アブラムの契約 2012年6月17日(日曜 夕方の礼拝)

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アブラムの契約

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 15章7節~21節

聖句のアイコン聖書の言葉

15:7 主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」
15:8 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」
15:9 主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」
15:10 アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。
15:11 禿鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。
15:12 日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。
15:13 主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。
15:14 しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。
15:15 あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。
15:16 ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」
15:17 日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。
15:18 その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、
15:19 カイン人、ケナズ人、カドモニ人、
15:20 ヘト人、ペリジ人、レファイム人、
15:21 アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」
創世記 15章7節~21節

原稿のアイコンメッセージ

 小見出しに、「神の約束」とありますように、神様はアブラムに2つのことを約束しておられました。1つは子孫を与える約束であり、2つ目は土地を与える約束であります。前回私たちは1節から6節より、子孫を与える約束について学びましたので、今夕は7節から21節より、土地を与える約束について御一緒に学びたいと願います。

 7節をお読みします。

 主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導きだした主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」

 第11章31節に「テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルから出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった」と記されておりました。そして、このハランで、アブラムは神様からの召し出されて父の家を離れて主が示される土地へ出発したのであります。ですから、主がアブラムを導き出したのハランではないかと思うのですが、ここでは「カルデアのウルから導き出した」と記されています。そうしますと、父テラがカルデアのウルを出発したのは、主がアブラムを導き出したことと関係があるのかも知れません。ともかく、主は「わたしはあなたをカルデアのウルから導きだした主である」と自己紹介されたのです。そして、「そのわたしがあなたにこの土地を与え、それを継がせる」とアブラムに言われたのであります。土地を与える約束はこれまでに2度か語られておりました。最初は第12章7節であります。主はカナン地方に入ったアブラムに現れ、こう言われました。「あなたの子孫にこの土地を与える」。2度目は第13章14節、15節であります。主はロトと分かれたアブラムにこう言われました。「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える」。そして、今夕の御言葉で、三度、主はアブラムに、「わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる」と言われるのです。

 8節から11節までをお読みします。

 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。はげ鷹がこれらの死体をねらって降りて来ると、アブラムは追い払った。

  アブラムは主に、「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか」と尋ねました。アブラムは、主の言葉を信じていないのではありません。アブラムは、「わが神、主よ」と呼びかけているように、神様を信じているのです。ここでアブラムは、さらに信じるために目に見える保証を主に求めているのです。アブラムはそのようにして、主に自分の信仰の弱さを克服していただくことを願ったのです。主はアブラムに、「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と鳩の雛をわたしのもとに持って来なさい」と言われました。「アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせに置いた」とありますから、このことも主がアブラムに命じられたことであったと思います。アブラムは勝手にそれらを真っ二つに切り裂いたのではなく、主からの命令を受けてしたはずです。アブラムは三歳の雌牛と三歳の雌山羊と三歳の雄羊を真っ二つに切り裂きそれぞれ向かい合わせにおきました。しかし、山鳩と鳩の雛は切り裂かずに置きました。これはいったい何を意味しているのでしょうか?その答えが深い眠りの中でアブラムに語られるのです。

 12節から16節をお読みします。

 日が沈みかけたころ、アブラムは深い眠りに襲われた。すると、恐ろしい大いなる暗黒が彼に臨んだ。主はアブラムに言われた。「よく覚えておくがよい。あなたの子孫は異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられるであろう。しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く。その後、彼らは多くの財産を携えて脱出するであろう。あなた自身は、長寿を全うして葬られ、安らかに先祖のもとに行く。ここに戻って来るのは、四代目の者たちである。それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである。」

 主はアブラムに、「わたしはあなたにこの土地を継がせる」と言われましたが、それはアブラムの子孫であるのです。ここではアブラムとその子孫が一体的に捉えられているわけです(15:2「わたしを継ぐ」、15:3「あなたを継ぐ」参照)。それもすぐに実現するのではなくて、「異邦の国で寄留者となり、四百年の間奴隷として仕え、苦しめられ」てからであるのです。主は、「しかしわたしは、彼らが奴隷として仕えるその国民を裁く」と言われますが、ここには出エジプトの出来事が預言されています。「わたしはあなたにこの土地を与える」という主の約束はそのような長い期間を経て実現するのです。ここに戻ってくるのは、異邦の国で奴隷とされてから四代目の者たちなのです。そして、ここに四番目の山鳩が切り裂かれなかった理由があるのです。主は、三歳の雌牛と三歳の雌山羊と三歳の雄羊の三匹は真っ二つに切り裂くように言われました。これは異邦の国で奴隷として苦しむ三世代を表しております。そして、切り裂かれない四番目の山鳩はカナンの地に戻ってくる四代目の者たちを表しているのです。主は、ここに戻って来るのが、四代目の者たちである理由として、「それまでは、アモリ人の罪が極みに達しないからである」と言われます。ここでの「アモリ人」はカナンの地に住んでいる人々の総称であります(12:6、13:7参照)。今、カナンの地にはアモリ人が住んでいるのです。そして、このことも主の御意志によることなのです。主によってアモリ人は今カナンの地に住んでいるわけです。しかし、主はそのアモリ人の罪が四百年後には極みに達すると言うのです。そのとき、主はアブラムの子孫を通して、カナンの地からアモリ人を追い出されるのです。そのようにして、アブラムの子孫はカナンの土地を主から与えられるのです。

