美しい門のそばで 2006年10月01日(日曜 朝の礼拝)

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美しい門のそばで

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 3章1節~10節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:1 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った。
3:2 すると、生まれながら足の不自由な男が運ばれて来た。神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日「美しい門」という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。
3:3 彼はペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞うた。
3:4 ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言った。
3:5 その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、
3:6 ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
3:7 そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、
3:8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。
3:9 民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。
3:10 彼らは、それが神殿の「美しい門」のそばに座って施しを乞うていた者だと気づき、その身に起こったことに我を忘れるほど驚いた。使徒言行録 3章1節~10節

原稿のアイコンメッセージ

 前回、42節から47節より、初代教会の姿について学びましたが、その時、一つふれなかったことがあります。それは、彼らが毎日ひたすら心を一つにして神殿に参っていたということです。今朝の御言葉の3章1節にもありますように、ペトロとヨハネは、午後三時の祈りの時に神殿へと上って行きました。初代教会の人々が神殿に通い続けたこと。これは、彼らが自分たちをイスラエルの宗教の伝統に生きる者と自覚していたことを表しています。後の11章26節に、「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」とありますように、まだこのとき、教会は、キリスト教という明確な区別をもたず、イスラエルの宗教の一派、もっと言えば、イスラエルの宗教を成就するものとして自らを考えていたのです。ですから、イスラエルの宗教において重んじられていた神殿を、彼らも当然のように重んじたのでありました。むしろ、そのことによって、自分たちがナザレのイエスから始まった新興宗教ではなくて、旧約の歴史と伝統を受け継ぐ者たちであることを表したのです。そして、その神殿を重んじる姿勢が、当時の民衆全体から好意を寄せられた大きな理由の一つでもあったのです。

 さて、今朝の御言葉に入ってきたいと思います。今朝の御言葉には、ペトロとヨハネの二人が出てきます。ペトロとヨハネ、これは使徒たちの中でも、特に重んじられていた者たちであります。使徒の中の使徒、こう言ってもよい者たちであります。福音書の中で、イエス様は、ペトロとヨハネとヤコブの三人を特に重んじております。死んでしまったヤイロの娘を生き返らせた時、イエス様が伴われたのはペトロとヨハネとヤコブだけでありました。また、山上の変貌の場面においても、イエス様はペトロとヨハネとヤコブだけを供われたのであります。さらには、イエス様は、過越の食事を準備させるために、ペトロとヨハネをお遣わしになりました。このように、ペトロとヨハネは、使徒の中でも、イエス様から重んじられていた使徒たちと言えるのです。

 そのペトロとヨハネが午後三時の祈りの時に神殿に上って行きました。「午後三時の祈りの時」とありますように、午後三時は、神殿で、祭司が小羊のいけにえを献げ、香をたき、その民と共に祈り、彼らを祝福するという公の祈りの時でありました。出エジプト記の29章の38節以下に「日ごとの献げ物」についての記述がありますが、そこにこう記されています(旧143頁)。

 祭壇にささげるべき物は次のとおりである。毎日絶やすことなく一歳の雄羊二匹を、朝に一匹、夕暮れに他の一匹をささげる。

 飛んで41節から42節。

 朝と同じく夕暮れにも、雄羊に穀物の献げ物とぶどう酒の献げ物を加え、燃やして主にささげる宥めの香りとする。これは代々にわたって、臨在の幕屋の入り口で主の御前にささぐべき日ごとの献げ物である。わたしはその場所で、あなたたちと会い、あなたに語りかける。

 この掟に従い、当時、イスラエルの神殿でも、毎日、朝と夕の2回、いけにえが献げられ、祈りの時が持たれたのでありました。ペンテコステの日、ペトロは「今は朝の九時ですから、この人たちは酒によっているのではありません」と申しましたが、この朝の九時がどうやら、朝の祈りの時間ではなかったかと考えられているのです。そうすると、当時の人々は、毎日午前九時と午後三時に祈りの時を持っていたことが分かるのです。

