御心に留められる神 2011年12月11日(日曜 夕方の礼拝)

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御心に留められる神

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 7章17節~8章19節

聖句のアイコン聖書の言葉

7:17 洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。
7:18 水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。
7:19 水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。
7:20 水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。
7:21 地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。
7:22 乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。
7:23 地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。
7:24 水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。
8:1 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。
8:2 また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、
8:3 水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、
8:4 第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。
8:5 水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂が現れた。
8:6 四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、
8:7 烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。
8:8 ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。
8:9 しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水がまだ全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。
8:10 更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。
8:11 鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。
8:12 彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。
8:13 ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日に、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。
8:14 第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。
8:15 神はノアに仰せになった。
8:16 「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。
8:17 すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい。」
8:18 そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。
8:19 獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。

創世記 7章17節~8章19節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記の第7章17節から第8章14節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 第7章17節から24節までをお読みします。

 洪水は四十日間地上を覆った。水は次第に増して箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かんだ。水は勢力を増し、地の上に大いにみなぎり、箱舟は水の面を漂った。水はますます勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた。水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った。地上で動いていた肉なるものはすべて、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も、ことごとく息絶えた。乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ。地の面にいた生き物はすべて、人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られた。彼らは大地からぬぐい去られ、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが残った。水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった。

 4節で、神様はノアに「七日の後、わたしは四十日四十夜地上に雨を降らせ、わたしが造ったすべての生き物を地の面からぬぐい去ることにした」と言われました。そして、11節にありますように「ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日、この日、大いなる深淵の源がことごとく裂け、天の窓が開かれ、雨が地上に四十日四十夜降り続いた」のであります。そのことを受けて、17節は「洪水は四十日間地上を覆った」と記しているわけです。次第に増していった水は箱舟を押し上げ、箱舟は大地を離れて浮かびました。水は勢力を増し、地の上にみなぎり、箱舟は水の上を漂うまでになったのです。19節に、「水はいよいよ勢いを加えて地上にみなぎり、およそ天の下にある高い山はすべて覆われた」と記されておりますが、ここでの「天の下」は文字通りの天の下、全世界ということではなくて、ノアが住んでいた辺り一帯ということであります。ノアの洪水が世界規模のものであったのか、それとも局地的なものであったのかについては古くから議論されていますが、私はノアの住む地域一帯という局地的なものであったと思います。その一つの理由は続く20節にあります。「水は勢いを増して更にその上十五アンマに達し、山々を覆った」。一アンマはおよそ45センチですから、十五アンマは6メートル75センチになります。もし洪水が世界規模であれば、世界一高い山と世界で二番目に高い山との差は6メートル75センチしかないことになりますが、そのようなことは考えにくいことです(実際はエベレスト山8,848メートル、ゴッドウィンオースチン山8,611メートルで、その差は237メートル)。よって、ノアの洪水はノアが住んでいた辺り一帯という局地的なものであったのです。しかし、それは「ノアの物語」の担い手にとっては全世界でありました。それゆえ、聖書は局地的な規模の洪水を世界規模の洪水として記しており、私たちはそれを当時の世界全体に破局をもたらした大惨事として読むべきであるのです。そうしますと、ことごとく息絶えたと言われている「地上で動いていたすべての肉なるもの、鳥も家畜も獣も地に群がり這うものも人も」、地球上のすべての生き物ということではなく、ノアが住んでいた辺り一帯の生き物のことを指していることが分かります。聖書はノアが住んでいたメソポタミアの地以外の生き物については何も記しておりません。しかし、繰り返しますが、ノアの物語の担い手にとってノアが住んでいた辺り一帯の生き物が「地上で動いていたすべての肉なるもの」であったのです。

 22節に「乾いた地のすべてのもののうち、その鼻に命の息と霊のあるものはことごとく死んだ」とありますが、これは第2章7節を私たちに思い起こさせます。「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」。命の息を吹き入れることによって人を生きる者とされた神様は、洪水によってその命の息を取り上げられるのです。地の面に生き物を造られた神は、洪水によって人をはじめ、家畜、這うもの、空の鳥に至るまでぬぐい去られたのです。そして、ノアと、彼と共に箱舟にいたものだけが生き残ったのです。24節に、「水は百五十日の間、地上で勢いを失わなかった」とありますが、17節の「四十日間」は、どうやらこの百五十日の間に含まれるようであります。百五十日の間、およそ五ヶ月間、ノアたちは箱舟の中で、水の上を漂っていたのです。

 第8章1節から5節までをお読みします。

 神は、ノアと彼と共に箱舟にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留め、地の上に風を吹かせられたので、水が減り始めた。また、深淵の源と天の窓が閉じられたので、天からの雨は降りやみ、水は地上からひいて行った。百五十日の後には水が減って、第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった。水はますます減って第十の月になり、第十の月の一日には山々の頂きが現れた。

