ヤコブの報酬 2013年6月16日(日曜 夕方の礼拝)

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ヤコブの報酬

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 30章25節~43節

聖句のアイコン聖書の言葉

30:25 ラケルがヨセフを産んだころ、ヤコブはラバンに言った。「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷へ帰らせてください。
30:26 わたしは今まで、妻を得るためにあなたのところで働いてきたのですから、妻子と共に帰らせてください。あなたのために、わたしがどんなに尽くしてきたか、よくご存じのはずです。」
30:27 「もし、お前さえ良ければ、もっといてほしいのだが。実は占いで、わたしはお前のお陰で、主から祝福をいただいていることが分かったのだ」とラバンは言い、
30:28 更に続けて、「お前の望む報酬をはっきり言いなさい。必ず支払うから」と言った。
30:29 ヤコブは言った。「わたしがどんなにあなたのために尽くし、家畜の世話をしてきたかよくご存じのはずです。
30:30 わたしが来るまではわずかだった家畜が、今ではこんなに多くなっています。わたしが来てからは、主があなたを祝福しておられます。しかし今のままでは、いつになったらわたしは自分の家を持つことができるでしょうか。」
30:31 「何をお前に支払えばよいのか」とラバンが尋ねると、ヤコブは答えた。「何もくださるには及びません。ただこういう条件なら、もう一度あなたの群れを飼い、世話をいたしましょう。
30:32 今日、わたしはあなたの群れを全部見回って、その中から、ぶちとまだらの羊をすべてと羊の中で黒みがかったものをすべて、それからまだらとぶちの山羊を取り出しておきますから、それをわたしの報酬にしてください。
30:33 明日、あなたが来てわたしの報酬をよく調べれば、わたしの正しいことは証明されるでしょう。山羊の中にぶちとまだらでないものや、羊の中に黒みがかっていないものがあったら、わたしが盗んだものと見なして結構です。」
30:34 ラバンは言った。「よろしい。お前の言うとおりにしよう。」
30:35 ところが、その日、ラバンは縞やまだらの雄山羊とぶちやまだらの雌山羊全部、つまり白いところが混じっているもの全部とそれに黒みがかった羊をみな取り出して自分の息子たちの手に渡し、
30:36 ヤコブがラバンの残りの群れを飼っている間に、自分とヤコブとの間に歩いて三日かかるほどの距離をおいた。
30:37 ヤコブは、ポプラとアーモンドとプラタナスの木の若枝を取って来て、皮をはぎ、枝に白い木肌の縞を作り、
30:38 家畜の群れがやって来たときに群れの目につくように、皮をはいだ枝を家畜の水飲み場の水槽の中に入れた。そして、家畜の群れが水を飲みにやって来たとき、さかりがつくようにしたので、
30:39 家畜の群れは、その枝の前で交尾して縞やぶちやまだらのものを産んだ。
30:40 また、ヤコブは羊を二手に分けて、一方の群れをラバンの群れの中の縞のものと全体が黒みがかったものとに向かわせた。彼は、自分の群れだけにはそうしたが、ラバンの群れにはそうしなかった。
30:41 また、丈夫な羊が交尾する時期になると、ヤコブは皮をはいだ枝をいつも水ぶねの中に入れて群れの前に置き、枝のそばで交尾させたが、
30:42 弱い羊のときには枝を置かなかった。そこで、弱いのはラバンのものとなり、丈夫なのはヤコブのものとなった。
30:43 こうして、ヤコブはますます豊かになり、多くの家畜や男女の奴隷、それにらくだやろばなどを持つようになった。
創世記 30章25節~43節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記の30章25節から43節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 ヤコブにはレアとラケルという二人の妻がおりましたが、ヤコブはレアよりもラケルを愛しておりました。そして、そのラケルがヨセフを産んだころ、ヤコブはラバンにこう言ったのです。「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷へ帰らせてください。わたしは今まで、妻を得るためにあなたのところで働いてきたのですから、妻子と共に帰らせてください。あなたのために、わたしがどんなに尽くしてきたか、よくご存じのはずです」。ラケルがヨセフを産んだころ、それはラケルを妻とするための7年間の労働の期間が終わったときでありました。ヤコブは二人の妻のために、14年間ラバンに仕えてきたのですが、その期間が終わったので、「わたしを独り立ちさせて、生まれ故郷に帰らせてください。わたしは今まで妻を得るためにあなたのところで働いてきたのですから、妻と子と共に帰らせてください」と願い出たわけです。ここでヤコブは「妻子と共に帰らせてください」と願い出ておりますが、この背景には今とは異なる当時の社会事情というものがあります。出エジプト記21章は「奴隷について」記されていますが、その4節にこう記されています。「もし、主人が彼に妻を与えて、その妻が彼との間に息子あるいは娘を産んだ場合は、その妻と子供は主人に属し、彼は独身で去らねばならない」。もちろん、ヤコブは奴隷ではありませんし、ヤコブは妻を得るために14年間ラバンのもとで働いたわけであります。しかし、ヤコブはラバンの家に身を寄せる弱い立場にあったわけです。そのようなヤコブにとって、妻たちと子供たちを連れて行くには、義理の父であるラバンの赦しが必要であったのです(創世記31:42、43参照)。

