聖霊の降臨 2006年8月20日(日曜 朝の礼拝)

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聖霊の降臨

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 2章1節~13節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:1 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
2:2 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
2:3 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
2:4 すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。
2:5 さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信心深いユダヤ人が住んでいたが、
2:6 この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。
2:7 人々は驚き怪しんで言った。「話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。
2:8 どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。
2:9 わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、
2:10 フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、
2:11 ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」
2:12 人々は皆驚き、とまどい、「いったい、これはどういうことなのか」と互いに言った。
2:13 しかし、「あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、あざける者もいた。使徒言行録 2章1節~13節

原稿のアイコンメッセージ

 十字架の死から3日目に、栄光の体へと復活されたイエス様は、40日にわたって使徒たちに現れ、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」

 このイエス様のご命令に従って、弟子たちは、エルサレムに留まり、心を合わせて熱心に祈っておりました。さらには、使徒を一人補充することによって、新しいイスラエルとしての体制を整えたのでありました。イエス様が選びになった12使徒の一人、イスカリオテのユダが、使徒としての務めを自ら捨てて、自分の行くべきところへと行ってしまった。そのユダに代わって11人に加えられたのがマティアでありました。それによって、使徒団は、再び12人となったのであります。ちょうどイスラエルが12部族からなり、12人の部族長によって治められていたように、新しいイスラエルであるキリストの教会にも12人の使徒が必要であったのです。このように、弟子たちは、心を合わせ祈り、新しい民としての体制を整えつつ、主の約束の実現を待ち望んでいたのです。そして、とうとう五旬祭の日、この約束が実現するのです。五旬祭とは、過越の祭りや仮庵の祭りと並ぶユダヤ三大祭りの一つであります。(申命記16:9-12)。五旬祭は、過越の祭りから、50日目に持たれるお祭りで、収穫した麦の初穂を献げ、神に感謝するお祭りであります。いわゆる収穫祭であったわけです。ここで「五旬祭」と訳されている言葉は、ペンテコステという言葉です。ペンテコステとは、ギリシャ語の序数で「50番目」のという意味です。過越の祭りから50日目に行われるお祭りなので、ペンテコステと呼ばれたわけです。また、旧約聖書を見ますと、五旬祭は、七週の祭りとも呼ばれています。一週間は7日ありますから、それを7倍すると49日になり、その翌日がお祭りでありましたから、これも50日目ということになります(レビ23:15、16)。イエス様が復活されたのが過越の祭りの時でありましたから、イエス様の復活から50日目に、昇天からは10日目に、聖霊は弟子たちの上に降ったのでありました。

 ここでの弟子たち、「一同」がどのような人々であったのか。1章13節以下によれば、それは、マティアを加えた12使徒と婦人たち、イエスの母マリア、イエスの兄弟たちを含む、120人ほどの人々でありました。120人ほどの人が一つに集まり、座ることができたのですから、彼らはずいぶん広い家にいたようです。おそらく、エルサレムに住む裕福な信徒が自分の家を集会所として提供していたのだと思います。

 聖霊は、文字通り「霊」でありますから、目に見ることはできません。ですから、聖霊は、天からの激しい風が吹いてくるような音と炎のような舌という象徴的な姿でご自身を表されました。人間の聴覚と視覚にうったえて、聖霊が確かに降って来られた。そして、一人一人のうえにとどまったことをはっきりと示されたのです。

 激しい風も炎のような舌も、聖霊そのものとは言えません。けれども、それらは聖霊のお働きを象徴的に表すものであります。ヨハネによる福音書の第3章でイエス様とニコデモの対話が記されていますが、そこでイエス様は霊の働きを風に例えて教えておられます。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネ3:8)。このように、霊はしばしば風に例えられました。激しい風が吹いてくるような音が天から聞こえてきた。このことは、天から聖霊が降ってきたことを最もよく表しています。

 また、舌は、言葉を操る機関でありますから(ヤコブ3:5)、炎のような舌は、聖霊を授かった一同に、これから何が起こるのかを暗示しています。3節に「分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」とありますから、はじめに現れた「炎のような舌」は一つであったようです。その一つの舌が、細胞が分裂するように、分かれてゆき、一人一人の上に留まったのであります。このことは、弟子たちが受けた聖霊が同じ一つの霊、イエス・キリストの霊であることを教えております(エフェソ4:4)。

 

 一同に聖霊が降った時、そこに特別な奇跡が起こりました。それは、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだすという奇跡であります。

 この日は、五旬祭でありましたから、エルサレムは多くの人々でにぎわっておりました。当時エルサレムの人口は5万人と言われていますが、祭りの時には、2倍から3倍にふくれあがったと言われています。激しい風が吹いてくるような音を聞きつけ、大勢の人が集まってきた、と聖書は記しています。この音は、「家中に響いた」とありますから、ある一定に時間鳴り続けていたようです。エルサレムには、天下のあらゆる国から帰って来た信心深いユダヤ人が住んでおりました。このユダヤ人たちは、もともと離散のユダヤ人、ディアスポラのユダヤ人でありました。経済的な理由や、戦いに敗れて捕虜となるという仕方で多くのユダヤ人が外国に移り住んでいたわけです。そのユダヤに住んでいないユダヤ人を離散のユダヤ人、ディアスポラのユダヤ人と言うのです。その異国の地にあって、ユダヤ人は会堂を中心とする共同体を形成するわけですが、その土地で生まれた育った離散のユダヤ人たちがエルサレムに帰って住まいを得ておりました。エルサレムは、イスラエルの宗教の中心地でありますから、そこに移り住んでいた信心深い人々がいたわけです。その人たちが、弟子たちの話している言葉を聞いて、あっけにとられてしまった。なぜなら、ガリラヤの人である弟子たちが、自分の故郷の言葉を話していたからであります。人々は、思いがけずに、懐かしい故郷の言葉を聞くことになったのです。