 神様がノアと彼と共にいたすべての獣とすべての家畜を御心に留められることによって、地の上から水が減り始めていきます。神様は、地の上に風を吹かせることにより水を減らされるのでありますが、ここでの「風」は「霊」とも訳すことができます。つまり、このところは第1章2節を背景にして記されているのです。第1章2節に、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」とありましたけれども、神様は大洪水によって混沌にした世界に御自分の霊を送り、秩序ある世界を回復されるのです。先程私は、ノアの洪水は局地的なものであると申しましたが、そのもう一つの理由がここにあります。神様は地の上に風を吹かせられ水を減らされるのですが、そのことは水がたまる場所があったことを教えているわけです。第1章9節で神様は、「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ」と言われましたけれども、神様は風によって水を再び一つの所に集められるのです。深淵の源と天の窓が閉じられることにより、天からの雨が降り止み、風によって水が一つの場所に集められることによって、水は地上から引いて行きました。「百五十日の後には水が減って、第七の月の十七日に箱舟はアララト山の上に止まった」とありますが、これは雨が止んでから150日の後ということでありましょう。また、「アララト山」とありますが、文字通りには「アララトの山々」で、おそらくこれが19節の「およそ天の下にあるすべての高い山」であったと思われます。アララト山は聖書辞典によりますと、トルコの東端、アルメニア山脈の一端で、標高5,156メートルという高い山であります。このアララト山がすべて水に浸かったとはとても考えにくいので、ある研究者は激しい豪雨や霧によって覆われて見えなくなったと聖書は記しているに過ぎないと解釈します。現在のアララト山がノアの時代のアララト山であったかは疑問の残るところですが、箱舟は第七の月の十七日にアララトの山々の上に止まり、水はますます減って第十の月の一日には山々の頂きが現れたのでした。

 6節から12節までをお読みします。

 四十日たって、ノアは自分が造った箱舟の窓を開き、烏を放した。烏は飛び立ったが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりした。ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰って来た。水が全地の面を覆っていたからである。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻した。更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。鳩は夕方になってノアのもとに帰って来た。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。ノアが六百一歳のとき、最初の月の一日、地上の水は乾いた。ノアは箱舟の覆いを取り外して眺めた。見よ、地の面は乾いていた。第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた。

 水がますます減り山の頂が現れてから四十日たって、ノアは箱舟の窓から烏を放しました。烏は飛び立ちましたが、地上の水が乾くのを待って、出たり入ったりしました。それでノアは七日待って鳩を放して、地の面から水が引いたかどうかを確かめようとしました。しかし、鳩は足を休めるところがないので、箱舟のノアのもとへ帰ってきました。このことはまだ水が全地の面を覆っていることを示しているわけです。ノアは手を差し伸べて鳩を捕らえ、箱舟の自分のもとに戻しますが、このところは人間と鳥の温かい交流を描いています。更に七日待って、ノアは再び鳩を箱舟から放します。鳩は夕方になって帰って来るのですが、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていました。このことは箱舟から離れている地は乾いており、そこには新しい命が芽生えていることを示しています。オリーブの葉は新しい命の象徴であるのです。ノアは更に七日待って、鳩を放しますが、鳩はもはやノアのもとに帰ってきませんでした。このことは地が乾いたことを示しているわけです。鳩はもはや箱舟に帰る必要はなく、地のどこにおいても足の裏を休めることができるのです。それで、ノアは箱舟の覆いと取り外して外を眺めるのですが、地の面は乾いておりました。聖書は、地上の水が乾いたのは「ノアが六百一歳の時、最初の月の一日」であったと記しておりますが、新年の最初の日、私たちで言えば1月1日に、地上の水が乾いたのです。「第二の月の二十七日になると、地はすっかり乾いた」とありますが、これは地上に洪水が起こって一年と10日になります。そして、この日、神様はノアにこう言われたのです。

 15節から19節までをお読みします。

 神はノアに仰せになった。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい。すべて肉なるもののうちからあなたのもとに来たすべての動物、鳥も家畜も地を這うものも一緒に連れ出し、地に群がり、地上で子を生み、増えるようにしなさい。」そこで、ノアは息子や妻や嫁と共に外へ出た。獣、這うもの、鳥、地に群がるもの、それぞれすべて箱舟から出た。

 これまで見てきましたように、ノアは鳩を放つことによって、地の面から水が引いたことを確認しました。また、箱舟の覆いを取り外して眺めることにより、地の面が乾いていることを見ました。しかし、ノアは箱舟から出ようとはしませんでした。ノアが箱舟から出たのは、神様の御言葉によってであります。神様がノアに「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も嫁も、皆一緒に箱舟から出なさい」と言われて、はじめてノアは息子や妻や嫁と共に外へ出たのです。私たちはここにもノアの信仰を見ることができます。ノアは鳩を放つことによって地の面が乾いていることを確認し、覆いを取り外して、地が乾いていることをその目で見ながら、神の御言葉があるまで箱舟の中で持ち続けたのです。神様の御言葉に従って箱舟に入ったノアは、神様の御言葉に従って箱舟を出るのです。まさにノアは神と共に歩んだ人であったのです。

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