ハガルを顧みられる神 2012年6月24日(日曜 夕方の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

ハガルを顧みられる神

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 16章1節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

16:1 アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。
16:2 サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、サライの願いを聞き入れた。
16:3 アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナン地方に住んでから、十年後のことであった。
16:4 アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。
16:5 サライはアブラムに言った。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」
16:6 アブラムはサライに答えた。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。
16:7 主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、
16:8 言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、
16:9 主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」
16:10 主の御使いは更に言った。「わたしは、あなたの子孫を数えきれないほど多く増やす。」
16:11 主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい/主があなたの悩みをお聞きになられたから。
16:12 彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので/人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」
16:13 ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。
16:14 そこで、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった。それはカデシュとベレドの間にある。
16:15 ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。
16:16 ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。創世記 16章1節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は、創世記第16章1節から16節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 1節から3節までをお読みします。

 アブラムの妻サライには、子供が生まれなかった。彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた。サライはアブラムに言った。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません。」アブラムは、妻サライの願いを聞き入れた。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れて来て、夫アブラムの側女とした。アブラムがカナンの地方に住んでから、十年後のことであった。

 主はアブラムに、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。あなたの子孫はこのようになる」と言われましたが、アブラムの妻サライには、子供が生まれませんでした。「彼女には、ハガルというエジプト人の女奴隷がいた」とありますが、ハガルはおそらく、第12章に記されていたエジプト滞在中に、ファラオから与えられた女奴隷の一人であったと思われます。サライがファラオの宮廷に召し入れられたことによって、アブラムに与えられた女奴隷の一人が、サライに仕える者となっていたのです。サライはアブラムにこう言いました。「主はわたしに子供を授けてくださいません。どうぞ、わたしの女奴隷のところに入ってください。わたしは彼女によって、子供を与えられるかもしれません」。古代オリエントの社会において、奴隷によって、子供を得るということは家系を絶やさないための知恵であり、合法的なことでありました。妻は主人との間に子供が生まれない場合、自分の女奴隷を主人の側女として、彼女によって子供を得ることができるとされていたのです。(30:3参照)。サライは自分に子供が生まれないのは、主が自分に子供を授けてくださらないからだと知っていました。そうであれば、主が子供を授けてくださるまで祈って待ちましょうとなりそうですが、そうではありませんでした。彼女は人間的な知恵によって、女奴隷を通して、アブラムとの間に子供を得ようとするのです。そのようにして、神様の約束を実現させようとするのです。おそらくサライは次のように考えたのではないでしょうか。主はアブラムに「あなたから生まれる者が跡を継ぐ」と言われたけれども、それは必ずしも自分から生まれるとは限らないのではないか。女奴隷を通して与えられる子供であっても、アブラムから生まれた子であるのだから、主の約束に反してはいないのではないか。ここに私たちは不妊の女サライの苦渋の決断を見ることができると思います。アブラムもそのサライの苦悩を知っていたのでしょう。アブラムは、サライの願いを聞き入れました。アブラムの妻サライは、エジプト人の女奴隷ハガルを連れてきて、夫アブラムに側女として与えたのです。これはサライにとって、耐え難いことでありましたが、彼女はアブラムの間に子供を得たい一心でそのような選択をしたのです。

 4節から6節までをお読みします。

 アブラムはハガルのところに入り、彼女は身ごもった。ところが、自分が身ごもったのを知ると、彼女は女主人を軽んじた。サライはアブラムに言った。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように。」アブラムはサライに答えた。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい。」サライは彼女につらく当たったので、彼女はサライのもとから逃げた。

 サライの思惑どおり、ハガルはアブラムの子を身ごもりました。しかし、ハガルは自分がアブラムの子を身ごもったのを知ると、女主人であるサライを軽んじるようになったのです。おそらく、ハガルは身ごもったことを理由にサライの言うことを聞かなくなったのでありましょう。それで、サライはアブラムに、こう訴えるのです。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです。女奴隷をあなたのふところに与えたのはわたしなのに、彼女は自分が身ごもったのを知ると、わたしを軽んじるようになりました。主がわたしとあなたとの間を裁かれますように」。「わたしが不当な目に遭ったのは、あなたのせいです」。このサライの言葉は、ハガルが主人である自分を軽んじているにもかかわらず、それを放置しているアブラムに対する不平の言葉であります。ハガルはアブラムの妻となってかも、サライの女奴隷であることに変わりはありません。しかし、ハガルは自分がアブラムの子を身ごもったのを知ると、サライを軽んじたのです。ここには子を身ごもったというハガルと子を授けられないサライの女同士の複雑な思いが入り交じっているように思われます。サライは、「主がわたしとあなたとの間を裁かれますように」と語ることによって、アブラムがサライの正しさを速やかに擁護することを求めたのです。それに対して、アブラムはサライにこう答えました。「あなたの女奴隷はあなたのものだ。好きなようにするがいい」。このように語ることによって、アブラムはサライが依然としてハガルの女主人であること、ハガルがサライの女奴隷であることを確認したわけです。それで、サライはハガルにつらく当たり、ハガルはサライのもとから逃げ出したのです。

