人間の創造 2011年7月03日(日曜 夕方の礼拝)

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人間の創造

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 1章24節~31節

聖句のアイコン聖書の言葉

1:24 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。
1:25 神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。
1:26 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」
1:27 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。
1:28 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」
1:29 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。
1:30 地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。
1:31 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

創世記 1章24節~31節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は、第六の日の神様の創造の御業について御一緒に学びたいと思います。

 24節、25節をお読みします。

 神は言われた。「地は、それぞれの生き物を産み出せ。家畜、這うもの、地の獣をそれぞれに産み出せ。」そのようになった。神はそれぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這うものを造られた。神はこれを見て、良しとされた。

 神様は第五の日に、水の中の生き物と空の鳥を造られましたけれども、第六の日には、地上の生き物をお造りになりました。家畜とは、イスラエルの人々が飼っていた羊や山羊などのことであります。また這うものとは、蛇やトカゲなどの爬虫類のことであります。さらに「地の獣」とは家畜以外の四つ足の哺乳類のことであります。神様はまるで植物を芽生えさせるかのように、「地は、それぞれの生き物を産み出せ」と命じられました。神様は土を用いて、それぞれの地の獣、それぞれの家畜、それぞれの土を這う者を造られたのです。そして、それは神様の目に良いものであったのです。

 続けて神様は私たち人間を創造されました。26節をお読みします。

 神は言われた。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう。」

 ここで神様は御自分の決意を語っておられます。このようなことはこれまでありませんでした。先程の地の生き物について言えば、神様は「地は、それぞれの生き物を産み出せ」と命じられただけであります。しかし、神様は人間を創造するにあたって、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と語られるのです。神様は、「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」と言われました。「わたし」ではなくて、「我々」と言われたのです。なぜ、神様は「我々」と言われたのでしょうか?ここで「神」と訳されているヘブライ語はエロヒームでありまして、このエロヒームという言葉自体が男性形複数の語尾を持っております。ですから、ここで「我々」と記されているのは神様の尊厳を表す複数形であるとしばしば言われます。唯一の神を信じるイスラエルにとって、ここでの「我々」は神様の尊厳を表す複数形であると理解されて来たのです。けれども、イエス・キリストを主と信じている私たちは、この「我々」という表現の中に、父と子と聖霊なる三位一体の神が示されていると読むことができます。唯一の神が父と子と聖霊なる三つの位格を持つことは、時満ちて、イエス・キリストの復活と聖霊の派遣によって明かとされたことでありますけれども、私たちは「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう」という「我々」に三位一体の神を読み取ることができるのです。

 なぜ、神様は人を御自分のかたちに、御自分に似せて造ろうと言われたのでしょうか?それは、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させるためであります。人は神にかたどり、神に似せて造られたがゆえに、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべての支配をゆだねられるのです。

 27節をお読みします。

 神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。

 ここに「創造された」という言葉が三回繰り返されています。ここで「創造された」と訳されているヘブライ語は「バーラー」であります。バーラーは、神様だけを主語とする特別な言葉です。これまで1節と21節に出てきましたけれども、ここではそれが三回も繰り返されるのです。このことは天地創造の中心が人間の創造にあることを教えています。神様は御自分にかたどって人を創造されました。それは人が神様との親しい交わりに生きる者として創造されたことを教えております。神様は唯一でありますけれども、それは孤独な神を意味しておりません。神様は父と子との聖霊における交わりの生きておられる神様であるのです。それゆえ、神様は人を男と女に創造されたのです。すなわち、神様は人を交わりに生きる者として創造されたのです。

 古代オリエントにおいて、王は「地上に生きる神の似姿」と考えられていました。古代オリエントにおいて、王だけが神にかたどって造られた者であったのです。しかし、聖書はすべての人が、男も女も、神にかたどって創造されたと記すのです。すべての人が、神にかたどって創造された。男も女も神にかたどって創造された。ここに聖書が教える人間の尊厳があるのです。人間はすべての生き物を支配する王として、栄光ある者として創造されたのです。まさしく人間は「創造の冠」のです。では、「神のかたち」とは何でしょうか?私たちは神のかたちをしばしば心だけに限定して考えやすいのでありますが、ここでの「神のかたち」は肉体と心からなる人間全体を意味します。私たちは、神様は肉体を持たない霊であるという信仰のゆえ、「神のかたち」を見えない心に限定して考えやすいのですが、ここでの「神のかたち」は、肉体と心からなる人間全体を意味するのです。

