神への感謝 2026年7月22日(水曜 聖書と祈りの会)

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:4 私は、あなたがたがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みのゆえに、いつも私の神に感謝しています。
1:5 あなたがたはキリストにあって、言葉といい、知識といい、すべての点で豊かにされたからです。
1:6 こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、
1:7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、私たちの主イエス・キリストが現れるのを待ち望んでいます。
1:8 主も、あなたがたを最後までしっかり支えて、私たちの主イエス・キリストの日に、非の打ちどころのない者にしてくださいます。
1:9 神は真実な方です。この方によって、あなたがたは神の子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに招き入れられたのです。コリントの信徒への手紙一 1章4節~9節

原稿のアイコンメッセージ

 今朝は、『コリントの信徒への手紙一』の第1章4節から9節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。

 4節をお読みします。

 私は、あなたがたがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みのゆえに、いつも私の神に感謝しています。

 パウロは、差出人と受取人と挨拶の言葉に続いて、感謝の言葉を記します。しかし、それはコリントの信徒たちへの感謝の言葉ではありません。私の神への感謝の言葉です。4節は、元の言葉ですと「感謝します」(ユーカリストー)という言葉から書き出されているのです。コリントの教会は、パウロが開拓伝道した教会です。パウロが、コリントの町で、イエス・キリストの福音を宣べ伝えることによって、コリントの教会が生れました。そして、パウロがコリントを去った後も、教会としての営みが続いていたのです。それゆえ、パウロは、「私は、あなたがたがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みのゆえに、いつも私の神に感謝しています」と言うのです。私たち羽生栄光教会は、1980年の元旦礼拝をもって、伝道を開始しました。今年は2026年ですから、伝道開始46周年となります。羽生栄光教会が46年に渡って、休むことなく、主の日の礼拝をささげてきたことは、私たちに与えられているキリスト・イエスにある神の恵みであります。そのような神の恵みのゆえに、私たちはいつも神様に感謝することができるのです。

 5節から7節までをお読みします。

 あなたがたはキリストにあって、言葉といい、知識といい、すべての点で豊かにされたからです。こうして、キリストについての証しがあなたがたの間で確かなものとなったので、その結果、あなたがたはどんな賜物にもかけるところがなく、私たちの主イエス・キリストが現れるのを待ち望んでいます。

 ここには、コリントの信徒たちがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みが具体的に記されています。それは、「言葉」と「知識」です。言葉と知識は、コリントの信徒たちが重んじていたものです。コリントの信徒たちは、言葉と知識を重んじるあまり、互いに争っていたのです。しかし、パウロは、言葉と知識は、神の恵みであると言うのです。パウロは、コリントの信徒たちに、言葉と知識という神の恵み(カリス)、神の賜物(カリスマ)が豊かに与えられていることを認めて、神様に感謝しているのです。ここには、コリントの信徒たちが言葉と知識を、どのように考えれば良いのかが示されています。すなわち、コリントの信徒たちは、言葉と知識を誇ることなく、神の賜物として感謝すべきであるのです。そして、神様が自分たちに、豊かな賜物を与えてくださっているのは、イエス・キリストについての証しを確かなものとするためであると考えるべきであるのです。復活して、天におられるイエス・キリストは、御自分の御名を呼び求めるコリントの教会に、豊かな賜物を与えることにより、今も生きて働いていることを証しているのです。それゆえ、コリントの信徒たちは、主イエス・キリストが現れるのをいよいよ待ち望むことができたのです。同じことが、私たちにも言えます。復活して、天におられるイエス・キリストは、私たち羽生栄光教会に豊かな賜物を与えて、御自分が今も生きて働いておられることを証しています。それゆえ、私たちは、イエス・キリストが天から再び来られるのをいよいよ待ち望むことができるのです。

 8節と9節をお読みします。

 主も、あなたがたを最後までしっかり支えて、私たちの主イエス・キリストの日に、非の打ちどころのない者にしてくださいます。神は真実な方です。この方によって、あなたがたは神の子、私たちの主イエス・キリストの交わりに招き入れられたのです。

 ここでの「主」は「主なる神」を指すと解釈したいと思います。ここでパウロが言っていることは、「私たちの救いは神の業である」ということです(ヨハネ6:29、フィリピ1:6参照)。コリントの信徒たちは、「キリスト・イエスにあって聖なる者とされた人々、召された聖なる者たち」であります(1:2参照)。神様は、パウロの福音宣教を用いて、コリントの信徒たちに、イエス・キリストを信じる信仰を与えて、聖なる神の民としてくださいました(過去)。そして、神様は、コリントの信徒たちに恵みを豊かに与えてくださり、イエス・キリストについての証しを確かなものとしてくださっているのです(現在)。その神様が、主イエス・キリストの日に、コリントの信徒たちを、非のうちどころのない者にしてくださるのです(将来)。ここで言われていることは、教理の言葉で言えば、「聖化の完成」です。私たちをイエス・キリストにあって聖なる民としてくださった神様は、主イエス・キリストの日に、私たちを非のうちどころのない者、完全に聖なる者としてくださるのです。私たちは、イエス・キリストにあって、すべての罪を赦されている者ですが、罪の残る者であります。しかし、主イエス・キリストの日に、神様は、私たちを、聖霊に完全に従うことができる霊の体に変えてくださるのです(15:44参照)。

 パウロが、「神は真実な方です」と言うとき、「神様は御自分の契約に真実である」ということです。私たちを、神の御子、主イエス・キリストとの交わりに招き入れてくださった神様は、真実な御方であります。私たちは、真実な神様によって、神の御子、主イエス・キリストとの交わり(コイノーニア)に招き入れられたのです(一ヨハネ1:3参照)。神の御子、主イエス・キリストとの交わりとは、主イエス・キリストの御名を呼び求める礼拝のことです。神の御子、主イエス・キリストは、御自分の名によって二人または三人が集まる所に、聖霊と御言葉によって臨在してくださいます(マタイ18:20参照)。礼拝は「招きの言葉」から始まりますが、私たちは、真実な神の招きを受けて、神の御子、主イエス・キリストとの交わりにあずかっているのです。そのことを覚えて、私たちは、今朝も、神様に感謝をささげたいと願います。

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