 7節から14節までをお読みします。

 主の御使いが荒れ野の泉のほとり、シュル街道に沿う泉のほとりで彼女と出会って、言った。「サライの女奴隷ハガルよ。あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか。」「女主人サライのもとから逃げているところです」と答えると、主の御使いは言った。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい。」主の御使いは更に言った。「わたしは、あなたの子孫を数え切れないほど多く増やす。」主の御使いはまた言った。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい/主があなたの悩みをお聞きになられたから。彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので/人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす。」

 ハガルは自分に語りかけた主の御名を呼んで、「あなたこそエル・ロイ(わたしを顧みられる神)です」と言った。それは、彼女が、「神がわたしを顧みられた後もなお、わたしはここで見続けていたではないか」と言ったからである。そこで、その井戸は、ベエル・ラハイ・ロイと呼ばれるようになった。それはカデシュとベレドの間にある。

 サライのもとから逃げ出したハガルに、主の御使いが出会ってくださいました。主の御使いは、ハガルに、「サライの女奴隷ハガルよ」と呼びかけます。ハガルはサライのもとを逃げ出しても、依然としてサライの女奴隷であるのです。そして、「あなたはどこから来て、どこへ行こうとしているのか」と問われるのです。これは過去と将来を問う、意味深長な言葉であります。それに対してハガルは「女主人サライのもとから逃げているところです」と現在のことだけを答えました。しかし、主の御使いはハガルにこう言うのです。「女主人のもとに帰り、従順に仕えなさい」。御使いはハガルに「サライを軽んじず従順に仕えなさい。サライがつらく当たっても、忍耐しなさい」と言うのです。そして、主の御使いはハガルに、「わたしは、あなたの子孫を数え切れないほど多く増やす」という約束を与えてくださるのです。これはアブラムに与えられたのと同じ約束であります。ハガルの子はアブラムの子であるがゆえに、主はハガルにもこのように言われたのです。主の御使いはまたハガルにこう言いました。「今、あなたは身ごもっている。やがてあなたは男の子を産む。その子をイシュマエルと名付けなさい/主があなたの悩みをお聞きになられたから。彼は野生のろばのような人になる。彼があらゆる人にこぶしを振りかざすので/人々は皆、彼にこぶしを振るう。彼は兄弟すべてに敵対して暮らす」。イシュマエルとは「神は聞く」という意味ですが、主がハガルの悩みをお聞きになられたゆえに、御使いは生まれてくる男の子にイシュマエルと名付けるように言われました。主は女奴隷ハガルの悩みを聞いてくださるお方であるのです。そして、主はハガルを顧みてくださる神でもあります。ハガルはそのことを忘れないために、その井戸をエル・ラハイ・ロイ、すなわち、「私を顧みておられる、生きておられる方の井戸」と名付けたのです。

 15節、16節をお読みします。

 ハガルはアブラムとの間に男の子を産んだ。アブラムは、ハガルが産んだ男の子をイシュマエルと名付けた。ハガルがイシュマエルを産んだとき、アブラムは八十六歳であった。

 ハガルは主の御使いの言葉に従って、女主人サライのもとに戻りました。このことは、アブラムとサライの夫婦関係を救ったのではないかと思います。アブラムはハガルが逃げ出したとき、そのお腹に自分の子供が宿っているゆえに、当然心配したと思います。ハガルを探しに行きたいとさえ思ったかも知れません。しかし、サライの手前、そのようなことはできなかった。サライも夫アブラムに対して複雑な感情を抱いていたでしょう。しかし、ハガルが戻ってくることによって、アブラムとサライとの関係が保たれたのです。アブラムは生まれた男の子にイシュマエルと名付けました。このことは、ハガルがアブラムに主の御使いの言葉を伝えたことを教えています。アブラムは86歳にして、子を授けられるのです。

 今夕の御言葉で注目したいことは、主が女奴隷ハガルの悩みを聞き、顧みてくださったということです。考えてみますと、ハガルは気の毒な女であります。ハガルはまだ男の人を知らないおとめであったでしょう。ハガルは女主人サライの命令によって、老人であるアブラムの側女とされました。そして、サライの望みどおり子を宿すと、今度はサライからつらくあたられ、逃げ出すことになるわけです。サライもアブラムもハガルを追って来たわけではありません。サライもアブラムもハガルとそのお腹の子について責任を取ろうとしないのです。しかし、主はハガルとそのお腹の子について責任を取ってくださいます。なぜなら、ハガルのお腹の子は主によって授けられた子であるからです。サライが「主はわたしに子供を授けてくださいません」と言っていたように、すべての命は主によって授けられて生まれてきます。ですから、神様が望まれないで地上に生まれてきた人は一人もいないのです。それゆえ、主はすべての人を顧みてくださるお方でもあるのです。神はそのようなお方として、御子イエス・キリストを遣わしてくださったのです。主はすべての人を顧みてくださる。イエス・キリストの十字架の出来事は、そのことを私たちに教えているのです。

関連する説教を探す関連する説教を探す