。」ギデオンは更に、彼らに言った。「あなたたちにお願いしたいことがある。各自戦利品として手に入れた耳輪をわたしに渡してほしい。」敵はイシュマエル人であったから金の耳輪をつけていた。

 ここで、ミディアン人とイシュマエル人は同一の民を指しています。それゆえ、ミディアン人がヨセフをイシュマエル人に売ったという理解は意味をなさなくなります。後にヨセフが第45章4節で、「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです」と言っているように、兄弟たちがヨセフを穴から引き上げ、イシュマエル人に売ったのです(使徒7:9も参照)。

 今夕の御言葉に戻ります。旧約の65ページです。

 ルベンが穴のところに戻ってきたとき、ヨセフはすでにおりませんでした。ルベンはユダが兄弟たちに提案したとき、またその提案に従って兄弟たちがヨセフをイシュマエル人に売ったとき、どこかへ行っていたようであります。それで、ルベンは自分の衣を引き裂き、「あの子がいない。わたしは、このわたしは、どうしたらいいのか」と言うのです。ルベンは長男でありますから、父からヨセフについて問われれば答えなくてはならない立場にあったわけです。そこで、兄弟たちは、ヨセフの着物を拾い上げ、雄山羊を殺してその血に着物を浸しました。彼らはそれから、裾の長い晴れ着を父のもとへ送り届け、「これを見つけましたが、あなたの息子の着物かどうか、お調べになってください」と言わせたのです。父はそれを調べてこう言いました。「あの子の着物だ。野獣に食われてしまったのだ。ああ、ヨセフはかみ裂かれてしまったのだ」。かつてヤコブは父イサクをだましましたが、ここでは息子たちによってヤコブはだまされるのです。そして、ヤコブは、自分の衣を引き裂き、粗布を腰にまとい、幾日も嘆き悲しんだのでありました。ヤコブは喪の期間が終わっても、嘆き悲しむことを止めず、慰められるのを拒んだのです。「ああ、わたしもあの子のところへ、嘆きながら陰府へ下って行こう」と言って、父はヨセフのために泣いたのでありました。兄弟たちは、ヨセフがいなくなれば、家庭の中に平和が訪れると考えておりました。しかし、そうではなかったのです。彼らは父の嘆き悲しむ姿を見ることによって、父にとってヨセフが自分たちの誰よりもかわいい息子であったことを見せつけられるのです。そして、彼らは父の嘆き悲しむ姿を見ることによって、自分たちの罪を思い起こし、後悔の念を募らせていくのです(42:21参照)。このようにして、イスラエルの家庭から平和が失われてしまうのです。

関連する説教を探す関連する説教を探す