イエスの兄弟姉妹 2020年7月12日(日曜 朝の礼拝)

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イエスの兄弟姉妹

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
マルコによる福音書 3章31節~35節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
3:32 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、
3:33 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、
3:34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
3:35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」マルコによる福音書 3章31節~35節

原稿のアイコンメッセージ

 前回(6月14日)、私たちは、すべての罪はイエスさまの贖いによって赦されるが、聖霊を冒涜する罪は永遠に赦されないことを御一緒に学びました。なぜなら、聖霊は私たちに「イエスは主である」と告白させてくださる御方であるからです。その聖霊を冒涜するならば、その人は、イエス・キリストの贖いの恵みにあずかることができず、自分の罪の責めを永遠に負うことになるのです。律法学者たちは、イエスさまが「悪霊の頭、ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」と言っていました。イエスさまは、神の霊である聖霊の力によって悪霊を追い出していたのですが、律法学者たちは、それを悪霊の力によると言っていたのです。そのように、彼らは、聖霊を冒涜する罪を犯していたのです。

 今朝の御言葉はその続きとなります。

1.イエスの母と兄弟たち

 31節に、「イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた」とあります。イエスさまの母と兄弟たちについては、前回学んだ21節にこう記されていました。「身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである」。イエスさまの母と兄弟たちは、イエスさまについての悪い噂を聞いて、イエスさまをナザレの村に連れ戻そうとカファルナウムのペトロの家にまで来ていたのです。しかし、彼らは家の中に入らないで外に立ち、人をやってイエスさまを呼ばせました。イエスさまの母と兄弟たちが家の外に立っていたことは、象徴的な意味を持っています。当時は家の教会でしたから、「家」とは「教会」のことです。イエスさまの母と兄弟たちが教会の外に立っていたことは、彼らが教会の交わりの外にいたことを意味しています。母にとってイエスさまは息子であり、兄弟たちにとっては兄であったのです。彼らはイエスさまのことを神から遣わされた聖者とは考えませんでした。むしろ、彼らはイエスさまがおかしくなってしまったと考えたわけです。ナザレの村から出て行ったきり、帰って来ない。うわさによれば、神の国の福音を宣べ伝えているらしい。息子イエスは、気が変になってしまったのではないか、そのように心配して、イエスさまを取り押さえに来たのです。イエスさまの母と兄弟たちが、人をやってイエスさまを呼ばせたことにも、彼らにとってイエスさまが身内にすぎなかったことを示しています。母親と息子なら、母親の方が権威がある。そのように考えて、イエスさまを自分のもとに来るように呼んだのです。

2.わたしの母、わたしの兄弟とはだれか

 イエスさまの周りには大勢の人が座っていました。ここで「大勢の人」と訳されている言葉は、第3章20節で「群衆」と訳されているのと同じ言葉です。群衆は、イエスさまの周りに座って、イエスさまから教えを受けていたのです。イエスさまは、群衆に神の国の福音を語っておられたのです。そのイエスさまに、ある人が、「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らせました。イエスさまの家族については、第6章に詳しく記されています。第6章1節から3節までをお読みします。新約の71ページです。

 イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、弟子たちも従った。安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。

 ここでイエスさまは、「マリアの息子」と呼ばれています。ですから、この時、父親と思われていたヨセフは亡くなっていたようです(イエスさまは聖霊によっておとめマリアから生まれたので、ヨセフは法的な父親であった)。イエスさまを取り押さえてきた家族の中にも、父は含まれていません。それは、父親と思われていたヨセフが亡くなっていたからなのです。イエスさまが、公生涯を始められたのはおよそ30歳でありますが、それまでの生涯についてはよく分かりません(ルカ3:23参照)。しかし、一つの推測は、父親であるヨセフに代わって、家族を支えていたということです。イエスさまは、ヨセフと同じ大工として働き、家計を支えていたのです。そのようなイエスさまが、ナザレを出て行ってしまい、帰って来ない。それで家族は、イエスさまを連れ戻しに来たわけです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の66ページです。