 9節以下には、どのような国の言葉が話されていたのかが具体的に記されています。今朝の週報に地図を挟んでおきましたので、それを見ていただければ分かりやすいと思います。ユダヤを中心としまして、東には、パルティア、メディア、エラム、メソポタミアがありました。また、北には、

カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリアがありました。また、南には、エジプト、キレネに接するリビア地方があり、西にはローマがありました。そして、また東に戻ってきまして、クレタ、アラビアと記されています。これらの言葉をもって、弟子たちは神の偉大な御業を語っていたのです。ここに記されている地名は、当時のユダヤ人にとって全世界と言えますから、全世界の言葉で弟子たちは神の偉大な御業を語り始めたのです。

 初代教会の時代には、聖霊が降ると預言や異言というしるしが伴うことがありました。しかし、聖霊が降るといつも預言や異言を語り出すかというと、そうではありません。聖霊が確かに降ったことをはっきりと示すために神様は預言や異言というしるしを与えられたのです。例えば、使徒言行録の第10章を見ますと異邦人であるコルネリウスに聖霊が降ったことが記されています。異邦人に聖霊が降るということは大いなる転換点です。この時に、聖霊が降ったのかどうか分からないのであればこれは困ってしまうわけですね。ですから、確かに降ったことを表すために、神様は預言や異言をそこに伴わせたわけです。事実、ペトロが、コルネリウスに聖霊が降ったことを認めることができたのは、彼が異言で神を賛美しているのを聞いたからでありました。コリントの信徒への手紙一の第14章を見れば、異言について詳しく記されています。そこでパウロが語っていることは、異言とは、他の人には理解できない言葉であるということです。ペンテコステの日に、弟子たちが語り出した言葉は、それを聞いた人たちが、自分の故郷の言葉であるとはっきり認めることができました。ですから、ここで弟子たちは異言を語ったのではありません。ペンテコステの日に起こった出来事、これはガリラヤの人であった弟子たちが、霊が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出すという、多国語奇跡でありました。この多国語奇跡は、ペンテコステの日に起こった独自の奇跡であります。

 この多国語奇跡は、一体何を意味しているのでしょうか。弟子たちは、他の国々の言葉で話しだしたわけですが、そこにはひとつの一致があります。他の言葉なのですけども、一つ共通していることがある。それは、神の偉大な御業を彼らが語っていたということです。弟子たちは様々な国の言葉をもって、神の偉大な御業、つまりイエス・キリストの救いの出来事を宣べ伝えていたのです。イエス様は、1章8節において、こう仰せになりました。「あなた方の上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

 このことは、これから長い歴史をかけて教会が実現していくことでありますけども、しかし聖霊なる神は、ペンテコステの日に、そのことが実現している光景を見せてくださったのです。私は先程、五旬祭は、いわゆる収穫祭であると申しました。主イエスは、弟子たちに様々な国の言葉で福音を語らせるという多国語奇跡を通して、教会の宣教の豊かな収穫を保証してくださったのです。

 教父であるアウグスティヌスは、ペンテコステを、「教会の誕生日」と呼びました。キリスト教会は、ペンテコステの日、聖霊によって生まれ、その産声を上げました。その時、あげた産声は、世界中の国の言葉で、神の偉大な御業を賛美するという産声であったのです。聖書の中に、日本という地名は記されておりませんけども、しかし、私は想像力をたくましくして、この時、使徒たちは日本語でも神の偉大な御業を語っていたのではないかと思います。

 私たちの教会は、このペンテコステの日におきた奇跡の実現として、この日本に建てられています。日本に住む私たち、異邦人であった私たちが、神の偉大な御業を、自らの国の言葉で宣べ伝えるものとされているのです。もちろん、それまでには、長い年月と数えきれいないほどの、人々の労苦がありました。命がけで、日本にキリスト教を伝えた宣教師や、迫害に耐えながらも信仰に踏み留まった先人たち、そういった人たちの労苦のうえに、私たちは、今、キリストを信ずる者とされているのであります。そして、その人々に力を与え、希望と確信を与えてきたのも、ペンテコステの日に降った、イエス・キリストの聖霊でありました。その同じ聖霊が、私たちにも与えられているのです。

 私たちは、ペンテコステの弟子たちのように、他の国々の言葉をぺらぺら語りだすわけではありません。しかし、私たちも神の偉大な御業については語ることができるです。イエス様は、私たち一人一人に聖霊を与えてくださり、「イエスは主である」と語る舌を与えてくださったのであります。

 イエス様から聖霊を受けた人々は、たとえ言葉が異なったとしても、一つの言葉を語ることができるのです。神の偉大な御業をほめたたえる、信仰の言葉を語ることができるのであります。聖霊の降臨によって、言葉の違う人々が、イエス・キリストへの信仰において一つとなる、新しい時代が到来したのです。全世界の民からなるイエス・キリストの教会、その一つの枝として、私たちは、この日本で、神の偉大な御業を宣べ伝えているのであります。この羽生の地で、イエス・キリストの福音を宣べ伝えているのです。

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