 ヤコブの申し出にラバンはこう答えます。「もし、お前さえ良ければ、もっといてほしいのだが。実は占いで、わたしはお前のお陰で、主から祝福をいただいていることが分かったのだ」。独り立ちさせて、故郷に帰らせてほしいと願うヤコブに、ラバンは、自分のもとで働き続けてほしいと願います。ラバンは占いによって、ヤコブが自分のもとにいるお陰で、主からの祝福を得ていることを知ったからです。さらにラバンはこう言いました。「お前の望む報酬をはっきり言いなさい。必ず支払うから」。ラバンは、ヤコブを独り立ちさせようとせずに、自分のもとに留めておこうとするわけです。それに対してヤコブはこう言います。「わたしがどんなにあなたのために尽くし、家畜の世話をしてきたかよくご存じのはずです。わたしが来るまではわずかだった家畜が、今ではこんなに多くなっています。わたしが来てからは、主があなたを祝福しておられます。しかし今のままでは、いつになったらわたしは自分の家を持つことができるでしょうか」。ここでヤコブはこれまで自分がどれほどラバンに仕えてきたか、また、自分のお陰で主がラバンをも祝福してくださり、多くの家畜を持つに至ったかを語ります。そして、今のままでは、いつになったらわたしは自分の家を持つことができるでしょうか?とラバンの情に訴えるわけです。ヤコブがラバンのもとへ来た時は、ヤコブは独身でありました。しかし、それから14年経った今は、二人の妻と十二人の子供たちを持つものとなったわけです。そろそろ、ラバンのもとで、ラバンのために働くのではなくて、自分と家族のために働きたい、そのために独り立ちして、妻たちと子供たちと共に、生まれ故郷へ帰りたいとヤコブは願ったわけであります。このようなヤコブの思いは、家長として、また夫として、父として、当然な思いであります。しかし、ラバンは「何をお前に支払えばよいのか」と尋ねるわけです。ラバンはヤコブの話しに乗らずに、これまでと同様、ヤコブを自分のもとで働かせようとするわけであります。それに対して、ヤコブは「何もくださるに及びません」と答えました。それは「何も支払わなくてよいから、わたしを妻子と共に帰らせてくれ」ということでありましょう。そして、こう言うのです。「ただこういう条件なら、もう一度あなたの群れを飼い、世話をしましょう。今日、わたしはあなたの群れを全部見回って、その中から、ぶちとまだらの羊をすべてと羊の中で黒みがかったものをすべて、それからまだらとぶちの山羊を取り出しておきますから、それをわたしの報酬にしてください。明日、あなたが来てわたしの報酬を調べれば、わたしの正しいことは証明されるでしょう。山羊の中にぶちとまだらでないものや、羊の中に黒みがかっていないものがあったら、わたしが盗んだものと見なして結構です」。おそらく、ヤコブは、ラバンが自分の願い出を受け入れないことを想定して、このような条件を考えていたのでありましょう。この地方の多くの羊の毛の色は白であり、多くの山羊の毛の色は黒でありました。しかし、ヤコブは、単色ではない、いろいろな毛の混じっているぶちやまだらの羊や山羊を自分の報酬にしてください、と言うのです。ぶちやまだらの羊や山羊はそれほど多くありませんでしたから、ラバンは「よろしい。お前の言うとおりにしよう」と言いました。しかし、ラバンは、その日に、縞やまだらの雄山羊とぶちやまだらの雌山羊全部、つまり白いところが混じっている山羊全部とそれに黒みがかった羊を取り出して、自分の息子たちに渡したのでありました。ラバンは、ヤコブが取り出す前に、ヤコブの報酬にさせまいとして、ぶちやまだらの山羊と羊を取り出し、ヤコブがラバンの残りの群れを飼っている間に、自分とヤコブとの間に歩いて三日かかるほどの距離を置いたのでありました。どうやらラバンの家畜は多くなったため、いくつかの群れに分けて、飼われていたようであります。ヤコブが残りの群れを連れて帰って来ると、他の群れからすでにぶちやまだらの山羊や羊がいなくなっていたわけであります。このようにラバンはヤコブを出し抜くわけです。

