エジプト滞在 2012年4月29日(日曜 夕方の礼拝)

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エジプト滞在

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 12章10節~20節

聖句のアイコン聖書の言葉

12:10 その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした。
12:11 エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った。「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。
12:12 エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、わたしを殺し、あなたを生かしておくにちがいない。
12:13 どうか、わたしの妹だ、と言ってください。そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう。」
12:14 アブラムがエジプトに入ると、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思った。
12:15 ファラオの家臣たちも彼女を見て、ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。
12:16 アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、牛の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた。
12:17 ところが主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。
12:18 ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたはわたしに何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。
12:19 なぜ、『わたしの妹です』などと言ったのか。だからこそ、わたしの妻として召し入れたのだ。さあ、あなたの妻を連れて、立ち去ってもらいたい。」
12:20 ファラオは家来たちに命じて、アブラムを、その妻とすべての持ち物と共に送り出させた。創世記 12章10節~20節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記の第12章10節から20節より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 10節をお読みします。

 その地方に飢饉があった。アブラムは、その地方の飢饉がひどかったので、エジプトに下り、そこに滞在することにした。

 その地方とは、9節にありますように「ネゲブ地方」のことであります。ネゲブ地方はパレスチナの南部にあたります。現在のパレスチナにあたるカナン地方の作物の収穫は、雨期の降水量によって大きく左右されました。雨期に雨が降らないと、カナン地方では作物が取れず、飢饉になってしまうのです。しかし、エジプトにはナイル川があり、作物の収穫は比較的安定しておりました。それでアブラムは、ネゲブ地方にひどい飢饉があったとき、エジプトに下り、そこに滞在することにしたのです。「飢饉」とは「農作物が実らず、食物が欠乏して、飢え苦しむこと」であります。ですから、アブラムは生きるためにエジプトに下り、滞在することにしたのです。

 11節から13節までをお読みします。

 エジプトに入ろうとしたとき、妻サライに言った。「あなたが美しいのを、わたしはよく知っている。エジプト人があなたを見たら、『この女はあの男の妻だ』と言って、わたしを殺し、あなたを生かしておくにちがいない。どうか、わたしの妹だと言ってください。そうすれば、わたしはあなたのゆえに幸いになり、あなたのお陰で命も助かるだろう。」

 第17章17節を見ますと、アブラムは「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか」と言ったとありますから、サライはアブラムより10歳若かったようです。第12章4節後半に「アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった」とありますから、このときサライは65歳以上であったと思われます。しかし、サライは魅力的な美しい女性であったようです。アブラムは妻サライが美しいことを知っておりましたから、エジプト人が自分を殺して、サライを生かしておくのではないかと恐れたのです。アブラムは美しい妻サライのゆえに、自分の命が危険にさらされることを恐れたのです。それで、サライに「どうか、わたしの妹だと言ってください」と言うのです。美しい妻を持つ夫は命の危険にさらされますが、美しい妹を持つ兄は幸いになり、命を保つとアブラムは考えたのです。このように聞きますと、アブラムは自分の命のゆえに妻を他人に引き渡す卑劣な男であると思われるかも知れません。しかし、今のアブラムにはそれしか生きる術がないのです。そのことをサライも分かっていたのでしょう。サライが何と言ったかは記されておりませんけれども、妻サライは夫アブラムの願いを聞き入れたのです。

 14節から17節までをお読みします。

 アブラムがエジプトに入ると、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思った。ファラオに彼女のことを褒めたので、サライはファラオの宮廷に召し入れられた。アブラムも彼女のゆえに幸いを受け、羊の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどを与えられた。ところが、主は、アブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせた。

 アブラムが危惧していたとおり、エジプト人はサライを見て、大変美しいと思いました。そして、サライはエジプトの王ファラオの宮廷に召し入れられるのです。王は、美しい女を自分の宮廷に召し入れる権力を持っていました。その女がすでに誰かの妻であるならば、王はその夫を殺してでも、自分の妻にすることができたのです。サムエル記下の第11章に、ダビデ王がウリヤの妻であるバト・シェバを召し入れ、さらには夫であるウリヤを戦いの最前線に送って殺してしまうことが記されております。王はそのような権力を持っていたのです。サライがファラオの宮廷に召し入れられることによって、アブラムは彼女のゆえに幸いを受けました。アブラムに与えられた羊の群れ、ろば、男女の奴隷、雌ろば、らくだなどの財産は、妹サライを妻とするファラオから送られた結納の品々であります。アブラムは妻サライの代わりに、多くの財産を手にしたのであります。このことはアブラムに与えられた約束が無効にされてしまう危機でありました。主は第12章2節でアブラムにこう言われておりました。「わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように」。また7節で主はアブラムに現れて、「あなたの子孫にこの土地を与える」と言われました。このようにアブラムには子孫が与えられることが約束されていたのです。そして、この約束は夫婦であるアブラムとサライに与えられていた約束でもあったのです。しかし、サライがファラオの宮廷に召し入れられることにより、主の約束が無効となってしまう危険性が生じたわけです。それゆえ、主はアブラムの妻サライのことで、ファラオと宮廷の人々を恐ろしい病気にかからせたのです。そのようにして、ファラオがサライを自分の妻とすることを阻まれるのであります。

 18節から20節までをお読みします。

 ファラオはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたはわたしに何ということをしたのか。なぜ、あの婦人は自分の妻だと、言わなかったのか。なぜ、『わたしの妹です』などと言ったのか。だからこそ、わたしの妻として召し入れたのだ。さあ、あなたの妻を連れて、立ち去ってもらいたい。」

 ファラオは家来たちに命じて、アブラムを、その妻とすべての持ち物と共に送り出させた。

 ファラオは恐ろしい病気がサライを妻として召し入れたことによると知り、アブラムを呼び寄せました。そして、なぜ、自分の妻を妹ですと言ったのかとアブラムを責めるのです。ファラオは、アブラムが「わたしの妹です」と言ったからこそ、妻として召し入れたのだと言うのであります。これはファラオも他人の妻を娶ることは悪いことだと知っているということでしょうか?すべてはアブラムのいらぬ心配であったのでしょうか?それは今となっては分かりません。明きからなことは、ファラオが恐ろしい病気に、人間を越えた神の力を見て取っていることです。それゆえ、ファラオは持ち物を取り上げることもなく、アブラムとその妻を家来たちに護衛させて、送り出したのです。

 今夕の御言葉に記されているのは、神の約束を無効にしようとする危機であります。その危機とは妻サライがファラオの家に召し入れられるということであります。そして、その危機の原因の一端が約束を受けたアブラムにあることを私たちは見逃すことができません。神の約束は外からの危機だけではなくて、内からの危機にもさらされているのです。しかし、主が介入されることにより、神の約束は保たれるのです。神様はそのようにして、アブラムの弱さを覆ってくださり、御心を成し遂げてくださるのです。そして、このことは、私たちにおいても言えることなのです。使徒パウロはフィリピの信徒への手紙第1章3節から6節で次のように記しています。

 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。

 主は私たちの弱さをも恵みをもって覆ってくださり、私たちの中で始められた善い業を最後まで全うしてくださるのです。

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