怠け者よ、蟻のところに行け 2025年5月14日(水曜 聖書と祈りの会)
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怠け者よ、蟻のところに行け
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- 説教
- 村田寿和 牧師
- 聖書
箴言 6章1節~19節
聖書の言葉
6:1 子よ、もし友の保証人となって/よその者に手を打って誓い
6:2 あなたが自分の口から出た言葉によって罠にかかり/自分の口から出た言葉によって捕らえられたなら
6:3 子よ、その時にはこうして自らを救い出せ。/あなたは友の手中に落ちたのだから/気弱にならず、友にうるさく求めよ。
6:4 あなたの目に眠りを/まぶたにまどろみを与えるな。
6:5 狩人の手から逃れるガゼルのように/その手から逃れる鳥のように、自らを救い出せ。
6:6 怠け者よ、蟻のところに行け。/その道を見て、知恵を得よ。
6:7 蟻には指揮官もなく/役人も支配者もいない。
6:8 夏の間に食物を蓄えても/刈り入れ時にもなお食糧を集める。
6:9 怠け者よ、いつまで横になっているのか。/いつ、眠りから起き上がるのか。
6:10 しばらく眠り、しばらくまどろみ/しばらく腕を組み、また横になる。
6:11 すると、貧しさは盗人のように/乏しさは盾を持つ者のようにやって来る。
6:12 ならず者は悪をもたらす輩/偽りを言い歩く。
6:13 目くばせし、足で合図し/指で指図する。
6:14 心に偽りを持ち、悪を耕し/絶えずいさかいを引き起こす。
6:15 それゆえ、彼には突然災いが襲い/たちまち砕かれるが、彼を癒やす者はない。
6:16 主の憎むものが六つ/心からいとうものが七つある。
6:17 高ぶる目/偽りを語る舌/無実の人の血を流す手
6:18 悪だくみを耕す心/急いで悪に走る足
6:19 虚偽を語る偽りの証人/兄弟の間に争いを引き起こす者。箴言 6章1節~19節
メッセージ
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「聖書と祈りの会」では、「イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの箴言」を学んでいます。今朝は、第6章1節から19節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1節から5節までをお読みします。
子よ、もし友の保証人となって/よその者に手を打って誓い/あなたが自分の口から出た言葉によって罠にかかり/自分の口から出た言葉によって捕らえられたなら/子よ、その時にはこうして自らを救い出せ。あなたは友の手中に落ちたのだから/気弱にならず、友にうるさく求めよ。あなたの目に眠りを/まぶたにまどろみを与えるな。狩人の手から逃れるガゼルのように/その手から逃れる鳥のように、自らを救い出せ。
前回学んだ第5章では、「よその女に酔いしれること」についての警告の言葉が記されていました。今朝の第6章では、「友の保証人になること」についての警告の言葉が記されています。1節と2節に、「子よ、もし友の保証人となって/よその者に手を打って誓い/あなたが自分の口から出た言葉によって罠にかかり、自分の口から出た言葉によって捕らえられたなら」とあるように、ここでは、友の保証人になったことを仮定して、どうすればよいかが記されています。けれども、知恵の教師であるソロモンは、他の箇所では、「保証人にならないように」と記しています。それは、他人の保証人になることによって、自分の人生を台無しにしてしまう危険があるからです。他人の借金の保証人になれば、自分が他人の借金を返済する義務を負ってしまうからです。第11章15節には、次のように記されています。「他人の保証をすると災難が降りかかり/手を打って誓うことをいとえば安心していられる」。第22章26節には、次のように記されています。「手を打って誓うな。負債の保証をするな」。このように、ソロモンは、「他人の保証人になるな」と語っているのです。けれども、今朝の御言葉、第6章は、友の保証人になってしまったら、どうすればよいかが記されています。ソロモンはこう言います。3節から5節です。「子よ、その時にはこうして自らを救い出せ。あなたは友の手中に落ちたのだから/気弱にならず、友にうるさく求めよ。あなたの目に眠りを/まぶたにまどろみを与えるな。狩人の手から逃れるガゼルのように/その手から逃れる鳥のように、自らを救い出せ」(「ガゼル」を新共同訳は「かもしか」と訳していた)。ソロモンは、「友にうるさく求めよ」と言いますが、何を求めるのかが記されていません。おそらく、「『自分で負債を返して、保証人の私に迷惑をかけないでほしい』とうるさく求めよ」ということだと思います。そのようにして、自らを救い出せと言うのです。
