コリントにある神の教会 2011年6月05日(日曜 朝の礼拝)

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1:1 神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、
1:2 コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。
1:3 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。コリントの信徒への手紙一 1章1節~3節

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序.

 今朝から、コリントの信徒への手紙一を神の御言葉として聞き、礼拝をささげていきます。今朝は第1章1節から3節までをお読みしましたが、ここには当時の慣習に従って、手紙の差出人と受取人と挨拶の言葉が記されております。今朝はその一つ一つを御一緒に見ていきたいと思います。

本論1.手紙の差出人

 まず手紙の差出人についてでありますが、1節にこう記されています。

 神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから、

 このところから、この手紙がパウロとソステネによって記されたことが分かります。しかし、パウロとソステネが二人で共同執筆したというよりも、手紙全体を読んで分かりますことは、この手紙はパウロ一人の手によって記され、ソステネは共同の差出人として名前を連ねているに過ぎないということです。ソステネは、いわばパウロの手紙の内容に同意し、保証する者として、ここに名前を連ねているのです。ですから、この手紙はパウロによって記されたものであると言えるのです。パウロはこの手紙を、単に「パウロから」とは記しませんでした。そこにはパウロがどのような立場でこの手紙を書いているのかが補足して記されています。すなわち、パウロはこの手紙を「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒」として書き、またそのような手紙として読むことを求めているのです。わたしも毎月、月報の巻頭言を書いておりますけれども、そこには「牧師 村田寿和」と書きます。それは、主からこの教会に遣わされた牧師として文書を書くことを明らかにするためであります。そして、そこには皆さんに自分たちの牧師の文書として読んでいただきたいとの願いが込められているわけです。

 かつて私たちはパウロが記したテサロニケの信徒への手紙一を主の日の礼拝で学んだことがあります(2008年の7月から12月まで)。パウロはコリントの信徒への手紙一を書く前に、すでにテサロニケの信徒への手紙を執筆しておりましたが、その差出人についての記述はいたってシンプルなものでありました。そこには「パウロ、シルワノ、テモテから」としか記されていないのです(一テサロニケ1:1)。しかし、今朝から学ぼうとしておりますコリントの信徒への手紙一を見ますと、ただ「パウロとソステネから」とは書かずに、「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロと、兄弟ソステネから」と記されているのです。このことは、テサロニケの教会においてパウロが使徒であることは改めて記す必要のない自明のことであったのに対して、コリントの教会ではパウロが使徒であることを疑う者たちがいたことに関係があるかも知れません。第9章1節から3節に、パウロはこのように記しています。

 わたしは自由な者ではないか。使徒ではないか。わたしたちの主イエスを見たではないか。あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか。他の人たちにとってわたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです。あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠だからです。わたしを批判する人たちには、こう弁明します。

 このように、コリントの教会にはパウロが使徒であることを疑う者たちがおりました。それゆえ、パウロは自分のことを、「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒となったパウロ」と記したのであります。「使徒」と訳されている言葉はギリシャ語の「アポストロス」でありますが、その意味はヘブライ語の「シャーリーア」、使者、遣わされた者に由来します。使徒とは、ただ遣わされた者という意味ではなくて、権威を帯びて遣われた者、いわば代理人として遣わされた者を言うのです。ユダヤ教のラビ文書の中に、「ある人から遣わされた者は遣わした人自身と同じである」とありますように、イエス・キリストの使徒とは、イエス・キリストから全権を委ねられて、イエス・キリストの代理人として遣わされた者であるのです。それゆえ、イエス様はヨハネによる福音書第13章20節でこう言われたのです。「はっきり言っておく。わたしの遣わす者を受けいれる人は、わたしを受け入れ、わたしを受けいれる人は、わたしをお遣わしになった方を受けいれるのである」。イエス・キリストの使徒であるパウロを受けいれる者は、そのパウロを遣わされたイエス・キリストを受けいれる者であるのです。それゆえ、私たちはパウロが記したこの手紙を、イエス・キリストの言葉、神の言葉として読まなくてはならないのです。

