ただ神に従う 2006年11月12日(日曜 朝の礼拝)

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ただ神に従う

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 4章13節~22節

聖句のアイコン聖書の言葉

4:13 議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き、また、イエスと一緒にいた者であるということも分かった。
4:14 しかし、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては、ひと言も言い返せなかった。
4:15 そこで、二人に議場を去るように命じてから、相談して、
4:16 言った。「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。
4:17 しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」
4:18 そして、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令した。
4:19 しかし、ペトロとヨハネは答えた。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。
4:20 わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」
4:21 議員や他の者たちは、二人を更に脅してから釈放した。皆の者がこの出来事について神を賛美していたので、民衆を恐れて、どう処罰してよいか分からなかったからである。
4:22 このしるしによっていやしていただいた人は、四十歳を過ぎていた。使徒言行録 4章13節~22節

原稿のアイコンメッセージ

 神殿でペトロとヨハネが民衆に話していると、神殿守衛長が祭司やサドカイ派の人々を従えて近づいてきました。神殿守衛長とは、神殿の秩序を保つ責任者でありますから、彼らはペトロとヨハネが、大勢の人々に教え、大がかりな集会を行っていることを見過ごすことはできなかったのです。また、ペトロとヨハネが捕らえられ牢に入れられたのは、彼らが教えていた内容とも無関係ではなかったと思います。なぜなら、ペトロとヨハネはイエスに起こった死者の復活について教えていたからです。祭司の多くが属していたサドカイ派は、死者の復活を否定しておりました。けれども、ペトロとヨハネは、その死者の復活を教えていたのです。しかも、それがあのイエスにおいて起こったというのです。最高法院が有罪と宣告し、ピラトの手に渡し処刑した、あのイエスが復活したと教えていたのです。大がかりな集会を行うだけでも秩序を乱す行為であるのに、その教えの内容も大変衝撃的な内容であったのです。それゆえ、ペトロとヨハネは、捕らえられ、日暮れだったこともあり、翌日まで牢に入れられたのです。しかし、二人の語った言葉を聞いて信じた人は多く、男の数が五千人ほどになったと聖書は記しています。ペンテコステの日、3000人ほどの人が仲間に加わりましたから、この日、2000人ほどの人が新たに加えられたことになります。3章の11節以下に記されているペトロの神殿での説教をはじめとする、二人が語った言葉によって、その日、2000人もの人が悔い改めて、イエス・キリストを信じる者とされたのです。

 次の日、二人は、ユダヤの最高法院、サンヘドリンの議場に連れ出されました。最高法院は、大祭司を議長とする71名の議員からなり、その構成メンバーは祭司長、長老、律法学者たちでありました。彼らは、半円形に座り、使徒たちを真ん中に立たせ、こう尋問します。「お前たちは何の権威によって、だれの名によってああいうことをしたのか」

 そのとき、ペトロは聖霊に満たされ、こう語ります。

 「民の議員、また長老の方々、今日わたしたちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が誰の名によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』です。ほかの誰によっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」

 議員たちは、このペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚いたと聖書は記しています。それはそうでありましょう。ペトロとヨハネが引き出されたのは、ユダヤの最高議会なのです。その議会の真ん中に立たされれば、おどおどし、尻込みするのが普通であります。けれども、ここでペトロは、まことに自由に、大胆に語っているのです。私たちは、その同じペトロが、かつてイエス様を三度否定したことを知っているがゆえに、なおさら驚きます。かつてペトロは、女中の言葉にびくびくするような者でありました。「あなたもイエスの仲間でしょう」と尋ねられて、「私はあの人を知らない」と三度もイエス様との関係を否定したのです。そのペトロが、最高法院の議員たちを前にして、堂々たる説教をしたのです。あなたがたが十字架につけたイエスを神が死者の中から復活させ、メシアとしてくださった。そして、それは詩編118編の実現であった。このように、イエス様の出来事を旧約聖書から説き明かしたのであります。さらには、救われるべき名は、天下にこの名のほか人間には与えられていないと大胆に宣言したのです。

 さらに、議員たちを驚かせたことは、この二人が無学な普通の人であったということです。ここでの「無学な普通の人」とは、律法についての正式な教育を受けていない人という意味であります。律法学者になるには、正式に、律法学者のもとに弟子入りをしまして、長い間訓練を受け、学業を修め、按手を受けることによって、はじめて律法の教師、ラビとなることができたと言われます。二人はそのような教育を受けていない「無学な普通の人」でありました。実はこれは、二人だけではなくて、その先生であるイエス様についても同じことが言えるのです。イエス様は、ある特定の律法学者のもとに弟子入りし、学業を修め、按手を受けたわけではありませんでした。マルコによる福音書6章にイエス様が故郷ナザレの会堂で教えられたお話しが記されています。そして、多くの人々がイエス様の教えに驚いてこう言うのです。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行ったこのような奇跡はいったい何か。この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」

 また、ヨハネによる福音書7章15節、16節にもこう記されています。 ユダヤ人たちが驚いて、「この人は、学問したわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているのだろう」と言うと、イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。」

