満ち足りて死を迎えるために 2012年12月02日(日曜 夕方の礼拝)

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満ち足りて死を迎えるために

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 25章1節~18節

聖句のアイコン聖書の言葉

25:1 アブラハムは、再び妻をめとった。その名はケトラといった。
25:2 彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ。
25:3 ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は、アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。
25:4 ミディアンの子孫は、エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。これらは皆、ケトラの子孫であった。
25:5 アブラハムは、全財産をイサクに譲った。
25:6 側女の子供たちには贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけた。
25:7 アブラハムの生涯は百七十五年であった。
25:8 アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた。
25:9 息子イサクとイシュマエルは、マクペラの洞穴に彼を葬った。その洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、
25:10 その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。
25:11 アブラハムが死んだ後、神は息子のイサクを祝福された。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだ。
25:12 サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イシュマエルの系図は次のとおりである。
25:13 イシュマエルの息子たちの名前は、生まれた順に挙げれば、長男がネバヨト、次はケダル、アドベエル、ミブサム、
25:14 ミシュマ、ドマ、マサ、
25:15 ハダド、テマ、エトル、ナフィシュ、ケデマである。
25:16 以上がイシュマエルの息子たちで、村落や宿営地に従って付けられた名前である。彼らはそれぞれの部族の十二人の首長であった。
25:17 イシュマエルの生涯は百三十七年であった。彼は息を引き取り、死んで先祖の列に加えられた。
25:18 イシュマエルの子孫は、エジプトに近いシュルに接したハビラからアシュル方面に向かう道筋に沿って宿営し、互いに敵対しつつ生活していた。創世記 25章1節~18節

原稿のアイコンメッセージ

序.

 今夕は創世記の第25章1節から18節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っております。新共同訳聖書は、今夕の御言葉に「ケトラによるアブラハムの子孫」「アブラハムの死と埋葬」「イシュマエルの子孫」と3つの小見出しを付けておりますが、一つずつ学んでいきたいと思います。

1.ケトラによるアブラハムの子孫

 最初に、「ケトラによるアブラハムの子孫」について見ていきたいと思います。1節に、「アブラハムは、再び妻をめとった。その名はケトラといった」と記されています。アブラハムがいつケトラをめとったのかについては、2つの解釈があります。1つは、妻サラを葬った後で、後妻としてケトラをめとったという解釈です。2つ目は、妻サラがまだ生きている間に、ケトラを側女としたという解釈であります。創世記の記述は必ずしも起こった順序に記されているわけではありませんので、私としては、2つ目の解釈を取りたいと思います。6節で、ケトラは「側女」と呼ばれていますし、歴代誌上の第1章の系図では、「アブラハムの側女ケトラ」と記されています。つまり、アブラハムは妻サラが生きている間に、ケトラを側女としたのです。

 2節に、「彼女は、アブラハムとの間にジムラン、ヨクシャン、メダン、ミディアン、イシュバク、シュアを産んだ」とありますように、ケトラはアブラハムとの間に6人の息子を産みました。さらに、聖書は、「ヨクシャンにはシェバとデダンが生まれた。デダンの子孫は、アシュル人、レトシム人、レウミム人であった。ミディアンの子孫は、エファ、エフェル、ハノク、アビダ、エルダアであった。これらは皆、ケトラの子孫であった。」と記しております。ここに記されているのは、アラビアに住む諸部族の名前であります。比較的よく知られているのに、「ミディアン」がありますが、聖書辞典を引くと次のように記されておりました。「ミディアンはアブラハムとケトラの間に生まれた第四子である(創25:1、2、代上1:32)。この子孫は遊牧部族で、アラビア半島の北西部、エラテ湾に沿い、北はエドムにより、南はアラビア王国によって境界づけられた地域に住んだ。時にはミディアン人はアラバの一部、ネゲブ、シナイ半島にも勢力を伸ばした。モーセがミディアンの祭司エトロの保護を受けたのは、シナイにおいてであったであった(出2:15、16、3:1)。ミディアン人はイシュマエル人と組んで陸上通商を営み、ヨセフを買ってエジプトへ売った(創37:28)。彼らは士師時代に、定住地域を略奪した(士6:1~7)。彼らはラクダを馴致(なれさせること)に成功していたので(士6:5)、軍事上、通商上、大きな効果を上げることができ、アラビアから黄金、香料などの輸入に大きな役割を果たした(イザヤ60:6)」。ミディアンを初めとするアラビアの諸部族もアブラハムの子孫であるのです。すなわち、現代のアラビア人もアブラハムの子孫であるわけです。ユダヤ人とアラビア人との争いは、アブラハムの子孫同士の争いであるとも言えるのです。

 ところで、アブラハムは妻サラとの間にイサクが与えられたにもかかわらず、どうしてケトラを側女としたのでしょうか?それはおそらく、神の約束を実現するためであったと思います。神はアブラハムに「あなたは多くの国民の父となる」と約束されました。第17章4節から6節に次のように記されておりました。旧約聖書の21頁です。「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする」。この神の約束を実現するために、アブラハムはケトラを側女として、ケトラとの間に6人の息子をもうけたのです。そのようにして、アブラハムは多くの国民の父となったのであります。先程も言いましたようにアブラハムは、ユダヤ人の先祖であるだけではなくアラブ人の先祖でもあるのです。