6節から8節までをお読みします。
怠け者よ、蟻のところに行け。その道を見て、知恵を得よ。蟻には指揮官もなく/役人も支配者もいない。夏の間に食物を蓄えても/刈り入れ時にもなお食糧を集める。
「怠け者」とは「働こうとしない者」です。働こうとしない怠け者に、ソロモンは、「蟻のところに行け。その道を見て、知恵を得よ」と言います。神の知恵は、神様が造られた蟻の生態によって示されているのです。蟻は自(おの)ずと働いて食糧を集めます。その蟻を見習って、勤勉に働くようにと言うのです。
9節から11節までをお読みします。
怠け者よ、いつまで横になっているのか。いつ、眠りから起き上がるのか。しばらく眠り、しばらくまどろみ/しばらく腕を組み、また横になる。すると、貧しさは盗人のように/乏しさは盾を持つようにやって来る。
これも、働こうとしない怠け者に対する警告の言葉です。横になってばかりいると、貧しくなって、生活が成り立たなくなるぞと言うのです。
12節から15節までをお読みします。
ならず者は悪をもたらす輩/偽りを言い歩く。目くばせし、足で合図し/指で指図する。心に偽りを持ち、悪を耕し/絶えずいさかいを引き起こす。それゆえ、彼には突然、災いが襲い/たちまち砕かれるが、彼を癒やす者はない。
ここには、ならず者についての言葉が記されています。「ならず者」とは「悪い事ばかりして手のつけられない者」のことです(広辞苑)。ならず者は、悪をもたらす輩であり、偽りを言い歩きます。ならず者は、いさかいを引き起こして、共同体の一致を乱すのです。そのようなならず者には、突然、災いが襲いかかり、たちまち砕かれます。それゆえ、私たちはならず者になってはならないのです。また、ならず者の仲間になってもならないのです。
16節から19節までをお読みします。
主の憎むものが六つ/心からいとうものが七つある。高ぶる目/偽りを語る舌/無実の人の血を流す手/悪だくみを耕す心/急いで悪に走る足/虚偽を語る偽りの証人/兄弟の間に争いを引き起こす者。
ここには、数え歌によって、主が心からいとうものが七つ記されています(「いとう」とは「いやに思う。嫌う」の意味)。主はどのような者を憎み、心からいとわれるのか。それは、高ぶる目、偽りを語る舌、無実の人の血を流す手、悪だくみを耕す心、急いで悪に走る足、虚偽を語る偽りの証人、兄弟の間に争いを引き起こす者です。ここに記されていることは、私たちと無縁ではありません。私たちが高ぶる目をするとき、主はその私たちをいとわれるのです。私たちは、人からどのように思われているかを気にするよりも、主からどのように思われているかを気にしなくてはならないのです(私たちは人の目よりも神の目を気にする必要がある)。そして、主にいとわれることがないように、へりくだって、真実を語り、命を助け、善いことを考えて、速やかに行い、真実の証人となり、兄弟の間に平和をもたらすように心がけるべきであるのです。
今朝の御言葉、6節から11節には、働こうとしない怠け者に対する警告の言葉が記されていました。今朝は、最後に、新約聖書に記されている怠け者に対する警告の言葉を読んで終わりたいと思います。『テサロニケの信徒への手紙二』の第3章6節から12節までをお読みします。新約の374ページです。
きょうだいたち、私たちの主イエス・キリストの名によって命じます。怠惰な生活をして、私たちから受けた教えに従わないすべてのきょうだいたちを避けなさい。どのように私たちを見習うべきかは、あなたがた自身がよく知っています。私たちは、あなたがたの間で、怠惰な生活を送りませんでした。また、誰からもパンをただでもらって食べたりしませんでした。むしろ、誰にも負担をかけまいと、労苦し骨折って、夜も昼も働いたのです。私たちに権利がなかったからではなく、あなたがたが私たちに倣うように、身をもって模範を示すためでした。実際、あなたがたのもとにいたとき、私たちは、「働こうとしない者は、食べてはならない」と命じていました。ところが、聞くところでは、あなたがたの中には、怠惰な生活を送り、少しも働かず、余計なことをしている者がいるということです。そのような者たちに、主イエス・キリストにあって命じ、勧めます。落ち着いて働き、自分で得たパンを食べなさい。
テサロニケの教会には、働かないで怠惰な生活をしている者たちがいました。彼らは、イエス・キリストの再臨が近いと考えて、「働いてなどいられない」と言い、浮足立った生活をしていたようです。そのような怠惰な者たちに、パウロは、「落ち着いて働き、自分で得たパンを食べなさい」と言うのです。このパウロの言葉は、イエス・キリストの再臨を待ち望んでいる私たちに対しても言われているのです。