テサロニケの教会 2008年7月06日(日曜 朝の礼拝)

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:1 パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。
1:2 わたしたちは、祈りの度に、あなたがたのことを思い起こして、あなたがた一同のことをいつも神に感謝しています。
1:3 あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、わたしたちの主イエス・キリストに対する、希望を持って忍耐していることを、わたしたちは絶えず父である神の御前で心に留めているのです。
1:4 神に愛されている兄弟たち、あなたがたが神から選ばれたことを、わたしたちは知っています。
1:5 わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。
1:6 そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者となり、
1:7 マケドニア州とアカイア州にいるすべての信者の模範となるに至ったのです。
1:8 主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州やアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられているので、何も付け加えて言う必要はないほどです。
1:9 彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、
1:10 更にまた、どのように御子が天から来られるのを待ち望むようになったかを。この御子こそ、神が死者の中から復活させた方で、来るべき怒りからわたしたちを救ってくださるイエスです。
テサロニケの信徒への手紙一 1章1節~10節

原稿のアイコンメッセージ

はじめに.

 今朝からテサロニケの信徒への手紙一からお話ししてゆきたいと思います。先程は、第1章1節から10節までをお読みしましたが、今朝は1節を中心にしてお話ししたいと思います。

1.テサロニケ教会と差出人について

 パウロたちがテサロニケを訪れ、伝道した様子については、使徒言行録の第17章に記されておりました。使徒言行録の第17章1節から10節の途中までお読みいたします。

 パウロとシラスは、アンフィポリスとアポロニアを経てテサロニケに着いた。ここにはユダヤ人の会堂があった。パウロはいつもように、ユダヤ人の集まっているところへ入って行き、三回の安息日にわたって聖書を引用して論じ合い、「メシアは必ず苦しみを受け、死者の中から復活することになっていた」と、また、「このメシアはわたしが伝えているイエスである」と説明し、論証した。それで、彼らのうちのある者は信じて、パウロとシラスに従った。神をあがめる多くのギリシア人や、かなりの数のおもだった婦人たちも同じように二人に従った。しかし、ユダヤ人たちはそれをねたみ、広場にたむろしているならず者を何人か抱き込んで暴動を起こし、町を混乱させ、ヤソンの家を襲い、二人を民衆の前に引き出そうとして捜した。しかし、二人が見つからなかったので、ヤソンと数人の兄弟を町の当局者たちのところへ引き立てて行って、大声で言った。「世界中を騒がせてきた連中が、ここにも来ています。ヤソンは彼らをかくまっているのです。彼らは皇帝の勅令に背いて、『イエスという別の王がいる』と言っています。」これを聞いた群衆と当局者たちは動揺した。当局者たちは、ヤソンやほかの者たちから保証金を取ったうえで彼らを釈放した。兄弟たちは、直ちに夜のうちにパウロとシラスをベレアへ送り出した。

 ここに、パウロとシラスの名前がでてきます。テサロニケの信徒への手紙一の差出人として「パウロ、シルワノ、テモテから」とありますが、このシルワノはシラスのことであります。シルワノとは、シラスのラテン語名なのです。

 パウロが、テサロニケを訪れたのは、第二回宣教旅行においてでありまして、使徒言行録はその様子を第15章36節から第18章22節までに記しております。第一回宣教旅行の際、途中でエルサレムに帰ってしまったマルコを連れて行くか、どうかでパウロとバルナバの間に激しい意見の衝突が起こり、ついには彼らは別行動を取ることになりました。バルナバはマルコと、パウロはシラスと共にそれぞれ別に宣教を開始したのです。このシラスは、エルサレム会議の決定を伝えるためにパウロに同行した人物で、エルサレム教会の指導的な立場にいた人でありました。また、シラスは、パウロと同じくローマ帝国の市民権を持っておりました。おそらくシラスは、エルサレム教会に属してはおりましたが、パウロと同じヘレニストのユダヤ人であったと思われます。

