祈り備えつつ 2006年8月13日(日曜 朝の礼拝)

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祈り備えつつ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
使徒言行録 1章12節~26節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:12 使徒たちは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た。この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが許される距離の所にある。
1:13 彼らは都に入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がった。それは、ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、フィリポ、トマス、バルトロマイ、マタイ、アルファイの子ヤコブ、熱心党のシモン、ヤコブの子ユダであった。
1:14 彼らは皆、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちと心を合わせて熱心に祈っていた。
1:15 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。
1:16 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。
1:17 ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。
1:18 ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。
1:19 このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。
1:20 詩編にはこう書いてあります。『その住まいは荒れ果てよ、/そこに住む者はいなくなれ。』/また、/『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』
1:21 -22そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」
1:23 そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、
1:24 次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。
1:25 ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」
1:26 二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。
使徒言行録 1章12節~26節

原稿のアイコンメッセージ

 前回、私たちは、復活されたイエス様が天へと上げられる場面を共に読みました。今朝の御言葉はその続きになります。

 12節に、「使徒たちは、『オリーブ畑』と呼ばれる山からエルサレムに戻ってきた」と記されています。ここに「使徒たち」とありますけども、元の言葉では「彼ら」と記されています。6節にも「さて、使徒たちは」とありますが、この所もやはり元の言葉を見ますと「彼ら」と記されているのです。つまり、復活のイエス様が天へと上がられたのを目撃したのは、使徒たちだけに限られないということです。復活の主イエスが、「十一人とその仲間」に現れてくださったように、イエス様が天へと上げられるのを、仲間たちも目撃したのです。そのことは、後にマティアという人が使徒に加えられることからも明かであります。

 彼らは、「オリーブ畑」と呼ばれる山からエルサレムに戻って来た、と記されていますから、イエス様が天に上げられたのは「オリーブ畑」と呼ばれる山であったことが分かります。続けて「この山はエルサレムに近く、安息日にも歩くことが赦される距離のところにある」と説明されていますけども、これは、イエス様が安息日、つまり土曜日に天へと上げられたということではなくて、オリーブ山とエルサレムはそれほど近かったということを教えているのです。安息日にも歩くことがゆるされる距離は、およそ900メートルと言われますから、それほど近かったということです。

 彼らは都エルサレムに入ると、泊まっていた家の上の部屋に上がりました。二階の部屋に上がったわけです。二階の部屋というのは、それだけ天に近かったためか、律法の研究や祈りの場として用いられたと言われています。列王記下の4章に出てくるシュネムの婦人は、聖なる神の人エリシャのために、階上に壁で囲った小さな部屋を造りました(列王記下4:9、10)。また、バビロンに捕囚となっていたダニエルは、王が禁令に署名したことを知っていながら、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がって祈った、と記されています(ダニエル6:11)。

 ここで、再び使徒たちの名前が記されています。ルカによる福音書の6章に、イエス様が、弟子たちの中から、十二人を選んで使徒と名付けられたことが記されておりました。その名前をもう一度ルカはこの所に記しているのです。福音書の記述と比べて、まず、はじめに気づきますことは、この使徒言行録のリストには、十一人の名前しか記されていないということです。イエス様を裏切ったイスカリオテのユダの名がないのです。また、さらによく見ていきますと、何人かの名前の順序が入れ替わっていることにも気づきます。例えば、ルカによる福音書ですと「それはイエスがペトロと名付けられたシモン、その兄弟アンデレ、そして、ヤコブ、ヨハネ」と記されていました。けれども、使徒言行録では、「ペトロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ」と記されているのです。アンデレとヨハネの順番が入れ替わっているのに気づきます。これは、おそらく、ヨハネが使徒たちの中で重んじられて行ったことを反映しているのだと思います。

 このように、イスカリオテのユダは欠落し、名前の順序が少し替わっていますけども、しかし、この11人は、イエス様が選んだ使徒たちでありました。ここが大切なことであります。イエス様の逮捕、十字架の死によって、使徒たちはちりぢりになり、解散してしまったのではなくて、一つの集団として存続していた。復活されたイエス様が彼らの前に現れてくださったゆえに、使徒たちは依然として一つの群れとしてエルサレムに留まり続けていたのです。そして、そこには、婦人たちやイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちもいたのであります。この婦人たちは、ガリラヤの地からイエス様に仕え、自分の持ち物を出し合ってイエス様ご一行の奉仕していた婦人たちであります(ルカ8:2、3)。また、イエス様の十字架の死、葬りの目撃者でもありました(ルカ23:49、55)。その婦人たちも、変わらず使徒たちと共にいたのです。