 パウロがどのようにしてキリスト・イエスの使徒なったかについては、使徒言行録の第9章に、またパウロの証しという仕方で、第22章と第26章に記されています。またパウロが記した手紙の中では、ガラテヤの信徒への手紙第1章とフィリピの信徒への手紙第3章に割合詳しく記されています。かつてパウロは教会の迫害者でありました。律法への熱心から、ナザレのイエスを主と告白するキリスト者たちを迫害していたのです。しかし、ダマスコ途上において、栄光の主イエスとまみえることにより、主こそがイエスであることを直接知らされて、異邦人に福音を宣べ伝える使徒とされたのであります。そのような大転換が神の御心によってパウロのうえに起こったのです。ここで「御心」と訳されている言葉は、「意志」とも訳すことができます。神様の御意志によって召されて、パウロはキリスト・イエスの使徒となったのです。

 また、ソステネについては「兄弟」とだけ言われています。これは使徒と区別される言葉であります。ただしわざわざここでソステネの名前が記されていることは、ソステネがコリントの教会において影響力のある人物であったに違いないと思います。使徒言行録の第18章に、パウロが第二回宣教旅行においてコリントに滞在したことが記されておりますが、その17節に「会堂長ソステネ」なる人物が出てきます。ユダヤ人が総督ガリオンにパウロを訴えるのでありますが、ガリオンは取り合おうとはせず、彼らを法廷から追い出しました。それで、群衆は会堂長のソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけました。このことから、会堂長ソステネはパウロの教えに賛同する者であったと考えられています。そして、ソステネは後にキリスト者となり、コリントの教会に加わったとも考えられるのです。そのソステネが、今パウロの側におり、この手紙の共同の差出人として名前を連ねていると読むことができるのです。パウロがこの手紙をどこで執筆したかについてはまだ申しておりませんでしたが、第16章8節から、パウロはこの手紙をエフェソで記したと考えられます。「しかし、五旬祭まではエフェソに滞在します。わたしの働きのために大きな門が開かれているだけでなく、反対者もたくさんいるからです」。使徒言行録の第19章にパウロが第三回宣教旅行で、エフェソに3年間滞在したことが記されておりますが、そのときに、パウロはコリントの信徒への手紙一を執筆したと考えられているのです。紀元54年頃、パウロはエフェソにおいて、この手紙を記したのであります。