 使徒言行録は、テサロニケでの宣教においてテモテの名を記しておりませんが、このときテモテはパウロとシラスに同行しておりました。テモテについては、使徒言行録の第16章にでてきます。テモテは、信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つリストラとイコニオンの兄弟の間で評判の良い弟子でありました。パウロは、このテモテを一緒に連れていくために、ユダヤ人の手前、彼に割礼さえ施したのです。パウロの第二回宣教旅行において、画期的なことは福音がアジアからヨーロッパへと伝えられたということであります。マケドニア人の幻によって、パウロ一行は海を渡り、フィリピ、テサロニケ、ベレア、アテネ、コリントで宣教してゆきます。テサロニケでの宣教において、テモテが同行していたことは、テサロニケの次の宣教地であるベレアに、パウロがシラスとテモテを残して、単身アテネへ向かったことからも分かります。このように、テサロニケの信徒への手紙一の差出人である「パウロ、シルワノ、テモテ」の三人は、テサロニケにおいて宣教した者たちであったのです。パウロ、シルワノ、テモテ、この三人が一つの宣教チームとして、この手紙を記しているのです。それゆえ、手紙は、基本的に「わたしたちは」と一人称複数形で記されていきます。しかし、それは必ずしも、三人で書いたということではないと思います。実際には、パウロが書いたのでありましょうけども、シルワノ、テモテもその内容を了解し、共同の差出人として名を連ねているのです。テサロニケの信徒への手紙は、パウロ個人の手紙としてではなく、パウロ、シルワノ、テモテという複数の者からの手紙として読まれることを欲しているのです。

2.執筆の契機と場所と年代について

 テサロニケの信徒への手紙一が記された契機、きっかけは、第3章6節にあると言われています。5節からお読みします。「そこで、わたしも、もはやじっとしていられなくなって、誘惑する者があなたがたを惑わし、わたしたちの労苦が無駄になってしまうのではないかという心配から、あなたがたの信仰の様子を知るために、テモテを派遣したのです。ところで、テモテがそちらからわたしのもとに今帰って来て、あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。また、あなたがたがいつも好意をもってわたしたちを覚えていてくれること、更に、わたしたちがあなたがたにぜひ会いたいと望んでいるように、あなたがたもわたしたちにしきりに会いたがっていることを知らせてくれました。」

 テモテがもたらしたうれしい知らせを聞いて、記されたのが、このテサロニケの信徒への手紙一であります。使徒言行録によると、シラスとテモテが残ったのはベレアでありました。しかし、テサロニケの信徒への手紙一の第3章1節、2節を見ると「そこで、もはや我慢できず、わたしたちだけがアテネに残ることにし、わたしたちの兄弟で、キリストの福音のために働く神の協力者テモテをそちらに派遣しました。」とあるように、パウロがテモテをテサロニケに派遣するのは、アテネからなのです。この点では、使徒言行録の記述と食い違っております。パウロの手紙を読む上で、大切なことは、使徒言行録に記されている歴史的背景を念頭において読むということでありますけども、時々、パウロの手紙と使徒言行録を記したルカの記述が食い違うことがあります。私たちは、今テサロニケの信徒への手紙一を学んでいるわけですから、パウロの記述とルカの記述が明らかに食い違う場合は、パウロの記述に従って読んだらよいと思います。アテネにおいてパウロとシルワノは、もはや我慢できずテサロニケ教会の様子を知るためにテモテを遣わしたのです。それでは、テモテがテサロニケから帰ってきたとき、パウロたちはどこにいたのでしょうか。まず考えられるのは、アテネでありますけども、使徒言行録によれば、コリントであったと言われています。使徒言行録の第18章は、コリント伝道について記しておりますが、その5節にこうあるからです。「シラスとテモテがマケドニア州からやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念し、ユダヤ人に対してメシアはイエスであると力強く証しした。」 この使徒言行録の記述から、テサロニケの信徒への手紙一は、パウロがコリントに滞在した初期の頃に記されたと考えられています。西暦で言えば、紀元50年頃にコリントで執筆されたと考えられているのです。つまり、テサロニケの信徒への手紙は、パウロが記した最初の手紙であり、新約正典に納められている最古の文書なのです。テサロニケの信徒への手紙は第一作目であり、ここにパウロ神学の原点があるとも言えるのです。そのことを念頭におきつつ、時には後に記されたパウロ書簡と読み比べながら、この手紙を学んでゆきたいと思っております。

3.受取人について

 差出人についてはお話ししましたので、受取人について見ていきたいと思います。「父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。」

