セムの系図、テラの系図 2012年3月18日(日曜 夕方の礼拝)

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セムの系図、テラの系図

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 11章10節~32節

聖句のアイコン聖書の言葉

11:10 セムの系図は次のとおりである。セムが百歳になったとき、アルパクシャドが生まれた。それは洪水の二年後のことであった。
11:11 セムは、アルパクシャドが生まれた後五百年生きて、息子や娘をもうけた。
11:12 アルパクシャドが三十五歳になったとき、シェラが生まれた。
11:13 アルパクシャドは、シェラが生まれた後四百三年生きて、息子や娘をもうけた。
11:14 シェラが三十歳になったとき、エベルが生まれた。
11:15 シェラは、エベルが生まれた後四百三年生きて、息子や娘をもうけた。
11:16 エベルが三十四歳になったとき、ペレグが生まれた。
11:17 エベルは、ペレグが生まれた後四百三十年生きて、息子や娘をもうけた。
11:18 ペレグが三十歳になったとき、レウが生まれた。
11:19 ペレグは、レウが生まれた後二百九年生きて、息子や娘をもうけた。
11:20 レウが三十二歳になったとき、セルグが生まれた。
11:21 レウは、セルグが生まれた後二百七年生きて、息子や娘をもうけた。
11:22 セルグが三十歳になったとき、ナホルが生まれた。
11:23 セルグは、ナホルが生まれた後二百年生きて、息子や娘をもうけた。
11:24 ナホルが二十九歳になったとき、テラが生まれた。
11:25 ナホルは、テラが生まれた後百十九年生きて、息子や娘をもうけた。
11:26 テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた。
11:27 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。
11:28 ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。
11:29 アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。ハランはミルカとイスカの父であった。
11:30 サライは不妊の女で、子供ができなかった。
11:31 テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。
11:32 テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ。創世記 11章10節~32節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記の第11章10節から32節より、御言葉の恵みにあずかりたいと思います。

 小見出しに「セムの系図」、「テラの系図」とありますように、このところには系図が記されています。この系図はノアの息子のセムからアブラムまでをつなぐものとしてこのところに記されています。第12章からアブラムの物語が始まりますけれども、創世記の編集者は系図によって、ノアの洪水の物語とアブラムの物語を繋いでいるのです。

 10節から26節までをお読みします。

 セムの系図は次のとおりである。セムが百歳になったとき、アルパクシャドが生まれた。それは洪水の二年後のことであった。セムは、アルパクシャドが生まれた後五百年生きて、息子や娘をもうけた。アルパクシャドが三十五歳になったとき、シェラが生まれた。アルパクシャドは、シェラが生まれた後四百三年生きて、息子や娘をもうけた。シェラが三十歳になったとき、エベルが生まれた。シェラは、エベルが生まれた後四百三年生きて、息子や娘をもうけた。エベルが三十四歳になったとき、ペレグが生まれた。エベルは、ペレグが生まれた後四百三十年生きて、息子や娘をもうけた。ペレグが三十歳になったとき、レウが生まれた。ペレグは、レウが生まれた後二百九年生きて、息子や娘をもうけた。レウが三十二歳になったとき、セルグが生まれた。レウは、セルグが生まれた後二百七年生きて、息子や娘をもうけた。セルグが三十歳になったとき、ナホルが生まれた。セルグは、ナホルが生まれた後二百年生きて、息子や娘をもうけた。ナホルが二十九歳になったとき、テラが生まれた。ナホルは、テラが生まれた後百十九年生きて、息子や娘をもうけた。テラが七十歳になったとき、アブラム、ナホル、ハランが生まれた。

 このセムの系図は第5章に記されていた「アダムの系図」と似ているところがいくつかあります。アダムの系図は10代に渡って記されておりましたが、セムの系図も10代に渡って記されています。ちなみに、アダムの系図の10代目はノアであり、セムの系図の10代目はテラであります。また、どちらも三人の息子の名前を記すことによって閉じられています。アダムの系図はノアの息子である「セム、ハム、ヤフェト」の名前を記して閉じられており、セムの系図はテラの息子である「アブラム、ナホル、ハラン」をもって閉じられているのです。これは偶然というよりも、意図的なものであります。すなわち、アダムの系図も、セムの系図もある意図をもって編集されたているのです。また、違う点もいくつかあります。一つは寿命が短くなっているということです。アダムの系図では1000年に近かった寿命がセムの系図では、その半分の500年、さらにはその半分の250年ほどになっています。10節のセムを見ますと、父であるノアが950年生きたのに対して、セムは600年と半減しています。また、18節のペレグを見ますと、父であるエベルが464年生きたのに対して、ペレグは239年と半減しています。これは大洪水による神の裁き、さらにはバベルの塔による神の裁きが関係していると思われます。第10章に「ノアの息子、セム、ハム、ヤフェトの系図」が記されていましたが、その25節に「エベルには二人の息子が生まれた。ひとりの名は、その時代に土地が分けられた(パラグ)ので、ペレグといい」とありますが、多くの研究者は、このペレグの時代にバベルの塔の裁きが行われたのではないかと推測しています。「土地が分けられた」とは「主によって全地に散らされた」ことを意味していると考えるわけです。それゆえ、ペレグのときに寿命が半減していると考えられるのです。また、アダムの系図とセムの系図では、子をもうけた年齢も違っています。アダムの系図では100歳以上で子供をもうけることは普通でありました。ノアがセム、ハム、ヤフェトをもうけたのは500歳であったと記されています。しかし、セムの系図では30歳代で子供をもうけたことが多く記されています。このように、セムの系図は、より私たちの現状に近いものとなっているのです。