 17節から21節までをお読みします。

 日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、アモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人の土地を与える。」

 ここでの「煙を吐く炉と燃える松明」は、主の御臨在を表しております(出エジプト19:18参照)。主は二つに裂かれた動物の間を通り過ぎられたのです。「その日、主はアブラムと契約を結んで言われた」とありますように、二つに裂かれた動物の間を通り過ぎるのは、契約を結ぶ儀式であったのです。この儀式についてはエレミヤ書の第34章18節に次のように記されています。「わたしの契約を破り、わたしの前で自ら結んだ契約の言葉を履行しない者を、彼らが契約に際して真っ二つに切り裂き、その間を通ったあの子牛のようにする」。真っ二つに裂かれた動物の間を通り過ぎるという儀式は、もし契約を破るようなことがあれば、わたしはこの動物と同じように真っ二つに切り裂かれてもかまわないという誓いを表す儀式であったのです。ですから、主が二つの裂かれた動物の間を通り過ぎたことは、まことに驚くべきことであります。ここには、アブラムが二つの裂かれた動物の間を通り過ぎたとは書いてありません。アブラムは何の責任も負ってないのです。そもそもアブラムに与えられた主の約束、「わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる」という主の約束はアブラムに何の責任をも負わせなさい、一方的な恵みとしての約束でありました。主はアブラムに責任を負わせて、それを果たしたら土地を与えようと約束したのではないのです。アブラムの子孫に土地を与えることは、神様の一方的な恵みの約束なのであります。そして、その約束の保証として、主は二つに裂かれた動物の間を通られたのです。そのようにして主は約束をアブラムの内に確かなものとしてくださったのです。

 旧約聖書において、土地は「永遠の命」の象徴であると言われます(雨宮慧)。ですから、ここで主はアブラムに永遠の命を与えることを約束して、二つの裂かれた動物の間を通り過ぎたのです。そのように考えるとき、私たちはここに十字架の上で肉を裂かれた神の御子、イエス・キリストのお姿を見ることができます。主は父と子と聖霊なる三位一体の神であられますから、二つに裂かれた動物の間を通り過ぎたのは人の性質を取られる前の子なる神、先在のキリストであったのです。

 そもそも、神様がアブラムに土地を与えると言われたのは、アブラム個人のためではありません。主の目的はアブラムを大いなる国民とし、アブラムによって地上のすべての氏族を祝福に入れることでありました。アブラムはそのための主の器であるのです。人間はアダムの堕落によって造り主である神に背く者となりました。そして、バベルの裁き以後は、それぞれの神々を信じる者となってしまいました。そのような中で、主はアブラムに御自身を現し、アブラムを祝福の源とすることによって、すべての氏族を祝福し、永遠の命を受け継ぐ者にしようと計画されたのです。そして、その計画を神の御子が人となり、十字架において肉を裂くという仕方で実現してくださったのであります。なぜ、神様はそのような責任を負われたのでしょうか?なぜ、主はアブラムとその子孫に永遠の命を与えないならば、わたしは真っ二つに裂かれてもよいと言われたのでしょうか?それは主が人間を造られたお方であるからです。主が人間を御自分のかたちに、御自分との愛の交わりに生きる者として造られたからです。主は私たちを愛するがゆえに、二つの裂かれた動物の間を通り過ぎ、さらには十字架のうえで御自身の肉を裂かれたのです。そして、そのことを私たちに主の晩餐を通して、見えるかたちで示してくださっているのです。「わが神、主よ。わたしが永遠の命を継ぐことを、何によって知ることができましょうか」と尋ねる私たちに、主は「これはあなたがたのために裂かれたわたしの体である」といってパンを差し出してくださるのです。ですから、私たちはアブラムのように、この地上を安らかに去って行くことができるのです。

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