 今夕の御言葉に戻ります。旧約聖書の38頁です。

 アブラハムはケトラとの間に6人の息子をもうけたのでありますが、サラとの間に生まれたイサクに、全財産を譲りました。それは、主から、「あなたの子孫はイサクによって伝えられる」と言われていたからです(21:12)。第21章では、サラが、ハガルとイシュマエルを追い出したお話が記されていましたが、ここでは、アブラハムが側女の子供たちに贈り物を与え、自分が生きている間に、東の方、ケデム地方へ移住させ、息子イサクから遠ざけたことが記されています。アブラハムは、主が約束してくださったカナンの地から側女の子供たちを追い出すわけであります。そのようにして、イサクにとって障害となるものを取りのけるのです。

2.アブラハムの死と埋葬

 次に、「アブラハムの死と埋葬」について見ていきたいと思います。7節に、「アブラハムの生涯は百七十五年であった」とありますように、アブラハムは175歳で地上の生涯を閉じました。アブラハムについては第12章から記されておりましたが、アブラハムが主に召し出されて、ハランを出発したのは75歳でありました。ですから、アブラハムはおよそ100年間主に導かれる巡礼者としての生涯を歩んだことになるわけです。「アブラハムは長寿を全うして息を引き取り、満ち足りて死に、先祖の列に加えられた」とありますが、アブラハムは満ち足りて、満足して死んだのです。ここでのアブラハムの死は、祝福された者の死として記されているのです。ドイツの旧約学者であるヴォルフは、『旧約聖書の人間論』という書物の中で、このところを取り上げ、次のように記しています。「人間は死ぬことを『許される』。それこそが死であって、死ななければ『ならない』のではない。イサクも、ダビデも、そしてヨブも、「飽きるほどながく生きて」、死んだ(創世記35:29。歴代誌29:28。ヨブ記42:17)。ヨブには、自分の子どもだけでなく、孫も、ひまごもあった(42:16)。充実した人生とはこのようなものであった。なぜなら『飽きるほど』という意味は、『うんざりするほど』ではなく、『満足して』という意味だからである」。「先祖の列に加えられた」という表現は、ヘブライ人が何らかの死後の世界というものを信じていたことを表しています。彼らは死んだから無になるとは決して考えてはいなかったのです。アブラハムを葬ったのは、息子イサクとイシュマエルでありました。この二人は敵対関係にあるとは言わないまでも、難しい関係にありました。その二人がアブラハムを葬ったことは、父親を葬るのが子供としての大切な徳であったことを私たちに教えています。それゆえ、イサクとイシュマエルは一緒になって、父アブラハムを葬ったのであります。親の死が子供たちを集める。これは私たちにもよく分かることではないかと思います。アブラハムは、マクペラの洞穴に葬られました。これは以前、アブラハムがサラを葬るために、ヘト人ツォハルの子エフロンから銀400シェケルで買い取ったものでありました(23:16参照)。アブラハムは妻サラを葬るために購入した洞穴に、自分もサラと共に、葬られることになるのです。アブラハムはマクペラの洞穴をサラの墓としてだけではなく、自分の墓としても購入したのでありました。

 アブラハムが死んだ後、神は息子イサクを祝福されました。アブラハムの祝福は、イサクへと受け継がれたのです。イサクは、ベエル・ラハイ・ロイの近くに住んだとありますが、この地は、かつて主がハガルを顧みられたところであります(16:13、14参照)。

3.イシュマエルの子孫

 最後に、「イシュマエルの子孫」について見ていきたいと思います。12節に、「サラの女奴隷であったエジプト人ハガルが、アブラハムとの間に産んだ息子イシュマエルの系図は次のとおりである。」とありますように、ここには、イシュマエルの息子たちの名前が記されています。イシュマエルの息子たちも、アラビアに住む、アラブ人の先祖となった者たちであります。ケトラによるアブラハムの子孫とイシュマエルの子孫たちは、アラビアに住む遊牧民として、大変近い関係にあるのです。ただ、イシュマエルの子孫の方が、カナンに近い、アラビアの北部に住んでおりました。ここには、長男ネバヨトを始めとして12人の名前が記されており、彼らはそれぞれの部族の首長であったと記されています。この記述は、主がアブラハムに約束されたことが実現したことを示しております。第17章で、主はアブラハムに、「イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。」と約束されました。その約束のとおり、イシュマエルは十二人の首長の父となったことをこの系図は示しているのです。また、このことは、イシュマエルを通しても、アブラハムが多くの国民の父となったことを示しています。

 17節に、「イシュマエルの生涯は百三十七年であった。彼は息を引き取り、死んで先祖の列に加えられた」とありますが、ここには、「満ち足りて」という言葉は記されていません。それは、彼の子供たちが互いに敵対しつつ生活していたことと関係があるかも知れません。ともかく、イシュマエルの死の記述には、「満ち足りて」という言葉は記されていないのです。アブラハムが「満ち足りて死んだ」のに対して、イシュマエルはただ「死んだ」のでありました。

結.満ち足りて死を迎えるために

 では、私たちがアブラハムのように満ち足りて死を迎えるには、どうすればよいのでしょうか?それを知る手がかりが、新約聖書のヨハネによる福音書第8章56節の主イエスの御言葉にあるのではないかと思います。新約聖書の183頁です。イエス様はそこで次のように言われています。「あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て喜んだのである」。アブラハムは、神様の約束が自分の子孫において実現することを楽しみにしておりました。そして、その約束はアブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストにおいて実現したわけです。ですから、イエス様は、「アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て喜んだのである」と言われたのです。イエス・キリストを信じる人生、それは満ち足りて死を迎えることのできる人生であるのです。イエス・キリストに、神の救いの実現を見るとき、人は満ち足りて死を迎えることができるのです(ルカ2:29参照)。

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