神に喜ばれるために 2008年8月24日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

2:1 兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。
2:2 無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。
2:3 わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。
2:4 わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。テサロニケの信徒への手紙一 2章1節~4節

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 今朝から第2章に入ります。先程は、1節から12節までをお読みいただきましたが、それをお聞きになって第1章とは、だいぶ感じが違うなぁと思われたと思います。まず気がつくことは、第1章のおもな関心はテサロニケの教会についてでありましたが、第2章ではパウロたち自身に移っているということです。小見出しに「テサロニケでのパウロの宣教」とありますように、第2章では、テサロニケでパウロたちがどのように宣教したかが記されているのです。それもどこか言い訳がましい、弁明の言葉が、ここに記されているのです。例えば3節であります。

 「わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。」

 このところから、パウロたちの宣教が、迷いや不純な動機に基づくものであり、ごまかしであると中傷、非難していた者たちがいたと考えられます。

 また、5節にはこう記されています。

 「あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、相手にへつらったり、口実を設けてかすめ取ったりはしませんでした。そのことについては神が証ししてくださいます。」

 このところから、パウロたちが、相手にへつらい、口実を設けて金銭をかすめ取ったと中傷、非難していた者たちがいたと考えられます。

 さらに、6節にはこう記されています。

 「また、あなたがたからもほかの人たちからも、人間の誉れを求めませんでした。」

 このところから、パウロたちが宣教しているのは、人間の誉れを求めているからだと中傷、非難していた者たちがいたと考えられるのです。

 このように、3節、5節、6節から、パウロたちを非難、中傷する者たちがいたと考えられるわけですが、これは別々のグループというよりも、同じ一つのグループであったと考えられます。つまり、彼らは、パウロたちが福音を宣べ伝えているのは、迷いや不純な動機によるものであり、それはごまかしである。パウロたちの関心は、あなたたちの金銭にあるのであって、あなたたちから称賛を受け、誉れを受けることにあると、中傷、非難していたのです。それでは、どのような者たちが、パウロたちを中傷、非難していたのでしょうか。はっきりとは分かりませんけども、おそらく、テサロニケに住んでいたユダヤ人たちであったと思います。15節に、「ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げています。」とありますが、これは、パウロたちの宣教を中傷、非難していた者たちがユダヤ人であったことを示していると考えられます。また使徒言行録第17章を読めば、テサロニケのユダヤ人たちがパウロたちの宣教を快く思わず、暴動を起こし、パウロとシルワノを民衆の前に引き出そうとしたと記されています。ですから、パウロたちがテサロニケを去った後、ユダヤ人たちは、パウロたちの働きを中傷、非難することによって、異邦人が救われるのを妨げていたと考えられるのです。そもそもこの手紙が記されたきっかけが、第3章5節、6節にこう記されております。「そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。ところで、テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。」

 テサロニケから帰って来たテモテがもたらした朗報をきっかけとして、このテサロニケの信徒への手紙一は記されたのです。ここでパウロは、帰ってきたテモテが、うれしい知らせを伝えてくれたと言っておりますけども、おそらく、ここでテモテが伝えたのは、うれしい知らせだけではなかったと思います。パウロが去った後、ユダヤ人が、パウロの宣教についてありもしないことを言って中傷、非難しているという知らせも、パウロは伝え聞いたのではないかと推測されるのです。そして、そのテモテからの知らせを受けて、パウロは、テサロニケでの自分たちの宣教の動機とその働きについて記したのだと、考えられるのです。

