エサウとの再会 2013年8月11日(日曜 夕方の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

エサウとの再会

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 33章1節~20節

聖句のアイコン聖書の言葉

33:1 ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の者を引き連れて来るのが見えた。ヤコブは子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、
33:2 側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置いた。
33:3 ヤコブはそれから、先頭に進み出て、兄のもとに着くまでに七度地にひれ伏した。
33:4 エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけし、共に泣いた。
33:5 やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見回して尋ねた。「一緒にいるこの人々は誰なのか。」「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです。」ヤコブが答えると、
33:6 側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、
33:7 次に、レアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後に、ヨセフとラケルが進み出てひれ伏した。
33:8 エサウは尋ねた。「今、わたしが出会ったあの多くの家畜は何のつもりか。」ヤコブが、「御主人様の好意を得るためです」と答えると、
33:9 エサウは言った。「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい。」
33:10 ヤコブは言った。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。
33:11 どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから。」ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。
33:12 それからエサウは言った。「さあ、一緒に出かけよう。わたしが先導するから。」
33:13 「御主人様。ご存じのように、子供たちはか弱く、わたしも羊や牛の子に乳を飲ませる世話をしなければなりません。群れは、一日でも無理に追い立てるとみな死んでしまいます。
33:14 どうか御主人様、僕におかまいなく先にお進みください。わたしは、ここにいる家畜や子供たちの歩みに合わせてゆっくり進み、セイルの御主人様のもとへ参りましょう。」ヤコブがこう答えたので、
33:15 エサウは言った。「では、わたしが連れている者を何人か、お前のところに残しておくことにしよう。」「いいえ。それには及びません。御好意だけで十分です」と答えたので、
33:16 エサウは、その日セイルへの道を帰って行った。
33:17 ヤコブはスコトへ行き、自分の家を建て、家畜の小屋を作った。そこで、その場所の名はスコト(小屋)と呼ばれている。
33:18 ヤコブはこうして、パダン・アラムから無事にカナン地方にあるシケムの町に着き、町のそばに宿営した。
33:19 ヤコブは、天幕を張った土地の一部を、シケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買い取り、
33:20 そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼んだ。創世記 33章1節~20節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は、創世記の第33章1節から20節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 ヤコブが目を上げると、エサウが四百人の男たちを引き連れて来るのが見えました。それでヤコブは、子供たちをそれぞれ、レアとラケルと二人の側女とに分け、側女とその子供たちを前に、レアとその子供たちをその後に、ラケルとヨセフを最後に置きました。ヤコブは、エサウが攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかも知れないと恐れていたゆえに、二人の側女と子供たち、次にレアとその子供たち、最後にラケルとヨセフという順に置いたのです。そして、ヤコブはその先頭に進み出て、兄エサウのもとに着くまで七度も地にひれ伏したのでありました。「七度地にひれ伏す」ことは、当時の恭順を示す儀礼であったと言われています。かつて、父イサクはヤコブを祝福して、「多くの国民がお前にひれ伏す。お前は兄弟たちの主人となり/母の子らもお前にひれ伏す」と言いましたが、ここでは、ヤコブがエサウの前に七度ひれ伏しているのです。私たちは、ここにも、エサウに祝福を返そうとするヤコブの姿を見ることができます。それに対して、エサウは走って来てヤコブを迎え、抱き締め、首を抱えて口づけしました。そして、エサウとヤコブは共に泣いたのです。エサウはこのような態度によって、ヤコブの罪を赦していることを示したのでありました。ヤコブも張りつめていた緊張が緩み、安心したことでありましょう。20年ぶりの兄弟の再会は、涙の再会であったのです。

 やがて、エサウは顔を上げ、女たちや子供たちを見まわして尋ねました。「一緒にいるこの人々は誰なのか」。ヤコブが、「あなたの僕であるわたしに、神が恵んでくださった子供たちです」と答えると、側女たちが子供たちと共に進み出てひれ伏し、次にレアが子供たちと共に進み出てひれ伏し、最後にヨセフとラケルが進み出てひれ伏しました。夫であり、父であるヤコブと同じように、妻たちと子供たちは、エサウに恭順の意を表したわけであります。また、エサウが「今、わたしが出会った多くの家畜は何のつもりか」と尋ねると、ヤコブは、「御主人様の好意を得るためです」と答えました。この「好意」とは、具体的に言えば、「ヤコブがかつてエサウにしたことについての赦し」であると言えます。ヤコブは、主の祝福とも言える多くの家畜をエサウへの贈り物とすることにより、エサウにかつての自分の振る舞いを赦してもらおうとしたのです。しかし、エサウはこう言いました。「弟よ、わたしのところには何でも十分ある。お前のものはお前が持っていなさい」。エサウは長子の権利や祝福が無くても、物質的には豊かであったようです。それゆえ、エサウはヤコブを寛大に扱うことができたのかも知れません。ともかく、エサウは「お前のものはお前がもっていなさい」と贈り物を受けることを断るのです。しかし、ヤコブはこう言いました。「いいえ。もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください。兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます。このわたしを温かく迎えてくださったのですから。どうか、持参しました贈り物をお納めください。神がわたしに恵みをお耐えになったので、わたしは何でも持っていますから」。ヤコブは、「もし御好意をいただけるのであれば、どうぞ贈り物をお受け取りください」と言いました。なぜなら、ヤコブの贈り物をエサウが受け取ることは、エサウがヤコブの罪を赦したことのしるしとなるからです。ヤコブは、「兄上のお顔は、わたしには神の御顔のように見えます」と言っておりますけれども、それはヤコブが、兄エサウの姿に罪を赦し、温かく迎えてくださる神を見たからです。死を覚悟していたヤコブのもとにエサウは走り寄り、抱き締め、首を抱えて口づけしました。それはさながら、イエスさまがお語りになった放蕩息子を迎える父親のようでありました(ルカ15:20参照)。