 このように、イエス様は、ある特定の律法学者に弟子入りをして学問をしたわけではなく、公生涯を始められるまで、大工として働いておられたのです。ですから、ある研究者は、イエス様を「もぐりのラビだ」などと申します。けれども、よく考えて見ますと、イエス様は他の人に教えてもらう必要がなかったのです。それは、先程のヨハネによる福音書のイエス様のお言葉からも分かります。イエス様の教え、それは自分の教えではなく、イエス様を遣わされた神様の教えそのものであったからです。イエス様は、律法学者のようにではなく、権威ある者として教えられました(マタイ7:29)。イエス様御自身が、律法学者たちが拠り所としていたモーセに勝る権威をお持ちであられた。そして、ペトロとヨハネは、そのイエス様と一緒にいた者たち、そのイエス様の弟子たちであったのです。ペトロとヨハネ、確かにこの二人は、世間的には、正式に律法を学んだことのない無学な普通の人でありましたけども、それでは何の教育、何の訓練も受けいてこなかったと言えば、もちろんそうではありません。およそ3年間、イエス様と寝食を共にし、イエス様から教えを聴き、イエス様の為されたあらゆる業をその目で見、しばしば伝道にも遣わされたのです。ルカによる福音書を見ますと、イエス様が12人を伝道に遣わされた、72人を伝道に遣わされたことが記されています。イエス様の公生涯は、弟子たちの教育期間でもあったと言えるのです。ですから、このペトロの説教は、一朝一夕のものではなくて、むしろ、イエス様の訓練の実りであったとも言えるのです。その訓練の実りが聖霊によって有効に用いられた、大胆に用いられたとも言えるのです。

 議員たちは、足をいやしていただいた人がそばに立っているのを見ては一言も言い返せず、二人に議場を去るように命じてからこう相談しました。

「あの者たちをどうしたらよいだろう。彼らが行った目覚ましいしるしは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡っており、それを否定することはできない。しかし、このことがこれ以上民衆の間に広まらないように、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこう。」

 ここで、議員たちは、二人が足の不自由な男を癒したことは、否定することができない事実であると認めております。けれども、それならば、確かにその男を癒したイエスが、死者から復活し、今も生きておられることを認めたかと言いますとそうではありません。彼らは、「それを否定することはできない」と認めながらも、イエス様の復活を信じず、むしろ、今後あの名によってだれにも話すなと脅しておこうと決議するのです。彼らは、ペトロの説教を聞いても、悔い改めようとはしないのであります。

 議員たちは、二人を呼び戻し、決してイエスの名によって話したり、教えたりしないようにと命令しました。しかし、ペトロとヨハネはこう答えます。「神に従わないであなたがたに従うことが、神の前に正しいかどうか、考えてください。わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」

 これも随分大胆な発言であります。ユダヤの最高法院の決定、それは神の御心を表すものと考えられておりました。けれども、ここで、ペトロとヨハネは、「あなたがたに従うことと神に従うことは同じではない。むしろ、あなたがたに従うことは、神に背くことになる」と言ってのけたのです。それは、最高法院が十字架につけて殺したイエスを、神が復活させてくださったことからも明かであります。もし、最高法院の判決が神の御前に正しいものであったならば、神はイエスを復活させはしなかったはずです。けれども、神はイエスを復活させることにより、このお方には何の罪もなかったことを証しされたのです。そして、復活された主イエスは、天に上げられる前、弟子たちにこう仰せになりました。「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 ペトロとヨハネをはじめとする弟子たちに命じられていたこと。それはイエスの証人となることでありました。自分たちが見たこと、聞いたことを宣べ伝える。イエスの復活の証人となる。この主イエスの御意志に私たちは従わなくてはならない。そして、それこそ、神の御意志であり、神の御前に正しいことであると彼らは確信していたのです。ペトロとヨハネの大胆さ、その大胆さを生み出したものは、自分たちが神の御意志に従っているというこの確信であります。最高法院が神の名によって語ろうとも、また国家権力を振りかざそうとも、使徒たちは自分たちこそが神に従っていることを聖霊によって確信することができたのです。なぜなら、彼らは神が遣わされメシアとなされた主イエス・キリストに従っていたからであります。

 

 第二次世界大戦下のドイツにおいて、ドイツ的キリスト者は、ヒットラーをはじめとするナチスに、神の摂理を見出しておりました。そのように教会も全体主義に取り込まれそうな中で、福音主義教会からなる告白教会は、『バルメン宣言』によって、ただイエス・キリストだけが私たちが聞くべき神の言葉であると宣言したのです。バルメン宣言の第一項にはこう記されています。

 

 聖書においてわれわれに証しされているイエス・キリストは、われわれが聞くべき、またわれわれが生と死において信頼し服従すべき神の唯一の御言葉である。

 教会がその宣教の源として、神のこの唯一の御言葉のほかに、またそれと並んで、更に他の出来事や力、現象や真理を、神の啓示として承認しうるとか、承認しなければならないという誤った教えを、われわれは退ける。

 

 神の名のもとに、様々なことが言われ、様々なことが正当化される。ヒットラーの出現やナチスによる革命が、神の摂理、神の啓示として受けとめられる中で、告白教会は、ただ聖書において証しされたイエス・キリストだけが、私たちが信頼し服従すべき唯一の神の御言葉であると告白したのです。

 「決してあの名によって語ってならない」こう脅した最高法院は、まさに神の名によって、そのことを禁じたのであります。けれども、使徒たちは、ただイエス・キリストに聞き従ったのでありました。なぜなら、イエス・キリストこそ、私たちが信頼し服従すべき神の唯一の御言葉であるからです。ただイエス・キリストに従うとき、私たちは正しく神に従うことができるのであります。

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