 このようなことを念頭におきつつ、今朝は1節から4節までを中心にお話しをいたします。

 1節から2節までをお読みいたします。

 兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。

 「兄弟たち、あなたがた自身が知っているように」この言葉は、第1章8節、9節と対応しております。パウロたちが訪れる町の教会ではどこでも、テサロニケの信徒たちの信仰が言い伝えられていた。彼ら自身の口からテサロニケでパウロたちがどのように迎え入れられたかが言い広められていた。しかし、そのことを誰よりも知っているのは、テサロニケの兄弟姉妹たち、あなたがた自身であるとパウロは述べるのです。パウロは、自分たちがそちらへ行ったことが無駄ではなかったことはあなたがた自身がよく知っていると言うのです。「無駄ではなかった」とは、積極的に言えば、「成果があった」ということであります。イエス・キリストにあって兄弟たちと呼びかけることのできる彼らこそが、パウロたちの宣教が無駄でなかったことの証拠であると言えるのです。また、ここで「無駄であった」と訳されている言葉は、「空手の」「手ぶらの」とも訳すことができます。この「空手の」「手ぶらの」という訳もわたしは捨てがたいと思うのです。パウロは、テサロニケへ何も持たず、空っぽな思いで行ったわけではありませんでした。空っぽどころか、福音宣教への並々ならぬ熱心を持って、テサロニケに入ったのであります。このように「無駄」という言葉を「空手の」「手ぶらの」と訳すと、2節との繋がりはいよいよ鮮明になってきます。つまり、パウロは、1節、2節で自分たちがどのようにテサロニケ入りを果たしたかを記しているのです。パウロは、テサロニケに入る前、どのような体験をしていたのでしょうか。パウロはこう述べています。「知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められた」。パウロたちの働きの歴史的記述である使徒言行録は、その第17章で、テサロニケでの宣教について記しておりますけども、その前の第16章では、フィリピでの宣教の様子が記されています。それによれば、パウロとシラスは、役人に引き渡され、衣服をはぎ取られ何度も鞭打たれ、牢に入れられ、足枷をはめられるという苦しみと辱めを受けたのです。パウロがそのことをどれほど屈辱に思っていたかは、翌朝に、パウロたちをひそかに釈放しようとした下役に対する言葉によく表れています。パウロは、こう言っているのです。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」

 パウロたちは、フィリピにおいて、苦しめられ、辱められました。それは、パウロたちがイエス・キリストの福音を宣べ伝えていたからであります。そうであれば、空しい思いで、虚ろな思いで、テサロニケに入ってもおかしくはなかったのです。このことは、私たち自身に置き換えて考えてみたら、よくお分かりいただけると思います。イエス・キリストを伝えたという理由で、公権力から苦しめられ、辱められる。そのとき、自分ならどのような思いを抱くであろうか。もう、二度とイエス・キリストの名は口にすまいと思うのであろうか。けれども、パウロは、テサロニケにおいても激しい苦闘の中で大胆に神の福音を語ったのです。これは驚くべきことです。なぜ、そんなことができたのでしょうか。パウロはその理由を「わたしたちの神に勇気づけられ」と記しております。パウロがもともと人一倍勇敢であったからというのではありません。パウロは、神さまに勇気づけられ、テサロニケにおいても、激しい苦闘の中で神の福音を語ったのです。ここで「勇気づけられ」と訳されている言葉は、「大胆に語る」とも訳すことのできる言葉です。ですからここでの勇気は、何より大胆に語る勇気のことであります。そして、それは神の福音を語るにふさわしい語り口であると言えるのです。あるいはこうも言えます。宣教の内容である神の福音それ自体が、大胆に語られることを欲するのだと。大胆に語るとは、遠慮することなく自由に語ることです。人の顔色をうかがい、これを聞いたらどう思うかなぁと気にしていては大胆に語ることはできません。パウロが宣べ伝えていたのは、他でもない神の福音でありました。そして、それは誰にも遠慮することなく、自由に語られるべき言葉であるのです。パウロが宣べ伝えているのは神の福音であったがゆえに、公然と確信をもって語るべき言葉なのです。私たちが宣べ伝えているのは、神の福音である。このことに思いを集中するとき、私たちも大胆になることができるのであります。人に遠慮せず、自由に堂々と語ることができるのです。そしてここに、パウロが、テサロニケに行ったことが無駄ではなかったと、断言することのできる究極的な理由があるのです。私たちはこれまで、テサロニケの教会が、模範的な教会であることを学んできました。それでは、テサロニケ教会は、大きな群れであったのかと言えば、どうもそうではないようなのです。以前にも申しましたけども、当時は、まだこのような礼拝堂はなく、信者の家に集まって礼拝をささげておりました。広い家に集まっていたでしょうけども、そこに集うことができた人数は、せいぜい30人から50人ぐらいではなかったかと言われています。もしかしたら、私たちの教会ぐらいの人数であったかも知れないのです。しかし、パウロは、そのテサロニケの兄弟たちを指して、「わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。」と語ることができたのです。おそらく、テサロニケの教会よりも、信者が集っていた宗教団体は、他に沢山あったことでありましょう。私たちの教会のすぐ近くにも、大きくて立派な創価学会の建物があり、そこには多くの人々が集っております。それでは、私たち羽生栄光教会の宣教は、無駄であったのかと言えば、決してそうではないのです。ここで「無駄」と訳されている言葉を、パウロは、コリントの信徒への手紙一の第15章でも用いておりますが、そこでパウロはこう述べています。コリントの信徒への手紙一第15章13節、14節をお読みいたします。「死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。そして、キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」