ヤコブは11節で、「どうか持参しました贈り物を納めてください」と言っていますが、ここで「贈り物」と訳されている言葉は、「祝福」とも訳すことができます。持参した贈り物は、ヤコブが神さまから受けた祝福であったのです。ヤコブは、「神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから」と言っておりますが、これは、9節のエサウの言葉、「弟よ、わたしのところには何でも十分ある」という言葉と対照的であります。ヤコブは、「神が恵んでくださった」と言うのですが、エサウはそのような言い方はしません。かつて父イサクは、エサウに、「お前は剣に頼って生きて行く」と言いましたように、エサウは、自分の剣によって、何でも十分に持っていたのではないでしょうか?しかし、ヤコブは、「神がわたしに恵みをお与えになったので、わたしは何でも持っていますから」と言うのです。ヤコブは、神さまが共にいてくださり、子供たちを恵み、多くの家畜を恵んでくださったことを良く知っておりました。そして、そのようなヤコブから祝福、贈り物を受け取ることは、ヤコブが祝福された者であることを認めることになるのです。

ヤコブから贈り物を受け取ったエサウは、「さあ、一緒に出かけよう。わたしが先導するから」と言いました。しかし、ヤコブはこう言って辞退します。「御主人様。御存じのように、子供たちはか弱く、わたしも羊や牛の子に乳を飲ませる世話をしなければなりません。群れは、一日でも無理に追い立てるとみな死んでしまいます。どうか御主人様、僕におかまいなく先にお進みください。わたしは、ここにいる家畜や子供たちの歩みに合わせてゆっくり進み、セイルの御主人様のもとへ参りましょう」。これに対してエサウはこう言いました。「では、わたしが連れている者を何人か、お前のところに残しておくことにしよう」。エサウは、護衛として何人かの男たちを残しておこうというのですが、ヤコブはそれも辞退します。「いいえ。それには及びません。御好意だけで十分です」。このようにヤコブが答えたので、エサウはその日セイルへの道を帰っていきました。他方、ヤコブはスコトへ行ったのでありました。ヤコブは、14節で、「わたしは、ここにいる家畜や子供たちの歩みに合わせてゆっくり進み、セイルの御主人様のもとへ参りましょう」と言っておりましたが、セイルには行かず、スコトへ行ったのです。おそらく、ヤコブは、初めからエサウの住んでいるセイルに行くつもりはなかったのだと思います。そして、このことはヤコブとのやり取りから、エサウもうすうす気づいていたのではないかと思います。和解したからと言って、一緒に住む必要はないわけでありまして、互いに離れて、それぞれの人生を生きる方がよいのです。特に、それぞれに所帯をもっているならなおさらのことであります。また、ヤコブは約束の地カナンを目指して帰って来たわけですから、ヨルダン川の東側のセイルの地に住むことなど考えられなかったと思います。それで、ヤコブはスコトへ行き、自分の家を建て、家畜の小屋を作ったのです。その場所は、ヤコブが小屋を作ったことに因んで、スコトと呼ばれるようになったのでありました。

スコトに何年間か滞在した後、ヤコブはヨルダン川西岸のカナン地方にあるシケムの町に着き、その町のそばで宿営しました。こうして、ヤコブはパダン・アラムの地からカナンの地へと無事に帰って来ることができたのです。主なる神は、パダン・アラムにいるヤコブに、「あなたは、あなたの故郷である先祖の土地に帰りなさい。わたしはあなたと共にいる」と言われましたが、そのお言葉どおり、ヤコブは無事に、先祖の土地であるカナンへと帰ることができたのです。ヤコブは、天幕を張った土地の一部を、シケムの父ハモルの息子たちから百ケシタで買い取り、そこに祭壇を建てて、それをエル・エロヘ・イスラエルと呼びました。「エル・エロヘ・イスラエル」とは、「エルはイスラエルの神」という意味であります。「エル」とはカナン地方の最高神でありましたが、その「エルこそ、イスラエルの神である」とヤコブは言ったのです。

ヤコブとエサウとの再会を物語る今夕の御言葉が、神礼拝で終わっていることは、象徴的なことであります。イエスさまは、山上の説教において、次のようにお語りになりました。「だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」(マタイ5:23、24)。今夕の御言葉は、その具体例とも言える御言葉であります。ヤコブはカナンの地において神さまを礼拝する前に、兄エサウと和解する必要があったのです。そして、ヤコブは兄エサウと和解することによって、イスラエルの神こそ神であられると告白し、御名をほめたたえたのであります。なぜなら、イスラエルの神こそが、敵意という隔ての壁を取り壊し、人と人とを和解させてくださる御方であるからです(エフェソ2:14参照)。

関連する説教を探す関連する説教を探す