 ペトロとヨハネが、午後三時の祈りの時に神殿に上って行った、ちょうどその時、生まれがらに足の不自由な男が運ばれてきました。「神殿の境内に入る人に施しを乞うため、毎日『美しい門』という神殿の門のそばに置いてもらっていたのである。」と聖書は記しております。この人は、自分で働くことはできず、人々からの施しによって命をつないできた人であります。4章22節を見ますと、「このしるしによっていやしていただいた人は、40歳を過ぎていた。」とありますから、今で言えば、働き盛りの年齢でありました。この「美しい門」が、どの門を指すのかははっきりしないのでありますが、おそらく、エルサレム神殿の東側の異邦人の庭から婦人の庭へと通じるニカノルの門のことであろうと考えられています。この門は、ひときわ大きく、人通りも多かったということですから、この男は、施しを受けるのに最も良い時と良い場所を選んで、置いてもらっていたのでありました。

 彼は、ペトロとヨハネが境内に入ろうとするのを見て、施しを乞いました。この時、この男がどのような言葉で施しを乞うたのかは書いておりませんけども、私たちが、これまで学んできたことによれば、おそらく「わたしを憐れんでください」という言葉ではなかったかと思います。エリコの盲人で物乞いをしていたバルティマイは、イエス様に「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けたのでありました。「わたしを憐れんでください」、この言葉を聞いて、ペトロはヨハネと一緒に彼をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言ったのです。

 ここにあるのは、足の不自由なこの男を一人の人格、人間として見ようとする使徒たちの眼差しであります。2節に、「神殿の門のそばに置いてもらっていた」とありますように、まるで置物のように扱われていたこの男を、使徒たちは、一人の人として、神のかたちを持つ者として見つめているのです。そして、使徒たちは、この男からも自分たちが見られることを望むのであります。以前私は、「見るということは愛することだ」と申し上げたことがあります。人は愛するものを見るのです。逆を言えば、人は愛さない者は見ないのです。いや、見ようとしないのです。視界から閉め出してしまうのです。それは、私たちの人間関係を見ればすぐに分かると思います。愛し合う恋人同士は、見つめ合うことが喜びなのです。また、目をそむけ、視線を合わせないようにしているならば、その人との人間関係は破綻寸前であると言えるのです。

 この男は、美しい門の傍らに座りながら、おそらく、何百、何千という人々が自分の前を通り過ぎるのを見ていたことでありましょう。しかし、そこで、本当に彼の心に触れてくれた人は何人いたでありましょうか。自分のことを話して恐縮ですけども、私がこの教会に赴任した時は、まだ独身でありました。結婚するまで1年以上、一人で生活をしていたわけです。誰とも話さない日、誰とも会わない日、そういう日が幾日も続きました。こうは言っても、実際には誰かと顔を合わせているわけです。例えば、買い物に行けば、レジの人と顔を会わす、道を歩けば、人とすれ違うわけです。けれども、それは私の体験としては出会いになっていないわけですね。こういうことを群衆の孤独と呼ぶのでしょうけども、大勢の人に紛れていても、そこで誰とも出会うことができない。誰もわたしの目を見てくれない。誰もわたしに話しかけてくれない。誰もわたしがわたしであるがゆえに重んじてくれない。それが多くの人と接しながらも、今日は誰とも会わなかったという言葉の意味するところであります。そのような意味で、この男は、施しを乞うという仕方で、多くの人に接しておりましたけども、本当の出会い、人格のふれあいというものを体験したことはまれではなかったかと思うのであります。しかし、そのようなこの男に、使徒たちは、見つめ合うという仕方で人格的な交わりを持とうとするのです。