 28節をお読みします。

 神は彼らを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。」

 26節は、神様が人を造られる前の決意の言葉でしたが、この28節は、神のかたどって創造された男と女に対する祝福の言葉であります。夫婦の間に新しい命が与えられることは、神様の祝福によるものなのです。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」という祝福は、「二人は一体となる」と言われる結婚関係において実現していくのです(2:24参照)。また、「地を従わせよ」との命令は、第2章15節で人がエデンの園を耕し、管理しているような仕方で実現してゆきます。地を従わせる、地を耕し、管理するという労働も、神様の祝福として人に与えられたものであるのです。また、「海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」という命令は、羊飼いが羊の世話をするようなかたちで実現するものとして描かれています。なぜなら、支配するとは、搾取することを意味せず、むしろ世話することを意味したからです。古代において王は、自分の民を保護し、その福祉と繁栄に責任を持つ者でありました。神のかたちに似せて造られた王的存在である人間は、海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物が健やかな命に生きるように責任を負わされた者であるのです。それゆえ、人間の科学技術による生態系の破壊は、この神様の御命令に背く罪であるのです。私たちは人間は、神様から「地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ」と命じられている者たちとして、環境問題に取り組んでいかねばならないのです。神様の御心に従って、被造世界を治め、管理していくことが、イエス・キリストを信じて、神にかたどって造られた新しい人を身に着けている私たちの使命であるのです。

 29節から30節をお読みします。

 神は言われた。「見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。」そのようになった。

 神様は第三の日に、地から種を持つ草と種を持つ実をつける木を芽生えさせられましたが、それらがここでは、人間の食べ物として与えられています。また地の獣、空の鳥、地を這うものなどの食べ物として青草が与えられています。つまり、人間にも動物にも肉は食べ物として与えられていなかったのです。肉を食べることが許されたのは、ノアの洪水の後であります。第9章3節にこう記されています。「動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える」。このように聖書は、人間が罪を犯す前の世界においては、神様は肉を食べ物として与えておらず、人間も地のあらゆる生き物も植物を食べていたと教えているのです。すなわち、人間が罪を犯す前の世界において、人間が動物の血を流すことはなかったし、動物が他の動物の血を流すこともなかったことを聖書は教えているのです。これはまことに平和な世界でありますね。預言者イザヤは終末の新しい天と地において、この平和な世界が回復されることを記しています。イザヤ書第65章25節にこう記されています。「狼と小羊は共に草をはみ/獅子は牛のようにわらを食べ、蛇は理を食べ物とし/わたしの聖なる山のどこにおいても/害することも滅ぼすこともない、と主は言われる」。イエス・キリストの再臨によって訪れる新しい天と新しい地において、もはや動物の血が流されることはない。神様が造られた世界の本来の平和が回復され、さらには完成されるのです。

 最後、31節をお読みします。

 神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。

 神様はこれまで造られたものを見て、良しとされてきましたが、ここでは造られたすべてのものを見て、「見よ、それは極めて良かった」と記されています。神様が造られた世界は極めて良い世界であったのです。「見よ、それは極めて良かった」。この御言葉は、神様が造られたすべてのものを肯定されるお方であることを教えています。神様は、御自分がお造りになったすべてのものを喜ばれるお方であるのです。神様は造り主として、私たちの存在そのものを喜ばれるお方であるのです。その造り主としての喜びを神様はキリストの贖いによって回復してくださいました。そして、主の日の礼拝ごとに、造り主として、また贖い主として、私たちを祝福してくださるのです。私たちはイエス・キリストにあって新しく造られた者として、28節の御言葉、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物を支配せよ」という御言葉を聞き直したいと願います。

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