旅路を導かれる主 2012年11月04日(日曜 夕方の礼拝)

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旅路を導かれる主

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 24章10節~17節

聖句のアイコン聖書の言葉

24:10 僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、アラム・ナハライムのナホルの町に向かって出発した。
24:11 女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、
24:12 祈った。「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。
24:13 わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、
24:14 その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」
24:15 僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、
24:16 際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、
24:17 僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた。「水がめの水を少し飲ませてください。」創世記 24章10節~17節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は、創世記の第24章10節から27節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願っています。

 前回、私たちは、アブラハムが全財産を任せている年寄りの僕に、 息子イサクの嫁を、自分の一族のいる故郷へ行って、連れてくるように、主にかけて誓わせたことを学びました。今夕はその続きでありまして、僕が主人の一族のいるアラム・ナラハイムのナホルの町に向かって出発したことが記されています。アラム・ナハライムとは、「二つの川の間のアラム」という意味で、チグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミア地方のことであります。「ナホルの町」とはナホルが住んでいる町という意味で、おそらくハランであったと思います(11:31参照)。僕は、主人のラクダの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、メソポタミア地方のハランへと向かったのです。ラクダを十頭も選んだのは、息子イサクの嫁とその侍女を乗せるためであり、また高価な贈り物を携えたのは、嫁を迎えるのに贈る結納の品としてでありました。このように、アブラハムは必要なものを持たせて、僕をアラム・ナハライムにあるナホルの町へ出発させたのです。

 カナンの地からアラム・ナハライムまでは、少なくとも一ヶ月の道のりであったと言われていますが、聖書はそれを記さず、僕が目的地であるナホルの町に着いた場面から記しています。アブラハムは、僕に、「わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れてくるように」と誓わせました。皆様が、この僕と同じ立場にあったら、どうされるでしょうか?私などは、そんなこと不可能じゃないかと思ってしまうのですが、この僕は賢い僕でありました。僕は、夕方に女たちが井戸に水をくみに来ることに、目を付けるのです。ナホルの町について、手当たり次第に若い女性に声をかけるということではなくて、その町の女たちが水をくみに集まってくる夕方の、井戸の傍らに出会いの場を求めたのであります。そして、僕は、まず主に祈ったのです。「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水くみに来たとき、その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう」。ハランに何人の若い娘がいるのかは分かりませんが、おそらく何十人といたことでしょう。その中から、イサクの嫁をどのようにして選べばよいのでしょうか?僕は、ここで、自分だけではなく、ラクダにも水を飲ませてくれる娘を、主がイサクの嫁としてお決めになったものとさせてくださいと祈っております。旅人に親切な娘、さらにはラクダにも水を飲ませてくれる、親切で、気がつく、働き者の娘、それがイサクの嫁としてふさわしい条件でありました(箴言31章参照)。娘ならだれでも良いということではありませんで、僕は、人間だけではなく、ラクダにも気が回る働き者の娘を、イサクの嫁として主がお決めになったものとさせてくださいと祈ったのです。そのようにして、「わたしは主がアブラハムに慈しみを示されたことを知るでしょう」と祈るのです。そして、僕がまだ祈り終わらないうちに、リベカが水がめを肩に載せてやって来たのです。僕は容姿については何も祈っておりませんでした。私たちは目に見える美しさを追い求めやすいのでありますが、僕は容姿については何も祈っていないのです。しかし、リベカは極めて美しいおとめでありました。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、僕は駆け寄り、彼女に向かって、「水がめの水を少し飲ませてください」と語りかけました。すると、彼女は「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませたのです。そして、彼が飲み終わると、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行き、すべてのラクダに水をくんでやったのです。十頭のラクダがたらふく飲むための水を汲むこと、これは大変な労働です。しかし、リベカはそれを自発的に、走って行ったのです。僕はその間、主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていたのです。

 らくだが水を飲み終わると、僕は重さ一ベカ、約5.7グラムの金の鼻輪一つと、十シェケル、約110グラムの金の腕輪二つを取り出しながら、「あなたは、どなたの娘さんですか。教えてください。お父さまの家にはわたしどもが泊めていただける場所があるでしょうか」と尋ねました。僕は、自分の持つ富を見せながら、彼女の家に泊めて欲しいと願い出るのです。すると、娘は、「わたしは、ナホルとそのベトエルの娘です。わたしどもの所には、わらも餌もたくさんあります。お泊まりになる場所もございます」と答えました。何と、彼女は、アブラハムの一族の娘であったのです。それを聞いて、僕はひざまずいて主を伏し拝み、感謝の祈りをささげました。「主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家にたどりつかせてくださいました」。出発する前に、アブラハムは僕に、7節で次のように言っておりました。「天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる」。このアブラハムの言葉のとおり、主は僕の旅路を導き、主人の家にたどりつかせてくださったのです。そして、それは、主の慈しみとまことがアブラハムから離れなかったことを表しているのです。アブラハムを父の家、生まれ故郷から連れ出し、「あなたの子孫にこの土地を与える」と誓い、約束された神は、その約束に対して誠実なお方であるのです。主は、アブラハムとの契約に誠実な神であるゆえに、イサクのために、ベトエルの娘リベカを備えてくださいました。私たちはここからも神が備えてくださる摂理の神であることを教えられるのです。

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