 その男は、物乞いでありますから、何かもらえると思って二人を見つめておりました。けれどもペトロはこう言います。

 「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 ペトロは、はっきりと「わたしには金や銀はない」と申します。ペトロたちも、この男同様、おそらく貧しい身なりをしており、一日一日を主に委ねて歩んでいたのだと思います。ですから、このところは、こう訳すことができるかも知れません。「ご覧通り、わたしには金や銀はない」と。「あなたが見ての通り、わたしも貧しい者だ」こうペトロは言っているのです。けれども、金や銀ではないが、持っているものがある。いや、金や銀よりも遥かに素晴らしい宝がある。そのもっているものをあなたにあげよう。こうペトロは語り、そしてこう命じるのです。「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」

 そして、右手をとって彼を立ち上がらせたのです。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩きだしたのです。この「躍り上がって」という言葉は、イザヤ書35章に記されている救いの成就を思わせる御言葉であります。イザヤ書の35章は「栄光の回復」という小見出しがつけられておりますけども、その5節、6節に、こう記されています(旧1116頁)。

 そのとき、見えない人の目が開き

 聞こえない人の耳が開く。 

 そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。

 口の利けなかった人が喜び歌う。

 歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。まさに、今朝の御言葉に描かれている光景は、この終末の救いの実現に他ならないのです。このように、使徒たちを通して行われる力ある業は、イエス様と同様、神の国が既に到来していることのしるしであったのです。

 ペトロは、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。」と言いました。このペトロが持っているものとは、一体何だったのでしょうか。それは、この足の不自由な男を、イエス・キリストの名が立ち上がらせ、歩かせることができるという信仰であります。このイエスへの信仰をまずペトロ自身が持っていたのです。ペトロ自身が、イエス・キリストの名は、この男を立ち上がらせ、歩かせることができると信じていたのです。そのペトロの信仰が、ここで、この足の不自由な男にも共有され、そして、この男の信仰となったのであります。7節に「そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。」とあります。右手を取ったとありますから、これはまず、ペトロが右手を差し出したのではないでしょうか。そして、そのペトロから差し出された右手に、この足の不自由な男も自分の右手を差し出したのです。そして、これがこの男の信仰であったと言えるのです。

 もう一度申しますと、ペトロは、イエス・キリストの名が、この男を立ち上がらせ、歩かせることができると信じておりました。これは、ペトロの信仰と呼べます。ペトロはその信仰に基づいて、「立ち上がって、歩きなさい」と命じ、右手を差し出したのです。そして、この男は、ペトロの手に自分の手を重ねるという仕方で、そのペトロの信仰を、自らの信仰としたのであります。ですから、ペトロは、16節で、こう宣言するのです。

 あなたがたの見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました。それは、その名を信じる信仰によるものです。イエスによる信仰が、あなたがた一同の前でこの人を完全にいやしたのです。

 この男を立ち上がらせ、歩かせたもの、それはイエスの名を信じる信仰でありました。それゆえ、彼は神を賛美し、二人と一緒に境内に入り、二人から離れなかったのであります。この男は、イエスをキリスト、救い主と信じるキリストの教会の一員となったのです。

 この男は、毎日、「美しい門」という神殿の門のそばに置かれていました。これはもう少し正確に言うと「門の前に置かれていた」ということでであります。この男は、生まれてこの方、神殿の境内には入ったことはありませんでした。彼は、いつもその門の前に置かれていたのです。といいますのは、目や足の不自由な者は、神殿に入ってはならなかったからです(サムエル下5:8)。ですから、この時、はじめて、この男は、神殿の境内へと足を踏み入れることができたのです。イエス様も神殿を「わたしの父の家」と呼ばれたように、神殿は神がその名を置くと言われた場所であり、神と民との出会う場であります。このように、この男は、イエス・キリストの名によって、神との交わりへと回復されたのでありました。そして、これこそが、彼に起こった奇跡であったのです。