本論2.手紙の受取人

 手紙の差出人についてはこれぐらいにして、次に手紙の受取人について見ていきたいと思います。2節にこう記されています。

 コリントにある神の教会へ、すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主であります。

 このところから分かりますように、この手紙の受取人は「コリントにある神の教会」であります。コリントはローマの属州アカイアの首都であり、陸と海の交通の要衝として商業的にも重要な都市でありました。パウロがコリントで宣教したことについては使徒言行録の第18章に記されておりますけれども、パウロはコリントに一年半滞在して、コリントの教会をたてたのです。コリントの教会はパウロがいわば開拓伝道した教会であったのです。この受取人についての記述もテサロニケの信徒への手紙一と比べますと随分込み入っています。テサロニケの信徒への手紙では受取人についてこう記されておりました。「父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ」(一テサロニケ1:1)。このように他の手紙と比べて見ますと、パウロは差出人にしろ、受取人にしろ、それぞれの手紙において考え抜いて、言葉を選んで記していることが分かります。パウロはただ「コリントにある教会へ」とは書きませんでした。パウロは、「コリントにある神の教会へ」と記すのです。ここで「教会」と訳されているのは、「エクレーシア」というギリシャ語であります。「エクレーシア」とは元々は「呼び出された者の集まり」を意味する言葉で、必ずしも宗教的な意味を持ってはおりませんでした。市民の集会、議会などもエクレーシアと呼ばれたのです。それゆえ、パウロはコリントにある神のエクレーシアと言うのです。「あなたがたは神から呼び出された者の集まりである」とパウロは語るのであります。また、エクレーシアという言葉の背後にあるのは、ギリシャ的な用法よりも、むしろヘブライ的な用法であると言われております。紀元前3世紀から2世紀にかけて、ヘブライ語の旧約聖書がギリシャ語に翻訳されました。いわゆる七十人訳聖書、セプチュアギンタであります。そこで用いられているヘブライ語のカーハールの訳語として、ギリシャ語のエクレーシアが用いられているのです。カーハールというヘブライ語は、新共同訳聖書では「集会」とか「会衆」と訳されていますが、神のエクレーシア(教会)の背後にあるのは、主のカーハール(会衆)であるのです。先週、牧野信成先生をお招きして、説教と講演をしていただきましたが、そこで私たちが教えられた一つのことは、旧約聖書を背景にして新約聖書を読むことの大切さであると思います。教会と訳されるギリシャ語のエクレーシアという言葉の背後に、主の会衆を意味するヘブライ語のカーハールがあることを知りますときに、神の教会の持つ意味合いがずっと深まると思います。

 続けてパウロは、こう記しています。「すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」。パウロはこの手紙をコリントにある神の教会に宛てて記しておりますが、パウロはコリントの教会を孤立したものとして考えてはおりません。パウロはコリントの教会を、主イエス・キリストの名を呼び求めるすべての人との交わりの中で、主にある教会の一つの枝として見ているのです。私たちの教会もそうであります。私たちの教会は単立の教会ではなくて、日本キリスト改革派教会の一つの枝として、この羽生の地に立てられているのです。「主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人」。ここで「名を呼び求める」とは礼拝をささげるという意味であります。この言葉の背景にも旧約聖書のものの言い方があります。今日から夕べの礼拝で創世記を学び始めますけれども、その第4章26節に、「セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」と記されています。「主イエス・キリストの名を呼ぶ」とは「主イエス・キリストを礼拝する」という意味であるのです。旧約聖書の12小預言書の一つに、ヨエル書という書物がありますけれども、その第3章5節に、「主の御名を呼ぶ者は皆、救われる」とあります。ペトロは使徒言行録の第2章に記されている説教の中で、またパウロはローマの信徒への手紙の第10章で、この「主の御名」こそ、「イエス・キリスト」に他ならないことを明らかとしたわけです。そして、これこそ復活の主イエス・キリストから聖霊を与えられた弟子たちの聖書解釈であったのです。

 パウロはここで、コリントの教会を、「キリスト・イエスによって、聖なる者とされた人々、召されて聖なるされた人々」と呼んでおります。「聖なる者」とは道徳的、倫理的に清いということではなくて、神様の民であることを表します。神様が聖なるお方であるゆえに、神の民は聖なる者であるのです。コリントの教会は、至るところで主イエス・キリストを呼び求める人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされたのです。旧約聖書の出エジプト記第19章5節、6節で、神様はイスラエルにこう言われておりました。「今、もしわたしの声に聞き従い/わたしの契約を守るならば/あなたはすべての民の間にあって/わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。あなたたちは、わたしにとって/祭司の王国、聖なる国民となる」。その聖なる国民に、キリスト・イエスによって、コリントの教会はしていただいたのです。そして、それも神の御心によって召されるということによるのです。パウロをキリスト・イエスの使徒として召された神様が、コリントの教会を召して聖なる者としてくださったのです。

