ヤコブとラバンの契約 2013年7月07日(日曜 夕方の礼拝)

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ヤコブとラバンの契約

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 31章43節~32章1節

聖句のアイコン聖書の言葉

31:43 ラバンは、ヤコブに答えた。「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ。しかし、娘たちや娘たちが産んだ孫たちのために、もはや、手出しをしようとは思わない。
31:44 さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。そして、お前とわたしの間に何か証拠となるものを立てよう。」
31:45 ヤコブは一つの石を取り、それを記念碑として立て、
31:46 一族の者に、「石を集めてきてくれ」と言った。彼らは石を取ってきて石塚を築き、その石塚の傍らで食事を共にした。
31:47 ラバンはそれをエガル・サハドタと呼び、ヤコブはガルエドと呼んだ。
31:48 ラバンはまた、「この石塚(ガル)は、今日からお前とわたしの間の証拠(エド)となる」とも言った。そこで、その名はガルエドと呼ばれるようになった。
31:49 そこはまた、ミツパ(見張り所)とも呼ばれた。「我々が互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように。
31:50 もし、お前がわたしの娘たちを苦しめたり、わたしの娘たち以外にほかの女性をめとったりするなら、たとえ、ほかにだれもいなくても、神御自身がお前とわたしの証人であることを忘れるな」とラバンが言ったからである。
31:51 ラバンは更に、ヤコブに言った。「ここに石塚がある。またここに、わたしがお前との間に立てた記念碑がある。
31:52 この石塚は証拠であり、記念碑は証人だ。敵意をもって、わたしがこの石塚を越えてお前の方に侵入したり、お前がこの石塚とこの記念碑を越えてわたしの方に侵入したりすることがないようにしよう。
31:53 どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように。」ヤコブも、父イサクの畏れ敬う方にかけて誓った。
31:54 ヤコブは山の上でいけにえをささげ、一族を招いて食事を共にした。食事の後、彼らは山で一夜を過ごした。
32:1 次の朝早く、ラバンは孫や娘たちに口づけして祝福を与え、そこを去って自分の家へ帰って行った。創世記 31章43節~32章1節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記の31章43節から32章1節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。

 前回学んだことでありますが、ヤコブは追跡してきたラバンに対して、41節以下でこう言いました。「この二十年間というもの、わたしはあなたの家で過ごしましたが、そのうち十四年はあなたの二人の娘のため、六年はあなたの家畜の群れのために働きました。しかも、あなたはわたしの報酬を十回も変えました。もし、わたしの父の神、アブラハムの神、イサクの畏れ敬う方がわたしの味方でなかったなら、あなたはきっと何も持たせずにわたしを追い出したでしょう。神は、わたしの労苦と悩みを目に留められ、昨夜、あなたを諭されたのです」。新共同訳聖書は、「昨夜、あなたを諭されたのです」と翻訳していますが、新改訳聖書を見ますと、「昨夜さばきをなさったのです」と翻訳しています。ラバンは、一族を率いてヤコブを追跡し、ヤコブをひどい目に遭わせることさえ考えていたのですが、主はラバンの夢に現れ、「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい」と告げられたのです。神様はヤコブの労苦と悩みに目を留められ、ラバンがヤコブを何も持たせずに追い出すことをお許しにならないのです。その神様のさばきを受けて、ラバンはヤコブにこう答えます。「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の前にあるものはみなわたしのものだ」。このラバンの言葉からしますと、ヤコブが恐れていたことは杞憂ではなかったことが分かります。ラバンは、夢で神様のお告げがなければ、ヤコブをひどい目に遭わせてでも、すなわち、力づくで娘や孫、家畜を取り戻して、ヤコブを来た時の状態である杖一本で追い出すつもりであったのです。ラバンの言葉を読みますと、なんと強欲なのだろうかと思うのでありますが、ラバンはそのように信じ切っており、正当な主張であると考えていたようであります。このラバンの考え方を知る手掛かりは、出エジプト記21章に記されている「奴隷についての規定」の中にあります。出エジプト記21章1節から4節までをお読みします。旧約127頁です。

 以下は、あなたが彼らに示すべき法である。あなたがヘブライ人である奴隷を買うならば、彼は六年間奴隷として働かねばならないが、七年目には無償で自由の身となることができる。もし、彼が独身で来た場合は、独身で去らねばならない。もし、彼が妻帯者であった場合は、その妻も共に去ることができる。もし、主人が彼に妻を与えて、その妻が彼との間に息子あるいは娘を産んだ場合は、その妻と子供は主人に属し、彼は独身で去らねばならない。