 現在の私たちの認識によれば、今朝の御言葉に描かれているような奇跡は止んでおります。奇跡は、出来事啓示でありまして、啓示の書である聖書が完結してからは、止んでいると考えているのです。ですから、現在の私たちが、足の不自由な方に対して、ペトロと同じように語ることはできないかも知れません。けれども、その深い所では、このことは、私たち自身にも起こったことではないかと思うのです。もう歩けない、歩いていても意味がないとうずくまる中で、イエス・キリストの名を信じる信仰によって、上からの力を与えられ、立ち上がり、もう一度歩き始めるということが、私たちにも起こったのではないかと思うのです。そして、このことは実際に足が不自由なままであったとしても、起こり得ることであるのです。

 この説教の初めに、ペトロとヨハネは、使徒を代表する者たちであると申し上げました。ですから、ペトロとヨハネを、教会に置き換えて考えてみたらよいと思います。教会は、憐れみを乞う人々に何ができるのか。そして、何をすべきであるのか。そのことを今朝の御言葉から教えられたいと願うのです。

 現代の教会は、当時の教会よりも、遥かに裕福になっているのかも知れません。その意味で、「わたしには金や銀がない」とは言えないのかも知れないと思わされます。ご存じの通り、わたしは教会に住んでおりますから、いろいろな人の訪問を受けます。先日、同じ週に二人の方が、施しを求めて訪ねてきました。そのようなことはもう何度もあるわけでありますが、私はその度にいつも、このペトロの言葉を思い出します。「わたしには金や銀はない」こう言って、はっきりとお断りできたら楽だろうなぁと正直思います。けれども、実際、お財布を見れば、いくらかのお金はあるわけですね。ですから、そのいくらかはお渡しするようにしています。ただ、最近は、草刈りなど働いてもらって、その報酬としてお渡しするようにしています。労働の報酬として、賃金としてお支払いするわけです。そして、そのような方が訪ねて来た時、いつも心がけているのは、できるだけ、その人と目と目を見て話す、人格的な交わりをするということです。「ご飯を食べましたか」と聞き、「食べていない」という答えが返ってくれば、ご飯を用意して差し上げる。あるいは、一緒に食事をする。さらには、草刈りも一緒にすることもあります。すると、その人が大変満たされていく様子がよく分かります。その人だけではない。私も満たされていくのが分かります。その中で、イエス様のお話をすることもありますし、しないときもあります。そのような方たちと接していて、いつも思いますことは、決して人ごとではないということです。誰もが、そのような境遇に陥る危険を現代の社会は抱えていると思うわけであります。その一人の人は、59歳の男性の方でありまして、どこも雇ってくれないし、年金をもらうのはまだ先のことなので、後何年もどうやって生きていこうか心配だと話しておりました。勤め先から解雇されて、職場を失った。そして、その時気づいたことは、人間関係までも失ったということであったということです。私とお話ししながら、久しぶりに人と話しができてうれしかったと言っておられました。その方には、小型の新約聖書をお渡しし、また教会に来てくださいと伝えましたけども、やはり、私はもっと大胆に語るべきではなかったのかとも思わされているのです。「ナザレの人イエス・キリストの名によって、立ち上がり、歩きなさい」、こう大胆に語るべきではなかったかと思うのです。

 私たちは金や銀より遥かに貴いものを持っていることを忘れてはいないでしょうか。イエス・キリストの名を信じる信仰という宝を忘れてしまってはいないでしょうか。そのイエス・キリストの名による信仰が、私たち自身を立ち上がらせ、私たち自身の歩みを支え導いていることを忘れてはいないでしょうか。そして、それは私たちだけではなくて、すべての人を立ち上がらせ、歩かせる力を持っているのであります。

 そのことをペトロは知っていたがゆえに、足の不自由な男に、「立ち上がって、歩きなさい」と命じ、右手を差し出したのでありました。私たち教会に求められていることは、イエス・キリストの名を信じる、その信仰のゆえに、自らの手を差し出すことであります。あなたも、そしてあなたも、イエス・キリストの名によって、立ち上がることができる。そして、あなたも私たちと共に神を賛美して生きることができる。これが、私たち教会に委ねられたイエス・キリストの福音であります。

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