 イエス・キリストの復活、それは神の福音の急所、核心であります。イエス・キリストの復活なくして、私たちの宣教も無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄であるとパウロは語るのです。ここでは、先程と逆のことが語られていると言えます。もし、パウロたちが宣べ伝えているものが、神の福音ではなくて、ユダヤ人たちが中傷しているように、人にへつらう言葉であったならば、そこにどれほど沢山の人が集まろうとそれは無駄なことなのです。けれども、パウロたちが実際そうしたように、神の福音を語り、たとえ僅かな人々にしか受け入れられなくても、それは無駄なことではないのです。無駄とか、無駄ではないとか、なぜそのようなことが言えるのだろうかといぶかる方もおられるかも知れません。パウロは、何をもって、無駄ではなかったと断言しているのでしょうか。それは、テサロニケの手紙一の第1章10節に記されていたように、来るべき神の裁きに照らし合わせてのことであります。パウロたちは、来たるべき神の裁きをいつも覚えつつ、宣教していたのです。いくら人が集まり、にぎわっていても、そこで立派な道徳が教えられていても、神の裁きに堪えることができない。前回学んだように、来るべき神の怒りから私たちを救ってくださる唯一のお方は、イエス・キリストでありますから、イエス・キリストと結ばれていない者たちは、神の裁きに堪えることができないのです。それは、無駄になってしまうということであります。けれども、パウロが第一コリント書の第15章で、語ったことは主に結ばれているあなたたちの苦労は決して無駄になることはないということであったのです。コリントの信徒への手紙一の第15章58節。「わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。」

 このことは、最後の審判の後、復活するのが他でもないわたし自身であることを思い起こすならば、お分かりいただけると思います。私たちは、他の誰かによみがえるわけではありません。もしそうならば、私たちの人生は無駄になってしまうと言えます。しかし、聖書が教えている復活は、このわたし自身の復活なのです。そこでは、この地上の生涯が、罪から完全に清められたかたちで用いられるということが起こるのです。ですから、パウロは、主に結ばれているあなたたちの労苦は決して無駄にはならない。無駄になるどころか、主からの大きな報いをもたらすと聖書は教えているのです(黙14:13)。

 テサロニケの信徒への手紙一に戻りますけども、パウロが、テサロニケの働きを無駄ではなかったと断言できたのは、彼らが、パウロの宣べ伝えた神の福音を、まさしく神の福音として受け入れたからでありました。そして、パウロたちが、テサロニケにおいても、激しい苦闘の中で大胆に語ることができたのは、それが神の福音であったからなのです。

 3節と4節をお読みいたします。

 わたしたちの宣教は、迷いや不純な動機に基づくものでも、また、ごまかしによるものでもありません。わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。

