祭壇を築くアブラム 2012年4月15日(日曜 夕方の礼拝)

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祭壇を築くアブラム

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 12章1節~9節

聖句のアイコン聖書の言葉

12:1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。
12:2 わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める/祝福の源となるように。
12:3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
12:4 アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。アブラムは、ハランを出発したとき七十五歳であった。
12:5 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。
12:6 アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。
12:7 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。
12:8 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。
12:9 アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。創世記 12章1節~9節

原稿のアイコンメッセージ

 先程は創世記第12章1節から9節までをお読みしました。前回は1節から4節よりお話しましたので、今夕は5節から9節よりお話したいと思います。

 5節、6節をお読みします。

 アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し、カナン地方に入った。アブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来た。当時、その地方にはカナン人が住んでいた。

 4節にありますように、「アブラムは、主の言葉に従って旅立った」のでありますが、5節はそれをもう少し詳しく記してくれています。「アブラムは妻のサライ、甥のロトを連れ、蓄えた財産をすべて携え、ハランで加わった人々と共にカナン地方へ向かって出発し」たのです。第11章30節によれば、「サライは不妊の女で、子供ができなかった」と記されています。ですから、アブラムにはこのとき子供がいないのです。それで、アブラムは甥のロトを自分の子供のように可愛がっていたのではないかと思います。ロトも父親のハランを亡くしておりましたから、アブラムを父親のように慕っていたのかも知れません。ともかくアブラムは妻のサライ、甥のロトを連れて行ったのです。また「蓄えた財産をすべて携えて」とありますが、ここには父の家にはもう帰らないというアブラムの強い決意が表れています。「ハランで加わった人々」の「人々」は、おそらく奴隷でありましょう。第14章14節を見ますと「アブラムは、親族の者が捕虜になったと聞いて、彼の家で生まれた奴隷で、訓練を受けた者三百十八人を召集し、ダンまで追跡した」と記されていますから、アブラムは奴隷を、それも訓練された奴隷を持っていたようです。これは身を守るために必要なことであったと思います。アブラハム一行はカナン地方へ向けて出発しておりますから、どうやら主はアブラムにカナン地方に行きなさいと示されたようであります(11:31も参照)。カナン地方に入ったアブラムはその地を通り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来ました。参考資料として、アブラハムの移住を記した地図をお配りしました(フランシスコ会聖書研究所『創世記』第四図)。それを見ていただくと、ハランからシケムまでは直線距離でも600キロメートル以上離れています。昔の人は、一日に30キロメートルほど歩いたと言われますから、ハランを出発したアブラムがシケムに着くまで20日はかかったと思います。アブラムはようやくカナン地方に入り、シケムの聖所、モレの樫の木まで来たのです。「当時、その地方にはカナン人が住んでいた」とありますから、シケムの聖所は、カナン人が礼拝する神々のための聖所であります。カナン地方では生い茂った木の下で、神々が礼拝されていました(申命12:2参照)。パレスチナは日差しの厳しい所でありますから、生い茂った木の木陰で、神々を礼拝していたのでしょう。しかし、そこで主はアブラムに現れるのです。

 7節をお読みします。

 主はアブラムに現れて、言われた。「あなたの子孫にこの土地を与える。」アブラムは、彼に現れた主のために、そこに祭壇を築いた。

 ここには「主はアブラムに現れて」と記されています。どのようなかたちであったかは分かりませんが、主はアブラムに御声を聞かせるだけではなく、現れてくださったのです。それはアブラムの信仰を支えるためであったと思います。アブラムは主の御言葉に従って、父の家を離れ、主が示す地に来たわけでありますが、そこにはすでにカナン人が住んでおりました。アブラムの信仰は動揺したと思います。しかし、そのアブラムを力づけるように主は現れてこう言われるのです。「あなたの子孫にこの土地を与える」。ここで始めて「この土地を与える」という主の約束が語られます。主はハランからアブラムを召し出すときは、「土地を与える」とは言われませんでした。アブラムが御言葉に従って、カナンに入って始めて、主は「この土地を与える」と言われたのです。それも「あなたの子孫にこの土地を与える」と主は言われるのです。主は子供のいない、土地を持たないアブラムに、その両方を与えると約束されるのです。アブラムは彼に現れた主のために、そこに、カナン人の聖所のあるシケムに祭壇を築きました。ここでの「祭壇」は石を積み上げたり、土を盛ったものであります。アブラムが主のために祭壇を築いたことは、アブラムが主の御言葉を信じたことを表しています。また、アブラムが築いた主のための祭壇は、そこが主の土地であることを表しているのです。主は天地の造り主であり、その所有者であるがゆえに、アブラムの子孫にカナンの地を与えることができるのです。

 8節、9節をお読みします。

 アブラムは、そこからベテルの東の山へ移り、西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼んだ。アブラムは更に旅を続け、ネゲブ地方へ移った。

 土地を持たないアブラムはまるで巡礼者のようであります。しかし、アブラムは聖所を巡る巡礼者ではなく、聖所を築く巡礼者でありました。アブラムは西にベテル、東にアイを望む所に天幕を張って、そこにも主のために祭壇を築き、主の御名を呼びました。「主の御名を呼んだ」という言葉は、第4章26節にも記されておりました。第4章26節にこう記されています。「セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」。セトは、アダムとエバの間に生まれた子供です。ですからエノシュはアダムとエバの孫に当たります。そのエノシュの時代に「主の御名を呼び始めた」と聖書は記しているのです。そして、アブラムもエノシュと同じ主の御名を呼んだのです。アブラムに現れてくださった主は、天地を造られた主であります。そして、主だけが礼拝されるべきまことの神であるのです。アブラムは主のために祭壇を築き、主の御名を呼ぶことによって、そのことを証ししているのです。シケムの聖所で祭られている神々ではなく、主がまことの神であることをアブラムは礼拝によって告げ知らせているのです。

 使徒ペトロは使徒言行録の第4章で、「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名(イエス)のほか、人間には与えられていないのです」と語りました。そして、初代教会は主の御名を呼び求めたのです。日本では多くの神々がいると信じられておりますけれども、私たちを救ってくださる神は、イエス・キリストの父である神ただお一人であります。私たちは主イエスの御名を呼ぶことによって、そのことを証しているのです。私たちは主の日ごとに礼拝をささげることによって、私たちの主イエス・キリストの父である神こそ、天地を造られた唯一の生けるまことの神であることを証し、告げ知らせているのです。主の日だけ、また教会においてだけではなくて、私たちはいつでも、どこでも、主の御名を呼ぶことによって、主を証しし、告げ知らせることができるのです。

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