 また、そこには、イエスの母マリア、またイエスの兄弟たちもおりました。イエス様の母や兄弟たちについては、ルカによる福音書8章19節から21節にこう記されておりました。

 さて、イエスのところに母と兄弟たちが来たが群衆のために近づくことができなかった。そこでイエスに、「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせがあった。するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人のたちのことである」とお答えになった。 

 ルカは、福音書を記すにあたって、マルコによる福音書を一つの資料として用いたと考えられています。そして、このお話しは、もともとマルコによる福音書に記されているものであります。読み比べていただくと、お分かりのように、ルカの記述は、マルコの記述よりも丸みを帯びています。マルコによる福音書によれば、身内の人たちは「あの男は気が変になっている」という噂を聞いて、イエス様のことを取り押さえにやって来たのです(マルコ3:21)。ですから、母と兄弟たちは、その輪に入ろうとしないで、人をやってイエス様を呼ばせました。しかし、ルカの記述ですとそうではないわけです。母も兄弟たちも自分でイエス様のところに来ているわけです。しかし、群衆のために近づくことができなかった、こういう書き方なのです。また、イエス様のお答えも非常に対象的です。マルコによる福音書では、イエス様はこうお答えになっています。

 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

 これは、イエス様を捜しにきた母や兄弟たちにすれば、随分手厳しい言葉であります。おそらく、イエス様はこう仰せになった後、母や兄弟たちにお会いにならなかったのではないかと思いますね。なぜなら、彼らはイエス様を取り押さえに来たからであります。こう考えますと、母や兄弟たちへの決別の言葉とも読むことができるのです。

 けれども、ルカの記すイエス様のお答えには、このようなとげとげしさというものはありません。するとイエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」とお答えになった。

 マルコは、この記事をベルゼブル論争に続けて記しましたけども、ルカは、種を蒔く人のたとえ、ともし火のたとえに続けて記しました。いわば、御言葉を聞くことの教えの結論として、イエスの母と兄弟たちのお話しをここに置いたわけです。そして、イエス様がここで仰せになったことは、「神の言葉を聞いて行う人たちが、わたしの母、わたしの兄弟たちだ」ということなのです。「母上と御兄弟たちが、お会いしたいと外に立っておられます」との知らせを聞いて、イエス様は、「神の言葉を聞いて行うならば、あなたたちもわたしの母、わたしの兄弟となる。わたしの家族となる」と教えられたのです。このイエス様の言葉は、母や兄弟たちを排除するものではありません。この後、イエス様がどうされたかは書いてありませんけども、私は、おそらく、イエス様は母と兄弟たちのもとへ向かったと思います。この時、母と兄弟たちがイエス様の弟子となっていたかどうかは定かではありませんけども、少なくとも、ルカの書き方ですと、イエス様に対立する者たちではなかったのです。それはそうでありましょう。なぜなら、母マリアは天使ガブリエルに対して「お言葉どおり、この身に成りますように」と祈ることができた真に敬虔な女性であったからです。

 そのようなイエスの母マリア、またイエスの兄弟たちが、使徒たちと一緒にいたということ。それは、もう、この時は、明らかにイエス様を主と信じ、歩んでいたということであります。イエス様はかつて「預言者は自分の故郷では歓迎されないものだ」と言われたことがあります。その人を身近に感じるがゆえに、その人の偉大さに気づかない、またそれを認めにくいということはよくあることです。けれども、ここでは、母マリアやイエスの兄弟たちも主イエスを信じる者たちとなっていたのです。使徒言行録の16章31節に「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」という御言葉ありますが、この約束は、何より主イエスの家族において実現した約束でありました。

 使徒たちや婦人たちと共に、イエス様の母マリアや兄弟たちがいたということ。私たちは、このことからも、主の慰めに満ちたご配慮を覚えることができるのです。

 これらの人々は集まって何をしていたのか。それは心を合わせて熱心に祈るということでありました。イエス様は天に上げられる前に、こう命じておられました。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」(使徒1:4)。

