母がレムエル王に与えた諭し 2025年12月17日(水曜 聖書と祈りの会)
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母がレムエル王に与えた諭し
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
箴言 31章1節~9節
聖書の言葉
31:1 レムエル王の言葉。/これは母が彼に与えた諭し。
31:2 ああ、私の子よ/ああ、私の胎の子よ/ああ、私の誓いの子よ
31:3 あなたの力を女に費やしてはなりません。/王さえ滅ぼし尽くす女に/あなたの道を任せてはなりません。
31:4 レムエルよ/ぶどう酒を飲むのは、王のすることではありません。/王のためにはなりません。/麦の酒を求めるのは君主にふさわしくありません。
31:5 飲めば職務を忘れ/苦しむ人の訴えを曲げてしまうでしょう。
31:6 麦の酒は滅びようとする者に/ぶどう酒は苦い思いをかみしめる者に与えなさい。
31:7 飲めば貧しさも忘れ/労苦も思い出さなくて済むでしょう。
31:8 あなたの口を、ものを言えない人のために/捨てられた人の訴えのために開きなさい。
31:9 あなたの口を開いて/苦しむ人と貧しい人の訴えを正しく裁きなさい。箴言 31章1節~9節
メッセージ
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今朝は『箴言』の第31章1節から9節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1節に、「レムエル王の言葉。これは母が彼に与えた諭し」とあるように、今朝の御言葉には、レムエル王の母が息子に与えた諭しが記されています。第1章8節に、「子よ、父の諭しを聞け。母の教えをおろそかにするな」と記されていましたが、今朝の御言葉には「母の教え」「母の諭し」が記されているのです。レムエル王については、ここにしか出てきませんのでよく分かりません。おそらく、レムエルが王に就任するにあたって、母から与えられた諭しがここに記されているのだと思います。
2節と3節を読みます。
ああ、私の子よ/ああ、私の胎の子よ/ああ、私の誓いの子よ/あなたの力を女に費やしてはなりません。王さえ滅ぼし尽くす女に/あなたの道を任せてはなりません。
レムエルの母は、「私の子よ」「私の胎の子よ」「私の誓いの子よ」と呼びかけます。レムエルは、母にとって「神様に誓いを立てて授かり、お腹を痛めて産んだ、私の子」であるのです。「レムエル」という名前は「神に献げた者」という意味です。サムエルの母ハンナが、「男の子を賜りますならば、その子を一生主にお献げします」と誓ったように、レムエルの母も同じような誓いを立てて、授かった男の子にレムエル「神に献げた者」という名を付けたのです。
母はレムエルに、「あなたの力を女に費やしてはなりません。王さえ滅ぼし尽くす女に/あなたの道を任せてはなりません」と言います。ここでの女は妻たちや側女たちのことです。王には多くの妻と側女がいました。王は後宮(ハーレム)を持っていたのです。例えば、ソロモン王には、「七百人の王妃と三百人の側室がいた」と記されています(列王上11:3)。そして、この女たちによって、年老いたソロモンの心は惑わされ、他の神々へと向かうことになるのです。そのことを踏まえて、レムエルの母は、「あなたの力を女に費やしてはなりません。王さえ滅ぼし尽くす女に/あなたの道を任せてはなりません」と言うのです。これは「異性を神のように愛してはならない」という警告の言葉ですね(申命6:5「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くしてあなたの神、主を愛しなさい」参照)。
4節から7節までを読みます。
レムエルよ/ぶどう酒を飲むのは、王のすることではありません。王のためにはなりません。麦の酒を求めるのは君主にふさわしくありません。飲めば職務を忘れ/苦しむ人の訴えを曲げてしまうでしょう。麦の酒は滅びようとする者に/ぶどう酒は苦い思いをかみしめる者に与えなさい。飲めば貧しさも忘れ/労苦も思い出さなくて済むでしょう。
