信仰によって励まし合う 2016年4月17日(日曜 朝の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

信仰によって励まし合う

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ローマの信徒への手紙 1章8節~15節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:8 まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9 わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、
1:10 何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。
1:11 あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。
1:12 あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。
1:13 兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。
1:14 わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
1:15 それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。ローマの信徒への手紙 1章8節~15節

原稿のアイコンメッセージ

 私たちは、使徒パウロがローマの教会に宛てて記した手紙を学んでおりますが、ローマの教会は使徒パウロが開拓伝道した教会ではありませんでした。パウロはローマに行ったことがなく、ローマの信徒たちと面識がなかったのです。

 そもそも、ローマ帝国の首都であるローマに、どのようにしてキリスト教会ができたのでしょうか?使徒言行録の2章によりますと、五旬祭の日に弟子たちに約束の聖霊は降りました。五旬祭ですから、天下のあらゆる国の人がエルサレムに来ておりました。その中に、「ローマから来て滞在中の者」もいたと記されています(使徒2:10)。もしかしたら、この者たちがローマに帰って、福音を宣べ伝え、ローマの教会ができたのかも知れません。また、ことわざに、「すべての道はローマに通ず」とありますように、世界各地からイエス・キリストを信じる者たちが集まって来て、教会が形成されたのかも知れません。もしそうであれば、その中にパウロの知らない伝道者がいたのだと思います(コロサイ1:7参照)。

 では、ローマの教会はいつ頃できたのでしょうか?これについてもよく分かりません。ただパウロが第二回宣教旅行でコリントに行ったときには、ローマに教会があったようであります。使徒言行録の18章1節から3節にこう記されているからです。新約の249ページ。使徒言行録の18章1節から3節までをお読みします。

 その後、パウロはアテネを去ってコリントへ行った。そこで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。

 ここに、「クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令した」とありますが、このことについてローマの歴史家のスエトニウスは興味深い言葉を記しています。「ユダヤ人がクレストゥスによって扇動され、絶え間なく騒乱を引き起こしたので、彼は彼らをローマから追放した」(『皇帝列伝』)。多くの研究者は、「クレストゥス」とは「クリストス」キリストのことではないかと考えております。そうであれば、皇帝クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させたのは、ユダヤ人の間で、イエス・キリストのことで騒動が起こっていたためと考えられるのです。ローマから退去して来たアキラとプリスキラは、このとき既にイエス・キリストを信じる者であったと思われますから、この時、紀元50年頃には、すでにローマに教会があったことが分かります。

 全ユダヤ人をローマから退去させるという勅令は、クラウディウス帝の死によって無効とされました。パウロがこの手紙を記した頃には、アキラとプリスキラ夫妻は、ローマに戻っておりました。といいますのも、ローマ書の16章3節、4節にこう記されているからです。新約の297ページです。ローマ書の16章3節、4節をお読みします。

 キリスト・イエスに結ばれてわたしの協力者となっている、プリスカとアキラによろしく。命がけでわたしの命を守ってくれたこの人たちに、わたしだけではなく、異邦人のすべての教会が感謝しています。

 パウロはローマの信徒たちと面識がありませんでしたが、全くなかったのではないことが、16章に記されている挨拶の言葉から分かります。そして、その中に、コリントで共に福音を宣べ伝えたアキラとプリスカ夫妻もいたのです。パウロは、ローマに行ったことはありませんでしたが、アキラとプリスカ夫妻たちから、ローマの教会について聞いていたのだと思います。パウロは、ローマに教会があるということだけではなくて、ローマの教会がかかえている問題をも、アキラとプリスカ夫婦たちから聞いていたのです。そのことを念頭に置きつつ、パウロはこのローマの信徒への手紙を書き記したのです。

 では今朝の御言葉に戻りましょう。新約の273ページです。

 先程は、1章8節から15節までをお読みしましたが、今朝は、8節から12節までを御一緒に学びたいと思います。

 1章8節から10節までをお読みします。

 まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。

 パウロは当時の手紙の形式に従って、差出人、受取人、挨拶の言葉を記しましたが、ここでも、当時の手紙の形式に従って、感謝の言葉を記しております。しかし、それはローマの信徒たちへの感謝というよりも、「わたしの神」への感謝であります。パウロは、「あなたがた一同に感謝します」とは記さずに、「あなたがた一同についてわたしの神に感謝します」と記すのです。それは、全世界で言い伝えられている「あなたがたの信仰」が神様の業によるものであるからですね。主イエスは、ヨハネ福音書6章29節で、「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」と言われました。主イエス・キリストを信じること、それは私たちの内で神様がしてくださった神様の業であるのです。ですから、パウロは、「あなたがた一同についてわたしの神に感謝します」と記したのです。私たちも同じです。私たちが主イエス・キリストを信じることができたのは、私たちの心に神様が働いてくださったからであるのです。それゆえ、私たちもお互いについて、神様に感謝をささげることができるし、また感謝をささげるべきであるのです。