 父の約束された聖霊を待ち続ける。その時の姿勢というものは、自分勝手な生活をしていて、ただ待っているというのではありません。彼らは心を合わせて熱心に祈っていた。主の約束された聖霊を祈り求めつつ、今か、今かと期待して待ち焦がれていたのです。かつてイエス様は、ルカによる福音書の11章でこう仰せになりました。「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」

 信仰の源であります聖霊は、教会の礼拝に何度か出席すれば、自動的に与えられるものではありません。聖霊は祈り求めなければならないのです。今は信じることができなくとも、やがて信じることができるように、そのために私にも聖霊を与えてくださいと祈り求めることが大切なのです。そして、それは、既にイエス様を信じている私たちにも言えることなのです。洗礼を受けて、教会生活を続けていれば、自動的に成長するのかと言えば、そうではないと思います。私たちは、聖霊の賜物を祈り求め続けなければならない。それも一つの群れとして心を合わせて祈ることが必要なのであります。週報に「今週の祈り」と題して祈りの課題をあげておりますけども、これは、私たちが、心を合わせて熱心に祈る助けとなるものであります。様々な事情で祈祷会に出席することができなくとも、心を合わせて祈ることを願い、週報に祈りの課題を載せているのです。どうぞ、それぞれの祈りの生活の中で、この祈りの課題をも覚えていただきたいと思います。

 15節をお読みします。

 そのころ、ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。

 ペトロは、ここで再び使徒たちの中でリーダーシップを取っております。イエス様は主の晩餐の席において、シモン・ペトロに「わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と仰せになりました。私たちは、そのお言葉が確かに実現していることを、この所から教えられるのです。

 ここに、「百二十人」とありますけども、これは、ユダヤにおいて、独立した議会を形成するのに必要な最低人数であったと言われています。つまり、使徒たちの集会、エクレーシアは、ユダヤの社会において合法的な組織であったということです。そして、この百二十人への言及は、これから話し合われることが、正式な会議によるものであることを暗示しているのです。ペトロはこう切り出しております。

 「兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊がダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は実現しなければならなかったのです。」

 ここでの「兄弟たち」は、14節の「イエスの兄弟たち」とは意味が違います。「イエスの兄弟たち」は血縁における関係ですが、ここでの「兄弟」は、神を父とする兄弟、神の言葉を聞いて行う、信仰における兄弟という意味です。ちょうど私たちが、主にある兄弟姉妹と言うのと同じです。

 ここでの「この聖書の言葉」が何を指すのかには大きく2つの解釈があります。1つは、この「聖書の言葉」は、20節に引用されている詩編の言葉を指しているという解釈です。

 そして、もう一つは、ここに記されていないが、暗黙の了解となっていたユダにまつわる聖書の言葉があって、それを指しているのだ、という解釈です。そして、それはヨハネによる福音書の13章でイエス様が引用されている詩編41篇10節の御言葉であると考えられるのです。イエス様はヨハネによるの13章18節でこう仰せになりました。「わたしは、あなたがた皆について、こう言っているのではない。わたしは、どのような人々を選び出したか分かっている。しかし、『わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった』という聖書の言葉は実現しなければならない。」

 詩編41篇の「わたしのパンを食べている者が、わたしに逆らった」、この言葉が実現しなけばならなかったのだとペトロは言っていると解釈するのです。私としては後者の解釈を取った方が、17節以降にうまくつながるのではないかと思います。

 さて、ここで「実現しなければならなかった」とありますが、この「何々しなければならなかった」は神様の必然を表す言葉であります。つまり、ユダの裏切りは、人の目からすれば不可解であったとしても、実は、聖書に前もって記されていた預言の成就であると言うのです。17節でペトロが言っているように、ユダは使徒の数に数えられており、彼らと同じ奉仕を割り当てられていました。イエス様がガリラヤにおいて、神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら町や村を巡った時、ユダも共にいたのです(ルカ8:1)。また、イエス様が12人を遣わされた時、やはりユダも一緒に遣わされていたのです。その使徒であるユダが、こともあろうにイエス様を祭司長たちに引き渡した。このことを、ペトロはある痛みをもって語ったと思います。しかし、このことをあえて語ることができたのは、このようなユダの裏切りを通しても、神様のご計画は実現していくことをペトロは知ったからです。聖書に預言されていた神様のご計画の中で、人々は、このユダの出来事を、痛みを覚えながらも、真っ正面から受け止めることができたのです。

