言い伝えられた信仰 2008年7月27日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。
1:2 わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。
1:3 あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。
1:4 神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。
1:5 わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
1:6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、
1:7 マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。
1:8 主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。
1:9 彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、
1:10 更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。テサロニケの信徒への手紙一 1章1節~10節

原稿のアイコンメッセージ

はじめに.模範となったテサロニケの教会

 今朝は、8節を中心にして、お話しをいたします。

 パウロは、その前の7節で、テサロニケの教会が、「マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範になるに至ったのです。」と語っておりました。当時、マケドニア州には、テサロニケの教会の他に、フィリピの教会とベレアの教会がありました。また、アカイア州には、コリントの教会がありました。パウロは、テサロニケの信徒たちが、その信者たちの模範となったと言うのです。テサロニケの信徒たちが、パウロたちに倣う者、そして主に倣う者であるがゆえに、マケドニア州とアカイア州に住むすべての信者の模範となるに至ったのです。この「模範」と訳されるギリシア語は、トュポスという言葉で、英語のタイプのもととなった言葉です。ですから、この「模範」は、「型」とも訳すことができるのです。もう少し言葉の話しをしますと、「模範」や「型」と訳されるギリシア語のトュポスは、もともとは「打つ」という動詞を源としているのです。これは、昔の貨幣を造る作業を思い浮かべればよくお分かりいただけると思います。貨幣には、今もそうでありますけども、様々な言葉や絵が描かれております。昔の貨幣でしたら、ローマ皇帝の横顔などが貨幣に描かれていたわけですね。それをどのように造るかというと、元となる凹凸のついた図柄ものを、より柔らかい金属の板に打ちつけて造ったわけです。そのようにして、同じ図柄の貨幣がたくさん造られたわけであります。テサロニケの信徒たちは、パウロたちに、そして主イエスに倣うことにより、キリスト者はかくあるべしという型となったのです。けれども、私たちは、金属の板のようなものではなく、心をもった人間でありますから、テサロニケの教会がどのような点で模範であるかをよく理解して、自らの意志をもって彼らに倣うことが求められるのです。テサロニケの教会がどのような点で、私たちにとっても模範と言えるのか。今朝は、そのことを御一緒に学びたいと思います。

1.主の言葉を宣べ伝えたテサロニケの信徒たち

 8節をお読みいたします。

 主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。

 テサロニケの信徒たちが、マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の倣うべき手本と言えるのは、彼らが、ひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって、御言葉を受け入れたばかりでなく、それを宣べ伝える者となったからであります。「主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく」とありますように、テサロニケの教会から出たのは、まさしくパウロたちが伝えた主の言葉そのものであったのです。彼らは自分たちが受け入れた主の言葉を、今度は自分たちが告げ知らせたのであります。これは、やはり私たちが模範とすべき、キリスト者の姿であります。主イエスは、一二人を派遣するにあたり、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」と仰せになりましたけども、自分が受けた福音を、今度は他の人に伝えたい、いや伝えずにはおれないというのが、キリスト者のあるべき姿なのです。義務的に、強制的にではなくて、救われた喜びから、福音を伝えずにはおれなくなる。イエスさまのことを伝えずにはおれなくなる。教会の礼拝に誘わずにはおれなくなる。これが、健全なキリスト者であると言えるのです。もし、そうでないなら、もう一度、イエス・キリストの救いの素晴らしさを学び直さなければいけないと思います。神がイエス・キリストにおいて、提供しておられる救いというものは、わたし一人のうちで留まってしまうようなちっぽけなものではありません。イエス・キリストは、わたしの罪のために十字架に死んでくださり、罪のゆるしをもたらしてくださった。確かにそうでありますけども、イエス・キリストは、まだ救われていないこの人のためにも、あの人のためにも死んでくださり、罪の贖いを成し遂げてくださったのです。私たちが週ごとに、「罪の告白の勧告」の中で聞いている通り、イエス・キリストは、わたしたちの罪、いや、わたしたちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえとして、十字架の上で死んでくさったのです。

 パウロたちから、ひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れたテサロニケの信徒たちは、今度は、自分たちが、ひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を語る者となりました。私たちにも、聞く者から語る者へというこの転換が求められております。主の日の礼拝ごとに、皆さんはわたしを通して、主の言葉である説教を聞いております。そのときもただ自分の学びというだけで聞くのではなくて、自分も誰かに伝えたいという思いをもって聞いていたただきたいと思うのですね。そうすると聞き方自体が変わってくるはずです。そして、それが模範的な説教の聞き方であるとも言えるのです。

 主イエスは、山上の説教の中で、弟子たちにこう仰せになりました。「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるだけである。」

 テサロニケの信徒たちは、主イエスの教えに従って、ともし火をともして升の下に置くようなことはせず、燭台のうえに置き、すべてのものを照らす光となったのです。そして、ここに私たちが模範とすべきキリスト者としての姿があるのです。