 イエスさまは、「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」との知らせを聞いて、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答えられました。そして、周りに座っている人々を見回して、こう言われたのです。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」。これは、今朝、私たちにも語られている御言葉であります。私たちは、イエス・キリストの名によって集い、聖書を通して、イエスさまの御言葉に耳を傾けています。私たちの真ん中には、肉の目には見えませんが、聖霊においてイエスさまがおられるのです。そのイエスさまが、私たちを見回して、「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と言われるのです。イエスさまは、私たちを御自分の兄弟姉妹と呼んでくださるのです。これは、私たちにとって大きな慰めです。特に、家族の中で一人だけで、教会に来ている者にとって、大きな慰めであると思います。家族の中で一人だけ、イエスさまを信じるようになる。そのとき、家族から、それこそ「気が変になった」と言われて、孤立することがあります。寂しい思いをするのです。そのような寂しい思いを抱えて、教会に集う。そのとき、イエスさまは、「あなたはわたしの兄弟姉妹だ」と言って、あたたかく迎え入れてくださるのです。

3.神の御心を行う人

 イエスさまは、35節で、「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と言われました。イエスさまの兄弟姉妹は、イエスさまと血が繋がっているかによって決まるのではありません。神さまの御心を行う人が、イエスさまの兄弟姉妹であるのです。このイエスさまの御言葉は、イエスさま御自身が神の御心を行う人であることを前提にしています。イエスさまは、神の独り子として、神さまの御心をいつも行われるのです(ヨハネ8:29参照)。そのイエスさまに倣って神の御心を行う人が、イエスさまの兄弟姉妹であるのです。ここで注意したいことは、「父なのだ」と記されていないことです。それは、イエスさまを取り押さえに来た家族の中に父親がいなかったからではありません。イエスさまの父は、神さまであるからです。イエスさまの兄弟姉妹となるということは、神さまを父とし、イエスさまを長兄(一番上の兄)とする神の家族の一員となることであるのです。

 イエスさまが、「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と言われるとき、その「神の御心」の中には、イエスさまを神の御子、救い主として信じて救われることが含まれています(一ヨハネ3:23、一テモテ2:4参照)。イエスさまを神の御子、救い主と信じて、救われる。そのとき、私たちは、神さまを父とし、イエスさまを長兄とする神の家族の一員として救われるのです。私たちは救われて、独りぼっちでいるのではなくて、神の家族である教会の一員とされるのです。

結.あなたも家族も救われる

 今朝の御言葉には、イエスさまの家族が、イエスさまのお働きに聖霊の働きを認めることができなかったことが記されています。しかし、後にイエスさまの家族は、イエスさまを神の御子、救い主と信じて、教会の交わりの内に生きる者となります。『使徒言行録』の第1章14節には、イエスさまの弟子たちと一緒に母マリアと兄弟たちが心を合わせて熱心に祈っていたと記されています。母マリアと兄弟たちも、神の家族である教会の一員となっていたのです。イエスさまの弟であるヤコブ(イエスさまと同じ母マリアから生まれたヤコブ)は、後に、エルサレム教会の指導者となりました。新約聖書には、イエスさまと同じ母から生まれた弟ヤコブと弟ユダの手紙が収められています。イエスさまは、神の国の福音のために、地上の家族を捨てられました。しかし、神さまは、後に、その地上の家族に、イエスさまを信じる信仰を与えて、神の家族としてくださったのです。使徒パウロは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と語りましたが、この御言葉は、神さまの御心を行うことを第一として歩まれたイエスさまにおいて実現したのです(使徒16:31参照)。今朝の御言葉を読んで、ある人は、イエスさまは冷たいと思われるかも知れません。しかし、そうではありません。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」というイエスさまの御言葉は、イエスさまの地上の家族を閉め出す御言葉ではないのです。「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」。この御言葉は、「神の御心として、イエス・キリストを信じる人は、だれでもイエスさまの兄弟姉妹とされ、神の家族の一員になれる」という開かれた御言葉であるのです。

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