母はレムエルに、ぶどう酒や麦の酒(ビール)に酔いしれることがないようにと言います。ぶどう酒を一切飲まないことは考えにくいので、ここでは酩酊(ひどく酒に酔うこと)を戒めているのだと思います。ひどく酒に酔ってしまうと、王としての職務を果たすことができなくなってしまいます。王の職務は苦しむ人の訴えを正しく裁くことですが、ひどく酒に酔った状態であれば、その裁きを曲げてしまいかねないのです。そこで母は、「ぶどう酒は苦い思いをかみしめている者に与えなさい。飲めば貧しさも忘れ/労苦も思い出さなくて済むでしょう」と言うのです。ぶどう酒には苦しむ人を慰めてくれる効能もあるのです。福音書を読むと、十字架に磔にされるイエス様に、胆汁を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたことが記されています(マタイ27:34)。このことは、6節の御言葉、「ぶどう酒は苦い思いをかみしめる者に与えなさい」という御言葉に基づいているのです。胆汁をまぜたぶどう酒は麻酔のような効能があるのですが、イエス様はなめただけで飲もうとはしませんでした。イエス様は父なる神の御心に従って主体的に苦しみをお受けになったのです。
8節と9節を読みます。
あなたの口を、ものを言えない人のために/捨てられた人の訴えのために開きなさい。あなたの口を開いて/苦しむ人と貧しい人の訴えを正しく裁きなさい。
これまで、母は、「女に気をつけろ、酒に気をつけろ」と消極的なことを記してきましたが、ここでは王の職務を積極的に記します。王たちの王である主なる神は、社会的な弱者である孤児や寡婦や寄留者の権利を守る御方であります。例えば、『申命記』の第10章17節には次のように記されています。「あなたがたの神、主は神の中の神、主の中の主、偉大で勇ましい畏るべき神、偏り見ることも、賄賂を取ることもなく、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛してパンと衣服を与えられる方である」。この主に倣って、王は、ものを言えない人のために、捨てられた人の訴えのために口を開くべきであるのです。また、口を開いて、苦しむ人と貧しい人の訴えを正しく裁くべきであるのです。王に求められることは、人を偏り見ることなく、正しい裁きをすることです。そのとき、王は神様が定められた社会の秩序に調和した知恵ある者として歩んでいるのです。王を立てられた神様は、王としてふさわしい歩みをも定めておられます。その神の定めが戒めとして、『申命記』の第17章に記されています。旧約の293ページです。第17章14節から20節までを読みます。
あなたが、あなたの神、主が与える地に入り、それを所有してそこに住み、「周りにいるすべての国民のように、私の上に王を立てよう」と考えるなら、必ず、あなたの神、主が選ぶ者を王としなければならない。同胞の中から、あなたを治める王を立てなさい。ただし、王は自分のために馬を増やしてはならない。主は、「あなたがたはこの道を二度と帰ってはならない」と言われたからである。また、妻を多くめとって、心を惑わせてはならない。自分のために銀と金を大量に蓄えてはならない。王座に着いたら、レビ人である祭司のもとにある書き物に基づいて、律法の書を書き写し、傍らに置いて、生涯、これを読みなさい。それは、王が自分の神、主を畏れ、この律法の言葉と掟をすべて守り行うことを学ぶため、また、王の心が同胞に対して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれないためである。そうすれば王もその子孫も、イスラエルの中で王位を長く保つことができる。
このような神の戒めは、神の知恵と調和しています。王に関する規定とレムエルの母の諭しは調和しているのです。神の戒めに従い、神の知恵に調和して生きるとき、レムエルは王としての職務を誠実に果たすことができるのです。
今朝の御言葉は、王に対する諭しの言葉であり、私たちには関係がないように思えます。しかし、私たちも主イエス・キリストにあって、王の息子(プリンス)、王の娘(プリンセス)とされているのです。そのような信仰をもって、私たちも異性に力を費やすことなく、酒に溺れることがないようにしたいと思います。また、社会的に弱い立場にある人の隣人になり、公平と正義を追い求めていきたいと願います。