 ここで、パウロたちは、宣教の動機について記しております。パウロたちがテサロニケを去ったのち、ユダヤ人たちは、パウロの教えは、迷いや不純な動機に基づくものであり、ごまかしであると中傷、非難をしておりました。けれども、パウロは、そのような中傷、非難を真っ向から否定いたします。パウロは、2節で「あなたがたに神の福音を語った」と述べましたけども、その神の福音は、パウロたちが考え出したことでも、発明したこともでなくて、神さまからゆだねられたものであったのです。神さまがまずパウロを認めてくださった。ここで教えられますことは、パウロたちの宣教の主体、それは神さま御自身であるということです。あるいは、天におられる主イエス・キリストであるとも言えます。使徒言行録の第9章で、主イエスがアナニアに告げているように、パウロは、「異邦人や王たち、またイスラエルの子らに主イエスの名を伝える選びの器」であったのです。パウロは、福音宣教においてこそ、自分には主人がいることを弁えていたのです。そして、パウロは、自分を認め、福音をゆだねてくださった神さまに喜んでいただくために宣教に励んだのでありました。パウロは、自分が神に認められ、福音を委ねられたと語っておりますけども、このことは、かつてパウロが、熱心なユダヤ教徒であり、神の教会を迫害していたことを思い起こすならば、驚くべきことであります。そして誰よりもこのことを驚いていたのは、パウロ自身であったのです。コリントの信徒への手紙一の第15章8節以下でパウロはこう述べています。

 「(復活したイエス・キリストは)最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。わたしは神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さいな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他の使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」

 神の教会を迫害したパウロに神の福音がゆだねられたこと、それは神さまの一方的な恵みによることであります。もちろん、現代の私たちはパウロと同じようにキリストに直接お出いするわけではありません。けれども、私たちも、御言葉と聖霊において、イエス・キリストに出会い、イエス・キリストを信じた者たちであるのです。神さまは、私たちをも一方的な恵みによって認めてくださり、私たちにも神の福音をゆだねてくださったのであります。神の福音を受けた私たちは、今度は宣べ伝える者として神さまから遣わされるのです。「ゆだねる」という行為の根本にあるものは、信頼であります。パウロは、その神さまからの信頼に応えるために、どのようなときも大胆に神の福音を宣べ伝えたのです。パウロは、「人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。」と語りました。ここには、福音を告げ知らせる究極的な動機で記されています。福音は、喜びの知らせでありますから、本来、人の喜びと矛盾するものではありません。けれども、人に喜ばれるためか、神に喜ばれるためかの二者択一を迫られるとき、神に喜んでいただくために、福音は語られるべきであるのです。福音宣教の正しい動機は、人に喜ばれるためではなく、私たちを恵みによって認めてくださった神さまに喜んでいただくためでなくてはならないのです。なぜなら、人に喜ばれることを第一の動機とするなら、神の福音は歪められ、もはや神の福音とは呼べないものとなってしまうからです。人に喜ばれることを第一とするとき、来るべき神の怒りなど誰が口にするでしょうか。しかし、神に喜んでいただくことを第一とするとき、私たちは神の福音を曲げることなく、大胆に語ることができるのです。そして、そこにだけ、人の救いの道が開けるのであります。

 「神さまの喜び」と聞くとき、思い起こされるのはルカによる福音書の第15章に記されている主イエスのお言葉であります。イエスさまは、そこで「見失った羊」のたとえ、「無くした銀貨」のたとえ、「放蕩息子」のたとえをお語りになりました。そのはじめのたとえである「見失った羊」のたとえの最後に、イエスさまはこう仰せになったのです。「言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びがある。」また、「無くした銀貨」のたとえの最後で、イエスさまはこう仰せになりました。「言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」神さまの喜び、それは一人の人が救われることを喜ぶ喜びなのであります。そのことを覚えるとき、神さまの喜びが、人を排除するものではなくて、むしろ人を御自分との交わりへと迎え入れるところにあることが分かるのです。そのことを覚えるとき、ここに集う私たちを神さまがどれほど喜んでくださっているかが分かるのです。神さまの喜びがいよいよ満ちあふれますように、私たちもゆだねられた神の福音を宣べ伝えてゆきたいと願います。

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