 先程もふれましたように、セムの系図は第10章にも記されていました。しかし、第11章の「セムの系図」はテラの子であるアブラムに至る系図として記されています。それで、セムの他の子孫のことは記さずに、アルパクシャドの名前だけを記しているのです。アルパクシャド、シェラ、エベル、ペレグとここまでは第10章の系図に名前が記されていましたが、その後のレウは名前が記されておりませんでした。といいますのも、第10章はエベルのもう一人の息子であるヨクタンの息子たちについて記していたからです。しかし、アブラムはヨクタンの子孫ではなく、ペレグの子孫として生まれるのです。ペレグからレウが生まれ、レウからセルグが生まれ、セルグからナホルが生まれ、ナホルからテラが生まれ、そしてテラからアブラム、ナホル、ハランが生まれたのです。

 27節から32節までをお読みします。

 テラの系図は次のとおりである。テラにはアブラム、ナホル、ハランが生まれた。ハランにはロトが生まれた。ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んだ。アブラムとナホルはそれぞれ妻をめとった。アブラムの妻の名はサライ、ナホルの妻の名はミルカといった。ミルカはハランの娘である。ハランはミルカとイスカの父であった。サライは不妊の女で、子供ができなかった。

 テラは、息子アブラムと、ハランの息子で自分の孫であるロト、および息子アブラムの妻で自分の嫁であるサライを連れて、カルデアのウルを出発し、カナン地方に向かった。彼らはハランまで来ると、そこにとどまった。テラは二百五年の生涯を終えて、ハランで死んだ。

 このテラの系図は、12章から25章に渡って記されているアブラハム物語の登場人物の紹介とも言えます。アブラムの兄弟であるハランにはロトが生まれますが、ハランは父のテラより先に、故郷カルデアのウルで死んでしまいました。これはテラにとっては大きな悲しみでありました。テラは、カルデアのウルを出発してカナン地方に向かうのですが、これは息子のハランがカルデアのウルで死んでしまったことと関係があるのかも知れません。また、アブラムの妻サライは「不妊の女で、子供ができなかった」と記されていますから、アブラムは甥のロトを自分の息子のようにかわいがったと思います。テラは息子アブラムとハランの息子で自分の孫であるロトと息子アブラムの妻サライを連れて、カルデアのウルを出発しました。ナホル夫妻はカルデアのウルに残ったようです。テラたちはカナン地方に向かったのでありますが、彼らはハランまで来ると、そこにとどまりました。なぜ、テラはハランに留まったのでしょうか?そこにはいくつも理由が考えられますが、一つの有力な理由は、カルデアのウルもハランも、月の神シンを礼拝することが盛んであったということです。このことは考古学によって確認されていることです。また、ヨシュア記の第24章2節にも次のように記されています。

 ヨシュアは民全員に告げた。「イスラエルの神、主はこう言われた。『あなたたちの先祖は、アブラハムとナホルの父テラを含めて、昔ユーフラテス川の向こうに住み、他の神々を拝んでいた。』」

 今夕の御言葉に戻ります。創世記の第11章です。

 先程のヨシュア記の御言葉は、カルデアのウルとハランでは月の神シンが礼拝されていたことと一致します。セムの子孫でさえも神々を礼拝する者となってしまっていたのです。私たちは前回、バベルの塔のお話を学びましたが、その時わたしは、バベルの裁きは言葉を混乱させただけではなく、信仰をも混乱させたと申しました。神様は御自分に一つとなって敵対する人間を混乱させて神々を拝むようにされたのです。そのようにして、神様は人間を偶像崇拝へと引き渡されたのであります。そのバベルの塔の裁きからセムの子孫も逃れることはできなかったのです。セムの子孫が月を神として拝んでいたことは、セムの子孫もバベルの塔の裁きを免れなかったことを教えているのです。それゆえ、テラは月の神シンを礼拝するハランにとどまり、そこで生涯を終えるのであります。わたしは以前、系図は神知識の伝達を示していると申しましたが、そこに誤りが生じたとき、誤った神知識が伝えられていくようになります。つまり、他の神々を拝むテラの息子であるアブラムも他の神々、月の神シンを拝むようになるのです。そして、ここに主がアブラムに「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい」と言われた理由があるのです。ある研究者は、バベルの塔の物語を正しく理解するためには第12章3節まで読まなくてはいけないと言っていました。神様は人々の信仰を混乱させられただけではなく、アブラムによってすべての民族が御自分の祝福に生きる者としてくださるのです。前回お話しましたように、バベルからの救いは使徒言行録の第2章に記されているペンテコステによって与えられるのでありますが、その救いへの第一歩を、神はアブラムを召し出すことによって踏み出されるのです。他の神々を拝む父の家から、主がアブラムを召し出されるのであります。

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