エサウとの再会の準備 2013年7月21日(日曜 夕方の礼拝)

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エサウとの再会の準備

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 32章2節~22節

聖句のアイコン聖書の言葉

32:2 ヤコブが旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れた。
32:3 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言い、その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付けた。
32:4 ヤコブは、あらかじめ、セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに使いの者を遣わすことにし、
32:5 お前たちはわたしの主人エサウにこう言いなさいと命じた。「あなたの僕ヤコブはこう申しております。わたしはラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、
32:6 牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします。」
32:7 使いの者はヤコブのところに帰って来て、「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」と報告した。
32:8 ヤコブは非常に恐れ、思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けた。
32:9 エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのである。
32:10 ヤコブは祈った。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。
32:11 わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。
32:12 どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。
32:13 あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』と。」
32:14 その夜、ヤコブはそこに野宿して、自分の持ち物の中から兄エサウへの贈り物を選んだ。
32:15 それは、雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、
32:16 乳らくだ三十頭とその子供、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭であった。
32:17 それを群れごとに分け、召し使いたちの手に渡して言った。「群れと群れとの間に距離を置き、わたしの先に立って行きなさい。」
32:18 また、先頭を行く者には次のように命じた。「兄のエサウがお前に出会って、『お前の主人は誰だ。どこへ行くのか。ここにいる家畜は誰のものだ』と尋ねたら、
32:19 こう言いなさい。『これは、あなたさまの僕ヤコブのもので、御主人のエサウさまに差し上げる贈り物でございます。ヤコブも後から参ります』と。」
32:20 ヤコブは、二番目の者にも、三番目の者にも、群れの後について行くすべての者に命じて言った。「エサウに出会ったら、これと同じことを述べ、
32:21 『あなたさまの僕ヤコブも後から参ります』と言いなさい。」ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく快く迎えてくれるだろうと思ったのである。
32:22 こうして、贈り物を先に行かせ、ヤコブ自身は、その夜、野営地にとどまった。創世記 32章2節~22節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記32章2節から22節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 ラバンとの契約を結んだヤコブがなお旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れました。ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言い、その場所をマハナイム(二つの陣営)と名付けました。第28章に、ヤコブが夢の中で、神の御使いたちが天まで達する階段を上ったり下ったりしているのを見たことが記されておりました。ヤコブは約束の地カナンを出るにあたって神の御使いたちを見たように、約束の地カナンに入るにあたっても神の御使いたちを見るのです。しかも、ここでヤコブが見たのは二組の陣営でありました。このことはどのような意味を持っているのでしょうか?ヤコブはこのことをどのように受け止めたのでしょうか?書いてありませんから、推測するしかないのですが、おそらく、神の御使いたちの二組の陣営は、故郷である先祖の土地に帰るヤコブを護衛するために遣わされたのだと思います。そのようにヤコブは解釈しまして、兄エサウと再会する決意をするのです。

 ヤコブは、あらかじめ、セイル地方、すなわちエドムの野にいる兄エサウのもとに使いの者を遣わすことにしました。それによって、ヤコブは兄エサウが自分のことをまだ怒っているかを知ろうとしたわけです。20年前、ヤコブは父イサクをだまし、兄エサウの祝福を奪ったわけでありますが、それによって、エサウはヤコブを憎むようになり、「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」と言っていたわけです。この言葉を母親のリベカが聞きまして、ヤコブにラバンのもとへ逃げるように勧めたわけであります。リベカは、「そのうちに、お兄さんの憤りも治まり、お前のしたことを忘れてくれるだろうから、そのときには人をやってお前を呼び戻します」と言っておりましたが、結局、母リベカのもとから人が遣わされることはありませんでした。ですから、ヤコブには兄エサウの憤りが治まっているかどうかが分からないわけです。それで、まず、兄エサウのもとに使いの者を遣わすことにしたのです。

 ヤコブは遣いの者たちに、お前たちはわたしの主人エサウにこう言いなさいと命じました。「あなたの僕ヤコブはこう申しております。わたしはラバンのもとに滞在し今日に至りましたが、牛、ろば、羊、男女の奴隷を所有するようになりました。そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いします」。ここでヤコブは自分を「僕」と呼び、エサウを「主人」と呼んでおります。ここには、父イサクをだまして兄エサウの祝福を奪ったことへの反省が表れています。といいますのも、父イサクからヤコブが受けた祝福の中には、「お前は兄弟たちの主人となり/母の子らもお前にひれ伏す」と記されていたからです。第27章37節では、イサクは、自分も祝福してほしいと願うエサウにこう答えております。「既にわたしは、彼をお前の主人とし、親族をすべて彼の僕とし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。わたしの子よ。今となっては、お前のために何をしてやれようか」。ですから、神様の祝福からすれば、ヤコブが主人で、エサウが僕であるのです。しかし、ヤコブは、自分を僕と呼び、エサウを主人と呼ぶのであります。そのようにして、ヤコブは父イサクをだまし、兄エサウから奪った神の祝福をエサウに返えそうとするのです。

 新共同訳聖書は、6節後半を、「そこで、使いの者を御主人様のもとに送って御報告し、御機嫌をお伺いいたします」と翻訳していますが、口語訳聖書はこのところを「それでわが主に申し上げて、あなたの前に恵みを得ようと人をつかわしたのです」と翻訳しています。ヤコブがエサウに使いの者を遣わして、現状を報告したのは、エサウの前に恵みを得るためであったのです。