 これをギリシア語の原文の順序に従って直訳するとこうなります。「教会へ、テサロニケ人たちの、父である神と主イエス・キリストにある」。

 ここで教会と訳されているもとの言葉は「エクレーシア」という言葉です。このエクレーシアは、キリスト教会だけではなく、ギリシア世界において、議会や市民集会をも意味しておりました。エクレーシアのもともとの意味は、「呼び出された者の集い」でありまして、議会や市民集会をも意味していたのです。例えば、使徒言行録の第19章は、銀細工師デメトリオによって引き起こされたエフェソでの騒動について記しています。その32節に、「さて、群衆はあれやこれやとわめき立てた。集会は混乱するだけで、大多数の者は何のために集まったのかさえ分からなかった。」とありますが、ここで「集会」と訳されているのが、エクレーシアという言葉なのです。また、39節に、「それ以外のことで更に要求があるなら、正式な会議で解決してもらうべきである。」とありますが、ここで「会議」と訳されているのも、エクレーシアという言葉なのです。ですから、パウロは、この手紙の受取人であるエクレーシアが、どのようなエクレーシアであるかを続けて記すのです。この手紙の受取人であるエクレーシアはどのようなエクレーシアか。まず記されているのは、「テサロニケ人たちの」という言葉です。私たちが用いている新共同訳聖書は、「テサロニケの」と地名として訳していますが、もともとの言葉を正確に訳すならば「テサロニケ人たちの」となります。口語訳聖書は、「テサロニケ人たちの教会へ」と訳しています。これは、おそらくテサロニケの教会に、ユダヤ人がほとんどおらず、異邦人ばかりからなっていたことを示していると思われます。テサロニケの教会が、異邦人ばかりからなっていたことを示すものとして、例えば9節があります。「彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです。すなわち、わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか、また、あなたがたがどのように偶像から離れて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになったか、」このパウロの言葉は、ユダヤ人に対するものというよりも、異邦人に対して語られたものと理解することができます。また、第2章の15節、16節にはこう記されています。「ユダヤ人たちは、主イエスと預言者たちを殺したばかりでなく、わたしたちをも激しく迫害し、神に喜ばれることをせず、あらゆる人々に敵対し、異邦人が救われるようにわたしたちが語るのを妨げています。こうして、いつも自分たちの罪をあふれんばかりに増やしているのです。しかし、神の怒りは余すところなく彼らの上に臨みます。」このような、ユダヤ人に対する厳しい言葉をパウロが語り得たのは、テサロニケの教会にユダヤ人がほとんどいなかったためと考えられるのです。もし、テサロニケの教会に多くのユダヤ人がいたならば、パウロは、語調を変えて記したことでしょう。この点は、異邦人キリスト者とユダヤ人キリスト者からなるローマの教会に宛てた手紙の中で、パウロが同胞の民であるユダヤ人が救われるためなら、自分は神から見捨てられてもよいと語っていることと鋭い対照をなしています。私たちもそうですが、相手がどのような人かによって、話題や言葉を選ぶものです。パウロが、ユダヤ人についてこのような厳しい言葉を語り得たのは、テサロニケの教会にユダヤ人がほとんどおらず、むしろ福音宣教が、ユダヤ人によって妨げられていたからであったのです。

 しかし、テサロニケ人たちのエクレーシアだけでは、まだ必ずしもキリストの教会を意味するものとは言えません。それゆえ、パウロは、続けて「父である神と主イエス・キリストとに結ばれている」と記すのです。新共同訳聖書は、「結ばれている」と訳していますが、もとの言葉では、「何々にある」という言葉です。ですから口語訳聖書は、このところを「父なる神と主イエス・キリストとにある」と訳しています。「キリストとに結ばれている」、「キリストとにある」、どちらも良い訳であると思いますが、ここでパウロは、決定的なことを語っております。つまり、エクレーシアを教会たらしめるものは、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているという事実なのです。先程、エクレーシアという言葉は、もともとは「呼び出された者の集い」であると申しましたけども、教会とは、父である神と主イエス・キリストとの交わりの中に呼び出された者の集いということができるのです。私たちが、教会という言葉聞きますと、礼拝をささげる空間としての教会、つまり建物のことを思い浮かべると思います。けれども、当時、そのような建物はありませんでした。当時は、信者の家に集まって礼拝をささげていたからです。私たちが集っている、このような礼拝堂が建てることを許されたのは、4世紀に入ってからであると言われています。それでは、パウロは、どのような情景を思い浮かべながら、この言葉を記したのでしょうか。それは、父である神と主イエス・キリストとの交わりに呼び出されたテサロニケ人たちがささげる礼拝の情景であったと思います。