 18節、19節をお読みいたします。

 ところで、このユダは不正を働いて得た報酬で土地を買ったのですが、その地面にまっさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまいました。このことはエルサレムに住むすべての人に知れ渡り、その土地は彼らの言葉で『アケルダマ』、つまり、『血の土地』と呼ばれるようになりました。

 この所には、イエス様を引き渡したユダの末路が記されています。マタイによる福音書の27章にも、ユダの末路が記されておりますけども、それと比べると、いくつかの点で異なっていることに気づきます。まず、マタイによる福音書の記述によりますと、ユダは、イエス様に有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨30枚を祭司長たちに返そうとし、終いには、神殿に投げ込み立ち去り、首をつって自殺してしまいました。そして、祭司長たちが、「これは血の代金だから神殿の収入にするわけにはいかない」と言って、土地を買い外国人の墓地にしたのです。そして、その土地はイエス様の血のゆえに、「血の畑」と呼ばれたのでありました。

 けれども、使徒言行録では、土地を購入したのは祭司長ではなく、ユダ自身であります。また、その死に方も、首をつったとは記されておらず、まさかさまに落ちて、体が真ん中から裂け、はらわたがみな出てしまったと記されています。そして、その土地が「血の土地」と呼ばれるのは、このユダの血のゆえであるのです。

 マタイによる福音書の記述とこの使徒言行録の記述を調和させようとして、ある人は、ユダは首をつって死に、それが長い間発見されず腐敗しており、ロープから落ちたとき、体がまっぷたつに裂けたのだと説明します。けれども、私としては、ユダの末路については、2つの伝承があったのだろうと思います。無理に、二つを調和させる必要はないわけで、違う二つの伝承があったと理解したほうがよいと思います。

 使徒言行録の記述によれば、ユダは、不正な報酬で買った土地で、神の裁きとしか思えないような無惨な死を遂げたことが分かります。それは、エルサレムに住むすべての人に知れ渡り、血の土地と呼ばれるほどの無惨な死であったのです。そして、ペトロは、このことも聖書の預言の成就であると言うのです。

 詩編にこう書いてあります。『その住まいは荒れ果てよ、そこに住む者はいなくなれ。』また、『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」

 ここで引用されている詩編は、詩編69篇の26節と詩編109篇の8節であります。けれども、詩編そのものを読んでいただくと分かるように、ここでペトロは驚くほど自由に、詩編の言葉を引用しております。復活されたイエス様は弟子たちに、「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。」と仰せになりましたけども、旧約聖書を主イエスを証しする書物として読むと、このように解釈することができる。その一つの実例がここに記されているのです。詩編69編と109編、これはどちらもダビデが自分が親しくしていた者から裏切られ、その裏切った者を呪う、そういう詩であります。ダビデを裏切った者への呪いが、イエス様を裏切ったユダの上に実現した、こうペトロは説き明かしたのです。

 使徒であったユダがイエス様を引き渡したことは、旧約聖書の成就である。これだけ聞くと、ユダが神様のご計画の犠牲になったように思われるかも知れませんけども、25節を読むとそうではないことが分かります。25節に、「ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」とあります。ここでの「使徒としての任務」、これは直訳すると「奉仕と使徒職の場所」となります。つまり、ユダは自ら、奉仕と使徒職の場所を離れて、自分が行くべき場所に行ってしまった、と書いてあるわけです。奉仕と使徒職の場所を与えられていたわけでありますけども、そこから自ら離れて、自分の行くべき場所へユダが自ら行った、こう書いてあるのです。

 さて、引用された2つ目の詩編、『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい』この御言葉に導かれて、ユダに代わる使徒が補充されるべきであるとペトロは語っています。22節の終わりに、「主の復活の証人になるべきです。」とありますが、この「何々すべき」と訳されている言葉も、神様の必然を表す言葉であります。つまり、使徒であったユダが、イエス様を引き渡したこと。ユダが無惨な死を遂げたこと、さらには、ユダに代わる使徒を一人補充すること。これらは、聖霊がダビデの口を通して預言していたがゆえに、必ず成就されねばならないとペトロは言っているのです。