 では、ヤコブはどうしたのでしょうか?ヤコブは、ポプラとアーモンドとプラタナスの木の若枝を取って来て、皮をはぎ、枝に白い木肌の縞を作り、家畜の群れがやって来たときに群れの目につくように、皮をはいだ枝を家畜の飲み水の水槽の中に入れました。そして、家畜の群れが水を飲みにやって来たとき、さがりがつくようにしたので、家畜の群れは、その枝の前で交尾して縞やぶちのまだらのものを産んだのです。これが「ヤコブの工夫」であったわけですが、ここには、「人間や動物の母親が妊娠期間中に見たものが胎児にも伝わり、胎児に決定的な影響を与える」という古代の考え方があります(フォンラート)。また、この枝には、家畜にさかりをつけさせる効用もあったようであります。それで、家畜はその縞模様の木を見て交尾し、縞やぶちやまだらのものを産んだと言うのです。黒い毛の山羊同士が交尾をすれば、当然、黒い毛の山羊が生まれてくるわけでありますが、ヤコブはその交尾の前に、白い木肌の縞を見せることによって、他の色の毛が混ざった縞やぶちやまだらの山羊を産ませたのであります。また、ヤコブは、白い毛の羊を、縞のものと全体が黒みがかった羊と向かい合わせることによって、縞やぶちやまだらのものが産まれるようにしました。これも同じ理屈でありますね。「人間や動物の母親が妊娠期間中に見たものが胎児にも伝わり、胎児に決定的な影響を与える」という考え方によるものであります。また、ヤコブは丈夫な羊が交尾する時期になると、皮をはいだ枝をいつも水ぶねの中に入れて群れの前に置き、枝のそばで交尾させましたが、弱い羊のときには枝を置きませんでした。そこで、弱いものはラバンのものとなり、丈夫なのはヤコブのものとなったわけです。

 今夕の御言葉に出てきます古代の考え方、「黒い山羊が交尾の直前に白い木肌の縞を見たから、縞やぶちやまだらのものを産む」という考え方には、科学的な根拠はないことが現代では分かっております。それでは、なぜ、黒い山羊から縞やぶちやまだらのものが産まれたのでしょうか?それは、主なる神様がそのようにしてくださったからでありますね。ヤコブは31章6節から8節で二人の妻にこう言っています。「あなたたちも知っているように、わたしは全力を尽くしてあなたたちのお父さんのもとで働いてきたのに、わたしをだまして、わたしの報酬を十回も変えた。しかし、神はわたしに害を加えることをお赦しにならなかった。お父さんが、『ぶちのものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみなぶちのものを産むし、『縞のものがお前の報酬だ』と言えば、群れはみな縞のものを産んだ」。ヤコブは当時の考え方に基づいて、工夫をいたしましたけれども、縞やぶちやまだらのものを産むようにしてくださったのは、命の主である神様であられるのです。そして、ヤコブを豊かにし、物質的に祝福してくださったのも主なる神様であられるのです。43節に、「こうして、ヤコブはますます豊かになり、多くの家畜や男女の奴隷、それにらくだやろばなどを持つようになった」とありますが、そのようにしてくださったのは主なる神様であられるのであります。このようにして、主はヤコブが正しいことをラバンに証明されたのです。

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