 私たちには、それぞれ異なった生活の場が与えられております。その生活の中で、私たちがキリスト者であることは誰の目にも明白であるというわけではありません。世の交わりの中で、だれがキリスト者であって、だれがキリスト者でないのかといった区別はほとんどつきません。しかし、主の日において、私たちは父なる神さまと主イエス・キリストとの交わりに呼び出されて、礼拝をささげることによって、そのことが誰の目にも明かとされるのです。主イエス・キリストを通して、神を父として礼拝すること。そこに主の選びの民としての教会の姿がはっきりと浮かび上がってくるのです。パウロが、「父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ」と記したとき、パウロがそこでかつて一緒にささげた礼拝の姿を思い浮かべていたことは明かであろうと思います。パウロは、神の福音を宣べ伝える者でありましたから、礼拝においては、今のわたしのように、前に出て、聴衆と向き合って礼拝をささげたかも知れません。そうであれば、このとき、パウロは、自分の説教を聴く一人一人の姿を思い描きながら、この言葉を記したのではないでしょうか。ある先生は、説教者である牧師が、教会員一人一人の姿を思い起こすとき、それは説教を聴いている聴衆としての姿であると言っておられます。パウロが、「父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ」と記したとき、パウロも自分の語る言葉を真剣に聞き、神の言葉として受け入れた一人一人の顔を思い浮かべたのではないでしょうか。そして、その礼拝の姿を思い描くとき、パウロは、「恵みと平和が、あなたがたにあるように」との祈りを挨拶として記さずにはおれなかったと思うのです。

4.挨拶について

 「恵みと平和が、あなたがたにあるように。」このパウロの言葉は、手紙における挨拶の言葉であります。パウロの時代、手紙は当時の大切な通信手段としてその形式が整えられ、ある一定の型をもっておりました。この1節を見ましても、差出人、受取人、挨拶という形式をもってパウロが記していることが分かります。当時のギリシア・ローマ世界では、「何某から何某へ挨拶を送る」という形式が一般的でした。例えば、使徒言行録の第23章に、千人隊長がローマ総督に手紙を記しておりますが、その書き出しは次のようなものでありました。「クラウディウス・リシアが総督フェリクス閣下に御挨拶申し上げます。」この「挨拶を送る」と訳されているもとのギリシア語は、「カイレイン」という言葉であり、ここから、パウロは、「恵み」と訳される「カリス」という言葉を取ったと言われています。つまり、パウロは、当時のギリシア・ローマ世界の挨拶の言葉を教会への挨拶としてふさわしいものに変えて用いているのです。また、「平和があるように」は、ユダヤ世界の挨拶でありました。今でも、ユダヤ人は「シャローム」「平和があるように」と挨拶いたします。パウロは、ギリシア・ローマ世界で一般的であった「挨拶を送る」という言葉を「恵み」という言葉に変え、さらに、ユダヤ世界の挨拶である「平和があるように」を加えて、一つの挨拶としたのです。ですから、ある人は、「パウロが、ギリシア・ローマ的要素とユダヤ的要素の双方を取り入れていることは、この挨拶の言葉に端的に示されている」と申しております。確かに、パウロは、ギリシア・ローマ世界の挨拶に加えて、ユダヤ世界の挨拶を記していると言えますけども、しかし、わたしはそれだけではなかったと思います。なぜなら、パウロは、まことの平和は、神の恵みによってしかもたらされないことを知っていたからです。ここでの「恵み」は、価しない者に注がれる神のご愛顧のことであります。それは言い換えれば、イエス・キリストにおいて現された罪人に対する神の御愛のことです。その神の恵みがあって、はじめてまことの平和が訪れるのです。ですから、ここでの「平和」とは、何よりイエス・キリストの贖いによって実現した神との和解のことであります。ある注解者は、「恵み」とは福音の根拠であり、平和とは福音の目的であると記しておりました。「恵みと平和が、あなたがたにあるように」。ここに、福音を受け入れた者たちに対するまことにふさわしい挨拶の言葉、祈りの言葉があるのです。そして、それは、テサロニケの人たちだけに限られない。父である神と主イエス・キリストに結ばれている私たちにも向けられている言葉なのです。

むすび.恵みと平和があるように

 「恵みと平和が、あなたがたにあるように。」このパウロの言葉を読むとき、恵みとは、イエス・キリストにおいて現された罪人に対する神の御愛であること。平和とは、イエス・キリストの贖いによって実現した神との和解であることを思い起こしていただきたいと思います。そのことを思い起こしつつ、私たちは互いに、「恵みと平和がありますように」と祈り合うことができるのです。そのような祈りを、私たちの挨拶とすることができるのであります。わたしも今朝、改めて皆さんに挨拶を送りたい。「恵みと平和が、あなたがたにあるように。」

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