 先程、わたしはこの手紙はパウロが紀元54年頃にエフェソで執筆したと申しましたけれども、コリントの教会にはパウロが手紙を記さずにはおれない事情がありました。第1章11節に、「わたしの兄弟たち、実はあなたがたの間に争いがあると、クロエの家の人たちから知らされました」とありますように、コリントの教会には分派争いが生じておりました。また、第5章に記されているように、コリントの教会の間にみだらな行いがあるとの知らせもパウロは聞いておりました。また、パウロのもとにはコリントの教会からの質問状が届けられていたようであります。パウロは第7章を、「そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方がよい」と書き始めていますが、これはエフェソにいるパウロのもとにコリントの教会から質問状が届けられていたことを教えています。このように、コリントの教会は、人間の目からすれば聖なる者とはとうてい呼ぶことのできない者たちであったのです。しかし、パウロはそのコリントの教会を神の教会と呼び、召されて聖なる者とされた人々と言い切るのです。ここでパウロはお世辞を言っているのでも、皮肉を言っているのでもありません。パウロは神様の視点に立って、神の目に映る、コリントの教会の姿を語っているのです。イエス・キリストにあって、コリントの教会がどのようなものとされているのか、その霊的な現実を語っているのです。私たちも、それぞれの言動を見るならば、とうてい聖なる者と呼ぶことはできない者たちであります。けれども、神様はイエス・キリストにあって私たちを聖なる者としてくださいました。私たちはイエス・キリストにあって、主の会衆、神の教会であるのです。

 パウロは続けて、「イエス・キリストは、この人たちと私たちの主であります」と記しておりますけれども、元の言葉には「イエス・キリスト」という言葉はありません。新共同訳聖書が補って記しているだけです。しかし、ここでパウロが述べていることは大切だと思います。それは、この手紙の差出人であるパウロとソステネにせよ、また受取人であるコリントの教会にせよ、イエス・キリストが主であるということです。ここに、私たちの一致を見いだすことができる。私たちはイエス・キリストにあって思いを一つにし、御言葉を分かち合うことができるのです。今朝は1節から3節までをお読みしましたが、この短いところに、キリスト・イエス、あるいはイエス・キリストという御名前が何度もでてきます。新共同訳聖書は5回でてきますが、2節後半の「イエス・キリスト」は元の言葉にはありませんので、元の言葉では4回でてくるのです。そのことは、私たちにパウロの関心がどこにあるのかを教えてくれます。パウロはこの手紙の受取人であるコリントの教会にも、イエス・キリストへと思いを集めてもらいたいのです。

本論3.挨拶

 最後に挨拶でありますが、3節にこう記されています。

 わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 これはパウロがどの手紙においても記す挨拶であります。よく言われることでありますが、ギリシャ人は「恵み」(カリス)を、ヘブライ人は「平和」(シャローム)を挨拶として交わしました。その恵みと平和をパウロは合わせてここで挨拶の言葉としております。そのことは、ギリシャ人とユダヤ人からなる教会への挨拶としてふさわしいものであったと言えます。これもパウロの挨拶のユニークな点でありますけれども、もっとユニークな点は、「神」と「主イエス・キリスト」が並べて記されていることであります。神は、主イエス・キリストのゆえに、「わたしたちの父である神」と呼べるお方となったのです。そして、ここに恵みと平和がどのようなものであるかが先取りして示されているのです。ある人は、「恵みと平和」は動かし難い順序であると申しております。「平和と恵み」ではなく、「恵みと平和」と記されているのには意味があると言うのです。それは神と主イエス・キリストからの一方的な恵みによって、私たちに平和が与えられているからであるのです。「恵み」とはイエス・キリストの十字架によって現された神様の恵みであり、「平和」とは、その恵みによって実現した神様との平和、神の平和であると言うことができます。パウロはコリントの教会が、その恵みと平和の内に生き続けることができるようにと祈るのです。そして、このパウロの挨拶は、今朝、主イエス・キリストの御名を呼び求めている私たちにも向けられているのです。私たちが父なる神と主イエス・キリストの恵みと平和に生かされていることを覚えつつ、これから御一緒にコリントの信徒への手紙一を学んでいきたいと願います。

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