2.伝えられたテサロニケの信徒たちの信仰

 これまでテサロニケについてあまり詳しく説明しておりませんでしたが、テサロニケは、マケドニア州の首都であり、盛んな町でありました。いわゆる都会であったわけです。もともとテサロニケは港町であり、ローマへと通じるエグナティア街道が町を貫いて走っていたことから、交通の要所として、繁栄を究めたと言われております。ですから、ある人は、テサロニケの教会から主の言葉がマケドニア州とアカイア州に響き渡ったのは、また、彼らの信仰が至るところに伝えられたのは、テサロニケが交通の要所であったからであると指摘しております。確かに、そのような交通上の利点は用いられたでありましょうけども、それだけで主の言葉が響き渡らないことは、言うまでもないことであります。テサロニケの信徒たちには、主の言葉を告げ知らせずにはおれない燃えるような信仰の情熱があったのです。そして、そのような彼らの情熱、彼らの信仰が、至るところで伝えられていたのです。パウロはこう記しております。「神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。」

 パウロは、テサロニケの信徒たちの信仰が、至るところで伝えられていると述べておりますが、ある人は、パウロがこのように記したのは、コリントで共に働いたアキラ・プリスキラ夫妻からテサロニケの信徒たちのことを聞いたからではないかと推測しております。アキラ・プリスキラ夫妻は、皇帝の命により、最近ローマから退去させられ、コリントに来た者たちでありました。そのアキラ・プリスキラ夫妻が、ローマにおいてテサロニケの教会のことを伝え聞いていたと推測するのです。それゆえ、パウロは、テサロニケの信徒たちの信仰が至るところで伝えられていると記したと言うのです。そうかも知れませんけども、わたしはもっと素直に、「パウロが訪れる至る所の教会において」、と考えたらよいと思います。パウロが、ある町の教会を訪ねて、テサロニケの教会のことを口にする前に、彼らはすでにテサロニケに生まれた教会のことを知っていた。そのことにパウロを喜びをもってここに記しているのです。このことは、当時の教会が私たちが想像するよりも、親密な交わりをもっていたことを教えてくれます。地域を越えた教会のネットワークがすでにあったということです。現在の私たちは、近隣地域の教会の集まりからなる中会というものがありますけども、当時、中会という組織や制度はなくとも、教会は地域を越えて交わりを持ち、情報交換をしていたのです。今の私たちに当てはめて言えば、私たち羽生栄光教会の信仰が、東部中会に属するすべての教会に伝えられていて、皆がそれをよく知っている、そのような状況であります。

3.伝えられた羽生栄光教会の信仰

 私たち羽生栄光教会の信仰が、東部中会に属するすべての教会に伝えられている。そのようなことを皆さんは考えることができるでしょうか。私たちの教会があります羽生は、テサロニケほど盛んな町ではないかも知れませんが、鉄道は、東武伊勢崎線と秩父線が走っておりますし、エグナティア街道ならぬ東北自動車道が走っております。そのような点では、交通の便のよい所であります。ですから、この羽生から主の言葉が北関東の地域に響き渡るということは十分可能であると思うのです。このようなところに、改革派教会がたてられたことは、やはり神さまの摂理であると思います。そして、私たちの教会は、信徒二家族が牧師を招いて始めたという大変ユニークな歴史を持っているのです。東部中会の教会の中で、そのような生い立ちをもつ教会は、私たちだけであります。私たちの教会には、立派な10年史と25年史がありますが、それらの記念誌を読むと、設立当初、羽生栄光教会の信仰が、東部中会すべての教会に知れ渡り、大きな励ましを与えたことが分かります。

 25年史の中で、Y.S長老が、「伝道所設立について」と題して文書を記しておりますが、その中で、1979年12月30日に行われた羽生伝道所宣教教師就職式の特命委員であった上福岡教会のA長老の文書を紹介しております。こういう文書です。

 12月の臨時中会で羽生伝道所の開設が祝福のうちに認められて、いよいよスタートです。

 最近、まれにみない程の盛況の臨時中会の議場で、Yさん、Sさんが真剣な思いで、羽生に「改革派信仰」に基づいた教会を建てる熱意を語られました。その熱心が3年近く羽生から上福岡まで毎週通ってきた力であったことを、何度か羽生に来るたびに感じます。

 羽生伝道を思う時、主の恵みを数えることができます。

 イエス・キリストは30歳を過ぎて、救い主としての御業を始められました。そして同世代の12弟子を選び、福音宣教と弟子の訓練をなさいました。

 羽生も若い嘉成先生を迎えて、S兄・Y兄を核として、バイタリティに富んだゲリラ的な伝道が展開されていくことでしょう。そして、その働きは上福岡教会にとっても、良い影響を及ぼすことを願っています。

 また聞くところによりますと、羽生は古い町であり、町内会費の一部は神社の祭礼費に出費されている程に日本的異教の地であり、既存の教会も聖書的にまた教会政治的に問題があり、さらに「ものみの塔」などのキリスト教公害の中にあるようです。しかし、このような環境にあって、主がパウロをコリントやギリシャ・ローマにつかわされたように、「改革派神学研修所」で学ばれた嘉成先生、Y兄、S兄の手によって羽生伝道がなされることは心強い限りです。主が必要な器をたてて下さることを思い、主の御業と恵みに感謝するものであります。

