カインのしるし 2011年10月02日(日曜 夕方の礼拝)

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カインのしるし

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 4章8節~16節

聖句のアイコン聖書の言葉

4:8 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
4:9 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」
4:10 主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。
4:11 今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。
4:12 土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」
4:13 カインは主に言った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。
4:14 今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
4:15 主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。
4:16 カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。創世記 4章8節~16節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記の第4章8節から16節より、御言葉の恵みにあずかりたいと思います。

 8節をお読みします。

 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。

 なぜ、カインは弟アベルを襲って殺したのでしょうか?その発端は4節にありますように、「主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった」ことにあります。それで、「カインは激しく怒って顔を伏せた」のです。主はそのようなカインにこう言われました。「どうして怒るのか。どうして顔をふせるのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」。カインが弟アベルを襲って殺したその根本には、「怒り」という感情がありました。そして、この怒りは本来、主に向けられた怒りであったはずです。主は弟アベルには地上的祝福を与えてくださるが、自分には地上的祝福を与えてくださらない。それゆえ、カインの怒りは本来、主に向けられたものでありました。しかし、主に怒りを向けることはできませんので、その方向は主に祝福されている弟アベルへ向けられたわけであります。そのカインの心の動きをご存じのうえで、主は「罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」と警告されたのです。しかし、カインは罪を支配するどころか、罪に支配されてしまうのです。

 「カインが弟アベルに言葉をかけ」とありますが、どのような言葉をかけたのかは記されておりません。新改訳聖書を見ますと「野に行こうではないか」と記されておりますが、これはヘブライ語聖書のギリシャ語訳である七十人訳聖書からの補足であります。カインは誰にも見られないように、弟アベルを野原に連れだし、襲って殺したのです。これは明確な意図をもって、カインが弟アベルを殺したということを示しています。

 9節、10節をお読みします。

 主はカインに言われた。「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」カインは答えた。「知りません。わたしは弟の番人でしょうか。」主は言われた。「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。

 主はカインに現れ、「お前の弟アベルは、どこにいるのか」と問われます。主はアベルがどこにいるのかをご存じでありますが、カインの口から自分の罪を告白させようとこう問われたのです。しかし、カインは「知りません」と嘘をつきます。さらには「わたしは弟の番人でしょうか」と抗議をするのです。ここでの「番人」は「守る者」とも訳すことができます。兄は弟を守る者、保護する者であるべきなのですが、しかし、カインはここでその兄としての立場を放棄するわけです。そのようなカインに対して、主は「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる」と言われます。カインは嘘をつき、しらばっくれるのですが、そのようなカインに主は証拠を突きつけ、罪をあばかれるわけです。カインは弟アベルを殺し、誰にも見つからないようにその遺体を穴を掘って土の中に埋めたようですが、その土の中からアベルの血が主に向かって叫んでいると言うのです。これはすべての命の所有者が主であることを前提としています。すべての命は主によって造られたがゆえに、主がすべての命の所有者であられるのです。特に、人間は神のかたちに似せて造られた、神によって命の息吹を吹き入れられた者でありました。神様の造られた命、神様が所有しておられる命を奪うことは、不当なことであります。それもアベルは何も悪いことはしていないのです(一ヨハネ3:12)。しかし、兄カインの手によって殺されてしまう。その無念の叫び、主の裁きを求める叫びが主の耳に達したのです。そして、主はそのアベルの叫びに答えて、カインの罪をあばき、刑罰を言い渡すのです。

 11節、12節をお読みします。

「今、お前は呪われる者となった。お前が流した弟の血を、口を開けて飲み込んだ土よりもなお、呪われる。土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない。お前は地上をさまよい、さすらう者となる。」

 最初の罪を犯したアダムとエバは、直接呪われることはありませんでしたが、ここでカインは直接呪われています。カインは呪われる者となったのです。また、主はカインが流した弟の血を土が飲み込んだゆえに、土を耕しても何の作物も産み出さないと言われます。カインは土を耕す者でありましたが、もはや土から何の収穫を得ることもできないのです。それゆえ、カインは地上をさまよい、さすらう者となるのです。私たちは主がカインを死刑にしなかったことを不思議に思うかも知れませんが、「お前は地上をさまよい、さすらう者となる」という地上の流刑が主がくだされたカインに対する刑罰であったのです。

 13節、14節をお読みします。

 カインは主に行った。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」

 カインは自分の罪の刑罰を聞いて、はじめて自分の犯した罪の重さを自覚したようであります。それゆえ、カインは「わたしの罪は重すぎて負いきれません」と刑罰の軽減を求めます。主がこの土地から自分を追放し、主の御顔から隠されて、地上をさまよいさすらう者となれば、自分に出会う者はだれでも、自分を殺すであろうとカインは恐れるのです。カインは人を殺しておきながら、人から殺されることを恐れるのです。ところで、このカインを殺す人とはだれのことでしょうか?聖書にはアダムとエバ、その二人の息子カインとアベルしか、名前が挙げられておりませんが、他に人間がいたのでしょうか?一つの推測は、アダムとエバには、ここに名前が出て来ていない子供たちが生まれていたということであります。イスラエルにおいて、近親者(血統の近い親族)が血の復讐の義務を負っていました。民数記の第35章19節には、「血の復讐をする者は、自分でその殺害者を殺すことができる。彼と出会うとき、自分でその殺害者を殺すことができる」と記されています。おそらく、このようなイスラエルの律法が、カインの発言の背後にあると思われます。カインは血の復讐を恐れて、「わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう」と言ったのです。

 15節、16節をお読みします。

 主はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだ。

 主は「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう」と言われました。そして、カインに出合う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられたのです。アダムとエバに皮の衣を作り、着せられた主は、ここでもカインに慈しみをお示しになります。主は罪に支配され、弟アベルを殺害したカインにも、慈しみをお示しになり、だれもカインを殺すことがないようにされたのです。それは同時に、御自分の判決を誰も侵害することがないようにするためでもありました。主がカインに下された刑罰は、「お前は地上をさまよい、さすらう者となる」という地上の流刑でありました。しかし、もしだれかがカインを殺すならば、神様の判決が侵害されることになるのです。それゆえ、神様はカインにしるしを付けられたのであります。そして、カインは主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んだのです。

 今夕の御言葉は、カインを罪人として描くよりも、罪の力に翻弄される悲劇の人物として描いているように思われます。それは聖書を記した者たち、また、それを読む私たちがカインの中に、自分自身を見いだすからでありましょう。主は罪に支配されて悪を行う人間を裁かれますが、同時に慈しみを示されるお方でもあります。それゆえ、主は私たち罪人を救うために独り子イエス・キリストをこの地上に遣わしてくださったのです。主イエス・キリストは私たちのために命を捨てることによって、私たちを互いに愛し合う、兄弟姉妹としてくださったのであります(一ヨハネ3:11~18参照)。そのようにして主はアベルの叫びに応えてくださったのです。

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