最初の罪 2011年8月14日(日曜 夕方の礼拝)

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最初の罪

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 3章1節~7節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:1 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
3:2 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。
3:3 でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
3:4 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。
3:5 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
3:6 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。
3:7 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。創世記 3章1節~7節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記の第3章1節から7節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 1節をお読みします。

 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」

 主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇でありました。そして、この蛇はなんと人間の言葉で、女に話しかけるのです。蛇が人間の言葉で女に話しかけることは、異常なことであります。なぜ、蛇は人間の言葉を話すことができたのでしょうか?後に聖書は、この蛇の背後に神様の敵である悪魔の力が働いていたことを教えています。ヨハネの黙示録第12章9節にこう記されています。

 この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。

 蛇は、主なる神が造られた野の生き物で最も賢かったから、人間の言葉を話せたのではありません。蛇の背後に神様の敵である悪魔の力が働いていたゆえに、蛇は人間の言葉で女に話しかけることができたのです。

 神様が創造された良き世界に、なぜ神の敵である悪魔とかサタンとか呼ばれる者がいるのか?神様は悪魔とかサタンとか呼ばれる者をも造られたのだろうかと不思議に思うかも知れませんが、悪魔とかサタンとか呼ばれる者はもともとは神様によって造られた天使でありました。天使が堕落して悪魔とかサタンとか呼ばれる者になったのです。ユダの手紙6節にはこう記されています。

 一方、自分の領分を守らないで、その住まいを見捨ててしまった天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で縛り、暗闇の中に閉じ込められました。

 堕落した天使である悪魔とかサタンとか呼ばれる者が、神様が造られた野の生き物で最も賢い蛇を用いて、女に話しかけるのです。もちろん女はそのようなことは知りませんでした。しかし、女は蛇が人間の言葉で話しかけてくる、しかもまるで対等の者であるかのように話しかけてくることの異常さに気づくべきでありました。蛇は野の生き物であり、人間の支配下にあるものです。しかし、ここで蛇は人間と対等であるかのように語りかけます。そして、ここに私たちは蛇の高慢を見ることができるのです。蛇は女に、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と言いました。このようにして、蛇は神様について語り始めるのです。

 2節、3節をお読みします。

 女は蛇に答えた。「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」

 女は蛇が人間の言葉で語りかけてくるという異常さゆえに、答えなければよかったのですが、平然と言葉を交わしてしまいます。この女の言葉は、神様がアダムに命じられた第2章16節、17節に基づくものです。そこにはこう記されておりました。

 主なる神は人に命じて言われた。「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」

 神様がアダムにこう言われたとき、女はまだ造られておりませんから、後にアダムからこの神様の命令を伝え聞いたのでありましょう。それで、女は、「わたしたちは園の木の果実を食べてよいのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました」と答えたのであります。この女の答えの最初の言葉、「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです」という言葉は、神様の恵みを小さくする言葉であります。神様は男と女に、園のすべての木から食べることをお命じになりました。これは大きな恵みです。しかし、女はその大きな恵みを過小評価して、食べてはならない木の果実があることに思いを向けて、神様の命令が厳しすぎるかのように語るのです。また、神様が男に命じて言われた御言葉と、女が蛇に答えた言葉は、少し違っております。神様は「触れてもいけない」とは言われませんでした。また、「死んではいけないから」と言われたのではなくて、「必ず死ぬ」と言われたのです。女の言葉によれば、園の中央にある木を食べることが人間の選択に委ねられているかのようでありますけれども、神様は「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死ぬ」と言われたのです。神様は人間に「善悪の知識の木からは、決して食べてはならない」という禁止命令をお与えになったのです。

 4節、5節をお読みします。

 蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」

 蛇は女に「決して死ぬことはない」と言いました。これは神様の御言葉、「食べると必ず死んでしまう」という御言葉を真っ向から否定する言葉です。蛇は人間と同等であることに飽きたらず、神様と等しい者として、いや神様よりも自分を偉大なものとして、神様の言葉を否定し、「決して死ぬことはない」と言うのです。つまり、蛇は神様の言葉は実現しない無力なものであると言ってのけたわけです。そして、これが悪魔の常套手段であるわけですね。神様の言葉を実現しないかのように信じさせること、これが悪魔の働きであります。悪魔は今も働いており、私たちに神様の言葉が無力であり、神様の言葉が実現しないかのように囁くのです(一ペトロ5:8参照)。

 さらに悪魔は、神様が善悪の木の実から取って食べてはならないと言われたのは、「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」と語ります。神様は人間が自分のように善悪を知るものとなることを妬んで、禁じられていると言うのです。蛇は、あたかも善悪の知る木の実そのものに、善悪を知る力を授ける力があるように、善悪の木の実をまるで魔法の木の実であるかのように語るのです。そして、女もそのように園の中央の木を見るようになったのです。

 6節お読みします。

 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。

 「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた」とありますが、この記述は、すでの女が蛇の言葉を真に受けて、この木そのものに善悪を知る力があるかのように考えていたことを教えています。第2章9節にありますように、園に生えているすべての木は、見るからに好ましく、食べるに良いものでありました。しかし、蛇の言葉を聞いた後で、園の中央の木の実を見たとき、それはいかにもおいしそうに見えたのです。女の心は取って食べてみたいという欲望で一杯であったのです。「女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた」。いつから男は一緒にいたのでしょうか?蛇が女に語りかけたとき、すでに一緒にいたのでしょうか?おそらくそうではないと思います。蛇は、男がいないのを見計らって、女に声をかけたと考えられるからです。蛇に話しかけられたとき、もし男が女と一緒にいたら、このお話は全く違ったものとなっていたでしょう。蛇が目をつけたのは、男の助け手である女でありました。蛇の目的は、女を通して、男に禁じられた木の実を食べさせることにあったのです。なぜなら、神様の掟は男、アダムに与えられたものであり、神様はアダムと契約を結ばれたからです。では、男はいつから女と一緒にいたのでしょうか?確かなことは、女が善悪を知る木の実から取って食べるときには、一緒にいたということです。もしかしたら、男は、蛇と女の間に交わされた会話の内容を知らなかったかも知れません。しかし、男はその木の実が、神様から「決して食べてはならない。食べると必ず死ぬ」と言われた禁じられた木の実であることは知っていました。男は神様から直接そのことを命じられていたのです。しかし、男は、女がその木から取って食べても、それを叱りませんでした。それどころか、女から取って手渡されると、それを食べてしまったのです。

 7節をお読みします。

 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。

 蛇が言ったように、二人の目は開かれました。しかし、彼らは神のように善悪を知る者となったでしょうか?「善悪を知る」とはヘブライ的なものの言い方で、「すべてのことを知る」ということです。彼らはすべてのことを知る賢い者となることができたのかと言えば、そうではありませんでした。彼らが知ったのは、自分たちが裸であったということであります。これまでも男と女は裸でありました。しかし、第2章25節にありましたように、二人は恥じることはなかったのです。しかし、禁じられた木の実を食べて、罪を犯したとき、二人は自分を恥じるようになった。その恥の意識が、自分の性器をいちじくの葉で覆うとう行為によって表されました。禁じられた木の実を食べたとき、二人が目にしていた世界が変わってしまったのです。

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