 この21節から22節には、使徒としての資格が記されています。それは、「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者」であるということです。ただ、復活の主イエスと昇天を目撃しただけではだめでありまして、復活し、天へ上げられたイエスが、ヨハネの洗礼から始まった地上生活を送られた、そのイエスであるということを証しするこができなくてはならなかったのです。つまり、復活前と復活後のその両方のことをよく知っている人物でなくてはだめであったわけです。

 そこで、人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈りました。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべきと所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」

 人々は、バルサバ(安息日の子)と呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てました。先程のペトロの条件に適う人がこの二人しかいなかったのか。それとも、人々の推薦によって、この二人が立てられたのかは分かりませんけども、人々は、その最後の決断を主イエスに委ねました。主イエスの判断を仰ぐために、人々は主イエスに祈り、くじを引いたのです。イスラエルにおいて、くじを引くことは、神様の御意志を知るための大切な手段でありました。箴言の16章33節に、「くじは膝の上に投げるが/ふさわしい定めは主から与えられる」と記されています。旧約聖書を見ますと、各部族が約束の地を分配した時、またイスラエルに初めての王が立てられた時、くじを引いております。大変重要ことにおいても、イスラエルの人々はくじを引いて決めたのです。ですから、くじはいい加減な決め方ではなくて、神様が用いられる大切な手段であったのです。そして、すべての人の心をご存じであられる主は、ヨセフではなく、マティアを使徒として選ばれました。こうして、再び使徒団は12人となったのです。

 旧約時代において、くじは神様の御意志を知る大切な手段でありました。けれども、ここで注意していただきたいのは、初代教会においてくじを引いたのは、この一度限りであるということです。これ以降は、話し合って、選挙によって決めていくのです。例えば、15章に出てくる有名なエルサレム会議がありますが、その15章22節にはこう記されています。「そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。」

 もう、ここではくじは引かずに、教会全体で選んだ、選挙をしたというのです。それは、28節で「聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。」とありますように、弟子たちに聖霊が与えられたからであります。ですから、今朝の御言葉のくじを引くという行為が、主イエスが天へと上げられ、聖霊が降臨するまでの特別の手段であったということが分かるのです。私が以前関わっていた青年会で、会長は誰にしようかと決めあぐねていた時、ある青年が「聖書的にくじ引きにしよう」と言い出しました。けれども、よく考えてみますと、それは全然聖書的ではないわけですね。私たちは今、聖霊降臨以後の時代に生きているわけですから、くじが聖書的というのは、これは間違いであります。

 また、もう一つ注意していただきたいことは、これ以降、使徒の補充は行われなかったということです。12章には、使徒ヤコブが殺害されたことが記されております。それではヤコブの代わりに使徒を補充したかというとそのようにはしませんでした。そもそも、使徒というものは、ペトロの定義によれば、その時代限りのものなのです。洗礼者ヨハネの時から、天に上げられるまでイエス様と生活を共にした者に使徒になる資格があるわけですから、それから何百年、何千年と経った今の私たちの時代には、もう使徒と呼ぶことのできる者はいないのです。ローマ・カトリック教会は、司教は使徒たちの後継者であると主張しますけども、この主張ははなはだ疑問であるのです(カトリック要理42)。

 今朝の御言葉を読んで、使徒たちが12という数にとても強いこだわりを持っているということが分かります。ペトロは聖霊が降るその前に、くじを引いてでも、12という数を満たしたかったのです。そして、それが神様の御心であると聖書から説き明かしたわけです。なぜ、それほど12という数にこだわるのか。それは、この12という数字がイスラエルを形成していた12部族を表す数字であるからです。イスラエルが12人の部族長によって治められていたように、新しいイスラエルの基となる使徒たちも12人いなければならなかったのであります。

 使徒たちは、心を合わせて祈りつつ、新しい神の民としての体制を整え、主の約束の実現をひたすら待ち望みました。聖霊を与えられる、これはまったく神の自由な御業でありますけども、それを受ける私たちにも、出来る限りの備えをすることが求められているのです。私たちは、聖霊なる神のお働きに期待しつつ、この羽生栄光教会をさらに主の良き器として整えてゆきたい。そう願うのであります。

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