 そればかりでなく、この羽生伝道を支えるみなさんが「教育」の世界でお仕事をしていらしゃいますので、このことは、羽生伝道の大きな伝道の武器として、神様は備えて下さったのでしょう。そして、もう一つの武器である新しい教会堂が一日も早く備えられるように願って祈っています。

 また何と言っても、羽生伝道は、「改革派信仰」と熱心なクリスチャンホームの二家族と「やる気」のある若い牧師がいれば、開拓伝道ができるということを東部中会のみならず、改革派教会全体に良い刺激として大きな意味を持つものと思います。そのためにも、羽生伝道が祝福の道を歩むことを切に祈ります。

 最後に、嘉成先生と、すぐ風邪をひくYさんの健康がいつも支えられるよう祈ります。

 このA長老の文書にもありますように、信徒二家族が、牧師を招いて伝道所を設立するということは、東部中会のみならず、改革派教会全体にとって大きな励ましを与えたのです。

 Y.S長老は、この「伝道所設立について」の文書を、次のように締めくくっています。

 私たちの羽生伝道所は今までの文章でもお分かりいただけたかと思いますが、改革派神学研修所との深い関わりを持ちながら、上福岡教会、大宮教会、東京教会の援助を受けながら伝道が進められて参りました。

 また東部中会の諸教会の援助や祈りによって支えられて参りました。当時から抱いていた北関東伝道の拠点となりたいという願い(原点)を忘れずにこれからの教会形成にも励みたいと思います。今までは他の教会から多くの祈りと援助を受けて参りましたので、私たち羽生栄光教会の小さな群れが更に主の恵みによって祝福されたとき、新しい教会を生み出す教会になりたいと願っております。「受けるより与えるほうが幸いである。」という御言葉により第一次開拓伝道計画が立案できる時を願いながら・・・・・・。

 聖書から随分離れたように思われるかも知れませんが、わたしはここに、言い伝えられた羽生栄光教会の信仰があると思うのです。そして、この信仰を今朝、再び私たちの信仰として受けとめたいと思うのです。

 羽生には、長い歴史をもった福音伝道教団のキリスト教会がありました。私たちの教会の設立メンバーも、もともとはその教会の会員であったのです。それでも、羽生に改革派教会をたてたいと願ったのはなぜか。それは、改革派教会こそ、最も聖書的な教会であるとの確信であったと思います。改革派信仰こそ、最も聖書的な信仰である。この確信なくして、改革派教会はたたないのです。そして、ここに、私たちが日本キリスト改革派羽生栄光教会に身を置いて、信仰生活を送っている理由があるのです。

4.受けるより与える幸いに生きたテサロニケの教会

 先程のY.S長老の文書の最後に、「受けるより与えるほうが幸いである」との御言葉が引用されておりました。これは、使徒言行録第20章で、パウロが主イエスの御言葉として引用しているものであります。そして、テサロニケの教会も、この「受けるより与えるほうが幸いである」との主イエスの御言葉に生きた教会であったのです。

 使徒言行録を読めば分かりますが、パウロは、テサロニケに来る前に、フィリピで宣教し、教会をたてました。そのフィリピの教会に宛てた手紙の中で、パウロは、こう述べているのです。フィリピの信徒への手紙第4章15節から16節です。「フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。」

 パウロは、テサロニケにおいて、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音を宣べ伝えました。けれども、そのパウロを、実はフィリピの教会が支えていたのであります。言ってみれば、間接的にフィリピの教会は、テサロニケの教会を援助していたのです。そして、フィリピの教会の援助を受けたテサロニケの教会が、今度は喜んでエルサレムの聖徒たちのための募金に協力したのです。パウロは、コリントの信徒への手紙二第8章1節から4節で次のように述べています。

 兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加させてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。

 満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったマケドニア州の諸教会。ここに、フィリピの教会だけではなくて、テサロニケの教会も含まれているのです。受ける教会から与える教会へ。それは私たちが模範とすべきキリスト教会の姿であるのです。

むすび.信仰の幻の共有

 私たちの教会は、統計的に言えば、設立当初から人数も増えておりますし、献金額も増えております。しかし、10年史や25年史を読み返しますと、どうも初めの頃の生き生きとした信仰を失ってしまっているのではないかと思います。それは、おそらく、私たちが共通の幻、ヴィジョンを見ることができなくなっているからではないでしょうか。自分の礼拝生活を守ることができればそれで十分、そのように信仰が小さなものとなってしまっているのではないでしょうか。しかし、先程も申しましたように、この羽生栄光教会は、大きな信仰の幻をもって出発した教会であるのです。北関東伝道の拠点、新しい教会を生み出す教会として、主によって建てられた教会。それが私たち羽生栄光教会なのです。その信仰の幻を私たちがもう一度共有し、主にあって一つとなって歩むとき、私たちの教会は、東部中会、いや改革派教会全体に大きな信仰の励ましを与える教会となるのです。

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