満ち足りた死 2013年9月01日(日曜 夕方の礼拝)

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満ち足りた死

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 35章16節~29節

聖句のアイコン聖書の言葉

35:16 一同がベテルを出発し、エフラタまで行くにはまだかなりの道のりがあるときに、ラケルが産気づいたが、難産であった。
35:17 ラケルが産みの苦しみをしているとき、助産婦は彼女に、「心配ありません。今度も男の子ですよ」と言った。
35:18 ラケルが最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたが、父はこれをベニヤミン(幸いの子)と呼んだ。
35:19 ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた。
35:20 ヤコブは、彼女の葬られた所に記念碑を立てた。それは、ラケルの葬りの碑として今でも残っている。
35:21 イスラエルは更に旅を続け、ミグダル・エデルを過ぎた所に天幕を張った。
35:22 イスラエルがそこに滞在していたとき、ルベンは父の側女ビルハのところへ入って寝た。このことはイスラエルの耳にも入った。
35:22 ヤコブの息子は十二人であった。
35:23 レアの息子がヤコブの長男ルベン、それからシメオン、レビ、ユダ、イサカル、ゼブルン、
35:24 ラケルの息子がヨセフとベニヤミン、
35:25 ラケルの召し使いビルハの息子がダンとナフタリ、
35:26 レアの召し使いジルパの息子がガドとアシェルである。これらは、パダン・アラムで生まれたヤコブの息子たちである。
35:27 ヤコブは、キルヤト・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにいる父イサクのところへ行った。そこは、イサクだけでなく、アブラハムも滞在していた所である。
35:28 イサクの生涯は百八十年であった。
35:29 イサクは息を引き取り、高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。息子のエサウとヤコブが彼を葬った。創世記 35章16節~29節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記第35章16節から29節より御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 ベテルで神さまを礼拝した一同は、エフラタへと向かいます。「エフラタ」とは、19節にありますように、今日のベツレヘムのことであります。なぜ、ヤコブは、ベテルからベツレヘムへと向かったのでしょうか?それは、27節にありますように、父イサクのいるキルヤト・アルパ、すなわちヘブロンに行くためであったと思われます。地図で場所を確認しておきたいと思います。聖書の巻末の「3 カナンへの定住」を御覧ください。ベテルという地名を見つけることができたでしょうか?ベテルの南30キロメートルほどにベツレヘムがありますが、これがエフラタであります。また、そこからさらに南に30キロメートルほどにヘブロンがありますが、これが父イサクの住むキルヤト・アルパであります。このようにヤコブは、エフラタを経由して父イサクの住むキルヤト・アルパへ向かったと考えられるのです。では、今夕の御言葉に戻ります。旧約の60ページです。

 エフラタまで行くにはまだかなりの道のりがあるとき、ラケルが産気づきましたが、難産でありました。ラケルが産みの苦しみをしているとき、助産婦は、彼女に、「心配ありません。今度も男の子ですよ」と言って慰めました。この助産婦は、一族の者でありますから、ラケルの願いというものを知っていたのでしょう。ラケルには、ヨセフという息子がおりましたが、その名前の由来について、第30章24節にこう記されておりました。「彼女は、『主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように(ヨセフ)』と願っていたので、その子をヨセフと名付けた」。助産婦は、ラケルが「主がわたしにもう一人男の子を加えてくださいますように」と願っていたことを知っておりましたので、産まれてくる子が願いどおりの男の子であることをラケルに伝えたのであります。そして、ラケルは最後の息を引き取ろうとするとき、その子をベン・オニ(わたしの苦しみの子)と名付けたのです。女性にとって出産は命がけであると言われますが、まさにラケルは自分の命と引き換えに、男の子を産んだのであります。その産みの苦しみの中で、彼女はその子をベン・オニと名付けたのです。しかし、父ヤコブは、その子をベニヤミン(幸いの子)と呼びました。ヤコブにとって、ラケルは最愛の妻でありましたが、そのラケルの死の苦しみよりも、新しい命が誕生した幸いへとヤコブは思いを向けたのです。そして、ここには、産まれて来た男の子に対するヤコブの願いが込められているのです。

 ラケルは死んで、エフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られました。ヤコブは、彼女の葬られた所に記念碑を立てました。この記念碑はラケルを祀るものではありません。ラケルがこの地上に生きたことを証しする葬りの碑であります。イスラエルは更に旅を続け、ミグダル・エデルを過ぎた所に天幕を張りました。「ミグダル・エデル」がどこにあったのかは分かりませんが、エフラタとキルヤト・アルバの間にあったことは確かであります。そのミグダル・エデルを過ぎた所に滞在していたとき、とんでもないことが起こります。長男のルベンが父ヤコブの側女ビルハのところへ入って寝たのです。どうして、ルベンは父の側女ビルハと肉体的関係を持ったのでしょうか?ある説教者は、ビルハはラケルの召し使いであったので、ラケルが死んだことと関係があるのではないかと推測しています。また、ある研究者は、ルベンが父の側女ビルハのところへ入って寝たのは、政治的な動機によるものであると指摘しています。ウォールター・ブルッグマンという神学者は、その注解書にこう記しています。「ルベンの行為は、単に性道徳の問題としてではなく、政治的事柄として評価されるべきである。父親の側女を寝取るということは、権力を占領し、主導権を握り、老いた父親が事実上死んだも同然であると宣言しようとする試みである」(『現代聖書注解 創世記』477ページ)。このように記しまして、その実例として、サムエル記下の第16章20節から23節までを挙げるのです。旧約の507ページです。