 4節に、「もし、主人が彼に妻を与えて、その妻が彼との間に息子あるいは娘を産んだ場合は、その妻と子供は主人に属し、彼は独身で去らねばならない」とありますが、同じような考え方が、ヤコブの時代に、既にあったと思われます。もちろん、ヤコブは奴隷ではありません。しかし、ラバンはヤコブを奴隷のように考えていたようであります。それで、ヤコブが主人である自分のもとを去るのであれば、娘も、孫も、家畜の群れも全部わたしのものだとラバンは言うのです。しかし、このラバンの発言は明らかに間違っています。なぜなら、ヤコブはラバンの娘のために14年間、ラバンの家畜のために6年間、合わせて20年間全力を尽くしてラバンに仕えてきたからです。ラバンはヤコブの労苦と悩みを全く心に留めないゆえに、「すべてはわたしのものだ」とぬけぬけと言うことができたわけです。このように主張したラバンでありますが、主がさばきをなさった今となっては、ヤコブに手を出すことはできません。それでラバンは、「しかし、娘たちや娘たちが生んだ孫のために、もはや、手出しをしようとは思わない」と体裁をとりつくろうのです。そして、ラバンの方から、「さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。そして、お前とわたしの間に何か証拠となるものを立てよう」と提案するのです。このラバンの提案に対して、ヤコブは言葉ではなく態度で答えました。ヤコブは一つの石を取り、それを記念碑として立て、一族の者に、「石を集めてきてくれ」と言いました。このヤコブの言葉に従って彼らは石塚を築き、その傍らで食事をしたのであります。この食事は、54節で記されているのと同じ食事であります。旧約聖書の一つの記し方に、はじめに大筋を記して、後で詳しく記すという記し方がありますが、ここもそうであると思います。記念碑として石が立てられ、石塚が築かれて契約を結ぶ食事がされたことが先ず記されて、その後で、その契約がどのような内容であるのかが詳しく記されているのです。47節に、「ラバンはそれをエガル・サハドタと呼び、ヤコブはガルエドと呼んだ」とありますが、「エガル・サハドタ」とはアラム人ラバンが用いていたアラム語であります。また、「ガルエド」とはヤコブが用いていたヘブライ語であります。どちらも「証拠の石塚」という意味でありますが、なぜ、その地がガルエドと呼ばれるようになったかと言えば、ラバンが、「この石塚(ガル)は、今日からお前とわたしの間の証拠(エド)となる」と言ったからでありました。ちなみに、「ガルエド」は、ヨルダン川の東側の「ギレアド」の語源であると言われています(31:21参照)。また、そこはミツパ(見張り所)とも呼ばれました。なぜなら、ラバンは次のようにも言ったからです。「我々が互いに離れているときも、主がお前とわたしの間を見張ってくださるように。もし、お前がわたしの娘たちを苦しめたり、わたしの娘たち以外にほかの女性をめとったりするなら、たとえ、ほかにだれもいなくても、神御自身がお前とわたしの証人であることを忘れるな」。ラバンはヤコブをさんざん苦しめてきたわけでありますが、自分の娘たちを苦しめるなよ、娘たち以外の女性を妻とするなよ、と誓わせるのです。それも神様を証人として誓わせるのであります。さらに、ラバンはヤコブに次のように言いました。「ここに石塚がある。またここに、わたしがお前との間に立てた記念碑がある。この石塚は証拠であり、記念碑は証人だ。敵意をもって、わたしがこの石塚を越えてお前の方に侵入したり、お前がこの石塚とこの記念碑を越えてわたしの方に侵入したりしないようにしよう。どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように」。ここではラバンは侵入してはならない地境を定めております。この背後には、おそらくラバンとヤコブという個人を越えた、民族としてのアラム人とヘブライ人との協定があったのではないかと考えられております。ラバンはヤコブをひどい目に遭わせようと、一族を率いて追いかけてきたわけですが、そのラバンが不可侵の地境を定めるわけです。このようにラバンは自分がしたことを、また、しようとしたことを、ヤコブにしないようにと誓わせるわけであります。ここで注目すべきは、53節の「どうか、アブラハムの神とナホルの神、彼らの先祖の神が我々の間を正しく裁いてくださいますように」というラバンの言葉であります。11章に「テラの系図」が記されておりましたが、そこに「テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた」とありますように、アブラハムとナホルは兄弟であるのです。そして、ヤコブはアブラハムの孫であり、ラバンはナホルの孫であるのです。ですから、ラバンは、「アブラハムの神とナホルの神」が同じ神であるかのように、「彼らの先祖の神」と言っているのです。しかし、厳密に言うと、アブラハムの神とナホルの神は同じ神ではありません。なぜなら、神様はアブラハムを父の家から召しだされたお方であるからです。テラの系図の前にはバベルの塔のお話しが記されておりますけれども、セムの系図を担うテラも、神様の裁きの影響を免れることはできなかったのであります。それで、神様はアブラムを生まれ故郷である父の家から御自分の示す地へと召しだされたのです。そのようにして、アブラハムの神となってくださったのであります。ですから、ヤコブは、父イサクの畏れ敬う方にかけて誓ったわけです。ヤコブは山の上でいけにえをささげ、一族を招いて食事をしたのでありますが、これは神様の御前でする契約締結の食事であります。このように、ヤコブはラバンとの間に平和の関係を築くことができたのです。このようにして、神様はヤコブとラバンとが平和な夜を迎えることができるようにしてくださったのです。

 次の朝早く、ラバンは孫や娘たちに口づけして祝福を与え、そこを去って自分の家へ帰って行きました。ラバンは、「孫や娘たちに別れの口づけもさせないとは愚かなことをしたものだ」と言ってヤコブを非難しましたが、その別れのくちづけをすることができたのです。そして、これがラバンと娘と孫たちの今生の別れとなるわけであります。そのように考えますと、ラバンが何とか、ヤコブに自分のもとに留まってほしいと願ったのも分かる気がいたします。私たちは、ラバンを強欲な自分勝手な人物と考えてしまいがちですが、ラバンがヤコブと契約を結んで取り決めたことは、娘たちの幸せと、同じ一族同士が争わないことであったのです。

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