 使いのものはヤコブのところに帰って来て、こう報告しました。「兄上のエサウさまのところへ行って参りました。兄上様の方でも、あなたを迎えるため、四百人のお供を連れてこちらへおいでになる途中でございます」。ここで、使いのものは、エサウの言葉を何も伝えてはおりません。ただ、エサウの方でも、ヤコブを迎えるため、四百人のお供をつれてこちらへ来ている途中であると告げるのです。これを聞いて、ヤコブは非常に恐れるわけです。かつて自分を殺してやると言っていたエサウが四百人の兵士を連れて、自分たちを滅ぼしにきたのではないかと恐れたのです。それで、ヤコブは思い悩んだ末、連れている人々を、羊、牛、らくだなどと共に二組に分けたのでありました。ヤコブは、エサウがやって来て、一方の組に攻撃を仕掛けても、残りの組は助かると思ったのであります。

 そして、ヤコブはこう祈るのです。「わたしの父アブラハムの神、わたしの父イサクの神、主よ、あなたはわたしにこう言われました。『あなたは生まれ故郷に帰りなさい。わたしはあなたに幸いを与える』と。わたしは、あなたが僕に示してくださったすべての慈しみとまことを受けるに足りない者です。かつてわたしは、一本の杖を頼りにこのヨルダン川を渡りましたが、今は二組の陣営を持つまでになりました。どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。兄は攻めて来て、わたしをはじめ母も子供も殺すかもしれません。あなたは、かつてこう言われました。『わたしは必ずあなたに幸いを与え、あなたの子孫を海辺の砂のように数え切れないほど多くする』と」。ここでのヤコブは、赤裸々に自分の心をさらけ出して神様に救いを祈り求めております。しかも、神様がこれまで示してくださった慈しみとまこととに訴えて、あるいは、神様の約束に訴えて、救いを祈り求めております。「神様、あなたが生まれ故郷に帰りなさいと言われたのではありませんか。神様、あなたは杖一本を頼りにヨルダン川を渡った私を二組の陣営を持つまでにしてくださいました。ですから、どうか、私を兄エサウの手から救ってください。兄は、母も子供も殺すかもしれません。そうすれば、『あなたの子孫を海辺の砂のように数えきれないほど多くする』というあなたの約束は実現しないことになってしまいます。ですから、どうか、私を兄エサウの手から救ってください」。このようにヤコブは神様の御言葉、神様の慈しみとまこと、神様の約束に訴えて、どうか、兄エサウの手から救ってくださいと祈り願うのです。

 そのように祈ったその夜、ヤコブはそこに野宿をして、自分の持ち物の中から兄エサウへの贈り物を選びました。それは、雌山羊二百匹、雄山羊二十匹、雌羊二百匹、雄羊二十匹、乳らくだ三十頭とその子供、雌牛四十頭、雄牛十頭、雌ろば二十頭、雄ろば十頭でありました。これらの家畜は合計すると550頭以上になりますが、ヤコブはそれを群れごとに分け、召し使いたちの手に渡しました。ヤコブが家畜の種類に従って群れを分けたとすれば、五つの群れとなります。また、さらにオスとメスを分けると、九つの群れとなります。ともかく、ヤコブは家畜を群れに分けて、召し使いたちの手に渡し、こう言ったのです。「群れと群れとの間に距離を置き、わたしの先に立って行きなさい」。また、先頭を行く者には次のように命じました。「兄のエサウがお前に出会って、『お前の主人はだれだ。どこへ行くのか。ここにいる家畜は誰のものだ』と尋ねたら、こう言いなさい。『これはあなた様の僕ヤコブのもので、御主人のエサウさまに差し上げる贈り物でございます。ヤコブも後から参ります』と」。そして、ヤコブは、二番目の者にも、三番目の者にも、群れの後について行くすべての者に、「エサウに出会ったら、これと同じことを述べ、『あなたさまの僕ヤコブも後から参ります』と言いなさい」と命じたのです。ヤコブは贈り物を小出しにしていくわけですね。後からヤコブが来ると思っていたら、また次の家畜の群れが来る、そのようなことを何度も繰り返させるわけです。ヤコブは、贈り物を先に行かせて兄をなだめ、その後で顔を合わせれば、恐らく心よく迎えてくれるであろうと思ったわけであります。そして、ここにも、父イサクをだまし、兄エサウの祝福を奪ったことへの反省の思いが表れているのです。エサウへの贈り物である多くの家畜は、神様からヤコブがいただいた祝福であります。その祝福である家畜をエサウへの贈り物とすることによって、ヤコブは奪った祝福を兄エサウに返そうとしているわけです。そのようにして、ヤコブは奪ってしまったエサウの祝福を償おうとしているのです。このヤコブの思いは、自分を僕と呼び、エサウを主人と呼ぶのと同じ思いであります。ヤコブはそのようにして、自らの過ちを認め、兄エサウに謝罪しようとしているのです。神様は、ヤコブの祈りへの答えとして、ヤコブに自分の罪を認める心と、その心をエサウに伝える知恵を与えてくださったのです。

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