 アブサロムはアヒトフェルに、「どのようにすべきか、お前たちで策を練ってくれ」と命じた。アヒトフェルはアブサロムに言った。「お父上の側女たちのところにお入りになるのがよいでしょう。お父上は王宮を守らせるため側女たちを残しておられます。あなたがあえてお父上の憎悪の的となられたと全イスラエルが聞けば、あなたについている者はすべて、振るい立つでしょう。」アブサロムのために屋上に天幕が張られ、全イスラエルの注目の中で、アブサロムは父の側女たちのところに入った。そのころ、アヒトフェルの提案は、神託のように受け取られていた。ダビデにとっても、アブサロムにとっても、アヒトフェルの提案はそのようなものであった。

 このサムエル記下の御言葉を背景として、ルベンの行為を見るとき、そこには、「父親の側女を寝取ることによって、権力を占有し、主導権を握り、老いた父親が事実上死んだも同然であると宣言しようとする」政治的な意図があったと言えるのです。そして、このことは、ヤコブの生涯がその終りにおいても、争いの生涯であったことを物語っているのです。では、今夕の御言葉に戻ります。旧約の60ページです。

 ルベンが父の側女ビルハのところへ入って寝たことは、父イスラエルの耳にも入りました。しかし、ここにはヤコブがそれを聞いてどのような対応を取ったのかが記されておりません。けれども、ヤコブは第49章3節、4節で、このことについて次のように述べています。旧約の89ページです。

 ルベンよ、お前はわたしの長子/わたしの勢い、命の力の初穂。気位が高く、力も強い。お前は水のように奔放で/長子の誉れを失う。お前は父の寝台に上った。あのとき、わたしの寝台に上り/それを汚した。

 このようにルベンは、父の側女と関係を持ったゆえに、長子としての誉れを失ってしまうのです(歴代誌上5:1、2参照)。では、今夕の御言葉に戻ります。旧約の60ページです。

 22節後半から26節までには、ヤコブの12人の息子たちのリストが記されています。ヤコブはレアとラケル、またラケルの召し使いであるビルハとレアの召し使いであるジルパといった四人の女性によって、12人の息子をもうけたのでありました。そして、この12人が、後のイスラエルの12部族の族長たちとなるのです。福音書を見ますと、イエスさまが、弟子たちの中から12人を選び、使徒と名付けられたことが記されています。それはヤコブの息子たちが12人であったことに由来しているのです。そのようにして、イエスさまは御自分の教会こそが、新しいイスラエル、まことのイスラエルであることを表されたのです(マタイ10:1~4参照)。

 ヤコブは、キルヤト・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにいる父イサクのところへ行きました。ヤコブがパダン・アラムのラバンのもとを去ってからもうずいぶんと時が過ぎております。ヤコブは兄エサウとの再会を果たした後、スコトに住み、さらにはシケムに住み、ベテルに上ってようやく父イサクの住むキルヤト・アルバへと行くのです。なぜ、ヤコブはすぐに父イサクのもとへ行かなかったのでしょうか?ヤコブは父イサクに会いたくなかったのでしょうか?確かに、第25章28節には、「イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである」と記されておりましたし、イサクは、ヤコブが長子の権利をエサウから譲ってもらったことを知っておりながら、エサウを密かに祝福しようとしました。また、ヤコブも、目の見えない父の弱みに付け込んで、父イサクをだまして、祝福を得たのでありました。このような過去の経緯が、ヤコブを父イサクから引き離していたのでしょうか?親子の関係というものは、他人にはよく分からないことですから、あまり詮索しても意味がないかも知れません。では、そのヤコブが父イサクのいるヘブロンへ行ったのはなぜでしょうか?それは、ベテルにおいて神さまからの示しがあったからだと思います。12節で、神さまは、ヤコブに「わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地を/あなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える」と言われました。この神さまの御言葉を受けて、ヤコブは、祖父アブラハムも滞在していた父イサクの住むヘブロンへと出発したのです。

 イサクとヤコブの再会の場面がどのようなものであったかは記されていないので分かりません。しかし、イサクは、高齢のうちに満ち足りて死に、先祖の列に加えられたのです。このことは、イサクがヤコブの息子たちのうちに、神さまの約束の成就を見て取ったからではないでしょうか?かつてイサクも、神さまから「わたしはあなたの子孫を天の星のように増やし、これらの土地をすべてあなたの子孫に与える」という約束の言葉をいただきました(創世26:4参照)。その約束のとおり、神さまはしてくだったことを、イサクは、ヤコブの12人の息子たちに見て取ったのです。それゆえ、イサクは満ち足りて死ぬことができたのです。イサクを葬ったのは、息子のエサウとヤコブでありました。私たちはここから、エサウとヤコブが確かに和解したことを知ることができるのです。

 イサクは、ヤコブとその息子たちの姿を見て、神さまの約束の真実を知り、満ち足りて死にました。そうであれば、イエス・キリストにおいて、神の約束がことごとく然りとなったことを知っている私たちはなおさらではないでしょうか?私たちはイサクのように高齢になるまで生きるかどうかは分かりません。しかし、私たちは、何歳であっても、満ち足りて死ぬことができるのです。なぜなら、私たちはイエス・キリストの復活によって、この地上の生涯を越えた、天の住まいが用意されていることを知っているからです。今夕は最後に、ヨハネによる福音書の第14章1節から3節までを読んで終わりたいと思います。新約の196ページです。

 心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。

 神さまは約束のとおり、イエス・キリストを遣わしてくださいました。そして、イエス・キリストは、天に私たちの住まいを用意してくださっているのです。それゆえ、私たちは何歳であっても、「わたしの霊を御手にゆだねます」と祈りつつ、満ち足りてこの地上を去ることができるのです(ルカ23:46参照)。

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