民が増すところには王の栄誉 2025年7月30日(水曜 聖書と祈りの会)

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民が増すところには王の栄誉

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
箴言 14章28節

聖句のアイコン聖書の言葉

14:28 民が増すところには王の栄誉。/国民が絶えるところには君主の滅び。箴言 14章28節

原稿のアイコンメッセージ

今朝は、『箴言』の第14章28節を中心にしてお話しします。箴言の特徴は、パラレリズム、並行法にあります。並行法とは、二つの文を並べて、一つの思想を表す表現方法です。並行法には、同じ意味の言葉を並べる同意並行法と反対の意味の言葉を並べる反意並行法があります。第14章28節は、「民が増すところ」と「国民が絶えるところ」という反対の意味の言葉を並べられているので、反意並行法と言えます。

 民が増すところには王の栄誉。国民が絶えるところには君主の滅び。

 私が、この聖句を選びましたのは、昨年、2024年の半日修養会で学んだ、R・B・カイパーの『神中心の伝道』に引用されていたからです。第9章の「神と伝道の目標」の「第2節 キリストの教会の成長」に、次のように記されています。

 教会の成長を、他の何ものにもまさって意義あることとするのは、教会のかしらにして王であられるキリスト・イエスの栄光を高めるという事実です。「民の多いことは王の栄え。民がなくなれば君主は滅びる。」と箴言のみ言葉にある通りです(箴言14:28)。パトモス島で幻を見た使徒は、勝利の教会についての幻を記しました時、キリストと神の栄光とを念頭においていました。「見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大勢の群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。『救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。』(黙示録7:9、10)。

 イエス・キリストの名のもとに多くの人が集い、礼拝をささげる教会の成長は、教会の頭であり、王であるイエス・キリストの栄光をあらわすことになるのです。これは考えてみれば当然のことです。たくさんのお客さんがいるレストランと、少しのお客さんがいるレストランでは、たくさんのお客さんがいるレストランの方がおいしい食事を出すレストランであると判断されます。多くのお客さんは、そのレストランの栄光を高めることになるわけです。それと同じように、たくさんの人が集っている礼拝と、少しの人が集っている礼拝では、たくさんの人がいる礼拝の方が、あがめられている神様、イエス様の栄光を高めることになるのです。しかし、日本の教会では、なかなか礼拝出席者が増えません。増えるどころか減っているのが現状ですので、あまり人数の増加のことを言わないと思います。成長よりも成熟、量より質といった観点から教会の成長が語られることが多いと思います。けれども、第14章28節にあるように、民の増すところに王の栄誉があるのです。教会員が増えれば、それは教会の頭であり王であるイエス・キリストの栄誉をあらわすことになるのです。私たちは一人でも多くの人に、イエス・キリストを信じて、洗礼を受けて、教会員になっていただきたいと願っていますが、それは教会の頭であり、王であるイエス・キリストの栄光をあらわすことと結びついているのです。

 実際、神様とイエス・キリストは、一人でも多くの人が教会の礼拝に集うことを求めておられます。『ルカによる福音書』の第14章15節から24節までを読みます。新約の135ページです。

 同席していた客の一人が、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は、なんと幸いなことでしょう」と言った。そこで、イエスは言われた。「ある人が盛大な宴会を催そうとして、大勢の人を招き、宴会の時刻になったので、僕を送り、招いておいた人々に、『もう準備ができましたので、お出でください』と言わせた。ところが、皆、一様に断り始めた。最初の人は、『畑を買ったので、見に行かねばなりません。どうか、失礼させてください』と言った。ほかの人は、『牛を五対買ったので、それを調べに行くところです。どうか、失礼させてください』と言った。また別の人は、『妻を迎えたばかりなので、行くことができません』と言った。僕は帰って、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで、町の大通りや路地へ出て行き、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人をここに連れて来なさい。』やがて、僕が、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席があります』と言うと、主人は言った。『街道や農地へ出て行って、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ。言っておくが、あの招かれた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいない。』」

 ここで注目したいのは、23節の主人の言葉です。「街道や農地へ出て行って、無理にでも人々を連れて来て、この家をいっぱいにしてくれ」。主人は、家いっぱいの多くの人と盛大な宴会を祝いたいのです。そのことによって、主人は自分の栄光をあらわしたいわけです。もちろん、私たちは、無理に人を連れてくることはできません。信仰は誰かに強制されるものではありません。しかし、それほどの熱意をもって、主イエス・キリストは、この礼拝堂を、大勢の人でいっぱいにしたいのです。そのことを私たちは、心に留めて、先ず自分自身が、主の招きにお答えして、礼拝に集いたいと思います。そして、一人でも多くの人をこの場にお誘いしたいと思います。

 今朝の御言葉に戻ります。旧約の992ページです。

 第14章28節の後半に、「国民が絶えるところには君主の滅び」とあります。現在、教会員の減少や高齢化などによって、教会の合併や閉鎖といったことが話題になります。そのようなことを論じるとき、その教会に集っている教会員の信仰生活、霊的なケアという視点で論じられることが多いと思います。けれども、この御言葉によれば、教会が閉鎖されるならば、教会の頭であり、王であるイエス・キリストの栄光が失われてしまうことになるのです。

 「民が増すところには王の栄誉。国民が絶えるところには君主の滅び」。この御言葉は、教会員である私たちと教会の王であるイエス・キリストの関係について教えてくれる御言葉であり、私たちの礼拝出席や伝道について、考えさせてくれる御言葉であるのです。

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