 それにしても、なぜ、パウロは、「わたしの神」と記したのでしょうか?パウロは、「わたしたちの神に感謝します」とは記さず、「わたしの神に感謝します」と記しました。私たちは、ここに、「神の福音のために選び出され、召されて使徒となった」パウロの特別な意識を読み取ることができます。しかし、ここで覚えておきたいことは、パウロが神様を「わたしの神」と呼ぶことができるのは、「イエス・キリスト」という仲保者を通してであるということです。イエス・キリストを通して、私たちは神様を「わたしの神」と呼ぶことができるほどに、親しい交わりに生きる者とされているのです。ですから、パウロだけではなくて、私たちも神様を「わたしの神」とお呼びすることができるのです。イエス・キリストにあって、天地万物を造られた全能の神様が、「わたしの神」となってくださったのです。

 パウロは、「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている」と記しておりますが、ある研究者は、お世辞を言っているのではないかと申しております。「お世辞を言って、相手の気分をよくして、手紙を読んでもらおうとパウロはしている」と、言うのです。確かにそのような面があったのかも知れません。しかし、ここでパウロが言っていることは、ローマ帝国の首都であるローマにキリストの教会があることが、全世界の教会に知れ渡っているということであります。ローマ皇帝のお膝もとであるローマにも、イエス・キリストを主と告白する群れがある。このことが全世界のキリスト教会にとって大きな励ましとなっているということです。

 9節でパウロは、自分のことを記しておりますが、パウロが神に仕える、その仕え方は、御子の福音を宣べ伝えるということによってでありました。パウロは、神の御子であるイエス・キリストを内容とする福音を宣べ伝えることによって、神様に仕えていたのです。このことについては、15章16節で次のように記しています。「異邦人のためにキリスト・イエスに仕える者となり、神の福音のために祭司の役を務めているからです。そしてそれは、異邦人が、聖霊によって聖なるものとされた、神に喜ばれる供え物となるためにほかなりません」。パウロは、御子の福音を宣べ伝えることによって、異邦人を聖なる者として神に喜ばれる供え物とする祭司として、神様にお仕えしているのです。パウロだけではありません。私たちも福音を宣べ伝えることによって神様にお仕えしているのです。

 パウロは、自分が心から仕えている神様を証人として、次のように記します。「わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています」。パウロは、ローマの信徒たちとは面識がありませんでした。しかし、パウロはローマにキリストの教会があると聞いて、祈るときはいつもローマの教会のことを思い起こし、ローマの信徒たちのもとへ行きたいと願っていたのです。このパウロの思いは、使徒言行録の19章21節に記されています。新約の252ページです。使徒言行録の19章21節をお読みします。

 このようなことがあった後、パウロは、マケドニア州とアカイア州を通りエルサレムに行こうと決心し、『わたしはそこへ行った後、ローマも見なくてはならない』と言った。

 パウロは、異邦人教会から集めた献金をエルサレムに届けた後で、「ローマも見なくてはならない」と言っておりました。そして、パウロは、そのことが、神様の御心によって実現することを祈り求めていたのです。旧約聖書の箴言16章3節に、「あなたの業を主にゆだねれば/計らうことは固く立つ」とあります。また、同じ箴言16章9節には、「人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる」とも記されています。パウロは、ローマの信徒たちのもとへ何とか行きたいと願いながら、そのことを神様が実現してくださることを祈り求めていたのです。そのように祈り求める者として、パウロは、この手紙を前もって、ギリシャのコリントで記したのであります(使徒20:2,3参照)。

 では、今朝の御言葉に戻りましょう。新約の273ページです。

 11節、12節をお読みします。

 あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。

 ここには、パウロがローマの信徒たちに会いたいと願う動機が記されています。「霊の賜物」とありますが、これは何よりも、福音を説き明かす賜物のことであります。実際に、ローマの信徒への手紙全体を読みますと、パウロがイエス・キリストの福音をどれほど豊かに理解していたかが分かります。聖霊によって与えられた、福音を豊かに説き明かす賜物を分け与えて、力になりたいとパウロは記すのです。ここで「力になりたい」と訳されている言葉は、元の言葉ですと受け身で記されています。「力づけられたいからです」と記されているのです。それは言うまでもなく、福音において提示されるイエス・キリストによってであります。イエス・キリストの福音を豊かに説き明かすことによって、十字架と復活の主であるイエス・キリストが指し示される。そのイエス・キリストによって力づけられたいと、パウロは記すのです。

 また、パウロは、「互いの持っている信仰によって、励まし合いたい」とも記します。ここで、「励まし合いたい」と訳されている言葉も、元の言葉では受け身で記されています。新改訳聖書は、「共に励ましを受けたいのです」と翻訳しています。「共に励ましを受けたいのです」。こう訳しますと、パウロとローマの信徒たちを励ましてくださるのが、神様であり、主イエス・キリストであることが分かります。信仰を持っている者が集まるとき、互いに励ましを受ける。このことは、私たちが主の日の礼拝ごとに体験していることであります。私たちは互いの中に生きて働いておられる神様の御業を目の当たりにして、共に神様から励まされるのです。ここで「励ます」と訳されている言葉は、パレカレオーという言葉で、「慰める」とも「力づける」とも訳される言葉であります。私たちは主の日の礼拝に集うことによって、互いの持っている信仰によって、共に励まされ、慰められ、力づけられるのです。私たちが、信徒大会や信徒修養会などに参加する理由もそこにあります。5月には、埼玉東部地区合同ペンテコステ集会があります。また、夏には、中高生のキャンプや青年会の修養会もありますから、どうぞ、そのような集まりに参加していただいて、神様のからの慰めと励ましと力づけを受けていただきたいと願います。

関連する説教を探す関連する説教を探す